(7) 一方…その頃…元守護者は
・・・
俺は、今、集中している。
体の中を流れる体液。その中を漂う…因子を意識する。
俺の中にある幾つもの因子。その中から、自分が希望する働きを司る因子だけを正しく他の因子とは区別してコントロールしなければならない。
同時に、空間に偏在する要素にも意識を向ける。
実際に「力」として効果を発揮する源は要素の方だ。
しかし、その要素に、期待する効果を発揮するための性質や動きを付与するためには、しっかりと因子の働きをコントロールしなければならない。
因子を意識し…
要素を意識する。
因子…要素…要素…因子…因子…因子…要素…因子…要素…要素………
・・・
「あぁぁぁっぁぁああああああああぁぁっぁああああ!!!…だぁっ!!」
集中が限界に達し、俺は雄叫びをあげる。
「どっちも同時に集中するなんて…出来るかっ!!」
ただし、因子の能力が発動したワケではなく…集中力が途切れて癇癪を起こしただけなんだけど…。
「おぉ!…ご主人様!凄いです!…迫力だけならラサ様を上回っていましたよ?」
「…クア…頼むから『ご主人様』と呼ぶのはやめてくれ…って言ってるだろぅ…」
「?…でも、ご主人様は…もう『守護者さま』では無いんですよね?」
「…だから『様』とかいらねぇ~し!…もう、姫様たちは…いないんだから…上下関係とか意味無いんだからさ…ん~…『マモル』で良いよぉ」
そう…。もう姫様は…姫様たちは居ないのだ。
死にかけた俺のデタラメなチャレンジは、見事に姫様たちを、元の異世界へと帰すことに成功した。…俺の親父…というオマケ付きで。
クアに助けられ、何とか死なずに家まで帰り着いた俺は、姫様たちの帰還の成功と…親父の失踪の両方を同時に確認した。
クアが「気配を読む」という従者の基本スキルで確認したところによると…姫様たちの気配がこちらの世界から消えるのと同時に、俺の親父の気配も消えてしまった…とのことだ。
・・・
「う~ん。そうは言ってもぉ…ワタクシたちの世界では、主従関係は絶対なのですわん!…姫様が不在であっても…姫様の守護者様を呼び捨てになんかできないですにゃん?」
「…だから…もう、俺は『守護者』じゃないって…」
「あ、そうでした。…だから、もう『ご主人様』って呼ぶしかないじゃないですかにゃ?…ね?…ご主人様?」
「あぁぁぁぁ~ん…もうっ!…」
「モウ?…牛にゃん?」
「お前が、俺を『ご主人様』って呼ぶたびに…兄貴が生暖かい視線で俺たちの方をチラ見するんだよぉっ!!…居心地悪いから、勘弁してくれぇぃ!」
あの日。夕方からの仕事が長引いたらしく…勤め先の研究室で徹夜をしていたらしい。お陰で俺は天涯孤独にならずに済んだ。(若い女性…クア…と二人きりにならずに済んだ…とも言える。)
「…呼び名も笑えるが………さっきの雄叫び、あれは一体何だ?…マモル?」
「………手品の練習…」
「ふっ…タネも仕掛けもある手品で…俺様を驚かせようなど…10年早い…」
「いや。別に兄貴を驚かせようとかしてるワケじゃないんだけど…」
すると兄貴が、俺に向かってホチキス止めのレポートらしきものを投げてきた。
・・・
「手品の練習をするなら…そのレポートを読んで、自分の特性について良く研究するんだな。俺には、残念ながらまだ完全には理解できないが…く、クアさんなら…そのレポートの活用方法が分かるかもしれん」
「?…え、何?…これ?」
レポートは、「混沌の因子分析結果」というタイトルで、表やグラフが整然と並べられている…先日、親父がどこかの研究所で俺の体を調べた時の結果を記載した書類だった。
「…どうして、これを兄貴が?」
「ふん。親父亡き後、遺品を整理し、一族の繁栄のために尽力するのが…新たな家長となった者の務め。親父の論文やら…親父宛の封書は、全て目を通させてもらった」
「…い、いや。あの…親父、まだ死んでない…と…思うんだけど…」
「く、クアさんが…お、仰るとおり…親父が異世界へと迷い込んだのなら…もうこの世界から見れば死んだも同然だ。こっちに残した論文も、財産も…親父には使いようがないんだからな」
