II. 勘違いボーイの独白
昨日もサーシャは可愛かった。すっごく。
僕は健気な婚約者の姿を思い出して、思わずうっとりしていた。
「おいおい、手が止まっているぞマーカス。お前がニヤついていると『天使の微笑み』と言われて女生徒に騒がれるらしいが、頭の中ではどうせまたアレクサンドラ嬢といちゃつく妄想をしているんだろう?」
ヴァレリウス王子は生徒会室の肘掛け椅子に背中を投げて、今日も僕に嫌味を言ってきた。外見は金髪碧眼の美男子でも、中身はそこまで美しくない。
「妄想ではありません、殿下。思い出しているだけです。」
「開き直るな!まったく、いつかアレクサンドラ嬢を訴えてやる!私の優秀な副官を返してくれってな!新しい難題が届いたばかりだというのに。」
王子は気に入らないだろうけど、僕は最初から王子のものだったことはないと思う。婚約が決まったときから、僕の心も体もサーシャのものだから。
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小さい頃、僕はサーシャにあんまり関心がなかった。家どうしが仲が良かったから、婚約の話は早くから出ていたけど。
僕は物語の女主人公みたいな、健気で、一途で、がんばりやさんな女の人にあこがれていたんだ。でも貴族の女の子にそんな人はいないだろうって、決めてかかってた。
サーシャが騎士団長の息子のサイラスと婚約したいと言いだしたときも、最初は不思議だなと思っただけだった。サイラスは山の方の領地にこもって走り回っているだけで、全然社交界にも顔を出していなかったし、どこで接点があったんだろうって。
でも、サイラスと婚約するためにあの手この手を使って頑張るサーシャを見ているうちに、そのキラキラした目が僕のほうを見てくれればいいのにって思って、このままサーシャを失うのが悲しくなった。なんでサーシャの魅力にそれまで気づかなかったんだろう、失いかけると大切さが分かるってやつかな。
僕は母上に、サーシャと婚約したいこと、サイラスには幼馴染のミネルヴァ嬢がお似合いなことを伝えたら、縁組が大好きな母上はさくっと二件の婚約をまとめてしまった。
初恋が叶わなかったサーシャが三日間寝込んだって聞いたときは、さすがに悪いことをしたなって思ったけど・・・
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「おいマーカス、また妄想が始まったのか?」
王子の不機嫌そうな声で僕は追憶から起こされた。
「いいえ。それで殿下、どのような難題なのですか。」
「いや、一人だけ庶民出身の新入生女子生徒のエミリア嬢を覚えているだろう。すごい美人の。身分のせいか、寮では誰も相部屋になりたがらない。」
サーシャ以外の女生徒に僕は関心がないから、美人だろうとなんだろうと覚えていなかった。
「正当な理由があれば僕のように自宅通学も認められます。」
「おいマーカス!寮生活が原則なのに、『婚約者と濃密な時間を過ごしたい』って理由で通学しているお前の真似が彼女にできると思うか!?大体生徒会役員は寮の個室があるのに。」
生徒会役員の個室はそっけなくて、僕とサーシャの逢瀬にはムードが足りない。それに・・・
「寮の個室は防音がよくありませんから。」
「だから開き直るな!!破廉恥な奴め、昼間から何を言っているんだお前は本当に・・・」
王子は頭を抱えるけど、僕はサーシャとの愛が破廉恥だなんて思ったことはない。でも触られるとちょっと情けない声が出るのは恥ずかしくて、できれば誰にも聞かれたくない。
「僕も誰かにあえぐ声を聞かれて喜ぶような変態ではありませんから。それにサーシャも遠慮してしまうでしょう?」
「・・・はあ、お前の煩悩と話していると疲れてくるな。サイラスのところにいってくる。やつは相部屋でもいいといっていたから、空いた個室をエミリア嬢に譲ってもらおう。生徒会棟は男女共用だ。実際は男しかいないわけだが・・・。とにかく、サイラスの『自己犠牲』は高く評価されるだろうな。」
王子はサイラスの名前を出す必要がないのに出してきた。これは僕を挑発するときのやり方だ。
「・・・この案件は無神経なサイラスには荷が重いでしょう。一人だけ特別扱いで別棟の個室が与えられたら周りの生徒の神経を逆なでします。僕に任せてください。今から折衝に行ってきます。」
「そうか・・・頼もしいな。」
王子が満足そうに笑うのを悔しく感じながら、僕はなるべく関わりたくない奴のもとに向かった。
トラップだと分かっているけど、サイラスにだけは負けるわけにはいかない。
