混濁 一
果たして弟は何処へ行ったのだろうか?何故か友人は重症の怪我を負っているし、弟の痕跡が少ない。
あるとすれば取っ手に血の付いた懐中電灯が一つ転がっているだけだ。建物内を一周したが影一つ見つからない。
(くそ、くそ、くそ)
最悪の状況だ。肝心の友人は見つかったものの、次は弟が行方不明になるなど本末転倒に違いない。
取り合えず、彼から事情を聴かなけばならないが案の定気絶している。湧き上がる己への怒りを留めて深呼吸をする。
今冷静さを失えば取り戻せるものも取り戻せなくなる。この怒りに飲み込まれれば、世界でたった一人の弟を死なせてしまう。あの日誓った約束を果たせなくなってしまう。そんなのはもっと許せない。自分を殺せる自信があるくらいには許せるはずがない。ならば、今出来ることは。
まだ意識のない赤髪の彼を見つめ、傍に寄り膝を着く。
血はまだ温かく、怪我をしたばかりのようだ。
服を割いて左太腿と右脇腹の傷の具合を確認する。まず左太腿は刃物によって小さな傷口が開いている。横に切られたような傷跡があり、こちらはそんなに深くないようだ。
患部の出血を抑えながらショルダーバッグに常備してあった大きな傷パットを貼り、包帯で巻き付ける。ゆっくり歩く程度なら出来そうだ。
次に着用してる上着のチャックを外し、茶色のシャツを捲る。右脇腹は少し深く刺されてしまったようでダラダラと赤黒い液体が足元へと流れていく。ハンカチで傷の周りの血を拭き取り、消毒をした後ガーゼを取り出して切り口を塞ぐ。強く抑えながら再び包帯を巻く。痛みがあったのかピクリと体が反応し、顔からは冷や汗を流す。
「……っ」
「起きたか」
上ずりそうになった震えを抑えながら、いつも通りの声で冷静さを保ちつつ彼に呼びかける。
ゆっくりと開かられる黄金の瞳は柊也を捉え、僅かに口を開い息を漏らす。
「柊、也…?」
「あぁ、僕だ。傷は応急処置をしといた。しばらく痛むだろうが辛抱してくれ」
「助かったよ。ありがとな」
柊也に礼を言ったあと、気まずそうにふと視線を下げる。口元を噛み双眉を歪め右手を目元を覆う。大きく深呼吸を行ったあと、意を決し柊也に向き合う。
「悪い。雅也は連れていかれた。」
「…」
「いや連れていかれたというのは語弊か。正確には乗っとられた。」
「誰だか分かるのか?」
「女の人だった。霊感無しの俺がはっきり見えたんだ驚いたぜ。」
「それはこの怪域にいるからだろう」
「え?そうなのか?」
「詳しく聞かせてくれ、ここで何があったんだ」
「いいぜ、勿論だ」
智尋曰く、彼自身も悪霊に取り憑かれていた。黒い髪の毛で身体中を覆い操られていたとの事だった。憑依されていた時の記憶は朧気で、気がつくとこの蔵にいて雅也に救われた。
その後、目を覚まして雅也が柊也を探すかどうか悩んでいたと。
智尋と問答していく内に、雅也の様子がおかしくなり次の瞬間には襲われた。気絶する寸前、黒い穴に飲み込まれていくのを見ていたという。彼の負った怪我は雅也が犯したものだった。そこで柊也は疑問を持つ。この場所へ来る前、そういう事態にならないよう対策として身を守るだけでなく魂を守ることが出来る特別な呪いが込められたブレスレットを渡したはず。外したり、壊されない限り魂に侵食する事は叶わない。
キラリと智尋の右腕から何か反射しているのが分かる。
「つーかよぅ、怖かったんだぜ柊也ぁ!」
「そうだな、遅れてすまなかった」
もう我慢ならないと、智尋は目の前の友人に強く抱きつく。
柊也は拒む事はせず土埃でベタついてしまった髪の毛を撫でる。幼稚園時代からの癖は幾つになっても変わらない。
どうやら回された腕に柊也の疑問の答えがあるようだ。
終ぞ右腕を掴んで袖をめくると、雅也に渡した呪いのブレスレットが巻かれていた。
「これ、どうしたんだ。」
「あぁ、これ?雅也が腕につけとけって」
「…そうか」
指摘された彼は思い出したように説明する。これで雅也が憑依された原因がわかった。そして彼を救えた理由も。
通常憑依とはその場所や物、または人の縁が無理矢理縛られている状態を示す。知らずのうちに縛られるものもあれば自ら縛るものもあり、恐らく今回は悪霊の仕業と考えるのが自然と言えるだろう。
「そういえば、前にちゃんと身につけておけと贈ったネックレスはどうした。」
「え?あぁ、ええっと…」
焦りだした彼は言い訳を切り出す言葉を探しているのか、目線を泳がせている。両手の人差し指をちょんちょんと突き、口角を歪め汗ばんだ手を握りしめる。
「壊したのか?それとも失くしたか」
「う゛ぅ…な、失くしました。ゴメンナサイ」
観念し落ち込みながら白状する。はぁと短い溜息を漏らし、ゴツンと一際心地の良い音を立てながら智尋の頭を殴る。
「痛てぇ!!」
「これは罰だ。絶対に外すなと言ったはず。それにお前の趣味を許す為の条件だぞ」
「確かにそうだけど!流石に痛いぞ!」
「ならもう一発やろうか?」
「結構です、全力で遠慮させて頂きます!」
「お前の犯したことは自殺行為だ。肝に銘じろ」
「了解であります。」
「帰ったらお前の兄に報告させてもらう。頭の隅に置くように」
「あい」
流石に反省したのか、落ち込んでしまったが命に関わる問題だ。彼は生まれつき幽霊や雑念を自身に集めやすい体質だ。
その為体調不良や不幸に見舞われやすく、両親が心配し彼を守るためパワースポット巡りや憑き物落としなどに連れ回していた。そのかいがあってか彼の趣味にまで昇華された。
パワースポット巡るのはいい。だが、それでも何に巻き込まれるかわかったものでは無い。だから彼の友人として、身の安全は確保したい。気味の悪い目を持つ柊也だからこそその危険性が嫌でも分かるのだから。