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悪夢をしっかり最後まで見終え、俺は目を開ける。
映るのは日がまばらに差し込む木造の天井。目に光が当たって非常に鬱陶しい。
室内なのに日光が入ってくるってどういうことなんでしょうかね。
「まあでも、悪夢を見続けるよりはマシか……」
まさしく夢のような昔の記憶を見させられるよりも、ボロボロの天井を見つめてた方が幾分気楽だ。現実味があって。
「おっといけね。こんなことしてる場合じゃなかった」
俺はそそくさベッドから起き上がると、めいっぱい深呼吸する。
あの悪夢を見た日に決まって行う儀式のような習慣があるのだ。これだけはやっておかなければ1日が始まらない。
俺はこれでもかと肺に空気を送り込むと、一気に吐き出した。
「ふざっけんなぁぁぁあああぁぁぁ~~~ッッッ!!!!!!!!!」
叫びの残響が消えぬ間に、もう一度息を吸い込む。
「なにが勇者だ! なにが世界を救えだ! 滅びの予言だかなんだか知らねえけどなぁ、世界を救ってもらいたいんだったらそれ相応の礼儀ってもんがあるだろうが! なぁ~にが『世界を魔族から救うのだ』だ偉そうにしてんじゃねえよ、『どうか世界を救ってください勇者様』だろうがよ、いい加減にしろ! ていうか、一度ミスったくらいで手のひら返しが過ぎるだろ! あの宝剣手に入れるのにいくら金がかかったか知らねえけどな、人命を優先して怒られるとか、赤十字も真っ青だよ、赤だけど! だいたい何勝手に召喚しておいて、勝手に失望してやがる!? こちとら急にこっちの世界に転生させられた挙句、恩も義理もない世界のために命張って戦ってきたんだぞ! 世界を救えなかったにしても、最低限のアフターケアはするべきだろ! それなのになんだ今のこのザマは! 家賃2万ゴールドのワンルーム風呂なしボロ屋で毎日の飯にも困っているこの極貧生活は!? なんですか、世界を救うために頑張ってきた元勇者の価値は2万ゴールドなんですか、ああそうですか、いいですね、用済みになったらポイすればいいんだからさぁ! ほんと、こんなクソな世界、滅びて――」
「うるせぇぇぇえええッッッ!!!!!!」
俺が最後の文言を呪い100%の力で吐き出そうとした瞬間、無遠慮に扉が蹴り飛ばされる。さっきまで扉の形をしていた木片とともにずかずか入ってきたのは、身長2m近くある屈強な見た目の大男。俺が現在住んでいる部屋の大家だ。シワと古傷の見分けがつかないゴツゴツした顔を真っ赤にしながら俺に近づいてくる。
「おい、最後まで言わせろ、クソジジイ」
「朝っぱらから騒がしいんじゃ、このロクデナシが。毎回毎回同じことをグチグチ言いおってからに。それと、ワンルーム風呂なしボロ屋で悪かったな」
顔同様シワがれた声の大男が目くじらを逆立てながら俺を見下ろす。でけぇ……。
「こ、こうでもしないと、やってられねぇんだよ」
頭上から注がれる圧力的な視線から逃れるように立ち上がる。
ああ、最悪の目覚めに最悪の朝になりそうだ。
朝のルーティーンを邪魔されて少々苛立った俺は、不機嫌さをアピールすべくわしゃわしゃと髪をかきむしりながら朝の支度をする。
食品棚を開け適当に朝食を……と思ったのだが、棚の中は空っぽだった。
「食料が、尽きているだと……」
これもジジイが俺の邪魔をしてきたせいだ……。
逆恨みよろしく睨みつけてやろうと大家がいた方を見やると、大男は何をするでもなく体を折りながら窮屈そうに部屋に佇んでいた。いつまで居るつもりだ。
「もう静かになっただろ。用が済んだなら出てった、出てった」
シッ、シッと手で追い払うが、当然それくらいでは巨体はびくともしない。
それどころか、大家は俺の方を向き直ると、顔の大きさほどもある分厚い手のひらをこちらに差し出してきた。
「用ならある。今日中に先々月分の家賃を払うって約束だっただろう。それの回収にきたんだ」
「……俺は弾圧には屈しないぞ。断固抵抗するッ!」
「せめて『払えません』の一言を挟んでから抵抗の意志を示してもらいたかったんだが……。無駄なやり取りだからって会話を端折り過ぎだろう」
「無駄だとわかってるなら徴収なんてしにくるな」
「なんと言おうが今日という今日は家賃を払ってもらうぞ。俺も我慢の限界なんだ」
そう言うと、大家はよっこらせと俺のベッドに座る。ベッドの柱からはミシミシと不景気な音が鳴った。おい、壊すのは扉だけにしてくれよ……。
「いったい何するつもりだよ」
「お前が家賃を払うまで、俺はここに居座る」
「なっ、てめぇ……! 汚いぞ!」
疲れて帰ってきたらガチムチなおっさんが出迎えるとか嫌すぎる!
「おっさんに『おかえりなさいませ』と言われたくなければ、諦めてさっさと金を出すこったな」
「ぐっ……。出す金がないから困ってるんだよ。俺んちの食料棚を見せてやろうか? 見せるモンすら入ってないけどなぁ!」
「なら冒険者らしくテメエで稼いでこい。ああ、その間俺はここで作業しているから心配ご無用。誰かさんが家賃滞納を重ねるせいで収支計画を見直さなきゃなんねえからな」
大家はプレッシャーを与えるようにわざとらしくペラペラと紙束を漂わせる。どうやら本気でここで作業するらしい。
「チッ。誰もクソジジイの心配なんかしてねえよ」
悪態をつきながらも身支度を整える。ここは素直に従っておいた方がよさそうだ。正直言って、俺の実力で家賃分の仕事をこなすのは不可能だが、せめてその何割かでも支払えば大目に見てくれるだろう。
そんな淡い期待を抱くだけでも、いくらか心持ちは軽くなる。
その勢いで扉が大破した玄関をくぐろうとしたその時、部屋の中から声をかけられた。
「おい、一番大事な物を忘れてるぞ」
振り向きざま、大家が何か投げつけてくる。
俺はそれを反射的に受け取った。瞬間、ずっしりとした重みが両腕に伝わる。
「冒険者が武器を忘れてどうする」
どうりで身軽だったわけだ。
その剣を見ただけで背中までずっしりと重くなった。
それは、ボロ屋に似つかわしくない黄金で彩られた剣。
かつては宝剣とまで渾名された一品だが、今となってはその輝きは見られない。柄の部分に彫られた5つの丸い窪みを埋めるものはなく、まるで自らの空虚な心を表しているかのように思えた。
それは、この剣があるべき姿を失ったからか。
それとも――
「はぁ……」
どろっとした感情のため息と一緒に、胸のわだかまりを吐き出す。
「しっかり稼いで来いよ。帰りを待ちわびてるぜ、勇者サマ」
「うっせ。“元”勇者だ」
大家の皮肉を背に、俺は猫背になりながら剣を腰に携える。
「やっぱり重てえな、コレ……」
俺は山田勇人。普通の高校生だったが、急にこんな世界に召喚されてしまった。まあ、生まれ変わったようなものだし、転生者とでも名乗っておこう。
俺は4人の仲間とともに、この世界を救う勇者として転生した。
だがそれは過去の話。出来の悪い小説じみた物語。
盲信と偽勇の果てに、期待された結末は訪れず。
気づけば何もかも失って、前みたく平坦な人生を1人で歩いている。
勇者ユウトの冒険が終わりを告げてから、1年の月日が流れようとしていた――。