14 恋人たちの日
最近の展開は、ヤンデレミステリー物というよりかはメンヘラバトル物と言った方が正確な気がしてきました。
わたしが古典文学同好会に顔を出すようになって、しばらく経った。外はめっきり寒くなり、雪も降るようになった。
いつの間にか、春日藤織と象潟が交際を始めていた。どういう経緯かは知らないが。彼女は先輩のことが好きだと言っていたのに、随分な変わり身だ。
なずな曰く、「自分の沽券を維持するためだろう」とのことだった。全く理解できない。
わたしはこの間も、裏で色々手を回していた。先輩に近づく人間は、何も同好会に限った話ではないのだ。その過程で、先輩のクラスメイトとも何人か仲良くなった。
同好会は、表面上は滞りなく活動しており、小康状態といった感は否めない。わたしも、手をこまねいているだけではなく、さらに行動しなければならない。
「鴇野、やべえじゃん!」
活動場所の教室に行くと、先輩が象潟たちに囲まれていた。
話を聞くと、先輩の投書が日本文学の商業誌に掲載されたらしい。内容は、古典の和歌と現在の短歌を対比させた上で持論を述べた論考で、なるほど目を瞠るものがある。
「へえ……先輩、すごいです。高校生で掲載されるなんて、なかなかないことだと思いますよ」
「あはは、論考が載るって言うと大仰な感じがするけど、読者からのおたよりみたいな、ライトなコーナーなんだ。文字数も多くないし、そもそも本格的な学術誌じゃないし」
それでも、滅多にないことだろう。
「同好会で話したことが参考になったりしたから、みんなのおかげだよ」
彼は、笑顔でそう話す。
先輩は短歌のコンクールで入賞したりと、既に様々な成果を収めている。
高校生の時分から研究に近しいことに着手し、評価を受ける。同好会を作ったこと自体もそうだが、先輩は夢に着実に近づいているのだな、と思った。
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「夜来さん、例の件なのですが――」
「ああ、あれね。万事上手くいってるよ!」
放課後のファストフード店。夜来なずなと密談するときは、すっかりここに来るのが定番になっていた。
「それよりも、瀬名ちゃん、もうすぐバレンタインだよね!」
なずなが破顔して話してくる。
そうか、もうそんな時期か。バレンタインデー。一体そんなものに何の意味があるというのだろう。
「ねえ、チョコレート贈り合おうよ! 私、腕によりをかけて手作りするから」
「……すみません。どうもそんな習慣がないもので」
何が楽しくて、そんなことをしないといけないんだ。
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バレンタインデー当日。
先輩の下駄箱に入れられていたお菓子を処分してから、わたしは教室に向かう。先輩に直接渡されるものに関しては、手出しできないのが残念だった。
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寒さが肌に霜を落とすような夜。相変わらずわたしと先輩は、公園のベンチに並んで座っていた。
「先輩、これ、よかったら」
わたしはチョコレートを差し出す。
チョコレート専門店で買った、アソート。綺麗にラッピングされてある。
「え、こ、これ、どうしたんだ?」
「どうって――買いましたけど」
「いや、えっと……ぎ、義理だよな?」
「その方がよかったですか?」
「え!? そ、それは……」
先輩はしどろもどろになる。なんとも面白い反応だった。
「ふふ、そんなに慌てないでください。冗談ですよ。いつもお世話になっているお礼です」
「あ、そ、そうだよな」
もちろん義理に決まっているだろう。わたしは先輩が大嫌いなのだから。
「瀬名も一緒に食べるか?」
「え、いいんですか?」
「一緒に食べた方がおいしいだろ?」
「……そうですね」
チョコレートをひとかけら口に運ぶと、豊かな風味が広がる。どうして甘いものはこんなに幸せな気分にさせるのだろう。セロトニンを分泌させるのは知っているが、それでも不思議だった。
「このチョコ、おいしいな。ありがとう」
「ふふ、これを選んでよかったです」
先輩は、今日何個チョコレートを受け取ったのだろう。
それら全てを消してしまえれば良かったのに。
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わたしは古典文学同好会の活動にたびたび顔を出すので、最早事実上のメンバーとなっていた。
