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敬語でだらだら、でもリズミカルな文体でコメディ

何故か不意に本屋で女性セールスマンから話しかけられました

 本屋で何かの画集を眺めていた時の事です。何故か不意に女性セールスマンから話しかけられました。

 かなり珍しい体験だと思います。

 もしばれたら、この女性セールスマンは、本屋の店員さんから、確実に注意を受けるでしょう。

 そんな状況でしたから、初めは逆ナンかと僕は思いました。何を隠そう、僕は街で見知らぬ女性から話しかけられる事がよくあるのですよ。馴れ馴れしく声をかけられたと思ったら、英会話教材のセールスだったり、緊張した様子で話しかけられたと思ったら、美容院のヘアカットのテストの題材をお願いされたり、手相を見せてと話しかけられたら、なんかの自己啓発セミナーの勧誘だったり。因みにその全てで僕は初めは逆ナンかと思っていますが。……多分、逆ナンって都市伝説なんですよ。この世には存在しない。桃源郷にでも行けば実在しているかもしれませんが、まぁ、今のところ、行く機会はなさそうなので、僕が遭遇することは永久になさそうです。

 彼女はスーツを着ていて、手にはボールペンを持っていました。ノートと、そして何かの本を脇に抱えている。

 「あの…… ちょっと良いですか?」

 それに、「はぁ」と、僕は気のない返事を装った気のある返事をしました。もちろん、本当は何かを期待していたのですが。それが何かは内緒です。だって、下手すりゃ、18禁になるから。それから彼女はこう言いました。

 「絵に興味がおありですか?」

 そう言う彼女の瞳からは、熱視線が発射されていました。ですが、そこで僕はその瞳がハートマークではなく、¥マークである事に気が付いたのです。伊達にぬかよろこびを何度も経験してはいません。逆ナンなんて常世の国にでも行かないと存在していないんです。“スーツ姿でボールペンを持っているんだから、仕事だって初めから気付けっ!”ともし僕にツッコミを入れるというのなら、僕は全モテナイ男性を代表してあなたに抗議します。夢くらい見させろよ。

 「まぁ、多少はありますが」

 そう僕が答えると、「そうなんですか? 実は素晴らしい絵を販売していましてね」なんて、それからその女性は続けました。瞳から発せられている視線の熱が更に上がった気がします。

 “ほら、来なすった”

 それで僕はそう思いました。今回はどうやら絵画のセールスのようです。この時点でこの女性を避けても良かったのですが、僕はそれをしませんでした。だって、ほら、“あわよくば”って事があるかもしれないじゃないですか。あわよくば……

 夢くらい見させろよ。

 それにあれですよ。こういうのって意外に会話が楽しかったりもするのですよ。セールスマンって言わば会話のプロな訳で、その会話のプロが、警戒心を緩める為にか、相手を必死に楽しませてくれようとするみたいで、まぁ、だから、当然楽しい事も多いのです。伊達に何度もぬかよろこびを繰り返してはいませんよ。キャバクラなんかで物凄い高いお金を払って女の子達との会話を楽しむことを考えれば、これは無料ですから、考えようによっちゃ物凄い得です。実を言うと、キャバクラに僕は行った事がないので分かりませんが、得なはずなんです。ええ、そう信じます。じゃないとやってられないので。

 因みに、カモっぽく見えるだけで、一度も騙された事はないので、多分僕はカモではないと思います。

 「分かりました。それじゃ、取り敢えず、実物を見ながら話を聞きましょうか」

 それで僕はそう言いました。ところが、それを聞くとその女性は顔を歪めて「え?」とそう言ったのです。

 僕は思います。

 なんだろ? この反応……

 「絵、ないんですか?」

 (因みに、“え”と“絵”をかけたシャレではありません。僕の名誉の為に、一応断っておきます)

 それで僕がそう尋ねると、その女性は慌てた様子でこう言いました。

 「いえ、あります。ありますけども…」

 「ありますけども?」

 「とられてしまうので、嫌なんです」

 多分、“客を”という意味でしょう。僕はそれを聞くと腕組みして考えました。もしかして、この人、口下手なんじゃ……?

 客に絵を買わせようと連れ込んでも、説得する事ができないもんだから、他の同僚に客を奪われてしまうとか、そんな事だと僕は想像したのです。

 もしかしたら、だから本屋で絵に興味のありそうな客を捕まえるってな、かなり強引な手段を彼女は執ったのかもしれません。

 そこで僕の“あわよくば本能”が、俄かに活性化し始めました。そんな本能は聞いた事がありませんが、どうやらあったようです。僕の状態がその何よりの証拠です。

 

 “あわよくばー!”

