飛と未先
物語は、翠。
遠い昔の近い明日が、始まる物語。
綴らせるのは誰が為にと、何処かの誰かが呟いた。
生きる為に、前を見て歩く為にと誰かが囁いた。
想いを風で薫らせて、届けよう。
まだ見ぬ先を歩む為にと、輝かせようーー。
***
〈トト〉の眼差しは穏やかだった。見つめる先は、ノームという名の“幻人”だった。一方〈トト〉の傍にいるミカドは身体を震えさせていた。
「ミカド、恐いという情を止めなさいとは言いません。だけど、今止めないといけないことは何かは、胸の内に秘めてください」
〈トト〉がミカドの耳元で優しく語り、ミカドは震えを止めた。
確かに〈トト〉のいう通りだと、ミカドは思った。
ミリオン=ワンという名の“真人”に起きた事に取り乱すことをしない〈トト〉より自身が動揺している。
自分は、弱かった。
強くしていても、弱さがどこかで溢れていた。
〈トト〉は、心の中で呟いた。
ミカドは優しさを強さにして生きていた。
誰かの為。と、いうのは間違いではないが、場合によっては弱点となってしまう。
ミカドの手を握り締めた〈トト〉は、思った。
ミカドが刻む時は、今の時代では余りにも酷なものがある。
『称号』は、時代の象徴。
今の時代の『称号』は、何を求めていたのだろう。
〈トト〉には、時を遡る“力”はない。
〈トト〉は、想像をするしかなかった。
長い時の中で四つの種族が、特に“幻人”と“真人”が袂をわけてしまった経緯を手探るをするものの、細い糸が千切れるように、思いが重くなってしまう。
今の『称号』の種族さえ、わからない。
【国】以外の【国】の種族が担っているのならば、手立てはない。
明確なのは“真人”は土から“歴史”を詠むができること。
《長》は、其処に着眼した。
あくまでも〈トト〉の想像だったーー。
「【国】で生きているそれぞれの種族が手を取り合う。これから役目を担う〈トト〉の傍にずっといたかった。でも、でも……。」
静かに語るミカド。ミカドは今から起きる事を懸命に受け止めようとしているのがミカドと手を繋ぐ〈トト〉の心の奥にまで伝わって、浸透していく。
〈トト〉は頬に溜める息をゆっくりと吹いた。
「ミカド、私が『称号』を引き継ぐのは、少しだけですが先のことです」
「〈トト〉が『称号』になったら、私には〈トト〉の姿を見ることが出来なくなる。見ることが出来るのは『称号』の血を受けた、すなわち《子》だけ。と、いい伝えがあるのだ」
「……。ミカド、私は思うのです。昔は今、今は昔。それらを繋げて表しているのが“歴史”だと……。もし、過ちがあったならば新しい“歴史”をつくるをするのが『称号』だと思うのです」
ミカドは首を横に振る。
「『称号』が背負うことはない。人の愚かさを裁くのは、人の役目。過ちを食い止めるのも同じく、だ。だから〈トト〉は、今から始めることを見守ってほしい」
〈トト〉はミカドと繋ぐ手を解した。
「ミカド……。あなたは、何をしようとしているの」
エメラルド・グリーンの瞳が涙で濡れて、水面が陽の光を受けたかのように煌めかせて、ミカドの顔を見た。
「〈トト〉はミリオン=ワン殿と愛し合う。と、いう、やるべきことがある。私は、終わらない。終わらないと、わかったから始めると決めることができた。もちろん〈トト〉とのつながりも途切れないと、わかった」
ミカドは目蓋を綴じて深呼吸をした。
息を三回吹くを終わらせて、綴じる目蓋を開く。そして〈トト〉を背後にして脇をしめる、右の掌を拳にする、踵を板張りの廊下に押しあて腰を膝の位置までに落とした。
〈トト〉は、ミカドの背中の後ろでミカドが見つめる先が何かを知ってしまった。
〈トト〉は目から涙が溢れそうを懸命に止めた。
「ミカド、愛はどんなかたちであろうとも素晴らしい“情”だと、あなたは知っていた。あなたは、あなたは……。優しくて素敵なミカド、お別れは言いません。だけど、だけどーー」
「私の華麗で可憐な《宝》の〈トト〉……。あなたは《癒しの女神》として、奴に足りないのが何かを教えて学ばせる。あなたにしかできないと、私は伝える」
ーーはい……。
息を吸って吹く〈トト〉のか細い言葉を聴くミカドは、微々たる笑みをして頷くと拳を黄金色に輝かせ、炎を焚かせた。
一方〈トト〉とミカドを不敵な顔つきで見据えていたノームは、歩幅を左右に拡げた。
「ミカドよ。このまま迷いを続けていた方がおまえの為だった。だが、わたしに歯向かうを選んだ。同じく〈トト〉もだ。そなたは『称号』を受け継ぐと決めた。わたしがやるべきことを阻止して『称号』で生きるをするならば、愛など必要ない。愛ほど虚しい“情”だ」
ノームは右の掌で焚かせる紅い炎を浮遊させる。そして、両手で掴むと紙を引き裂くように真っ二つにした。
ひとつは〈トト〉へ、もうひとつはミカド。ふたつの炎は双方に真っ直ぐと火花を散らしながら飛んだ。
そして……。