教室に入ると、なずなしかいない。象潟はサッカー部、久我原は補習とのことで、今日は来ない。とはいえ、なずなと必要以上にふたりきりになるのは御免蒙りたかった。
案の定、彼女は早速わたしの横にやってきては、熱っぽく声を掛けてくる。なんとかかわしながら、早くほかの人が来ないか考えていると、春日藤織が扉を開けた。
「…………」
ポニーテールの少女は、能面のような顔でずかずかと踏み入ってくる。なずなに迫ると、一枚の写真を突き出す。
「……あんた、これどういうこと?」
そこには、未成年が入ることを許されない宿泊施設に、なずなと象潟のふたりが入る瞬間が写っていた。
どうやっても言い逃れができそうにない写真だった。
「わ、わ、私、知りません……」
「しらばっくれないでよ! これ全校にばら撒いてもいいのよ!? それで判別してもらえばいいわ! 百人中百人があんただって言うから!」
春日藤織に匿名でこの写真を送りつけたのは、わたしだ。
ちょっと建物に入るところを隠し撮りしただけだ。遠目だがしっかりなずなと象潟であることが確認できる。
同好会を滅茶苦茶にする次なる手として、考案したのがこれだった。
ここまで過激な手段を選んだのは、なずな本人だけど。
象潟は、春日藤織という恋人がいるにも拘らず、なずなの誘いに簡単に乗ったという。元々妙な下心を感じる男だったが、その勘は外れていなかった。
合成などもしていない、浮気を証明する本物の写真だ。
「鴇野くんと付き合っておきながら……あんた、どんだけ尻軽なの!? このビッチ!」
「び、ビッチなんかじゃ……これは、その、私の体調が悪くなったから、象潟さんが介抱のために入っただけです……」
「はぁ!? ラブホで介抱!? ふざけないで! だいいち、人の彼氏となんで二人っきりで出かけてるわけ!? そこからおかしいでしょ!」
「べ、べべ、別に出かけるくらい……春日ちゃんって結構束縛するタイプだったんですね……」
「バカにしてんの!? そりゃあんたみたいな腐れビッチから見たら、誰だって束縛するタイプになるでしょうよ! あんたが去年友達の彼氏を寝取った話も知ってるんだからね!」
「わ、私、寝取ってなんかないです……! むしろ、浮気された側なのに……。うう、ひどいです……どうしてみんな私を責めるんですか? 何も悪いことしてないのに……」
なずなはぽろぽろと泣き始めるが、藤織の反応は冷ややかだ。
「泣けば済むと思ってんの!? 言っとくけどねえ! さっき象潟にも訊いてきたんだから! あいつ全部認めたからね! あんたがしつこく誘ってきたって!」
「ひくっ、そ、そんな……私は無理やり連れ込まれて……む、むしろ被害者なんです! み、みんないつもそうです……お前が誘ったんだろって……うう、私は何もしてないのに……」
「さっきと言ってることが違うのよ! 頭の中、男と寝ることしかないの!?」
顔をぐしゃぐしゃにして泣く夜来なずなと、顔を真っ赤にして暴言をぶつける春日藤織。
これはもう修復不可能だろう。
急に、藤織がこちらに顔を向ける。
「瀬名ちゃんだって、この女頭おかしいって思うでしょ!?」
確かに思っているが、口に出すのはそれはそれで面倒事になる。
「落ち着いてください。事情がよくわからないので、なんとも言えないのですが……」
「事情!? なずなが人の彼氏に手を出すのが大好きな最低女ってこと以外、何もないんだけど!」
そのとき、教室の扉が開いた。入ってきたのは、先輩だった。
今にもなずなに掴みかからんばかりの藤織の姿を見て、彼はぎょっとする。
「えっと、どうしたんだ?」
「あ、と、鴇野くん……」
藤織は急にしおらしくなると、うつむいて涙を流し始める。
「じ、実はね、なずなが……なずなが……っ、うう……」
先程まで鬼の形相だったのに、先輩が来た途端にこれか。
言い訳しようとするなずなを制しながら、藤織は先輩に写真を見せる。
「あ、あたし、すごくショックで……どうしたらいいのかわからないの……」
「ち、違うんです! これは象潟くんが無理やり……わ、わ、私は被害者なんです!」
「嘘言わないで! 象潟はなずなに誘われたって言ってたのに、当の本人はさっきからこれしか言わないの……!」
双方から言い募られて、先輩はほとほと困り果てた様子だった。
「えっと、よくわからないけど……とりあえずひとりずつから話を聞きたいんだけど、いいか? 隣の教室に移って――」
「ど、どうせ春日ちゃんが変なこと吹き込むに決まってます! 私は何も悪いことしてないのに……」
「何も悪いことしてないわけないでしょ! 浮気がひとりでできるって思ってるの!?」
「ふ、ふたりともまずは落ち着いてくれ」
