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絶海のデルタ  作者: 白檀
第1章 ポート・ロイヤル
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第6話

 翌朝、琉香は朝食後の紅茶を楽しんでいた。メイドのジェマがティーカップに紅茶を注ぐと、豊かな香りが広がった。広いダイニングテーブルの向かい側にはアレックスが座っており、優雅な仕草でカップを傾けている。仕事へ行く前に、このひとときを楽しむのが彼の日課のようだった。この時代、紅茶はまだ贅沢品で、毎日飲めるのは貴族階級の証ともいえる。

 ジェマがティーポットを持って下がると、アレックスは口を開いた。

「ルカ、今夜は私と一緒に出掛けるぞ」

 琉香は驚いた。外出できるなんて! それも夜に。嬉しさと驚きがないまぜとなった声が出てしまう。

「本当に? 嬉しい! ・・・でも一体どこに行くの?」

「総督邸だ」

 想定外の返事に琉香は紅茶を吹き出しそうになった。

「総督が君に興味があるようでね。、私が東洋人の娘を保護したという噂をどこからか聞きつけ、以前から度々会ってみたいと仰せだったのだ」

 ついに総督の前に連行される日が来たか・・・。さらば私の平穏の日々。異端者として審問にかけられ、中世の魔女狩りのように火あぶりにされる図が浮かんだ。

 琉香が遠い目をしているのを見て、アレックスは苦笑しながら言った。

「心配しなくていい。総督は人徳のある素晴らしい方だ。何も君を取って食おうというんじゃないよ。ただ君のような子は我々にとって――――とても珍しくて、興味を惹かれるんだ」

 それはそうだろう。カリブ海の島々にいるのは、領有権を巡ってしのぎを削るヨーロッパ系か、彼らがアフリカから連れてきた黒人奴隷、そしてヨーロッパ人に領土を奪われ、迫害されて少なくなりつつある先住民だ。東洋人が珍しい存在なのは嫌というほど知っている。アレックスは直接的な表現を避けたが、つまり「一度も見たことのない東洋人という人種を見てみたい」ということなのだろう。珍しいペットを見たがるのと同じだ。

「夕方に迎えにくるから、そのつもりでいてくれ」

「わかった」

 珍獣扱いされるのは好きではないが、気晴らしにはなる。何しろやっと屋敷の外に出られるのだから。アレックスがいるなら、何も心配ないはずだ。結局、外出できる嬉しさが勝って、琉香は日が暮れるのが待ち遠しくてたまらなかった。


 琉香は居間のソファで微睡んでいた。暇つぶしにアレックスの本を借りて読書をしていたのだが、午後の昼下がりは昼寝に最適だった。この時代に来てからなぜか英語を母国語のように理解できるようになったおかげで、シェイクスピアもミルトンも読める。とはいえ、慣れない古典は難解で、眠気を誘われたのだった。

 しかし、微睡は突如として邪魔された。

「ルカ、起きてください。お客様ですよ」

 腕を優しく揺さぶられる。この声はウォールデン邸を取り仕切るの家令のクェンティンだ。穏やかな壮年の男で、アレックスの信頼も厚く赴任の際にロンドンからついてきたらしい。クェンティンをはじめメイドのジェマなど、アレックスに仕える使用人はみな礼儀正しく、優しい人ばかりである。東洋人である琉香を見下すことはなく、「客として扱うように」との主人のいいつけを忠実に守っている。

 もっとも、客というより「迷い込んできた野良猫をかくまう」ように扱われてるような気がしなくもない。琉香が屋敷の中を勝手に徘徊していても黙認してくれるし、用があるときは構ってくれる。みな、当初は初めて会う東洋人とどう接するべきか躊躇っていたようだが、琉香が英語を解すること、西洋の文化に慣れていることを知ると、自然に打ち解け、今の状況に落ち着いた。

「ふが」

 琉香は目を開け、ソファに寝転がったまま大きく欠伸をしてから、起き上がった。窓の外を見ると、高く昇ってはずの太陽はいつの間にか下がり、夕刻を迎えようとしていた。

 もう夕方か。今日も何もしないで過ごしちゃったな。

 今日も完璧に身なりを整えたクェンティンは、彼女の様子に片眉を上げた。

「ロンドンの淑女はそのような欠伸をしませんし、ソファで昼寝などしません」

「だってやることがないんだもん。暇で暇で・・・」

 琉香は肩をすくめた。クェンティンからは、自由奔放な琉香をレディに教育せねばという気配を度々感じる。しかし、琉香はその度に気づかないふりをしているのだった。

「それで、お客様ってどなた?」

「グレイ少佐がお見えです」

 クェンティンの言葉を合図にしたかのように、軍服を着た若い男が扉を開けて居間に姿を現した。

「ご機嫌よう―――――レディ」

「レディ」という単語を、これほど心にもなく、淡々と発音できる英国人が他にいるのかしら。

 琉香は内心で皮肉った。男は口の片端を吊り上げ、冷ややかな表情を崩さない。

 ファビアン・グレイ少佐は、今のところ琉香が最も苦手とする人間だった。

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