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絶海のデルタ  作者: 白檀
第1章 ポート・ロイヤル
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第3話

 ―――――――――― 一か月前


 静かな波の音は心地よく耳に響いた。

 琉香は夢を見ていた。日本の家族や友人と久しぶりに再会する夢だ。現在、彼女は大学一年目の夏休みを利用してアメリカのフロリダ州マイアミに短期留学をしている。マイアミは気候も良く、観光地もたくさんあってとても楽しいが、実をいうとアメリカの食事に食傷気味でもあった。それで日本が恋しくなったのかもしれない、と琉香は夢を見ながら無意識のうちに考えた。

 このまま目覚めずに寝ていたいと思わなかったのは、全身がびしょ濡れで、着ている服の感覚が不快だったから。そして、複数の人の気配を感じたからだ。

 琉香はうっすらと目を開けた。

 初めは、太陽が眩しくてまともに目を開けることはできなかった。何度か瞬きしてようやく、寝ている自分を四人の男達が取り囲むように立っている様子が見えた。彼らは黒の三角帽子に赤い上着を羽織り、腰には長いサーベルを下げ、マスケット銃を掲げている。歴史ものの海外ドラマやハリウッド映画でこんな格好をした人達を観たことがある。レッドコート―――いわゆる大英帝国陸軍の兵士だ。

 なんでマイアミで英国軍? まだ夢の続きを見てるのかな。

 横たわったまま瞬きしていると、兵士達が驚きの声を上げた。 

「目を覚ました。生きてるぞ」

「逃げようとして海に飛び込んだのかもしれんな。ここしばらく嵐はなかったし、船が難破したという話もきかない」

「男は見たことがある。死体だったがな。農園から逃げて海賊に入ったはいいが、仲間うちの諍いに巻き込まれたそうだ」

「俺は初めてだ。ポルドガルにいる叔父から話は聞いたことはあるが、女は高くつくらしいぜ。従順でおとなしいところが人気なんだと」

「だろうな。こいつは農園用には見えん」

 琉香は上半身を起こし、頭上で会話を続ける男たちをぐるりと見まわした。自分が置かれている状況が理解できず、混乱していたが、すでに意識ははっきりしていた。

 そうだ。確か、語学学校の友人達と週末にクルーズ船でマイアミからバハマへ遊びに行くはずだった。その途中で船が無人島に寄ったので、気分転換のつもりで島に降りた。友人達は浜辺できゃあきゃあ言いながら水遊びをしていたが、琉香は島の探検のほうに興味があった。白い砂浜が続く浜辺の向こうに、洞窟のようなものが見えたのだ。無人島だから危険はあるまいと、一人で向かった。


 洞窟の中はとても涼しかった。黄色い太陽が照り付ける外の世界とは真逆だ。白い砂浜とは対照的な、闇の世界。

 パーカーを持ってくればよかったなあ。

 タンクトップでむき出しの両腕をさすりながら、琉香は洞窟の中を進んだ。洞窟はそれほど奥深くなく、1,2分も進むと行き止まりになった。もっとも、スマートフォンの画面をライト代わりにしている状況では、これ以上進むのは無理というものだ。

 洞窟の奥は、広場のような空間になっており、古びた小舟がひどく不自然に置かれていた。こんな所に小舟があるということは、満潮時に流れ着いたものかもしれない。これは早々に退散したほうが良さそうだ。琉香は転ばないように足元に注意しながら、小舟に近寄った。

 暗闇の中でも、小舟が相当の年代物であるとがうかがえる。人が5人も乗ればいっぱいになってしまうような大きさだ。琉香は中を覗き込んだ。骸骨がいたらどうしようと思いつつも、怖いもの見たさのほうが勝った。骸骨は転がっていなかったが、スマートフォンの光を受けて反射するものがあった。

 なんだろう。

 琉香は小舟に乗り込み、床からそれを拾い上げた。光を当ててよく見ると、掌ほどの大きさの十字架だった。海水と年月の経過により多少傷んでいるものの、おそらく銀製で細かな装飾が施されている。これはもしかしてお宝発見かもしれない。琉香は思いがけない発見にうきうきしながら、小舟の中に座り込んでスマートフォンを膝の上に置き、光を当てて十字架をもっとよく観察しようとした。見た目よりもずっしりと重い。十字架というと聖なる象徴であるが、これはどちらかというと禍々しさを感じさせる。

 ここはカリブ海だ。かつて海賊が支配していた海。海賊による商船の略奪。神をも恐れぬ非道な簒奪者達。

 琉香の脳裏に、戦いの最中に商船から命からがら小舟で逃げ出す宣教師の姿が浮かんだ。黒い海賊旗をはためかせた船が、容赦なく砲門を開く――――。ひっくり返すと、裏に何やら文字が刻まれているようだ。英語ではない。スペイン語だろうか。

