赤色夢現
逃げ足の早い君。でも、追いついてしまう私。
ごめんなさい。ごめんなさい。そんな声がする。逆手に持ち替えたナイフ。君を押し倒した時に伝わる衝撃。
抵抗されて。でもそれは無駄な事で。
執拗に刺す。何度も。
君の叫び声が消える。抵抗されない。
振り下ろす。ぐしゃり。気持ちの悪い感覚も、何時の間にか楽しくなる。
執拗に、刺す。何度も。何度でも。
頬にぬめりとした感触。暖かい液体が顔中に付着しているのがわかる。伝落ちるそれが、目に入る。
目の前が赤い。
目の前が、赤い。
ーーああ、また、
「ーーっは」
一気に意識が覚醒した。勢いよく身体を起こして辺りを見回すと、そこは自分の寝室だった。
寝巻きは汗でぐっしょりと濡れており、気持ちが悪い。なんだかまた眠る気がしなくて、ベットから降りると部屋を出た。
「……喉、乾いた」
呟いて、台所へ向かう。疲れをとるための睡眠の筈なのに、なぜだか体は寝る前よりも酷くぐったりしていた。
台所。戸棚からコップを取り、冷蔵庫から適当なお茶を出すと、それを注ぐ。一口飲むと、ひんやりとした物が喉を癒して、少し楽になった気がした。
お茶のお陰か大分頭が夢から覚め、落ち着いてきた。そこで、考える。
……夢を、見た気がするのだ。嫌な夢を。
残念ながら思い出せない。
だが、目に焼き付いた赤色と、ねっとりとした生暖かい何かの感触だけは、今でも鮮明に思い出せる。
「まあ、明日も早いし……早く寝ないと……」
コップを置きつつそう言いながら、ちらりと時計を見やった。
4時、か……。
嫌な数字だと考えながら、部屋に戻った。ベットの上で横になると、またまぶたを閉じる。眠れないんじゃないかと思っていたのだが、案外すぐ眠りに落ちた。
逃げ足の早い君。でも、追いついてしまう私。
ここでしか会った事がない君の顔を、私は知らない。君の顔は夢の中のように、ぼやけて霞んでいるから。
「ごめん、なさい……っ……ごめ、なさ……っ……ゆるし、」
そんな声がする。逆手に持ちかえたナイフ。君を押し倒した時に伝わる衝撃。
抵抗されて。
「ねぇ、そんな無駄な行為になんの意味があるの? 何度も何度も、懲りないなぁ」
自分で聞いた自分の声は、嘲るような声。
執拗に刺す。何度も。
まだ抵抗する。生への執着で歪んだ顔をしているのが、なぜかわかる。君の顔は見えないのに。
「もう、まだ抵抗するの? ねぇ、何回目なの?」
振り下ろす。ぐしゃり。気持ち悪い感覚は、私にとって快感。慣れた私にとって、快感。
執拗に、刺す。何度も。何度でも。
頬にぬめりとした感触。暖かい液が顔中に付着しているのがわかる。伝落ちるそれが、目に入る。
目の前が赤い。
目の前が、赤い。
ーーああ、また、何度こうしても、
「ーーっ!!」
勢いよく起き上がる。不思議とデジャヴを感じて、ああ、そういえばここは私の寝室で、夜中も同じ事があったのかと思い出した。
「もう、なんなの……」
昨日も、一昨日も、そのまた前も。
嫌な夢を見るんだ。
でも、こんなにも鮮明に手の感触と赤色が残っていて、こんなにも嫌な感覚が忘れられないのは、夜中と今、この瞬間だけだ。前まで、こんな事はなかった。
何か、悪い兆しだろうか。
ーーでも、なんの?