「まぁ。そうなんだろうけど…でも、親父のことだから…アッチで色々と暗躍してたりして…そのうち、ひょっこり帰ってくるかもしれないぜ?」
「ふん。…ならばなおさら、それまでに少しでも差を詰めて置かないと。悔しいが、異世界に関する情報量においては、間違い無く親父に負けているからな…」
兄貴が親父に対抗心を燃やしているのは、以前から気づいていたけど…どちらかというと現実派の兄貴が…異世界について真剣に知ろうとし始めるとは…ちょっと意外だ。
・・・
クアが俺の手元にあるレポートを覗き込む。
「あのぉ…ワタクシ、こちらの世界の文字は読めませんよぉ?」
「だ、大丈夫です。お、俺…いや、私がちゃんと教えて差し上げます」
あぁ…。兄貴が、異世界に興味をもったのは…そういうことか。俺は、声を裏返しながらクアの前でしどろもどろになる兄貴を見て、そう納得した。まぁ…確かにクアは綺麗というか可愛いからな。俺は…最初の出会いが…トラウマになりそうな出会いだっただけに…ちょっと…クアにそういう気持ちは持てそうもないけど。
「…俺、ちょっと走ってくる」
兄貴に気を使って…というワケではないけれど、このまま部屋の中で出来もしない因子の能力の発動訓練をしていても仕方ない。取りあえず、何をやるにも体力作りは必要だろう。そう考えて、俺はパーカーを掴んで羽織りながら家を出る。
俺についてこようとするクアを目で押しとどめ、俺はジョギング・シューズを履いて外へ飛び出す。
クアは、とても分かりやすく因子や要素、能力の使い方…技の種類などを教えてくれるけど…それでスッと能力を使えるようになるなら、今頃、俺は予備校なんて通わずに夢のキャンパス・ライフ(…古いか?)を送ってるさ。
…まぁ…要するに「煮詰まった」から、ちょっと一人になりたかったってこと。
・・・
俺は、別に勇者でもなければ、ヒーローでもない。
何処にでもいる平凡な予備校生だ。
…だから、こっちの世界で暮らす限り、因子だの、要素だの…そんなモノを使いこなせるようになる必要なんて全然ない。
しかし…親父をどうするか?
そして…俺のために、こちらの世界へ残ることになってしまったクアのこともある。
まぁ…親父は、ひょっとしたら研究対象である異世界人に囲まれて…むしろ喜んでいるという可能性が高いけど。
でも、クアは…?…心細かったりはしないのだろうか?
「…どっちにしても…タイムリミットは、長くても後2週間前後か…」
こちらの世界…地球には要素が存在しない。
しかし、異世界人がこちらに来てしばらくの間なら、微量ながらも因子の能力を使うことが可能な程度の要素が存在しているらしい。
そして、クアの情報と親父の残した論文を元に兄貴が推察したところ…その残留期間は、こちらへと転移してきた異世界人の数の2乗に比例して増えるようなんだ。
姫様たちが帰還して人数が減ったけど、あの夜、姫様たちを狙って十数人の黒装束の暗殺集団が来た。そいつらが、今、何処にいるのか分からないけど…あの夜以来、姿を消したナヴィンと共にこちらの世界に留まっているらしい…と、気配を読んだクアが断言していた。
姫様たち+暗殺集団で4週間分ぐらいだったから…その半分の約2週間。
・・・
あの夜から今日で3日目。
全身から出血し、半分以上死にかけていた俺を、クアが水系の治癒術とやらで急快復させてくれた。「死の因子」とやらで穿たれた傷に比べれば、切り傷ぐらいは簡単に治癒できてしまうらしい。全く便利な術だな。ずっと術が使えるなら、医者でも開けば繁盛するんだろうけど…。2週間後には力は消える。
(それ以前に、医師の資格とかがないと医者を開業したりは無理なんだろうけどね。)
クアが従者として非常に優秀だということは、この数日で良く分かった。少しだけ因子や要素について感じられるようになった俺から見ても、その能力がジンよりも上、ひょっとするとラサに匹敵する?…と思わせる程のものだと分かる。姫様がクアのことをいつも身近に置いていたのは、単に同じ女性だから…というワケではなかったようだ。
