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1時間超にも及ぶ燃料補給を終え、エマは満足そうに腹をさする。ちょっとした動物くらい体積のあった肉塊たちはどこへやら、エマのくびれた腹の中に嘘のように収まってしまった。
食事も終わったことだし、そろそろ本題に入るか。
肉に注がれていたエマの熱視線がようやく解除されたのを見計らい、俺は話を切り出す。
「そういえば」
「うん? なに?」
「お前が追われていた理由を聞きそびれてたと思ってな。いったいなにやらかしたんだよ」
そもそもの彼女との再会を果たすきっかけとなった出来事。
エマの燃料切れのせいで有耶無耶になりつつあったが、彼女が逃げていた理由くらいは聞いてもいいだろう。俺も少なからず被害を被ってる訳だし。
「あー……」
話題を振られ、露骨に目を逸らすエマ。
「べっ、別に悪いことをしたわけではなくてですね……」
「でもお前さっき、泥棒とか言われてなかった?」
「うぇ!? あ、あれは違うの! その……言葉のアヤというか~……何というか~……」
エマは両手の人差し指をつんつん突き合わせながら言葉を探しているようだったが、結局言い訳の文言は思いつかなかったらしく、がっくりとうな垂れると、
「私、その、ちょびっとだけ、お金を借りてまして……」
消え入りそうな声で白状した。
「借金か」
「はい……」
まあガチの泥棒とかじゃなくてひとまず安心といったところか。違うか。
それにしても、エマが借金、ね……。
なぜだかわからないが、あんまり驚かない俺がいる。昔から世間知らずなところあったしなぁ……。
「はぁ。それで借金取りかなんかから逃げていたってわけか」
俺がため息交じりに呟くと、エマが心外だと言わんばかりに両手をぶんぶん振って抗議してきた。
「いやいや、ちゃんと返すつもりではいるんだよ。ただ、今は返すアテがないからあの手この手で逃げ回ってるだけで!!」
まさかここまでテンプレの借金踏み倒し文句が聞けるとは思っていなかった。しかも異世界で。
俺は、ため息もそこそこに話を続ける。
「それで、いくら借金したんだよ」
興味本位で聞いてみる。
別に、エマの代わりに借金を返してやろうなどというハートフル展開に持ち込むつもりはない。そもそも俺、家賃すら払えないくらい貧乏だし。
単に人の不幸をおもいっきし笑ってやろうと思っただけ。人の不幸は生きる活力、おなかペコペコぺコリーヌなのだ。
エマはそんな俺の最低すぎる思惑などいざ知らず、しょんぼりとした表情で口を開く。
「10億……」
そんな単語が聞こえた気がした。
「ん? すまん、もう一度言ってくれ」
「10億」
「あのなぁ、俺は真面目に聞いて」
「10億」
「…………」
「10億」
「マジ?」
「マジだよ」
長い沈黙が支配する。
理解が言葉に追いつくと、背筋にぞわめく何かが走った気がした。
笑い話にするつもりが、まさかの怖い話。こ、これが意味怖ってやつか……。
俺は当初の目論見を早々に放棄し、声を震わせながらエマに詰め寄る。
「そ、そんな大金、お前いったい何に使ったんだよ!?」
「それはその……。探し物を、してまして……」
使い道を聞かれ、エマはますます歯切れ悪く返す。その言葉尻は消え入りそうに小さい。
「探し物を探すだけでどうやったら10億も使うんだよ……」
10億だぞ、10億! 借金の限度を遥かに超えている。そりゃああんな柄の悪いおっさんが血眼で追ってくるわけだ。
だいたい探し物ってなんだよ。まさかあれか、暇を極めた大学生がよくやってる自分探し(※ただの旅行)ってやつか。いや、それにしても規模がデカ過ぎるだろ……。
「それで借金取りから逃げ回っていたら、いつの間にか王都に戻ってきてたと」
「うん、そんな感じ!」
そんな朗らかに言われても。
エマは莫大な借金をしているにも関わらず、さして気負っている様子はない。
一人旅でフィジカルだけじゃなくメンタルまで強化してきたとは。なかなかやるな。俺が10億の借金を背負ってたら、とてもじゃないがあんな笑顔でいられない。
尊敬と言うより畏れに近い眼差しでエマを眺めていると、ポンと手拍子、エマが何か思い出したように席を立った。
「あ、でもね! 私がグランデアに帰ってきたのは、別の用事があったからなんだ!」
そう言って、テーブルを乗り越えて俺の手をわしっと握ってくる。
「ユウトに頼みたいことがあるの!」
「は? 俺に?」
「ねえ、ユウト! もう一度、あの5人で」
「断る」
「そ、即答!? ていうか、まだ最後まで言ってないのに!」
俺の手を握ったまま、思いきっし腕を振り振り地団駄を踏むエマ。
このままだと俺の肩が脱臼しかねないので、ぴしっとエマの手を振り払う。
「どうせあの5人で冒険しようとかなんとか言うつもりなんだろ。絶対にお断りだ。いいか、お前らとの冒険はな、黒一色で染まった俺史の中でもトップ2に入る黒歴史なんだよ。ちなみに第1位はこの世界に転生させられたことだ」
「どうしても、ダメ……?」
しなだれかかるようにしてエマが急に身を寄せてくる。瞬間、ふんわりと漂う甘い香りが鼻をくすぐる。上目遣いで俺を見上げるエマの瞳はわずかに濡れており、その子犬のような幼気な眼差しに意識が吸い込まれそうになる。
お、俺はこんな見え透いた誘いには屈しないぞ!
