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深い青に包まれたキャバクラのような店内。まるで水族館の中にいるみたいだ。
だが、その水槽にはマーメイドを自称するマーマンが複数泳いでいるため、決して美しい光景とは言えない。ポセイドンとか擬人化させたらあんな感じなんだろうな。
で、俺とエマはと言えば、店内に数あるテーブルの内の1つに通され、他の客と同じようにマーマンと向かい合ってのもてなしを受けていた。
しかし、ただのマーマンではない。俺たちの良く知るマーマンだ。
「エマちゃんはオレンジジュース好きだったわよね♪ はい、どうぞ」
「わーい!」
エマはルシウスからオレンジジュースの入ったグラスを受け取ると、ぐぐいっと一気に飲み干した。
その様子をルシウスは驚き半分、嬉しさ半分の表情で眺めている。わかる、昔と変わったよな、こいつ。
と、俺が反応を盗み見ていたことに気づいたのか、ルシウスは今度は俺に向かって柔和な笑みを投げかけてきた。
「ユウトも何か飲む?」
「いや、俺はいい。金ないし」
「飲み物くらい奢るわよ。久しぶりの再会なんだもの」
そう語るルシウスの表情は昔のままで変わらない温かみを感じる。変わったのは外見と言葉使いくらいか。……まあそれが180度変わってるのが問題なんだけど。
それにしても、久しぶりの再会と言った割には、ルシウスはもう平然と業務をこなしている。やはりこの男(?)はどこかあなどれない。それとも単に、客商売が板についてしまっているだけなのか。
そんなことを考えながら店内を見渡すと、俺たちの他にも客がマーマンの接待を受けているのが目に入る。
「まだ朝だってのに、けっこう繁盛してるんだな」
「そうね。この時間帯は夜戦専門の冒険者のお客様が仕事終わりに飲みに来るのよ」
「ああ、なるほど」
よく見てみれば確かに、俺と同じく武器を傍らに置いている冒険者たちが多い。そして、彼らの姿は一様にして、闇に紛れやすい暗色系の装備で統一されていた。
一概に冒険者といってもタイプが細かく分かれている。例えばルシウスが今言ったように、夜戦を専門とする冒険者もいるのだ。イメージとしてはゲームでいうところのアサシンとかその辺の職業に近い。
彼らは潜伏術や暗殺術を独自の鍛錬により習得、もしくは魔道具により身に着けており、暗闇での隠密行動を得意とする。暗殺とか聞こえは悪いが、やってることは他の冒険者と同じでモンスターの討伐などが主。戦闘スタイルと活動時間が異なるだけである。
なるほど当然だが、彼らにとっては仕事が終わって帰る頃には朝になっているわけか。こんな時間に飲みに来るのも頷ける。
「あの、えっと……」
ふと声がした方を見やると、隣に座るエマが何か言いたそうにしていた。どうやら俺とルシウスの会話に混ざりたいらしい。奥手な性格も旅のついでに道端にでも捨ててきたと思っていたが、根っこの部分はそうそう変わってないらしい。俺的にはそうやって静々してるほうが落ち着くんだが。
俺もルシウスもそんなエマの性格をくみ取って、言葉を待つ。
エマはしばらく会話の糸口を探すように空のグラスを両手で回していたが、意を決したようにルシウスに話しかける。
「ル、ルシウ――」
「ルーシーよ」
そしてその決心を蹴り飛ばすかのようなルシウス「ルーシーよ」の……って、おいこら、地の文にまで侵食してくんな。
「ワタシのことはルーシーって呼んで?」
うふっ♪と冗談めいた笑顔の裏にものっそい堅い鉄の意志を感じる……。
店のルールなのか本人の意向なのか定かではないが、ここはルーシーで通さないといけないみたいだ。
ルーシーから漂う瘴気のようなものをエマも感じ取ったようで、まるで初対面の人に接する時のような探りの入った声音で再挑戦を試みる。
「ルーシー……ちゃん?」
「はい、ルーシーよ♪」
ルーシーが微笑むと、エマも安心したのか、少しどぎまぎしながらも言葉を継ぐ。
「ルーシーちゃん! えっと、その……なんか雰囲気変わったねっ!」
この変わり様を「雰囲気変わった」の一言で済ましていいものだろうか。
雰囲気どころか、なにもかもが変わっているんだが。
「ありがとう♪ エマもあの頃と比べてだいぶ元気になったわね。あと、とっても可愛くなったわ」
「そ、そうかな、えへへ……。ありがとう」
「ユウトもそう思うわよねぇ?」
「なぜそこで俺に振る……」
むふふと気色の悪い笑みを浮かべるルーシーから目を背けると、当然のごとくエマと視線がぶつかる。
見ると、エマはこちらの反応を伺うような上目遣いを遠慮がちに送っていた。青い大きな瞳は期待と不安からか小波のように揺れている。
その視線に対する答えを持ち合わせていなかった俺は、誤魔化すように頭をかいた後、「ああ、まあ、その、あれだな」と口ごもるにとどめた。
正面に座るルーシーが「いくじなし」と口パクで言ってるが、無視。
変な空気になる前に、今度は俺がルーシーに問いを投げる。
「ルシウ」
「ルーシーよ」
頑なだな……。
「……ルーシー。お前、この1年で何があった?」
「ナニって、見ての通りだけど? うふっ☆」
ルーシーは自分の肢体を見せつけるようにポーズをとる。ウインクするな、腰に手を当てるな、指を唇に当てるな!