ふたつの炎はふたりの頭上で綿の飴が溶けるように消えて、最後は乳白色の煙になって空中に放たれたーー。
***
ーー遠くて近い明日を……。
管弦楽に似た声色で、言葉が繰り返していた。
ーー此れから始まる物語は、あなたの物語。けして、引き返すことが出来ない路を歩むことが、あなたの役目。
目の前の景色は、彩。
足元は綿毛を踏むような感触。鼻腔を擽らせる甘い薫りは何処からだろうと、辺り一面を見渡した。
ーー大丈夫。あなたの『子』は、すくすくと成長しています。面影が時々、あなたの“あの頃”になりますが、のびのびと育っています。
無意識に、空へと掌を翳した。
「……。わたしも夢を叶えたい時期があった。平凡でも構わないから『我が子』を抱くをしたかった。懐かしくて儚くて、置き去りにした終わりがない夢をわたしはーー」
ーーいつか、叶う。を、心の片隅に置いてください。わたしの愛おしい人、わたしの、わ……たし、の………………。
砂が空中へと舞い上がり散り散りとなるように、声は撹拌されたーー。
***
朱色の花を咲かせ、甘い薫りを風に吹かせる樹木の幹を背もたれにして〈トト〉は生まれたばかりの『我が子』を抱き締めていた。
緋色の髪と澄みきる蒼い瞳の『我が子』の父親と最後に言葉を交わしたのはいつだったのだろう。と、思い出を手繰り寄せていた。
時という刻みの中で過ごしていた頃、慕った『友』の思い出も同じくだった。
ーー《癒しの女神》兼『称号』の〈トト〉様。わたしは大地に根付いて、巡った季節に花の薫りを大気に解き放すことが出来る。あなたの清らかで澄みきる彩は、この世に生きているものすべて。あらゆる生きる物。に、微笑みを湛えさせます。
「キンモク=セイ。あなたは、あの頃と姿は変わりましたが、こうして私の傍にいてくれる……。とても幸せなことだと思いますわ」
〈トト〉は、人の象をしていた頃のキンモク=セイを心の中に浮かべていた。そして『我が子』の〈父親〉のことも同じくだった。
『我が子』の〈父親〉は、土と共に《あるお方》を危険から護ろうとした。
しかし、結果としては〈父親〉は《あるお方》から守られた。
ーーワシは、幾ばくかの命だ。ワシは地上でやるべきことは十分に果たした。だから、そなたは此れから護るものを大切にして生きるのだ……。
景色が白い中でお互いの姿を見つけた〈トト〉と『我が子』の〈父親〉はかたく抱き締めあった。
景色が、白が晴れて〈トト〉は遠くにいる人の象を見つけた。
ーー次期『称号』様、わたしは〈この人〉を愛しています。子もいます。でも、ふたりが、特に〈この人〉が此れからどんな路を歩むのかと、不安です。不安の気持ちで天の使いを担うことがこわくてたまりません。
〈トト〉は人の象が“真人”の女性だとはっきりと見えていた。
「私のことは〈トト〉と、呼んでください。あなたの純粋無垢なお気持ちを支えるお手伝いを私にさせてください。もちろん、あなたが今、抱き締めているお方もです」
ーーね、ミカド。あなたも私と同じ気持ちですよね……。
〈トト〉は、大地に根付く1本の大樹に微笑みをした。
〈トト〉が『称号』を受け継ぐ前の時を刻むなかで四人の“幻人”と“真人”はキンモク=セイと呼ぶ大樹に集い、あるときは望む夢を語り合い、またあるときは苦楽を分かち合うをした。
しかし、虚しくもある“その時”が迫ってしまった。
“真人”が志していた【国】の再建は、叶わなかった。
【国】だった大地に、1本の大樹を残してだった。
「ふえん」と『我が子』のなき声が、うたた寝をしていた〈トト〉を起こした。
ーー〈トト〉様、地上でまごついている“真人”の魂を見つけました。
声は吹く風で小さく、途切れていたが〈トト〉は声の主が草の葉の上にいることを知っていた。
「わかりましたわ。いつも、お伝えの役目をありがとう」
ーーどうってことはないです、昔から〈イキモノ族〉は、こうして生きていましたから。おや、おや。お子様は、元気に泣かれてますね。
虫の幼虫の象をしている〈イキモノ族〉が微笑んで言う。
〈トト〉は『我が子』の頬と額に口づけをすると、花びらを背負って翔ぶもうひとつの小さな種族が〈トト〉のまわりで無数にいた。
「次はいつ〈トト〉様のお姿を視られるのでしょうか。と、思うと辛いですが、お子様を育てる役目を私たち〈ウッドブリンク族〉が責任をもって担います」
「重荷にならないで。私は、いるのですから。ちゃんと、いますから」
〈トト〉は『我が子』の小さな掌の指をひとつずつ、優しく右の指先で拭うと〈ウッドブリンク族〉が用意していた綿で編まれる籠の中へ『我が子』を寝かせた。
「おやすみ、アキラ……。」
〈トト〉の傍にいる蒼い羽の鳥が「クー」と、囀ずる。
〈トト〉は鳥の背中に乗って、地上から離れていく。
ーーあなたの見たい時に、いってらっしゃい……。
微笑み混じりの〈トト〉の癒しの言葉が、翠の薫りを含めた風が、吹いていたーー。