「だっ、だめなモンはだめだ。それに、俺はともかく他のやつらはどう集めるつもりだよ。今どこで何やってるかすらわからないのに」
何とか意識を保つことに成功。残った精神力リソースで思いついた適当な理由でエマを引き剥がす。
だが実際問題、他のメンバーとあれ以来連絡を取ってないのも事実。最悪もう死んでるかも。南無。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、エマはびしっと親指を立てて笑顔を輝かせる。
「そのことなら大丈夫! みんな王都に住んでるらしいから!」
「え、そうなの……?」
「うん! 王宮で密かにやり取りしてる情報通からの提供だから間違いなし!」
衝撃の事実。まさかの元勇者パーティー全員集合しちゃってた。
ていうか、あいつら王都にまだいたのかよ。全然気づかなかったよ。ばったり会うことも無かったし。
俺が言うのもなんだが、良い思い出のない王都なんてさっさとおさらばしてるもんだと思ってた。あと、情報通ってだれ。
「だから今からみんなに会いに行って、一緒に冒険してくれるように説得しよー! オーッ!!」
「おいこら、勝手に話を進めるな。俺は一緒に冒険するなんて一言も言ってない」
「そんなこと言わずに~。ねぇ~いいでしょ~」
そう言って再び距離を近づけようとするエマ。俺は問答無用でその頭を押さえつける。もうその手には乗らん。
だが、それでもエマは俺の手のひらに額をぐりぐり押し付けるようにして抵抗してくる。
「ぐわぁ、鬱陶しい! だいたい、なんで今になってあの5人なんだよ。冒険したいなら他の冒険者を探せばいいし、わざわざ俺たちが集まる必要ないだろ!」
「私たちじゃなきゃダメなの!」
「ダメって何が」
俺が理由を尋ねると、エマは急に真顔になってこんなことを言い出した。
「何がダメって……魔族の侵略から世界を救うために冒険するんだよ? 勇者パーティーの5人じゃなきゃダメじゃん」
ダメじゃん――ダメじゃん――ダメじゃん――……
エマの声がエコーのように脳髄に響く。
俺、絶句。
こ、こいつッ! 1話前に自分が言ったこと忘れたのか!?
エマは確かに俺に言った。魔族の侵略から世界を救うことは自分たちが決めたことではない、自分たちが転生した理由は他にある、と。
そのエマが! 今まさに! 何の悪ぶれもなく! 先ほど否定されたはずの俺の回答と一字一句違わない理由を口にしたのだ。支離滅裂すぎる。
もう付き合ってられるか!
「帰る」
「待って!」
「ぐえ」
背を向けて帰ろうとした俺をエマが制止する。俺の襟首を引っ掴んで。
あの、もうちょっとマシな引き止め方はないんですかね。
「離せ。俺はもうお前らと冒険するつもりはない。ましてや世界を救うためなんてまっぴらごめんだ。……あと、そろそろマジで苦しいから離して」
強引にエマから逃れようとしたその時。
「会いたい……」
ぽつりと。背中から微かな声が聞こえた。
水面に落ちる水滴のように弱々しく響いたその声は、雑多な音が交錯する店内にあっても、不思議と俺の耳までまっすぐ伝わってきた。
外へ向きかけていた足も思わず止まる。
「せっかく帰ってきたんだよ……。みんなに、会いたいよ……」
会うなら1人で会いに行けばいい。俺が一緒に行く必要はない。
そう言ってしまえば終わるはずなのに、その言葉をいざ出そうとすると、襟元を締められるのとは違った息苦しさが俺を襲った。
「説得してほしいなんて言わない。ただ、私と一緒に会ってくれるだけでいいから……」
嗚咽の交じった声が耳に張り付いて離れない。
そんな生き地獄にも似た状況から一刻も早く逃れたくて。
「会うだけだ。俺はそれ以外何もしない」
気づけばそんなことを言っていた。
「……ホ、ホントに!? ありがとっ、ユウト!」
すんと鼻を鳴らした音が聞こえたと思いきや、次の瞬間、エマが俺の背中目がけてラリアット成分多めの勢いで抱きついてきた。
「ごぶっ!?」
背骨に的確なダメージを喰らい、口から変な音が漏れ出る。
俺がよろめきながら痛みから立ち直ったころには、エマはすっかり調子を取り戻していた。
「よぉーし、そうと決まれば! 仲間探しの旅に~レッツゴー!!」
「いや旅って……全員王都にいるんだろ」
エマがテーブルに食事の代金を置いて颯爽と店を後にする。
こいつ、借金あるくせに俺より金持ってるんですけど。
まさかとは思うけど、借金の話、嘘ってことはないよね?
ついでに、さっきの泣きべそも演技だったりしないよね?
しない、よね?