十九話 グレンの決断
アレクサンドのラウラ邸ではそれぞれが修行に励んでいた。グレンは素振りを繰り返し、ラウラは瞑想を続けていた。彼らとて日々アイドルの支援活動に精を出しているだけではない。毎日の鍛錬こそが大事なことは当然理解しており欠かしたことはなかった。
そこにスタロが息を切らして駆け込んできた。彼はこれまでグレンに教わったことを実践するために2人のもとを離れてギルドの討伐依頼をこなしてきたのだ。保険としてマジックポットを借りていたが、それを使うことなく戻ってきた。弟子になってから100日以上……スタロは飛躍的に成長していた。
「た、大変っス」
「おお、そうか」
「そりゃ、大変だったわねぇ」
二人の反応は淡泊な物である。だがスタロはそんな反応をされても落ち込むことなく元気よく声を出した。
「これを見て欲しいっス」
「あら?もしかして……」
スタロは冒険者ギルドの首飾りを掲げた。
「そうっス。おいら4級冒険者になったっス」
「なっ!?」
グレンはふらふらと立ち上がると、よろめきながらぎこちない笑顔を向けた。
「お、おめでとう、スタロ。良くやったな……」
スタロが4級に上がった。それは喜ばしい。だが師匠である自分は5級のままだ。ランクのことなど気にしていなかったが、スタロに抜かれてグレンは恥ずかしさを感じていた。恐らくギルドマスターに頼めばすぐにでも上げてもらえるだろう。しかし生真面目な性格がそれを許さない。
それならば討伐依頼を受けてランクをあげればいい。だが弟子に抜かれたから自分も上げるなんて、いかに気の小さい男であるか自ら宣伝しているようなものである。グレンはそう考えていた。小さな男である。
グレンは思わず走りだした。落ち込んだ時には体を動かすのが一番だ。
ラウラはグレンの心境を察していた。元々グレンは気弱な所があり懐かしさすら感じていたのだ。見守るように優しく微笑む姿はまるで母のようであった。
「晩御飯までには帰ってくるのよ~」
「母ちゃんじゃないんスから……」
だがラウラに炊事能力など一切ない。言ってみたかっただけである。
その日、ギルドに衝撃が走った。
「グレン、ギルドやめるってよ」
同じギルドに所属しているからこそ気になるのだと判断したグレンはすぐに手続きを行って無所属になった。グレンにしてみれば討伐依頼はラウラを通せばよいだけのことであり、ギルドという枠に囚われる必要などないと結論づけたのだ。
だがギルドとしてみれば大きな損失である。上級冒険者は国から支援を受けているため簡単に抜ける事はできないが、グレンはまだ5級の冒険者であったことから容易だった。嘗てギルド職員であったクダツが考えていたことが現実に起こってしまったのだ。
既に魔王を討伐した勇者パーティーのグレンであることは知れ渡っており、グレンはこの後一体どこのギルドに所属するのか話題になっていた。
そんなことになっているとは知らないグレンは寂れたバーで飲んでいた。普段はラウラと共にいるため行く事はないが、開放感からか自然に吸い寄せられたのだ。
「これは奇遇ですな……」
バーの扉が開くと見覚えのある紳士が入ってきた。
「あなたは……ライブでよく会う……」
その紳士はグレンがミィナのライブに初めて参加した時に現れた変態であった。グレンはミィナのことを応援しているが他のアイドルも応援することもある。それはこの紳士も同じで、何度も会場で顔を合せた仲であった。グレンは同好の士ということもあって話しに花が咲き、今日の出来事を話しだした。
「……そのようなことがあったのですね。……ですがアレクディアを離れるつもりは無いのでしょう?」
「ええ、もちろんです。アレクとソフィアの国ですからね……」
「……ところでグレンさんは劇場の建設を考えておられるとか」
「ええ、よくご存じですね。ですが資金も土地も目途がまだまだでしてね」
「ふむ……」
紳士は何やら考え始めると真剣な眼差しでグレンに問いかけた。そこに変態の面影はない。
「よろしければ私の方で土地を用意させていただけませんか?」
「…………」
これにはさすがにグレンも疑いの目を向けた。グレンは政治に詳しい方ではないが、ラウラを見れば自分の存在にも価値も見出している者がいても不思議ではないことは理解していた。
「失礼、これは気が逸りすぎましたな。私はこういう者でして……」
紳士は立ち上がって名刺を渡した。
「セレスティアの……外交官の方でしたか。」
「ええ、それで用意できる土地というのはアレクディアとの国境沿いでして……」
それはセレスティアの生存戦略であった。セレスティアは大陸を統治している3か国の中で国力、軍事力共に劣っていた。アレクディアはグレンとラウラが表舞台に出てきた事で存在感を増しており、セレスティア王国とクロカミ共和国の戦争は避けられないと思われていた。そのため抑止力としてグレンを、あわよくばラウラも使おうとしているのだ。




