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1-10 博士の『異常』な愛情

2019年、東京。平凡な「私」は猶予期間という怠惰を貪る学徒であったが、ある日突如として現れた『博士』の明晰夢により次第に日常は蝕まれてゆく。その一方で、世間を揺るがす爆破予告とその事件は「私」の周囲にも暗い影を落とし――

崩壊する現実、「私」を蹂躙し破壊してゆく、妖しくも怜悧で邪悪な『博士』とは何者か? また奇妙な組織「カルメル派修道女」ならびに構成員たちの目的とは?

  いつものゼミの帰り道、見慣れた路地に彼女の遺体が転がっている。

 あるチューリング機械は次の7つ組M=〈Q,Γ,b ,Σ,δ,qinit,qacc〉で定義される。

 アスファルトに白墨で書かれたいくつかの数式が、彼女の黒い血痕に途切れながらも目に入る。私には理解ができなかったが、誰が書いたものか(彼女自身なのかその死の原因の人物に依るのかは)不明である。

 むせ返るような鉄の臭いのなか、その白い文字は路地一面を埋め尽くしているのであった。


 その映画を観て、私は心底落胆していた。

 評判も何も事前に検索せずに行った自分が悪かったのであるが、ここまで粗悪で陳腐な作品も久しぶりであった。

 時間つぶしのためとはいえ、その時間をもっと有益に使えなかったのか? 私はひどく重い足取りで映画館を出ると、そこで無益な時間を消費している間に、目の前の広場には数台のワゴン車が来ており「カルメル派修道女」を名乗る奇妙な団体のメンバーたちが演説していた。なるほど修道女を名乗る割に構成員のほとんどは男であったが、皆黒い布切れを頭から被っている。

彼らが配っているビラにはこうあった、


-殉教と革命の時は来たれり! 我が同胞達に耳を傾ける者は幸いである-


バカバカしいにも程がある。

ワゴン車に設置されたスピーカーからは音質の悪いがなり声が響き続けていた。


「神は貴方の力ではなく弱さを(ため)すのです!」

「ただ名誉のみが残りますよう!」


 連中は例のプーランクの歌劇と関係あるのかないのか? 意味不明な言説をがなり声で拡散していたが、世間はそれに慣れっこになってしまいすっかり日常の一部となってしまっていた。


 クソッタレが、早く断頭台へ登っちまえ! そう言いかけて私は押し黙る。


 ああ、嫌だ。関わり合いになりたくない。


 私は自分の耳を千切りたくなり、広場を足早に横切ると帰路に就く。足元に纏わり着く「カルメル派修道女」達のビラを踏みつけながら。


 連日の爆弾騒ぎ、壊れたようにマスコミが垂れ流す都合の良い情報を父母は見つめ続けていたが、私は帰宅に気取られないよう自室に滑り込んだ。


 なんの前触れもなく、爆破事件が起き始めたのはここ3ヶ月ほどである。メディアは最初こそ面白おかしくそれを書き立てていたが、今では音沙汰もなかったし、その間愚かにも官憲は一切の有力な証拠を見つけることができず、事件は謎のままになっていた。

今回もビルの一棟まるまるが吹き飛ばされたが、人びとはあの「カルメル派修道女」の奇行奇態以上にこの事象に慣れきってしまい、最早その原因には誰一人として興味を持たなくなっているように感じたし、実際そうなのだろう。私もその一人であった。


この世は地獄だ、誰も信用しない事だけが救済へ繋がる。

この世は地獄だ、彼女の「呼び声」だけが救済へ繋がる。

この世は地獄だ、讃えよ異邦の神(エーリアン)の福音を。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 湿気っぽい布団の上に転がると、私は目を閉じた。視界を遮断することで、別の感覚に接続しているという妄想云々。

 ここであるならば(人間からも時間からも6000フィートの彼方)私は眠りを眠る。


あるチューリング機械は次の7つ組M=〈Q,Γ,b ,Σ,δ,qinit,qacc〉で定義される。


その人物は幾世紀にも(わた)りある研究をして、山の庵に独り暮らしていた。

 仮にその人物を『博士』と呼ぼう。


『博士』はある自作の機械を研究していた。

 即ち中身は、その表面に記号を読み書きできるテープ。長さは無制限(必要になれば順番にいくらでも先にシークできる)と、テープに記号を読み書きするヘッド、ヘッドによる読み書きと、テープの左右へのシークを制御する機能を持つ、有限オートマトン(または有限状態機械とは、有限個の状態と遷移と動作の組み合わせからなる数学的に抽象化された「ふるまいのモデル」である)が、ある。