女性らしさを意識した艶めかしい動作もやけに様になっている。グラスに飲み物を注ぐ所作や優雅な歩き方までも、中身が女性だと言われれば信じてしまうほどの完成度だった。
いくら完璧人間だからって、こんなところまで完璧にこなさなくていいのでは……。
「見ての通りでわからないから聞いてるんだよ……」
「そんなにワタシのこと知りたいの~?♡」
「ああ是非とも知りたいね、王都屈指のイケメン転生者がどんな経緯を経たらオカマバーでマーメイドの擬態に勤しむようになるのかを。あれか、失恋のショックか? それとも女にモテすぎて逆に男に目覚めたか?」
「ワタシ実は昔から男にしか興味なかったの♡ 一緒に冒険してた時もユウトのお尻ばっかり追いかけてたわ」
「背中を追いかけろ、背中をッ!」
「背中……。そういえば昔、大浴場で背中流してあげたわよねぇ♡」
「ハッ!? お、お前まさかあの時も俺の尻を狙ってッ!?」
「ぐへっ♡」
「そこはせめて冗談だと言ってくれ……」
俺の尊厳はとうの昔に仲間によって踏みにじられていたことが発覚した。男女分け隔てなく優しかったのって、そういうことだったんですね……。
「お前、いつからそんなんになっちまったんだよ……」
何の気なしにそう呟くと、ルーシーは長身の体躯を少しだけしぼませた。
「そう言われてもねぇ……。これが本当のワタシなのよ」
声のトーンが一気に落ち込む。
他の転生者たちを言葉で、行動でけん引した完璧人間が初めて見せる暗い顔。
いや、この顔を見るのは二度目か。
最後に見た彼の顔もこんなだった気がする。完璧人間のメッキがはがれた瞬間。
故に、彼――彼女――のその表情は俺にとって真実であり、そこから発せられた言葉もまた真実と言えるだろう。
つまりは、俺たちと一緒に世界を救うために戦い、そして敗れ去ったあのルシウスは、真実に嘘であると証明されたも同然だった。
俺はともかく、彼の変わり果てた姿はエマの目にどう映っているのだろう。
「アナタたちの記憶にあるルシウスは世を忍ぶ仮の姿ってやつよ。まあ、本当の姿をこうやって人様の前にさらせたのは、ココに来てからが初めてなんだけどね」
そう自嘲気味に笑うルーシーの表情は憂鬱めいていた。
「本当の、姿……」
エマが独り言のようにポツリと呟く。俯いていてその表情を窺い知ることはできない。
その様子をルーシーは落胆ととったか、エマと同じように俯き気味になって詫びる。
「ごめんなさい。騙すつもりはなかったの。だけど、周囲の期待に応えようとすると、どうしても本当の自分を見せられなくて……」
「昔からそう……」とルーシーは力なく付け加えた。
俺たちは世界を救う期待を背負って、否、背負わされていた。
ルーシーはその期待に応えるため、男らしく勇敢に戦う勇者パーティーのリーダー……ルシウスを演じていた。人類の希望の象徴として相応しくあるために。
きっと転生する前もそうやって生きてきたのだろう。
期待に応えるために擬態する。彼の器量の良さなら学業もさぞ優秀だっただろうし、スポーツだって芸術だってそつなくこなせたに違いない。周囲の人が勝手に掲げた理想像に応えられるだけの能力がルーシーにはあった。
「だから、できればアナタたちとはもう会いたくなかったわ」
会いたくなかった。
その言葉を聞いて、俯いたままだったエマの肩がピクリと動いた。
ゆっくりと顔を上げるその。
「……それって、私たちがこの世界で昔のルーシーちゃん――ルシウス君だった時のことを知ってるから?」
歯を食いしばって感情の暴発を抑え込むようにしているエマの顔を見て、ルーシーは迷った末に口を開く。
「それもあるわね。けど1番の理由は――」
『ルーシー! そろそろショーの時間よ~!』
言いかけたところで、待機場となっている店奥から相変わらずの野太い声が響いた。それを受けて、ルーシーが席を立つ。
「ワタシ行かなくちゃ。ごめんなさいね、急にしおらしくなっちゃって……。ワタシって乙女だから♪」
「乙女はいちいちそんなこと言わねえよ」
「ふふっ、そうかも♪ そうだ、お詫びの印ってわけじゃないけど、良かったらこのままワタシのショー見ていって。すんごいの見せちゃうから♡」
「頼むから悩殺する系のはやめてくれよ」
本当に死んじゃうかもしれないから。
手をゆらゆらと振りながらルーシーが店奥へと歩いて行く。
「ルーシーちゃん!」
その去り際、エマが声をかけた。
呼び止められたルーシーはこちらを振り向くことはせず、エマの言葉の続きを待っているようだ。
エマは湧きおこる様々な感情の上澄みを掬いあげるように言葉を選び取る。
「私たちの冒険は良い思い出ばかりじゃなかったかもしれない。訳が分からないままこの世界に来て、色んなことをさせられて、一緒に冒険してもみんな違うことを考えてて、どこか他人みたいで……」
慎重に選んでいた言葉も、花瓶に注ぐ水がやがて溢れ出るように、次第に収まりがつかなくなっていく。
そのことにエマも気づいたのか、一瞬ハッと我に返った後、ネコのように目元をぐしぐしと擦る。
そして、一番に伝えたかったであろう言葉を口にした。
「私はルーシーちゃんに会えて嬉しかったよ」
遠ざかる2人の距離。
深海を照らす魔石の光が熱を持ったように揺らめいた。