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サイラスとの初恋を破ってしまった気まずさから、僕は外で遊ぼうと言ってくれるサーシャの誘いを断って、本ばかり読んでいた。サーシャは付き合って部屋の中にいてくれたけど、暇そうにして絵を描いたりしていた。
そんなある日、サーシャがウトウトしているところを覗き込んだとき、僕は衝撃をうけたんだ。
半分裸のサイラスの絵だった。
サイラスは野生児みたいに野山を駆け回っているらしいから、サーシャはそんなところを偶然見てドキッとしたのかもしれない。顔はかろうじてサイラスだって分かるくらい雑にかかれていたけど、体の方はリアルだった。
僕も一度水浴びをするサイラスを見かけたことがあるけど、僕の体とそんなに変わらなかったのにと思った。
メイドのリヴィアはその一月前までサイラスの家で働いていたから、サイラスをよく知っているだろうと思って、後で聞いてみた。
「ねえリヴィア、どうしたらサイラスみたいな体になれるかな。」
「お坊っちゃま!お坊っちゃまのほうが、きれいな体をしていますよ!天使みたいなお体ですよ!アレクサンドラ様もきっとお坊っちゃまを好ましく思われます!」
そっか、サーシャだってきっと綺麗な体が好きなはずなんだ。たぶん、いやきっと、初めて見た男の子の体にドキッとしちゃっただけなんだ。絵のバランスを考えるとサイラスの顔はそこまで決め手じゃないみたいだったし・・・
そう自分を慰めた僕は、それ以来、なるべく見栄えのいい体を保てるように気をつけてきた。
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生徒会室とは校舎の反対側にあるテラスに行くと、お目当ての男子生徒が女生徒に囲まれていた。
「ガウス!今ちょっといいですか?」
「おや、これはラフバラ伯爵のご令息で、アレクサンドラ嬢の下僕、マーカス君だね。」
大神官の息子のガウスは、自慢のシルバーブロンドをかきあげて、いつもみたいに偉そうな態度をとった。なぜか僕をライバル視しているらしいけど、意味がわからない。
「ええ、少し相談があるのですが。」
「下僕については反論しないんだね。」
拍子抜けしたようなガウスは、少し苦笑するように肩をすくめた。
「別に、サーシャのためなら下僕にだってなりますよ?」
ガウスの周りの女生徒たちがきゃあきゃあと騒ぎ出した。貴族らしくないと文句でも言っているのかもしれないけどどうでもいい。
「・・・君の盲目な愛には脱帽だよ。尻に敷かれる姿が目に見えるね。今から心配だよ。」
ガウスはあきれたように首を振ったけど、僕は別にサーシャに尻に敷かれたって構わない。
昨日だってその、文字通り、そういう体勢だったし・・・
「いいんじゃないですか、好きな人になら。」
またガウスの取り巻きたちが騒ぎ出したけど、高い声がキンキン響いて聞き取れない。
「・・・そこで頬を赤く染めるとはあざとい・・・さすがは何も知らないサイラスからアレクサンドラ嬢を奪い取っただけのことはあるね。」
サーシャの求婚活動は派手だったから、あまりに鈍感なサイラス以外はみんなだいたい何があったか知っていた。ガウスみたいに僕をよく思わない人たちは、その話を無理やり持ち出してくる。
「サーシャの初恋が僕でなかったのは残念ですが、最終的にサーシャは自分から僕を選んでくれました。だからもう誰にも渡しません。」
そう、初恋を邪魔した僕の後ろめたさは、運命のあの日からすっかりなくなっていた。
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婚約者のことをいいなと思っていたけど、後ろめたさもあって積極的になれない僕の殻を破ってくれたのは、やっぱりサーシャだった。
ご褒美をくれるっていうから、半信半疑で外の遊びに付き会ったあの日、雨に振られた僕らは納屋に逃げこんだ。
『マーカス様、服を脱いでください。風邪を引いてしまいますよ。』
薄暗い納屋に響いたあのときのサーシャの声は、なんだか決意に満ちたような感じだった。
『えっ、そんなの恥ずかしいよ・・・』
『マーカス様、脱がないとご褒美はなしですよ。』
サーシャのまっすぐな目を見たとき、僕は、ついにこのときがきたか、と思った。
とうとう僕の体がサイラスのと比べられるんだ。
僕は緊張と寒さで震える指で、たじたじしながらシャツのボタンを外した。
サーシャががっかりするところを見たら死にたくなる、と思って、最後の方は目をつむっていた。
そのまま1時間くらい経った気がした。僕はじっと目を閉じて、震えながらサーシャの判決を待った。
突然、天地がひっくり返るような感覚があった。
目を開けると、僕は干し草の上にうつ伏せに倒れていて、サーシャが上にのっかっていた。
僕はサーシャに押し倒されたんだ!
