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《九話》増えた死体

 「それは間違いないのか」


 調べに来た内侍府の太監が蚕室の太監に詰め寄る。


 「はい。私、でん 建良けんりょうと申します。蚕室で排泄の処理をしておりました。ので、間違いありません。私が世話していたのは六人です」


 自宮も宮刑も最近では少なくなったと聞く。胡娘こじょうは前の様子なんて知らないので、何ともいえないが蚕室の広さからもっと大勢が入れる場所だったのだろう。


 焼けてしまって人相の確認ができない。記録にあるのも六人だけしかない。ならば、いきなり現れた七人目は誰なのだろうか。

 

 蚕室を管理していた太監は皆無事だ。胡娘はその太監たちに話を聞くことにした。


 「あの、中ではどのような形で遺体があったのでしょう」


 「あ? 誰だお前は。所属は?」


 太監である建良は胡娘のことを怪しむようにつま先から頭の先まで舐めるように眺めた。胡娘はごくりとつばを飲みこむ。仵作のような真似をしてしまったから、仵作のフリをするべきか。それとも医官だというか。だめだ。どちらも記録されていない人物はすぐにわかってしまう。


 「えっと、私は慶徳宮の者です」


 嘘は言っていない。しかし、汗が滲み出てくる。建良はまた胡娘を舐めるように見ると、納得したように頷いた。


 「なるほどな。お前、隠された者か」


 隠された者という言葉に一瞬意味がわからなかったが、とう貴妃が噂をしているのを聞いたことがあった。「えん妃が宦官を囲っているらしいですわ。隠された者といいますのよ」と教えてくれた。


 胡娘の宮には西方からきた者たちが多く働いている。その配置は皇后の気遣いであることも知っていた。だからこそ、胡娘のような珍しい容姿の者は皆、慶徳宮に集められている。


 胡娘のような御渡りのない妃嬪が宦官や女官に手を出してしまうことはままあることで、よほど大事にならなければ皆見て見ぬ振りをする。密告も高位の妃嬪のものになればなるほど危険がつきまとう。証拠をうまく隠され、自分の方が罰せられてしまうかも知れないからだ。


 「濘貴妃といい仲だったんだろ。見慣れないやつはみんな、宮の中に囲われて絹の布団で寝てるんだろ。羨ましいことだな」


 皮肉げに建良がつぶやいた。「私は新人です」などと一応、納得してくれそうもない言い訳を並べてみたが、あまり効果はなかった。


 「ほとんどは、動けずそのまま死んでた。二人だけ動けたのか出口付近で折り重なるように倒れてた」


 建良の言葉を聞いてから改めて死体を見ると、確かに二人だけ折り重なっていたのであろう腹の部分が焼けずに残っている。形としては下になったものが仰向け、上に重なったものがうつ伏せだったのだろうか。


 「おい、お前は出しゃばるな。これは我々内侍府の管轄だ」


 胡娘がまるで調べる内侍府の宦官のような真似をし始めたのが気に食わなかったのか、内侍府の太監が胡娘の肩を掴んで引き留める。


 「お前、名前は」


 尋ねられ、胡娘は咄嗟に偽名が口から出ていた。


 「小胡しょうこです」


 本当は自分の名前、胡娘に近いものにすることで反応できないという事態を防ぐためのものだった。太監はまだ疑っているのか「慶徳宮の小胡…?」とつぶやいている。この件が片づけば、宦官の名簿の調査が入るかも知れないと胡娘は汗が止まらなかった。


 本当はこの火事現場に来たのは、遺体の身元がもしかしたらわかるかも知れないと思ったからだ。胡娘の故郷の知り合いかも知れない。そうであって欲しくないという願いが胸の中にあった。


 「あの、行方がわからない者たちを調べてくれませんか? もしかしたら増えた遺体の方かも。それは内侍府の管轄でしょう?」


 胡娘がそう頼むと、内侍府の太監は顔を真っ赤にして「言われなくてもやってる!」と叫び、部下らしき者たちに行方不明者の名簿を調べるように命じた。まだやっていなかったらしい。


