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『……殿』


 暗闇に声が伝播する。


『……殿。――――……殿』


 よく、聞こえない。

 意識だけが取り残された空間の中で、俺はその音の在処を探る。

 すると、黒一色だった視界が少しずつ開けていき、同時にその声もはっきりと聞きとれるようになった。


『ユウト殿。君が勇者となってこの世界を魔の手から救うのだ』


 1人の老人の声が静謐な空間に広がっていく。

 豪奢な衣服に身を包んだその老人は、頭上の王冠を輝かせながら、俺に向けてそう言った。

 (ああ、またこの夢か……)

 目の前に映し出された光景を見て、俺は辟易とする。

 玉座に座る老人も、足元に光る召喚陣も、俺と同じようにして並び立つあいつらの姿も、あの日と同じ。

 そう、この夢は勇者ユウトの冒険を追体験するもの。俺にとっては悪夢に等しい記憶の再演だ。


 映像が切り替わる。


 俺は草の根の欠片もない荒地に、剣を構えて立っていた。

 5色の宝玉が柄にはめられた装飾剣。しかしてその輝きは見掛け倒しなどではなく、振れば周囲を一掃し、かざせば光をもって魔を焼き切る、まさしく“宝剣”の名にふさわしい至高の武具だった。……少なくとも、ただの高校生を勇者に押し上げるほどには。

 周囲を埋め尽くす魔物に果敢に立ち向かう。この世のものとは思えない異形を前にしても怯むことはない。

 俺には――勇者には、背を預けるに値する仲間がいたからだ。

 ある者はつがいの宝刃を華麗に舞わせ、

 ある者は宝衣を纏いその剛拳で打ち倒し、

 ある者は宝典に刻まれた魔術をもって焼き尽くし、

 ある者は宝杖を掲げ、仲間を鼓舞する治癒の光を授ける。

 自らと境遇を同じくする転生者たち。

 それぞれに与えられし最上の武具を駆使して、迫りくる魔の侵略から世界を守るため戦った。


 映像が切り替わる。


 暗転したかのような闇夜に、勇者は同じく剣を構えて立っていた。しかし、その腕は震え、柄を握る手には汗がにじむ。

 辺りは真っ赤な炎で覆いつくされていた。

 森も、家も、人も、家畜も等しく燃え盛る火の海の中、肌を焼くほどの熱に顔をしかめながらも、それが勇者の矜持であると言わんばかりに、俺は眼前に立つ敵の姿を鋭く睨みつける。

 ――それしか、できなかった。

 それが敵であることは間違いなかった。なぜなら、それこそが目の前の惨劇を生み起こした元凶なのだから。

 それはこれまで幾度となく打倒してきた魔の異形。灰を塗り固めたような肌に、黒一色に彩られた眼球を持つ禍々しき姿を見間違うはずはない。

 ただ1つ、他の異形と違ったのは――


『勇者くん。君と取り引きがしたいんだ』


 それが、人語を話すということだった。

 状況をうまく飲み込めない。

 紳士然とした格好にうっすらと微笑をたたえるそれを理解しようとすればするほど、呼吸は荒くなり体の制御が効かなくなる。

 魔の持つ残忍さと人の持つ悪辣さとを混ぜ合わせて作り上げられたような人型を見て、俺は得も言われぬ恐怖に足がすくんでいた。

 だが、動けない理由は他にもあった。

 その場で固まる俺を見据えて、人の形をした何かは、なおも悠然と語りかける。


『この子の命と、君が持つ宝剣。交換してほしいのです』


 優しい語り口とは裏腹に、その声音には感情と呼ばれる一切が存在しない。

 異形の黒い腕には1人の少女が抱かれていた。その顔は恐怖で歪み、絶望の表情を浮かべながら乾いた眼で俺を捉えている。

 宝剣の力であの異形を葬ることは容易いだろう。だが、そうすれば彼女の命も失われることになる。

 だが――。


(俺は()()()()()()()()()()がどういうことか、理解できていなかった)


 俺なら全てを救うことができると、そう思っていた。

多くの命が燃えていく光景に、俺の描いていた勇者像が乖離していく。

 俺のせいで、俺以外の命が失われている。その現実を受け入れることができなかった。


(だから俺は、目の前の命を救うことで、自分を救おうとしたんだ)


 宝剣を地面へと突き刺す。柄を握る指の力を緩めると、抵抗なく手は離れた。宝剣から目を逸らし1歩ずつ後ずさる。

 宝剣と距離をとるように離れていく俺を見て取引成立と察したのか、人型の異形は少女たちを抱えたまま、ゆっくりと、だが確実に宝剣へと近づいていく。

 やがて、宝剣の輝きは異形の影によって覆われた。


『これが……これさえあれば、魔王様が――』


 異形は顔に邪悪な笑みを張り付け、歓喜に震えながら宝剣に手を伸ばす。

 だが、指先があとわずかで触れようかというところで、異変は起こった。


『なっ……なんだこの光はッ!?』


 異形が叫びをあげる。見れば、宝剣が身に迫る邪悪を拒絶するかのような眩い光を放っていた。

 俺はその光景に思わず目を見開く。

 だがそれは、思い描いたような奇跡の所業ではなかった。

 いわば最後の防衛機能。世界を救う宝剣が、万が一にも魔の手に陥ることがないよう、予め発動する仕組みになっていたのだろう。

 光を放つ宝剣から一層強い光が放たれる。次の瞬間――柄に嵌められた5つの宝玉が夜の闇を切り裂きながら四方へと飛び散ったのだ。

 それは、勇者が勇者としての存在意義を失った瞬間であった。


 映像が切り替わる。


 俺は王の前で跪いていた。他方に鎮座する貴族たちに罵声を浴びせかけられながらも、無言で頭を下げ続ける。

『ふざけるなッ! この俺がどれだけ国のために出資したと思っているッ!? 滅びの預言を回避するために、わざわざお前たちを呼び寄せ、装備まで整えてやったのだぞッ!!』

『貧しい村娘ごときのためなんぞに宝剣を差し出しおって! その宝剣には国の存亡が賭かっておったのだ。この落とし前、どうしてくれるッ!』

『貴様は勇者失格だ。二度と顔を見せるなッ!』

『――――――――』

『――――』

『――』


 映像が、切り替わる。


 勇者ユウトの冒険譚。その最後を飾るのは、寂寥とした満月の夜だった。

 王都の雄大さを誇示するような大理石の広場――その中央に位置する噴水を囲むようにして、5人は向かい合う。

優美な造形がなされた石造りの噴水からは、絶えず水が吐き出されている。水面には、歪んだ満月が等間隔でゆらめきながら映し出されていた。


(ここは、俺の――俺たちの冒険の始まりであり、終わりとなった場所……)


 俺はこの夢の結末を知っている。きっと、あの台詞を口に出せば、夢舞台の幕は閉じ、俺は目覚めるだろう。

 俺は、前を向く。視線は噴水を捉えたまま。視界の隅にはっきりと4人の影を収めて。

 この時彼らはどんな表情をしていただろうか。どんな感情を抱いていただろうか。

 今となっては知る由もない。

 ――知りたくも、ない。

 ゆっくりと口を開く。

夢の終わりを告げる最後の言葉は、あの時――宝剣を手放した時と同じく――すんなりと零れ落ちた。



『俺は勇者を――』



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