そこまで考えて、首を横に振った。たかが夢だ、きっと大丈夫、と。そんなことより……。
「もう7時過ぎてる!? ヤバ、遅刻するー!!」
ドタバタと騒がしい足音を立てながら、私は朝食を求めて部屋を出た。
教室に入ると、やはりというかなんというか、騒がしかった。学校なんて基本騒がしいものだ。……けど、なぜだか今日の生徒たちのざわめきは、いつもと違う気がした。
席につくと、前の席の私の友人が早速話しかけてきた。
「ねえねえ、転校生が来るって話、聞いたー?」
「え、何それ初耳! 今日来るの?」
「らしいよ。何人か見た子が居るらしいんだけど、すっごいイケメンな男子だったって! キャーッ!」
黄色い声、という奴を上げながら、彼女は言った。私はふうんと軽く相槌を打って、それを流す。
転校生。
嫌な夢の感触が消えない今、その言葉程度では私を高揚させてくれない。むしろ、どうしようもなくもやもやとした嫌な予感が纏わり付いていた。
HR。友人の言った通り、転入生が来たらしい。
先生は朝の挨拶も程々に、早速転入生の話題に入った。必然的に、教室は騒がしくなる。
「……よし。では、入れ」
それを合図に、開かれる引き戸。
少々建て付けの悪いそれは、耳障りな音を立てながら外に居る人物を招き入れた。
「ええと、俺は、×××です。どうぞよろしく」
小動物のような可愛らしい仕草で頭を下げた、転入生。目を凝らすとどうやら顔立ちは良い方らしく、だがしかし彼の放つふわふわとしたオーラのせいで随分と可愛らしい容姿に見えてしまう。
何故だか彼に見覚えがある気がして、どこで見たのだろうかと思案しながらその姿をじっと見た。
ふと、目が合って、彼は微笑んだ。
そして、
「ーーっ!?」
唐突に背中を駆け巡る、不快な悪寒。ねちょり、と嫌な感覚がして手を見ると、それは真っ赤に染まっていて、
「……臭い……」
血の匂いが、する。気持ち悪い。
吐きそう。
気持ち悪い。出して。ここから。
「きゃぁぁぁあぁ!!」
突然聞こえた甲高い悲鳴。何故だか教壇の前に立っている私。
倒れている、君。
教壇からは教室の様子がよく見える。そこは、阿鼻叫喚。
びくびくと手足の痙攣する新鮮な死体。手の切り落とされた少女が痛みに悶絶する。無傷な少年。恐怖に目を見開いて、健康な手足を動かして逃げる事など、頭にないみたい。
何時の間にか手に握られている、ナイフ。
執拗に、刺す。何度も、何度でも。
目の前が赤い。
目の前が、赤い。
ーーああ、また、何度こうしても、君はきっと、
「……て……おきて……美愛……もう、起きてったら!」
身体を誰かに揺すられている。その手を、思わず振り払った。
「……!? ……なんだ、由梨か」
「なんだって何よー。もう、転入生の紹介終わっちゃったよー? ほら、一時限目の用意してよね」
言われて、周りを見た。赤かった筈の教室は、なんの変哲もない、只の平凡な日を切り取ったワンシーンでしかない。
……どうして、教室が赤い筈だと思ったのだろう。思い出せない。
「もう、あの転入生すっごく素敵! ……って、大丈夫ー? 顔色悪いよ?」
「大丈夫。ちょっと、夢見た気がして……」
ーーきーん、こーん、かーん、こーん。
言いかけた言葉は、チャイムに掻き消された。
授業は、特筆するべき事は何も起こらず終わった。
強いて言うなら、居眠り常連の私が悪夢のお陰で眠れなかった事だろうか。
放課後。教室の中も外も生徒達の声が溢れ、騒がしい。。
「さて、帰ろうかな……」
忘れ物がないか確認しながら独り呟いた時、ふと机の中に何か入っていることに気が付いた。
「……本? ……あ、先週の」
それは、文庫本だった。読み終わってから、そのまま机に入れて置いた物だ。
期限は確か……