 しかし、これはあまり意味がないだろうなとも思っていた。婢女や下男は数が多い割に管理が杜撰で、しかも生活だって胡娘たち妃嬪に比べて貧しいのだから何処かで野垂れ死んでいるかも知れない。しかし誰にも探されないということはよくある。

 内侍府も記録だけはしているようたが、積極的に探そうという気はないようだ。


 「お前、もう出しゃばるな!」


 「でも、私がいなければ火災の前に死んでいた遺体があったなど気づかれないままでしたよ」


 胡娘の言葉に太監は言葉に詰まった。


 「これは事故なんだ。それでいいだろう」


 太監がそう片付けようとしたとき建良が声をあげた。


 「ならば、死体が増えたのはなぜなのですか」


 恐ろしい、恐ろしいと呟きながら手を擦り合わせている。まるで増えた死体の秘密を暴かなければ祟られてしまうとでもいうように。その問いに内侍府の太監は詰まった。


 「た…しかに、ただの事故というわけではなさそうだ」


 胡娘はここで考えを口にした。


 「死んだ後に火に焼かれた遺体がありました。考えられる一つとして、誰かが死体を遺棄しそれを消し去るために放火したという説です」

 

 「放火!?」


 建良が怯えるように肩を振るわせた。


 「出火の原因は火鉢では…」


 しかし、蚕室の一番奥が最も焦げていてそこが出火元だと思われる。しかし、そこに火鉢はなかったのだ。火鉢があったのは隣のへやで太監たちがいる場所だった。そこにも火の手が回っているがあまり焦げてはいない。すぐに消し止められたのだろう。


 蚕室は暖かい場所ではなかった。寒々しく、粗末な場所であったと想像がつく。


 「放火であれば、誰が恐ろしいことをしたのでしょう。ここにはまだ出仕前の若造共しかおりませんでした」


 建良がおろおろと胡娘の顔と燃えたあとの蚕室を見比べている。


 「それは内侍府の仕事でしょう」


 胡娘にはそう言うしかなかった。これが事件なのであれば犯人探しは内侍府の仕事である。内侍府の太監が悔しげに歯を噛み締めた。


 胡娘はもう一度、焼死体たちをみた。皆、宦官の施術痕がある。蚕室にいた宦官たちが犠牲になったと見るのが正しいのだろう。骨格から大人の男から、少年と言える歳の者まで様々だ。


 「内侍府の太監様、行方不明者を宦官に絞って探してください」

 

 「言われなくても、ここは蚕室なのだ。宦官であると考えるのが妥当だろう」


 胡娘の言葉を聞いて内侍府の太監はふん、と鼻を鳴らした。もう一度、胡娘は死体を見る。そこで違和感に気づいた。


 「一人だけ、骨格が成人。しかもそれは折り重なるように倒れていた故、腹が焼けていないうちの一人」


 硬直した体の形と死斑から彼が上に覆い被さるように倒れていたのだと推測できる。下にいたのはまだ少年と言える発達途中の骨格だ。


 「嫌なことを思いついてしまった…」


 胡娘は眉を顰めながらつぶやいた。建良がどういうことかと詰め寄る。


 「いえ、まずは状況を整理しましょう。蚕室には記録では現在、六人しかいない。しかし実際には七人の遺体が出てきた」


 蚕室を管理する今日の四人の太監は無事。田 建良、きん 平子へいしりん てつしゃ 志賢しけんの四人だ。といっても真面目に仕事をしていたわけではなく麻雀をしていたらしい。


 蚕室の隣のへやには散らばった牌があった。これは嘘をつくと恐ろしい目に遭うと内侍府の太監に脅されて、林哲が吐いたものであった。建良はこの四人の中では一番下っ端で垂れ流しの糞尿を処理する役目はいつも彼だったという。


