13
俺が一過性の心痛に悩まされてる間に、北部エリアと中央エリアを繋ぐ橋のふもとまで来てしまった。
大通りの延長線のように伸びる石造りの橋を人々が往来している。そして、皆一様にして眼前にそびえるひと際大きな影に飲み込まれていった。
橋を渡った先にある北部エリアを象徴する巨大な壁。太陽の光をも遮断する重厚感のある壁面からは、庶民街との判然とした隔絶の意志がうかがえる。
北部エリアはこのように周囲を巨壁に守られ、さらにその周りを巡回するかのように河川が流れている、まさに陸の孤島といった様相を呈していた。同じ王都の中にあれど、北部エリアとその他エリアには、貴族と庶民という明確な区分けが成されているのだ。That’s 格差社会!
そんな北部エリアに入るには、唯一の連絡路であるこの石橋を渡る必要があるのだが、俺の足はそれを前にして影が縫い付けられたように動かなくなっていた。
ここを渡れば、嫌でも過去と向き合わなければならなくなりそうで。
そう思ったら、もう一歩も進まない。
「さあ、レッツゴー!」
「ちょっ、ちょっと待て!」
そんな俺の気などいざ知らず、ずんずかずんずか歩いていこうとするエマ。俺はそれを慌てて制止する。
「どしたの、ユウト?」
「…………」
振り返って首を傾げるエマを見ても、やはり思いは変わらない。
お、俺を置いて先に行け! というか行ってくださいお願いしますの精神で口を開いた。
「やっぱり俺、ここで待ってるわ。リィウェンのところにはお前1人で行ってくれ」
「ユウト……」
不安に揺れるエマの瞳に捉えられると、胸が詰まったように息苦しくなる。
「どうしてもダメなんだよな、ここだけは。体調悪くなっちゃうっていうかさ!」
強がろうとして出した声は、すかしたように通りが悪い。
背中の宝剣が俺の動きを妨げる重りとなって、身体にかかる重力を際限なく増幅させる。宝玉を失い幾分か軽くなったはずの宝剣は、その散逸した重みを呪いで埋めたてるように、勇者を諦めた俺を咎めるためだけの枷となっていた。
俺はその苦しみから解放されたい一心で、エマの言葉を待つ。
「わかった……」
しばらくして伏せ気味に放たれたエマの声音。
ローブの影に覆われたエマの顔は、晴天に厚い雲が差したように暗い。
だが、その言葉を聞いて、俺の体は憑き物がとれたみたいに軽くなった。
「じゃあ、後は頼んだ」
そう言って、エマに背を向ける。
重力から解放された身体を確かめるように歩き出そうとした、その時。
「1人で行くのが怖いなら、私が一緒にいてあげる」
背後から聞こえた声とともに、俺の左手に温かい何かが触れた。
その感触に振り返ると、エマが俺の手を握っていた。
「それなら、怖くないでしょ?」
言葉の息吹とともに、そよ風が駆け抜ける。
エマの被っていたフードがふんわりと煽られ、それまで影に隠れていた金髪と青い瞳が太陽に照らされた。エマは、目に眩しいほどに光を反射するブロンドを余った左手で抑えながら、それでも握った手は離さず、屈託のない笑みを向けている。
「……は? い、いや、元から一緒に行動してただろ。なのに、一緒にいけば怖くないとか、意味わからん」
「細かいことは気にしない気にしない。ポジティブシンキングだよっ!」
「もうそれ、ポジティブシンキングとかじゃないだろ……」
俺は握られた手を振り払おうとするが、エマは更に握る力を強くする。
手から伝わる温度は熱いくらいで、エマの感情まで流れ込んでくるようだ。
「ユウトとさ、一緒に歩いてるって感じがしなかったんだ。どこか他人行儀みたいで」
寂しげに揺れるエマの瞳は、繋がれた手を見つめている。
「実際俺たちは他人みたいな関係だろ。パーティー仲間だって言っても、王国や貴族に指図されて操られながら冒険してたってだけで、信頼も絆もなかった」
「確かにあの時はそうだったかもしれない。けど、今は違うよ」
俺が苦し紛れに放った言葉も、エマには通じない。
「今こうして2人で歩いてるのは、自分たちが決めたことだもん」
その言葉に、ふと我に返る。
エマは言っていた。世界を救うことは自分たちが決めたことではないと。
逆に言えば、エマとこうしてかつての仲間に会いに行こうとしているのは、経緯は半ば強引であれど、最終的には俺が決めたことに間違いなかった。
「なのにユウトってば、昔みたいに1人ぼっちで歩いてるんだもん。だから、ほらっ! こうやって2人で歩けば怖くない!」
エマが握った手を俺の目線の高さまで上げて、どこか勝ち誇ったように見せつけてくる。
子供を優しく諭すような声音には、嘲りの色は一切感じない。本当に、2人で歩けば怖くないと思っているようだった。
まったく、どちらが子供なのか。
エマは俺の顔を確認するように一瞥すると、
「うんっ! じゃあ、行こっか!」
満足そうな頷きを見せ、橋の方へと歩き出した。
自然、手を繋いでいる俺も進行方向に引っ張られる。
「おいまた勝手に! 俺は無理だって――」
そんな言葉とは裏腹に、俺の足はエマの後を追う。
無理にでも振り払おうとしている内に、気づけば。
何事もなく――ほんの少しの気の迷いすら、葛藤すら、恐怖すらもなく――石畳みの地面へと俺は、足を踏み入れていた。
そのまま、大きな橋の中央を2人で歩いていく。
「ね、大丈夫だったでしょ?」
エマが得意げに笑う。日光が反射して輝いているように見えた。
「お、おう」
その眩しさから目を逸らしてぶっきらぼうに答える。
顔の火照りを隠すには丁度よかった。
手を振って歩くエマについていく。
小さく柔らかいエマの感触。そこからは自分と違う温もりが絶え間なく伝わる。
もしもこの温もりが過去のトラウマすら癒す力を持っているのなら、俺はその温度を感じていよう。
いつか、過去の自分と決別できることを祈って。
巨壁の影に体が覆われていく。
影の中に飲み込まれても、不思議と視界は明るいままだった。