僕の肌を触り始めるサーシャの指を感じながら、僕の頭の中では天使が勝利のラッパをならしていた。そう、サーシャは僕の体にも興味を持ってくれた!サイラスに勝った!
僕は男女の秘密について何もしらなかったから、その後は研究熱心なサーシャに身を任せた。
それはもう、すごかった。
サーシャはたちまち僕の気持ちいいところを探し当てて、僕をぐちゃぐちゃにした。もう幸せすぎて死んじゃいそうだったけど、サーシャだって僕の全身に興味津々だったんだ!ちゃんと男として見てくれていたんだ!
それ以来、僕はサーシャがいないと駄目な体になってしまった。
サーシャは愛を交わすことを『マッサージ』って言う。聞いたことのない言葉で由来は知らないけど、直接的にいうよりも秘密の合言葉って感じがして、ドキドキする。
15になったとき、『閨教育』とかいって、講師の人が屋敷にやってきた。でも、僕が『もうサーシャとは肌を合わせたよ?』と言ったら青くなって何も講義しないで帰ってしまって、後で両親にすごく怒られた。後で聞いたけど、13歳で初体験ってかなり早いんだって。
両親とサーシャの実家はサーシャが妊娠していないかすごく心配したみたいだけど、今のところその様子はないみたい。肌で触れ合うだけで子供ができるなんて不思議だなって思うけど、僕とサーシャだったらどんな奇跡だって起こせる気がした。
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「・・・自分のセリフで赤くなっているのかな?あざとさが凄まじいね。」
ガウスは僕の美しい思い出をさえぎった。
「それはともかくガウス、教会関係者の寮について質問なのですが、経済的に恵まれない家庭の子弟のために枠がありましたよね。」
僕は事務的に案件を片付けようとした。
「おや、恋人と密な時間を過ごすために自宅通学をしている君が、教会の寮に興味があるとは面白いね。言っておくけど、恋人同士の密会は厳禁だよ?禁欲期間を過ごすなら歓迎するけどね。」
教会関係者なのに絶えず女性に囲まれているガウスは、周りの笑いを促すような合図をした。
「禁欲なんてとんでもないです。僕はサーシャがいないと駄目ですし、サーシャのことも放っておけませんから。」
周りの騒ぎ声がまた少し大きくなった。
「・・・やれやれ、色狂いな君と話していると調子が狂うよ。アレクサンドラ嬢に要件を伝えてくれないかな。彼女なら君の話をのろけ話なしで完結にまとめてくれるだろうから、そこから聞くよ。」
サーシャは確かに僕より端的だろうけど、そういう問題じゃない。
「待ってください、女たらしのあなたとサーシャを会わせるなんてとんでもない!」
「安心してくれないかな、こう見えても人のものには手を出さないよ。略奪愛は教義に反するからね。それじゃあ、これで失礼するよ!」
ガウスは手をふると、僕の返事を待たずに取り巻きを引き連れて教室に戻っていってしまった。僕は少し不安に思った。
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サーシャは、なんというか、男の体への興味がすごく強い。
いつも僕の体をいろいろと触ってくれるし、鍛錬している僕の体をじっと見つめていたりするから、たぶん僕の体は気に入ってくれていると思う。
サーシャに見つめられると鍛錬も気合が入るし、『マッサージ』の最中はサーシャの愛を感じて幸せな気分になる。
でも、2週間の旅行から帰ってきた僕がサーシャを驚かせようと突然訪問したとき、サーシャは護衛騎士のお腹を触ろうとしていて、僕はびっくりした。僕にしばらく触れなかったから、きっと我慢ができなくなったんだ。
僕がいつもみたいに体をなげうってサーシャを発散させてあげないと、ふらふらっと他の男に手を出したくなっちゃうと思うから・・・
だから頑張らないと!
サーシャにふさわしい夫になれるように!
あとついでにサイラスを辺境に追放できるように!