 「建良さん、あなたはいつも六人を世話していた。ならば体の形から誰だかわかったりしませんか」


 胡娘はわずかな望みにかけるように問いかけた。


 「こんなにも人相がわからなくなってしまっているのに、わかるわけありません。それにいちいち世話するものの顔など覚えてもいませんよ。私にとっては臭いものを垂れ流す家畜共です」


 その言い方に胡娘は湧き上がる怒りを抑えるのに大変だった。確かに宦官たちは特徴的な歩き方をし、独特の臭いがあるものだが、建良の言い方はまるで人間の尊厳を踏み躙っているような気がしたのだ。


 騾馬と、宦官を侮蔑する言葉もある。しかし、胡娘はそれを何よりも嫌う。何か欠けているから、人間ではないと侮辱する方がよっぽど心が欠けていると思う。


 「あなたが世話している中に成人済みの者はおりましたか」


 「さあ。そんなこといちいち気にしませんから。少年であろうと成人であろうと、我々のすることは変わりません。水を飲ませ、糞尿を片すだけです」


 胡娘はもう一度粘り強く問いかけた。


 「よく思い出してください」


 しかし、建良は困ったような顔をする。


 「そう言われましても」


 胡娘は仕方がなく、建良にそれ以上問うのはやめた。代わりに望みは薄いが、他三人に話を聞くことにする。もしかしたらこの者たち胡娘の故郷から来た風変わりな容姿の者たちを知っているかも知れない。


 「濘貴妃様が来てから蛮族出身の奴がいた…とは思いますが。まぁ、もう死んでしまっているのですし、どれが誰だったかなんてもう良くないですか」


 金平子は面倒臭そうに頭を掻いて、欠伸を漏らした。


 「増えた死体のことは不思議ですが、大勢いる行方不明者の中から見つけ出せるとは到底思えないですよ」


 謝志賢もあまり積極的には見えない。胡娘はため息を吐きそうになったが我慢した。自分の考えが悪い妄想であって欲しいと願う。死体を遺棄し、放火した犯人がいるということは恐ろしいことだ。それが怨恨によるものかはわからない。ただ本当に火事の前の死体は衰弱死だった可能性がある。


 こっそりと口の中に銀の簪を差し込んでみたが、毒はなかった。銀の簪を所持していたことにより、余計に胡娘は濘貴妃の愛人という疑惑をかけられることになったが。

 皇后は金の簪を、側室は銀の簪を、婢女は木の簪を。と装飾具は決まっているのだ。下の者は上の者より派手にならないように地味な造花を頭につけたりする。


 火事より前に亡くなった遺体は衰弱死だったと仮定すると、死体の遺棄なんて話はなかったことになってくる。嫌なことはずっと胡娘の頭の中にあった。


 「増えた遺体は被害者のものではなく、加害者のものである可能性があります」


 「ええ!?」と建良が声をあげた。話を聞いていた内侍府の太監も驚いたように目を見開く。


 「たとえば、そうです。この成人の方が蚕室に忍び込み動けない少年に暴行した。そしてその暴行により死んでしまった…とか」


 「なるほど。それで怖くなって死体を消滅させようと油かなんかを掛けて燃やした…と」


 内侍府の太監が納得したように頷いた。確かに、あの激しい燃え跡は油が撒かれていたと考えると納得できる。しかし、このままでは謎が残る。


 「しかし、この成人の方は折り重なって亡くなっています。つまり、燃やしたのにすぐに逃げず気にせず次の獲物に襲いかかったのだと思われます。下にいた少年の遺体は二番目の被害者かと」