 お宝も見つけたことだし、そろそろ戻らなくちゃ。明るい太陽のもとで十字架をじっくり見るのが楽しみだ。琉香が立ち上がろうとした時だった。

 血の匂いがする。錆びた鉄のような生温い匂い。寒気と共に、風を感じた。まとわりつくような風だ。まるで風が意思をもって自分を包んでいるような―――そう思ったときは、すでに遅かった。何の前触れもなく、突如として海水が一気に洞窟に流れ込んできたのだ。

 琉香は逃げる暇もなく水の中に囚われた。


 そうだった。あの洞窟で海水に襲われたのだ。しばらく水の中でもがいたことは覚えているが、それ以降の記憶がないところみると、気を失って漂流したのだろう。そして、運よく陸に流れ着いたのだ。

 だとしても、イギリスまで漂流するはずはない。赤い軍服を着た男達を見ながら琉香は眉をひそめた。ここはどこなんだろう。

「マダム・トンプソンの館に連れて行こう。おい、立て!」

 考え込む彼女を男達のうちの一人が乱暴に腕をつかみ、引っ張り上げるように立たせた。

「痛い! 勝手に触らないでよ! そんなに引っ張らなくても自分で立てる」

 琉香は男の手を振り払った。全くレディに対して何て乱暴な・・・ぶつぶつ独り言を呟いたところで、彼女はふと凍り付いた。

 あれ? 私、こんな流暢に英語喋れたっけ。それに、この男達の言葉も全部理解できる―――まるで母国語のように。

 おかしい。やっぱりまだ夢を見ているんだろうか。だとすると、かなりリアルな夢だ。さっき男に腕を掴まれたときは痛みを感じたし。それに―――この兵士の格好をした男達は、やけに古めかしい英語を話す。アメリカ英語ではない。イギリス英語であることはほぼ間違いないのだが、マイアミでよく行くカフェで知り合ったイギリス人のケイティの話し方とは違う。

 ―――――ここは、一体どこなんだろう。

 混乱する琉香をよそに、男達は相変わらず話を続けている。

「ジョン、こいつ言葉がわかるみたいだ」

「奴隷船の中で覚えたんだろう。おい、縄を貸せ」

 ジョンと呼ばれた男が、仲間から渡された縄を使い、器用に彼女の両手首を縛った。あまりに手際がよすぎて、琉香には抵抗する暇もなかった。

「ちょっと! なんで縛るの!? 私悪いことなんかしてない・・・! ただ溺れてここに流されただけなの。私は留学中の善良な日本人よ! この縄をはやくほどいて」

 思わず、ジョンに縋り付いて訴えた。どうやらこの男がリーダー格らしい。状況は未だに呑み込めないが、不法入国者として連行されてしまっては堪らない。何しろ自分の身分を証明するものは何もないのだ。

「おとなしくしていろ。逃げようとしたら撃つ」

 彼は、マスケット銃を指して冷ややかに笑った。

「俺達だってできればお前を傷つけたくないんだ。その綺麗な肌に傷がついたら値が下がるからな」

 値? 値段のこと? 誰の値段? まさか―――私!? 初めは何を言っているのかわからなかったが、琉香は不幸にも察知してしまった。こいつらはイギリス軍を装った人身売買組織の一味なのだろうか。

「そんなの許されないわよ。人道的にはもちろんだけど、人身売買は国際法で禁止されてる」

 必死に主張する琉香の言葉に、男達は呆気にとられたようだった。

「こいつ、何を言ってるんだ?」

「わからん。だがひょっとするとどこかの貴族様にかわいがられていたのかもしれんな」

「身の程知らずなことだ」

 琉香は男達の会話に、次第に寒気を覚え始めた。当初から全く尊重されていないとは思っていた。人種差別とは違う。人種差別よりももっと深い―――彼らは琉香を一人の人間としてではなく、「モノ」としか考えていないのだ。それに―――――ジョンと目が合い、琉香は思わず視線を逸らした。ジョンだけではない。男達の目には、あからさまな欲望が浮かんでいる。視線が全身を這いまわるのを感じる。黒のタンクトップにベージュのショートパンツという自分の服装がひどく心もとなく、今すぐ全身を厚手のコートで覆い隠したい衝動に駆られた。

 ジョンは俯く琉香の顎を掴み、顔を上げさせた。二十代後半と思しき彼は、典型的なアングロサクソン系の容貌をしており、それなりに整った顔立ちをしていたが、琉香は触れられた箇所が汚れるような嫌悪感で身震いした。両手が自由なら、今すぐ彼の手を振り払いたい。ジョンは品のない笑いを浮かべて言った。

「心配するな。東洋の女奴隷は珍しいからマダム・トンプソンは大事にしてくれるさ。お前も新しいご主人様が見つかる。俺達の懐も温かくなる。いいことずくめだろ?」


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