「…如何に従者として優秀だろうと…能力が使えなくなったら…ただの電波系な女の子に過ぎなくなっちゃうもんな…俺が、何とかしてアッチの世界へ帰してやらないとな…」
そんなことを考えながら、俺は走る。
家の周りの路地を数周走ると、体が温まってきて体の関節が軽くなってくる。
スピードを上げて、俺は路地を抜け出す。目の前は、小学校の校庭。
無意識に…いや、意識的にかもしれない…俺は、あの夜と同じルートを走る。
小学校の前の道を南に真っ直ぐ進み、それから駅の西側の街路を抜ける。
冷たい晩秋の風が、にじみ始めた汗を乾かし…心地よい。
・・・
そして…必然的に俺は、あの夜の戦いの場所、狐狼廟へと辿り着く。
仏教寺院と、その本尊を守護する神社が共存した境内。その奥。
商売繁盛を祈願する何本もの赤い旗を横目に見ながら、俺が辿り着いたその空間は昼間だというのに薄暗く、静謐な空気が漂っていた。
「…何となくだけど………やっぱりこの場所は要素の濃度が高い気がする」
俺は、木々の隙間から覗き見える空を見上げる。…あの夜、ここに何人もの異世界人が…その世界と異世界を隔てる境界を破ってこちらへと来たんだ。
この場所に、2つの世界を繋ぐ特別な何かがあるような気がして、俺は、今も満ちる要素の流れを全身で探る。
………ふぅっ。
どのぐらい、そうしていただろうか。
明らかに通常の空間とは違う。そう感じられるのに、俺の未熟な力には何やら混然とした気配しか読み取れない。
どこか1箇所。気配の特に高いような場所でもあれば…そこが異世界との「門」のような役割をしている可能性もある…と考えたんだけど…そんな簡単なものではないようだ。
「あはぁ。やっぱりココに居たですにゃん!」
後ろから声が聞こえ、振り返るとクアが…狐狼の石像の一体に跨って…足をブラブラとさせていた。
・・・
「おぅ。…あ、兄貴は?」
「ワタクシの言語読解力が余りにも低いため、ワタクシ専用の辞書を作ってくださるとか…張り切って作業に入られましたですわん」
「じ…辞書?」
「はぃい。言語によるコミュニケーションは、もっとも重要だぁ!とか気合いを入れてお見えでした!」
「…はぁ。何のために…と聴くだけ野暮かな…」
「にゃん?」
俺は、心の奥で兄貴の幸せを祈りながら…とりあえずクアに注意する。
「ってか、お前…バチが当たるぞ!?…一応、その狐狼の石像は、神様の守護者様なんだからな」
「にゃにゃっ!…しゅ、守護者様ですか!?」
クアは、慌てて狐狼の石像から飛び降りる。俺が貸してやったジャージを着ているから、スカートが…とか…見えてはいけない…が…とか…そういうコトにはならない。
でも、男物のジャージを無理矢理着ているので、体の線の出方がちょっと微妙な凹凸を生み出していて………俺は慌てて目を逸らす。
「あにゃ?…ご主人様!…こ、これは『狼』ですよ!?…どうしてココに?」
・・・
クアが、突然大きな声で俺を呼ぶ。
何か、よほど驚くことがあったらしく、落ち着き無く狐狼の石像の周りを走り回っている。やがて、自分が跨っていた狐狼から距離をとると…その背中を別の狐狼の石像にぶつけ…それから避けて…また別の狐狼にぶつかり………と、半ばパニックになっている。
「…ぷっ!…あはは…お前、ちょっとお前、落ち着けよ。何、騒いでるんだ?」
「ご、ご主人様ぁ~た、助けて下さい!…お、狼に、狼に囲まれてるですぅ~」
にゃん…とか…わん…とか言う余裕も無いほどに取り乱すクア。
だけど、最初、普通に跨ってたジャン?…どうして急に?…と俺は不思議で仕方ない。
俺がどうして良いか反応できずに固まっていると、走り回った末にやっと狐狼の石像群から抜け出したクアが、俺に向かって逃げてくる。
【どぉ~ん!】
「ぐ、ぐぁ…」
「助けて…助けて…助けてにゃん!!!」
俺の胸に飛び込んできたクアは、正面から俺に抱きつくと「助けて」を連発しながらグイグイ胸やら腰やら…カラダ全体を押しつけてくる。顔こそ見つめあってはいないが、濃厚なラブシーンも顔負けだ。オマケに俺の顔にかかるクアの髪の毛から、何とも言えないシャンプーの良い香りが………いや、ま、マズ…マズイってこれは!