 

 僕はこう考えました。

 この女性、頭の回転はあまり良くなさそうなので、上手く口車に乗せられれば、このお話が18禁になってしまうかもしれないような、個人的なお付き合いに発展させられるかもしれない。この女性にとって、今の僕は恐らくは男ではなく、お金(¥)に見えているはず。逆にそれを利用してやろう。それで、僕はまずはこう問いました。

 「あの…… 失礼ですが、あなたの仕事って給料は良いのでしょうか?」

 恐らく、この女性はそれほどお金を貰っていないでしょう。先の話からして、給料制度は“安い基本給+歩合制”だろうからです。つまり、絵を売ってこないと高い賃金は貰えないのです。そして、その境遇を彼女が不安に思っているだろう事は明らかです。

 女性が不思議そうな顔をしたので、僕はこう言いました。

 「気を悪くしないでくださいね。それは僕が絵を買う話にも関わって来るのです」

 すると女性は、首を傾げて「どういう事でしょう?」とそう尋ねて来ました。

 「簡単な話です。あなたに支払われるお金は、当然、コストになりますから、それだけ絵も高くなる。もしあまり高いようだったら、あなたの会社を介さないでネットで買った方が随分と安いかもしれない」

 まぁ、元々、絵なんて買う気はないですが。何十万円、下手すりゃ何百万円もするのに。しかも、需要が下がれば、資産価値が下がる可能性もあるリスク資産。いやいや、買ってられません。

 それに女性は何も返しませんでした。まぁ、無理もないかもしれませんが。僕は続けます。

 「インターネットが普及して、売り手と買い手が効率良く結びつく機会が増えました。そして、そうして中間業者を省けば、それだけ商品の価格を安くできますから、価格競争の面で有利になります。今はまだ良いでしょうが、これから先、この点は更に顕著になっていくでしょう。何故なら、労働力が不足すれば労働賃金が上がり、中間業者を省くメリットがより大きくなるからです。

 すると、あなたのような職業の人は、もっと不利になっていきます」

 もちろん、僕はこの説明で、彼女に今のままの職でいる事に不安を抱かせたのです。そして、不安にさせた上でこう続けます。

 「ところで、こんな話を聞いた事がありますか? 人間って容姿によって、収入に大きな差があるらしいのですよ。つまり、美人だったりカッコ良かったりすると、それだけ給料も良いって事です」

 彼女が反論しようとしたので、僕はそれを手で制しました。

 「その詳しい内容を僕は知りませんが、女性に関しては少しそれに加味しなければいけないかもしれない、とも思っています。何故なら、女性だというだけで差別されて、給料が安い人も多いらしいからです。つまり、女性はこの日本社会においてハンデキャップを背負っているのですね。

 ……だから、あなたのような可愛らしい女性でも収入が少なかったりするのですよ」

 それに彼女は感心したような表情で、何度か頷きました。僕は心の中でガッツポーズを取ります。

 “おっしゃぁ! 話に引き込めた。やってみるもんだなぁ”

 僕は嬉々として、こう続けました。

 「だから僕はこの日本社会で、女性にとって最も有利な生き方は、理解のある男を見つけて、そのハンデキャップを埋めてくれるよう協力してもらう事だと思うのですよ。やりがいのある仕事ができるよう、支えてもらう。女性は差別を受けているのだから、それくらいしてもらって当然です。

 ただ、協力してもらうって事は、まぁ、それなりの関係にならないと無理でしょうがね。さすがに。

 ……因みに、僕は女性には理解のある方だと自負しています」

 ちょっと強引かもしれませんが、相手の不安と劣等感を和らげつつ、上手く自己アピールに繋げられたような気がします。

 彼女はその後でこう言いました。

 「なるほど。確かにそうかもしれません。大変に感銘を受けました」

 僕はその言葉を聞いて思います。

 “おっ? これはいけるんじゃない?”

 で、こう言いました。

 「そうですか。なら、僕の連絡先を教えておきます。もし何かあったら、連絡をくれれば協力ができるかもしれない」

 そして、それから僕の電話番号を書いたメモを手渡しました。流石に、“さりげなく”とはいきませんでしたが、あまり彼女は気にしていないようだったので気にしません。

 それから僕は下心なしを装う為に、その場からすんなり去りました。一度でも、彼女から連絡があったら押してみようと心に決めて。

 ところが、それから何日経っても、彼女から連絡はなかったのでした。やっぱり、もっと強引にいってあの場で会う約束でもした方が良かったのかもしれません。一度退いた方が、信頼を得られると思ったからそうしたのですが……

 分かってます。

 夢くらい見させろよ。

 しかし、そうして諦めかけたところで、なんと、彼女から電話が入ったのでした。

 

 「お久しぶりです。何かあったのですか?」

 声が弾んでいるのを隠す事もできず、僕はそう問いかけました。すると、彼女はこう答えるのです。

 「はい。実はあなたの話に感銘を受けて、私はある団体に所属したんです」

 「ある団体?」

 「はい。“女性の権利と啓発を訴える会”という団体なのですが、是非、あなたにも入会していただきたいと……」

 僕はそれを聞いて、静かに電話を切りました。

 

 ……こういう方向に行っちゃったか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 話運びが上手でついつい最後まで読んでしましました。 主人公、知識が豊富で話が上手いなと感心してしまいました。続編があれば読んでみたいです。
[一言] さすがに、常々逆ナンもどきをされているだけのことはありますね。反対に、こちらから誘いを掛けるとは。 けっこう、いいところまで行ったと思うんですが、最後の最後で、まさかの「そっち方向」。 これ…
[一言] 面白い!! 最後のオチに吹きましたwwwww
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