 死斑の位置から体の向きを想像すれば、少年が下に敷かれているという状態になる。行われた凄惨な行為は考えたくもない。


 「馬鹿じゃないのか、そいつ」


 太監が呆れたように呟いた。


 「ですので、燃やしたのはこの方ではありません。他の方が燃やしたのです。暴行に夢中で気づかなかったこの方は煤毒で亡くなられた…と思うのです」


 胡娘がそこまで言うが、やはり疑問は残る。火の気配に本当に気づかなかったのだろうかと。何故、逃げなかったのか。いや、逃げようとしたはずだ。彼は入り口付近で倒れていた。

 

 妹妹がこの場にのこる霊魂と話せる能力があればいいのに、と思う。そうであれば死んでしまった者たちから話を聞けたのに。

 

 「逃げなかった…いいえ、逃げれなかった。煤毒は密閉された場所で起こる。施錠されていて扉が開かなかった?」  


 建良たちは顔が青くなる。もしかしたら、自分たちが誤って閉じ込めてしまった者を殺してしまったのではないかと怯えたからだろうか。気づかず麻雀に耽っていたと言う罪悪感もあるだろう。


 「詳しく話を聞かせてもらおうか」


 内侍府の太監が建良らの腕を抑える。これから先は内侍府の仕事だと自覚したのだろう。だが、内侍府のやり方は怪しい者を拷問にかけるやり方だ。それを恐れたのか林哲はその場で気絶してしまった。


 胡娘はこう考えた。放火犯は建良ら四人の中にいる、否、全員が共犯かもしれないと言うことに。しかし、共犯となると建良が死体が増えていると言い出したのはおかしなことになる。そのまま蚕室にいた一人として処理して仕舞えばよかった。


 あとで記録を確認される前に犯人ではないと印象付けるためだろうか。麻雀の際に厠へと向かったのは、建良だと聞いている。その際に放火したことが可能だ。


 全く別のところに放火犯がいるかもしれない。しかし、蚕室あたりに不審な人物の目撃はない。ならば蚕室を管理する太監ならば怪しまれずに済む。


 胡娘の嫌な妄想は書物にでもした方がよかった。蚕室に、不埒な行いをしようと来たものを賄賂を貰って通す。しかし、それを良しとしなかった建良が蚕室に鍵をかけて密室にする。皆を麻雀に夢中にさせ、厠へと立つ時に放火する。


 建良は排泄物の処理を押し付けてくるような奴が、火事になった際に中に居るものを助けようなどとはせず、我先に逃げることを知っていたのだろう。


 建良が死体が増えていると証言したのは、自分を犯人から外すためか、それとも何処かで裁いて欲しいと願っていたからなのか。


 連れて行かれる建良らを眺めながら、胡娘は静かにその場を離れた。


 


******




 事故、もしくは事件の真相は内侍府の太監が小胡という宦官を探しに慶徳宮にやってきた際に詳しく話を聞くことができた。


 「何故、その小胡という者を探すの?」と問いかければ、太監は事件の解決に際して助けてもらったからだという。胡娘はただ想像の域を出ないことを言ったまで。

 だが、真実は胡娘が思い描いていたものと近かったようだ。放火犯は建良。不埒な行いをする自身の師父を裁きたかったのだという。


 彼は獄舎で泣きながら「尊敬していたのに裏切ったのです」と語ったようだ。尊敬する師父がまさか、そんなことをするとは思わなかったのだろう。そしてそんな師父を裁いたら今度は自分が裁かれる番だと思ったらしい。

 そうだとしても他六人を巻き込まないで欲しいと胡娘は思った。慶徳宮に配属される宦官はもう代わりの者が手配されている。しかし、胡娘は下の者の命などいくらでも代えがあるのだと言っているようで嫌だった。


 ただ今は静かに鎮魂を祈るしかないのが悔しかった。もし、ここに同じ故郷の者が来てくれたならどれだけ嬉しかっただろうか。懐かしい話に花を咲かせ、大事に大事にしてやりたかった。


 胡娘は目を閉じる。焼かれた死体が浮かぶ。どうか、あの魂たちが誰も恨むことなく楽園に行けるようにと願った。

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