・・・
「お、落ち着けって!…痛いし、マズイし、変なカンジになるだろ!?…は、離せ!…離せば分かる…」
やっとのことで、なんとかクアを落ち着かせる。「どうどうどう」と言いながら、クアの背中をさすってやる。馬相手じゃなくても、これには落ち着かせる効果があるようだ。
「…よ、よく見ろ。アレは石像だ。お前に飛びかかったり、食いついたりはしない」
「ほ、本当ですか?…ご主人様が守ってくだしゃいましゅか!?」
「よ…幼児後退するな…ますます変な気持ちになるだろ!…頼むから離れて、それで…そんなに怖がる理由を教えてくれ…」
数分後…
俺の背中に隠れるようにしながら、クアは改めて狐狼の石像を観察している。
狐狼の石像のあちらコチラを確認しながら、何やらブツブツと呟いている。そして、やがて「やっぱり間違いないですぅ」…と言ってから、俺に事情を説明しはじめた。
クアたちの世界…つまり異世界には、実は「狼」という生き物は実在しないらしい。その代わり、こちらの世界にはいない石竜子という種族の生き物がいたり、空を飛び炎を吐き出す凶暴な鳥がいたりするそうだが…。
そんな俺たちの常識からすると恐ろしげな生き物が沢山いるのに、クアは「狼」を非常に恐れている。確かに、俺たちからしても狼は怖い動物ではあるが…炎を吐き出す鳥にはかなわない気がするんだが…
・・・
狼…
クアたちの世界にあっては、架空の生物だが…その何種類か存在する架空の生物の中でも最強、最悪…の恐るべき存在だと認識されているらしい。
あちらの世界の子どもたちは、皆、祖父母から「大人の言うことをきかない悪い子どもは、夜中に銀色の獣毛に覆われた巨大な悪魔『狼』に食べられてしまう」などと、寝物語に聞かされるらしい。
クアたちの世界…基盤世界には、現在、『神』への信仰というものが遺されていない。これは、一説によると、最大最悪の巨大狼が…太古に基盤世界を創った創世神たちを、一人残らず食べてしまったからだと伝承されている。
しかも、狼の恐ろしさは、1個体ですら最強と言って間違いないのに、その習性として、十数匹で群をなして襲い来る…という大規模災害並みの暴虐さであるとされているらしい。
その辺りは、俺たち地球世界に実在する「狼」と同じ習性のようだ。
「…なるほどね。でも、偶然似ているだけじゃないのかな?…この石像は『狐狼』と言って、俺たちの世界にも実在しない…架空の生き物らしいぜ?」
「いえ!…ま、間違いありません。わ、私は、実は基盤世界において古代史研究者としての称号を持っているのですよ。ナヴィン殿のような世界の仕組みの研究ではなくて…伝説や伝承に関する古文書の分析が専門ですけど………あ…にゃん!」
「いや。無理に『にゃん』とか付けなくて良いけど…い、意外だな…」
その古代史研究者としてのクアの目でチェックしたところ、狐狼たちの特徴は、伝承にのこる基盤世界の「狼」の身体的特徴と完全に一致しているのだそうだ。
・・・
「そ、創世神たちを食べてしまった狼は、その後、全ての世界を管理する…外から来た神々たちの手によって…異界送りでどこか別の世界へと転送されてしまったとされていますのにゃん。」
「はぁ…。異界送りで…か」
「はい。これが、『創世神の黄昏』や『狼たちの追放』、『超越世界の管理者』、『異界送りの誕生』など…複数の伝説、伝承に一致して語られる歴史的事実ですにゃん!」
「じ、事実ねぇ…」
どうして伝説や伝承などの記述が一致しているというだけで…それを事実と言い切れるのか…クアの感覚は理解できないけど、まぁ、クアが「狼」を怖がる背景は理解できた。
「ふぅうん。まぁ真実は、俺には分からないけど…ひょっとすると…本当に狐狼たちとクアたちの世界の間には、何か関係があるかもしれないね」
「でしょでしょでしょ!!…信じてくれて嬉しいですにゃん!」
