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『『『ハイハイハイハイッ!! ハイハイハイハイッ!!』』』
地響きのような低音の合いの手と手拍子が鳴りやまぬ店内。マーマンと客によって生み出された豪音のハーモニーは寄り道することなく中央のステージへと注がれていく。ソプラノが死滅した混声合唱団のようだ。ついでに女性成分も絶滅寸前。
「ハイハイハイハイ!! ほら、ユウトも一緒にやろうよ!」
「俺はいい……」
その唯一の女性成分であるところのエマが、隣に座る俺をカエルの合唱(ただしドブガエル率95%超)に誘い入れようと肩を揺する。俺がその誘いを嫌悪感全開で断ると、「楽しいのに」とやや不満げに頬を膨らませた。
金髪を尻尾のようにゆっさゆっさ揺らしながら合いの手を入れるエマ。
その表情は曇りのない笑顔で、もうさっきのことは忘れたと言わんばかりにショーを楽しんでいるご様子。切り替え早いですね。
「早く帰りてぇ……」
そんな呟きも周囲の轟音に一瞬でかき消される。
そして、皆が先ほどから何に熱狂しているのかと言えば、『ビューティフォゥ・マーメイド・ショー』と称した、蓋を開けてみればただのおっさんマーマンがステージでイッキ飲みを披露するだけの宴会芸大会だった。
これが、ショー……?
「ルシ……ルーシーのやつ、何が詫びの印だよ。むしろ今から詫びを入れに来てほしいくらいだ」
一応彼(?)の尊厳を気にしつつ愚痴ってみる。呼んではいけないあの名前をまた口にしようものなら……どうなるんだろう。今度はケツを盗み見されるだけでは済まないかもしれない……。
俺が自らの貞操の危機を感じて身震いしていると、合いの手がより一層大きな拍手へと切り替わった。
「あっ! ルーシーちゃんだ!」
エマの声につられてステージを見やる。
おっさんと酒樽の影はとうになく、円形のステージにはルーシーの立ち姿のみが映えている。
ステージを飾る魔石の輝きにも劣らない銀髪。
その銀色がやけに眩しい光を放っているように見えたのは、おそらく、彼が両手に握る白銀の刃が、既視感めいた煌めきを放っていたからだろう。
「おい、あの剣って……!」
俺が確認するようにエマの方を振り返る。
しかしエマは、俺の言葉に反応することなく、驚きに目を見開くばかりだ。その白銀を青い瞳に反射させて。
宝刃――それが、ルーシーの持つ二対の刀剣の名にして、俺たちの記憶に刻まれたルシウスの象徴そのものでもあった。
演者の登場を終え、拍手は次第に鳴りを潜めていく。
しかし、その後に訪れたのは、騒がしい合いの手ではなく、呼吸を忘れるほどの無音だった。
深海の蒼を白刃が躍る。流麗な弧を描いてルーシーが躍る。
白刃を操る手足はバレリーナのように長くしなやかで、それでいて体操選手のようなはっきりとした肉感がある。
白銀が深海を切り裂く流星となり、その中心で舞い踊る様はさながら星の巫女のようだ。
まさに剣人一体。その場にいる誰もが我を忘れて、彼が振るう白刃の軌跡を追う。
洗練された剣筋に一切の綻びはなく、それゆえに、その剣舞がただの見世物の域を超えているのだと実感させる。
間合いに入れば瞬く間に命を刈り取られるであろう。それほどに危険で、美しかった。
やがて、その動きを止める。
余韻にも似た間を置いて、周囲から割れんばかりの歓声と拍手が上がった。
俺も思わず称賛の拍手を送る。
そして、ふとエマの方を見れば、彼女の姿はすでにそこにはなく。
「ルーシーちゃんッ! すっごく、す~っごくカッコよかった!」
気づけば、誰よりも早くステージの裾まで駆け寄り、声援を送っていた。
ステージ上のルーシーはそんなエマの勢いに圧倒されかけたが、すぐに元の精悍な顔立ちへ戻すと、「ありがとう♪」と微笑をたたえた。
エマはステージに身を乗り出す。そして何を思ったか、急に脈絡もなくこんなことを言い出した。
「やっぱり私、ルーシーちゃんともう一度冒険したい!」
エマの声音には、その言葉に至るまでの葛藤も、拒絶を恐れるがゆえの迷いもない。ただ一心に、自分のやりたいことを自分の欲望のままに伝えている。
そんな、子供が駄々をこねた時のような直情的な感情を一身に受け、ルーシーは今度こそ驚きたじろぐしかない。
「ルーシーちゃん! 今日の夜、私たちの始まりの場所に来て!」
そう言い放ったエマの瞳には、希望にも似た蒼銀の色が宿っていた。