「……今日までだ」
私の足は、図書室へと向かって進み始めた。
今日は確か、図書室は空いている筈だ。もし閉まっていたら、国語科の先生に渡せばなんとかなるだろう。
そうだ、この本のためだけに労力を使うのも癪だし、何か借りていこうか。
進むにつれ人気の無くなっていく廊下を早足に歩きながら、そんな事を考えた。
角を右に曲がる。すると、壁で見えなかった所から図書室が現れた。引き戸は開けっ放しで、『開館中』の文字がぶら下がっている。
良かった。空いている。
国語科の先生が苦手な私は、安堵の胸を撫で下ろした。
一歩部屋に足を踏み入れた。
「……?」
開館中の割に、中は薄暗い。受付のパソコンには電源が入っているのようだが、人の気配は無かった。
部屋の奥へ入って、本棚で死角になっている所も全て確認する。
やはり、委員も利用者も居ない。
「おっかしいなぁー」
「なにが?」
突然声がして、振り向いた。
いつの間にか図書室の入口には、あの転入生が立っていた。
「君は……転入生の……」
「ねぇ、何がおかしいの?」
明るい声音。私の言葉を遮って尋ねられた言葉に、何故だか恐怖を覚えた。
「ああ、いや、なんで図書室に誰も居ないのかなー、と……」
「当たり前じゃないか。ここには、君と僕しか居ないんだから」
また、さっきと同じ明るい声。でもそれには、どこか棘がある。
「ま、まぁ……と、取り敢えず、私そろそろ帰るね」
段々寒くなってきた。彼が冷房でも付けたのだろうか?
一刻も早くそこを離れたくなり、言ってから入口に向かった。
そして、入口の所に居る彼とすれ違い様に、
どんっ。
鈍い音がした。
すれ違い様に腕を引かれ室内に引き戻されると、そのままバランスを崩し尻餅をついた。
驚いて、ぽかんと彼を見上げる。
すると、彼の後ろでドアが勢いよく閉められるのが、目に入った。
「な、何を……」
「ねぇ、」
何か言おうとして、でも考えがまとまらず言葉にならない私を遮ったのは、とても、優しい声。まるで小さな子を相手に話すように、彼は座り込んだままの私に目線を合わせようとしゃがみ込む。
そして、にっこりと微笑んだ。
「あと、何回殺されるのかな」
それは、独り言にも、私に尋ねているようにも聞こえた。
「何回、殺されたのかな」
手に、顔に、ぬめりとした生暖かい何かの感触が触れた。
「夢で殺したところで、何も変わらないんだよ」
何時の間にか、手にはナイフが握られている。
「それで、自己防衛のつもり?」
夢が、フラッシュバックした。
今日の夢。君を殺した。昨日の夢。執拗に刺した。一昨日の夢。顔も知らない誰かを刺した。その前の夢。君にーー
ーー執拗に、何度も……刺された。
何度も何度も。
怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
君を殺せば、殺される事はない。
そう考える。何度も殺す。君は何度も現れる。また殺す。
また殺す。
「一度殺した。ただそれだけ。その仕返しが百万回の死だなんて、割が会わないでしょ?」
君に押し倒された時に伝わる痛み。逆手に持ち変えられたナイフ。
「だから、これが百万回殺した罰」
抵抗して。でもそれは無駄な事で。
執拗に、刺す。何度も。何度でも。
「じゃあね、××××××××××××」
意識が遠ざかる。彼の声が聞こえない。
目の前が赤い。
目の前が、赤い。
ーーああ、また、何度こうしても、君はきっと、必ず、私を、
「ーーっは」
一気に意識が覚醒した。勢いよく身体を起こして辺りを見回すと、そこは自分の寝室だった。寝巻きは汗でぐっしょりと濡れており、気持ちが悪い。
なんだかまた眠る気がしなくて、ふと目線を上げると、君は、
ーーーーそして、目の前が赤くなった。