「いや。信じるというか…クアも感じないかな?…この場所って、他の場所より明らかに要素の匂いが濃くないか?」
俺の言葉を聞いて、クアが自分の鼻をクンクンさせる。
「なるほどにゃん。ご主人様の仰るとおりだわん!…しかも、何やら1体1体から染み出してくるような気配を感じるにゃん」
「おぉ。やっぱり!?…あ、そうか、どれか1体からってコトじゃなくて、全部がそうだから俺には気配の中心が掴めなかったんだ!」
・・・
「この『狼』様の石像は、ひょっとすると基盤の世界と繋がっているのかもしれませんわん…ここは…世界と世界の境が…常に…曖昧になっている特殊な場所なのかもしれませんにゃん」
「うん。でも、ナヴィンの話からすると…それでも、いつでも行き来できるほどでは無いみたいだったけど…。何だか、一定の周期があって…行き来しやすさが変化するらしいようなこと…言ってたよね?」
クアは、再度、自分の鼻をクンクンさせる。それから、何かを思い出すように目を寄せて首を傾げる。そして、何かに気が付いて表情を明るくする。
「うん。やっぱりそうですわん!…『狼』の伝承は、基盤世界でも銀雪の氷原国という国の一地方だけを舞台としたものばかりです。…そして、この石像様たちからは…微かですが『氷雪』の因子の匂いがするですにゃん!」
「へぇ…じゃぁ、冗談抜きに…ここは、クアを向こうの世界へ帰すための最適な場所…ってことになるのかな?」
「わん!…ご主人様…ワタクシを故郷へ帰して下さるのですか?」
「うん。…クアだって、帰りたいだろ?」
「わ、ワタクシは…い、一生、ご主人様にお仕えしても、ぜ、全然OK…むしろ嬉しいですが…ワタクシを帰そうとしてくださるご主人様のお気持ちは…嬉しいですにゃん!」
「おぅ。任しておけ!」
「…あぅ…でも…」
喜んだハズのクアの表情が、次の瞬間、微妙なものとなる。本当に表情豊かな子だ。
・・・
「…こ、これだけ『氷雪』の因子の匂いが強いと………おそらく、転送先は…銀雪の氷原国の奥地ですにゃん…」
「ん?…それって、何かマズイの?」
「氷原国は、ワタクシの祖国、白暮の石塔国から反対側の…世界で最も遠い場所にあるですにゃん!」
「…んん…むぅ」
「姫様のような詠唱者様たちであれば、術式を操って、自在に転移先をコントロールできるらしいのですが…」
「ふぬぬ…ま、まぁ…でもさ、この世界に居るのと違って、その氷原国とやらからなら、祖国へ帰る交通手段があったりするんだろう?」
頷きかけて…それから何か考えるそぶりで、微妙な笑顔を浮かべるクア。他にもまだ、何か色々と難しい事情があるようだ。
「そ、そうですね。まぁ、同じ世界の中ですから…氷原国からであれば、最悪、何ヶ月か歩き続ければ…帰れちゃいますにゃん!」
何だか無理矢理な笑顔だ。しかし、まぁ、今はその氷原国とやらでさえも、帰る方法が分からない状態だ。あれこれ俺が詮索しても意味はないだろう。
・・・
「そ、そうだ!…ご、ご主人様!…ここで因子の能力を使う練習をされたらいかがですかにゃん?」
なるほど…。これだけ濃密な要素がある場所なら…俺にでも…あの夜のように能力が使えるかもしれない。
俺は、クアに向かって頷くと、目を閉じた。
俺は、家でやったように、再び集中してみる。
体の中を流れる体液。その中を漂う…因子を意識する。
俺の中にある幾つもの因子。その中から、自分が希望する働きを司る因子だけを正しく他の因子とは区別してコントロールしなければならない。
同時に、空間に偏在する要素にも意識を向ける。
実際に「力」として効果を発揮する源は要素の方だ。
しかし、その要素に、期待する効果を発揮するための性質や動きを付与するためには、しっかりと因子の働きをコントロールしなければならない。
因子を意識し…
要素を意識する。
因子…要素…要素…因子…因子…因子…要素…因子…要素…要素………