先輩は必死になだめようとするが、こんな状況では何をしたって焼け石に水だ。
「鴇野くんだって、こいつと付き合ってるんだから、浮気されたってことになるでしょ! こんなの許していいの!?」
「え?」
先輩は困惑する。
そりゃそうだろう。先輩となずなが付き合っているなんて、事実無根の話なのだから。
「付き合ってるって、俺と夜来さんが?」
「そうだよ」
「つ、付き合ってないけど……どこからそんな話が出たんだ?」
「え?」
呆気にとられる先輩と藤織。なずなのすすり泣く声だけが、教室の中に響いていた。
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結局、あの後どうにもならず、今日の活動は中止になった。
それでも、夜に先輩と公園で会うことは変わらない。
「先輩、今日の同好会のことなんですが……」
そう切り出しても、彼は泰然としていた。
「瀬名、大変なところに居合わせちゃったな。ごめん、来るのが遅くなって」
「いいえ、それはいいんですが……夜来さんと春日さん、大丈夫なんでしょうか」
「あはは、仲直り……は難しいだろうな、あの様子だと」
ああなってしまっては、もうどうしようもない。
「瀬名も、俺と夜来さんが付き合ってるって話を聞いてたのか?」
「はい、彼女がそんなことを言っていました」
「そうか」
さすがの先輩も、苦笑いをしている。
「もちろん、先輩は夜来さんとお付き合いしていないですよね?」
「ああ。でも、彼女がそう思う何かがあったのかもしれないな……」
この状況になっても、先輩は夜来なずなのことを悪く言わないのか。
「しばらくあんな空気が続くかもしれないから、瀬名の見学は少し休みにしてもいいかもしれないな」
「わたしは平気です。次の講読は『更級日記』でしょう? ぜひとも参加したいですから」
先輩を苦しめることさえできれば、わたしはそれで構わなかった。
「瀬名にも楽しんでもらえるような場所にしたかったんだけど……上手くいかないもんだな」
どことなく、先輩の表情には悲しさが滲んでいた。同好会を作った人間として、責任を感じているのかもしれない。
あの調子では、古典文学同好会はほとんど終わったようなものだろう。五人のメンバーの内、三人が色恋沙汰で拗れたのだから。ほとんど破綻したも同然だ。
「先輩は何も悪くありませんよ。あんまり気にしないでくださいね」
そう言っても、彼は何かを考え込んでいるようだった。
「人間なんだから、衝突したり相容れないときもそりゃあるだろうけど……やっぱり残念だな、こういうのは。ずっと何事もなく平和に過ごせたら、それが一番なのに」
あんな人たち、どうなろうが関係ないじゃないか。
先輩とわたしさえ平穏なら、それ以外何が必要だろう。
「どうしても考えちゃうんだ。何か行動を変えていたら、こうはならなかったんじゃないかって」
そんなことまで、先輩が気にする必要はないのに。
「何が、古典文学同好会にとって一番いいんだろうな……」
「大丈夫ですよ、先輩にはわたしがいるじゃないですか」
冬の寒さで冷えた先輩の手に、自分の手を重ねる。
「あまりひとりで抱え込まないでくださいね。わたしも、あの同好会が好きですから。手助けできることがあったら、します」
「…………」
先輩はわたしの顔をじっと見つめた後、またいつものように柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとう、瀬名」
そして突然何かを思い出したように、自分の鞄を漁り始める。
「そうだ、これ、こないだのお礼」
手渡されたのは、お菓子の包みだと思われる箱だ。
そういえば、今日はホワイトデーだった。
「クッキーだよ」
「く、クッキー!?」
確かにホワイトデーとは、チョコレートのお返しにクッキーを贈るものらしい。
「開けてみても、いいですか?」
「ああ、いいよ」
中に入っていたクッキーは、クローバー型で抹茶とプレーンの二色。
一口かじってみる。クリスピーないい音がした。
おいしい。
飲み物が欲しくなると思っていたら、先輩はホットティーのペットボトル飲料を差し出してきた。用意がいい。
気がつくと、あっという間に箱が空になっていた。
「あ……」
先輩はバレンタインチョコをわたしに分けてくれたんだから、わたしも先輩にクッキーを分けるべきだっただろうか。
「おいしそうに食べてくれてうれしいよ」
焦がしたキャラメル色の髪の人は、にこにこしている。
「……く、クッキー、ありがとうございました」
甘いものは、気づいたらなくなっているから不思議だ。