 しかしこの機械で決定できない命題も存在する。例えば与えられた命題、この機械が停止するかどうかをこの機械で決定することはできない……


 夜になり、賢者たる『博士』は髑髏と獅子と眠る。

『博士』は珍しく熱に(うな)されていた。

『博士』はこの隠遁生活を手に入れるために、剣と謀略によって血に塗れた半生を送ってきた。


私に気づくと『博士』はじっと私の目を見ながら、熱い指先で私の頬をなぞり、こう言った。


「ここは常に冬なのだ」


 そこで目が覚めた。

『博士』は彼岸より此岸へと差し込む一条の曙光。

 彼女は一体何者か?


 有害な紫外線が燦々と降り注ぐ、蒸し暑い四月の夕暮れ。

 近所に出来た爆発跡の縁に物見高い連中が群れていた。


 昨夜またもや爆破があったらしい。ゼミに出席するために居間へ来た私は、母にそう言われるまで気が付かなかったが。


 爆発でできた大穴をSNSに掲載するために野次馬はどこからやって来て、スマホで動画やら写真やらを熱心に撮影している。まあ、私もその野次馬の一人に過ぎないのだが。


 今回爆破されたのも住宅街と畑の間にある雑居ビルが中心で、十数人が犠牲になっているはずであった。

 中には菓子やペットボトルの飲料を、青いビニールシートの撤去されたばかりの現場に手向ける者たちもいた。

 例に漏れずその爆破跡にもうんざりするほど人が居て、軽く吐き気がする。


 畜生、どこから湧きでてきたんだ、連中は?


 人だかりを押し分けてクレーターを一瞥すると、そこに存在したはずの人々の営みの痕跡は一切なく、ただただ灰色の塊と土くれだけがあった。犠牲者の身元につながる物品も警察が持ち去った後であろう。立ち入り禁止の黄色いテープの近くではごく小数の「報道」と書かれた腕章を着けたマスコミが、写真を撮ったりカメラを回している。連中もその他の野次馬と大して変わらない。


突如として私はこの大きな穴に何かを投げ込みたい、とても子供じみた衝動に駆られた。そこら中、大小のコンクリ片やらむき出しになった地面に落ちている石やら、投げ込むには最適なものが揃っていた。

私はまだここに居る警察の目を気にしたが、やはりその誘惑には勝てずに足元に転がるコンクリートの小さな欠片をその奈落へと投げ込んだ。その人工の切片は放物線を描いて飛び、こつんと固い音を立て関東ローム層の赤黒い一部へと転がり落ちていった。

 ところが野次馬連中はそれを見ると、その行為が愉しそうだと分かり真似して同じことを始めたので、私は慌ててその場を去った。


 ああ、嫌だ。連中とは関わり合いになりたくない。


 背を向けてその爆破跡の反対へと歩き出そうとすると、目の前に一人の中年の侏儒が立っていた。この男、どこかで見た気がするのだが思い出せない。しばらく彼と対峙しいい加減、どなた様でしょうかと話しかけようとした途端、彼の歪な唇がゆっくりと開くと確かにこう言った。


「あんた、明日死ぬよ」

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表紙絵
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[一言] シュールな絵が浮かび続ける第一話。 次の一文に何がくるのか予測がつかない感覚で読み進めました。 現実が夢のようだし、夢もまた不可思議な世界。 セリフがまるで呪いのように響きました。
[良い点] 二度目読んで、明晰夢と現実がごちゃ混ぜになっている感じが文章からよく分かり、気怠い現実と夢に蝕まれていくような自分の嫌な生ぬるさを感じました。 M=〈Q,Γ,b ,Σ,δ,qinit,qa…
[気になる点] 未熟な私ではよくわかりませんでした。 書き方も設定もよくわからず、続きがあるなら逆に読んでみたい気がします。 が、書き出し祭りではなく、普通に読み漁っている時に見つけた場合はわざわざ読…
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