・・・
やはり、二つに同時に集中するなんて…俺には無理なのか?…一方を意識すると、他方が疎かになり…慌てて補正すれば、逆がまた疎かになる。
くっ…俺の集中が途切れそうになったその時…
「ご主人さま。一つに集中し過ぎては駄目なのですにゃん。全身の力を抜いて、リラックスし…まずは意識を分散して…世界全体を同時に感じられるようにするといいですわん」
クアからのアドバイス。俺は、言われたとおり体から力を抜く。
そう言えば…あの夜。俺は、どうやった?…あの時、確かに俺は要素の流れを完全に自分の意のままにできる…そう思えた。あの時と同じ…同じように出来れば…
下腹…へそ下辺り…丹田と呼ばれる部分を意識して…気を練る。
やはり、丹田の一点だけでは因子と要素を同時に意識するまでの集中は難しい。
あの夜と同じように…眉間の辺りにも意識を傾ける。
巡る。巡り始める。俺の体を縦に貫き胸の辺りで捻れるように交差した要素の流れが、少しずつ太さと速さを増していく。
来た、きたきたきた。
あの夜感じた…俺の中を流れる大きなうねり。それを再び、体に感じる。
・・・
あの夜と同じプロセスを…本能に従い正確にトレースしていく。
胸の前で何かを挟むように手のひら同士を向け合う。
合掌の状態から…少しずつ間隔を開けて…やがて体の幅と同じほどの距離で手のひらを固定する。
掴んだ。
俺の中で、因子と要素が互いに共鳴しあっている。
後は、特定の因子を選び出して、そこにベクトルを与えてやれば………
しかし…そこで俺は、自分がどんな技を発動しようとしているのか…事前に何も考えていなかったことに気づく。
やべぇ…折角、この感覚を掴めたのに…次も成功するとは限らないのに…
焦れば集中が途切れてしまう。
「…姫様…」
俺は…どうしてよいか分からず…とりあえず…心の中に姫様の顔を思い浮かべる…
「マモル殿!」
幻聴だろうか…その瞬間、姫様の声が…頭の中に直接響いた気がした。
・・・
「あぁぁぁっぁぁああああああああぁぁっぁああああ!!!…だぁっ!!」
集中が限界に達し、俺は雄叫びをあげる。
姫様への言葉にできない思いが、衝動となって俺の脊髄を稲妻のように駆け巡る。
結局、俺は「何を」というイメージを持つことができぬまま、自分の体を激しく循環する要素の波動を爆発させた。
【ばおふぅぅぉぅぉうううぉぉおうううん…】
何とも表現しようのない、微妙な破裂音がして空間が歪んだ気配が広がる。
「きゃっうん!」
クアが悲鳴を上げる。
クアの隣に鎮座していた石像の一体が………消えた。
その跡には、降るはずの無い季節外れの雪の花が…舞っていた。
・・・
「はぁ…また、失敗しちゃったよ」
俺がガックリと肩を落として落胆していると、クアが石像の痕跡の辺りをキョロキョロと調べながら走り回る。
「ご、ご主人様…い、いったい…どんな因子の能力を発動したんですにゃん?」
「…え…えっと…分かんない」
「わ、ワタクシの知っているどの因子にも、こんな風に物体を消し去る技なんかありませんわん!…不思議ですにゃん?」
「あは。…ほら、俺、あらかじめどんな技を試すかを考えてなかったから…」
「それでは、ワタクシが従者の基本技術を、手取り足取り、腰取り股取り…懇切丁寧に指導して差し上げますわん!」
「あ…あぁ…そ、それが先決のようだね。帰ろっか?」
「そうですにゃん!…勝手に石像を消しちゃったから…きっと怒られちゃうですわん!」
「うわ。そ、そうだな…やばぃ。に、逃げるぞ、クア!」
「はぃ!」
まぁ…あれだけ数が多いんだ。一体ぐらいなら…バレない…と、いいなぁ…。
俺は、苦笑いしながら家へ向かって走る。
今日も、技の発動には失敗してしまった。だが…あの瞬間。一瞬感じた姫様の気配は…あれは、確かに本物だったような気がしてならなかった。
・・・