(20) 2度目の布告
・・・
「…あ…んの野郎ぉ…。ふざけたことを…恩着せがましく言いやがって…」
リックウェル殿が、私の耳にまで聞こえるほどの激しさで、ギリギリと歯ぎしりの音を軋ませる。飛空艦船のダルガバスから、二度目の通告がなされたのに腹を立てて…。
ほんの少し前まで、敵国として睨み合っていた碧色の森泉国の従者ではあるが、裏表の無いこの殿方の性格は非常に好感が持てるものだ。
このデルタ村の民たちも、リックウェル殿からしてみれば銀雪の氷原国という敵対国の民であるのだが、この方は、心の底から村人たちの受けた仕打ちに立腹をしているのだ。
私の務めはニューラ姫付きの独立第二小隊の隊長だ。
だから、もし、あの飛行する艦船が何らかの攻撃をしかけてくるようなことがあれば、村人よりも姫様を優先してお守りしなければならない。
村の3分の1を、たった1撃で燃やすような相手を前に、どれだけの意味があるかは分からないけれど、今も、姫様の前に、この身を盾とするために立っている。
だから、必死で村人たちの安全を願い、知恵を絞るリックウェル殿の懸命な働きを、ただ黙って見ているしかない。
私は、心の中で、リックウェル殿のために祈る。彼が、村を守る良き方策を思いつけますように…と。
・・・
「ウォラ。…私はよい。お前も、クアと共に村人たちの盾となってやってくれ…」
姫様が、私の心の裡をお読みになったかのように、私の肩を押す。
私たち従者…軍属に身を置く者は、元々、戦う力の無い市井の民を守ることを、第一の義務として教え込まれている。
だから、無意識にでも、村人たちを守らなければ…という気持ちが、どこか行動に表れてしまったのだろうか?
「…し、しかし…姫様。私の使命は…」
「弱き民を守ること。…なのではないのか?…私は、お前やクアほどでは無いが、従者としての能力も使える。父王が亡くなるまでは、ラサの厳しい指導を受けて、有事の時には、王族として自国の民を守ることができるだけの力を身につけるべく、相応の努力もしてきたのだ…」
「…は、はい。そ、それは存じ上げております。姫様は…十分なお力をお持ちです」
「うん。ありがとう。お前のような強者に認めてもらえて、私は嬉しい。だから、ウォラ。私は、自分の身は自分で守る。…だから、お前は、私付けの小隊の長として…ではなく、ただの従者として、その義務を果たしてくれ。命令だ…と思ってくれてもよい」
姫様は、静かに…二つの義務の間で揺れ動く私の心を見抜いた上で…教え諭すように私に語り、そして、もう一度私の肩を押す。
いや。押されたのは、肩ではない。どうすべきか迷っていた…私の背中を押してくださったのだ。
私は、姫様の決して強くない腕の力に押されるままに、村人たちの方へと移動した。
・・・
その私の抜けた位置に、まるで私の役目を引き継ぎでもするかのように、やや小柄な人影が滑り込む。
本来ならば、得たいの知れない者が、姫様に近づこうとするのを止めるのが私の仕事であり、そのような行動を許すことなど有り得ないのだが、その人影の…あまりに自然で力みのない体運びに、私はその人影が姫様の前に立つまで気が付くことが出来なかった。
その人影。姉様が連れてきた表情の乏しい男は、確か…ジウ…と名乗っていた。
私は、一瞬、姫様の元へ戻り、その男が万が一にも姫様に危害を加えないよう牽制すべきか…と考えた。
しかし、彼は、私よりも勘が鋭く人物を見る目にも優れたクア姉様が連れてきた者だ。
そして、私自身も、どうしてもその男に対して危険さを感じとることができず、結局は、そのまま村人の盾となる位置へと移動し、横目でその男の行動を見守ることにした。
「…お前は?」
「私は、従者…ではありませんので…大勢の村人を守るほどの力は持っていません。ですから、ここで貴女と共に…大人しく自分の身だけを守らせてもらいましょう。…ただ、一人よりも二人の方が、いざという時、力を合わせて対処できるでしょう?」
どう見ても姫様を守るような位置に立ちながら、その男…ジウ殿は、姫様が駄目だと言えないような言い訳を、すらすらと答えてみせる。
不思議な男だ。…だが、危険な空気はまとっていない。
私は、本来、自分がすべき役割を、彼に託しても問題ないと判断し、新しい役割に専念することにした。気持ちを切替えて、飛空艦船を見上げる。
・・・
『…だが、私も鬼ではない。君たちの心情は十分に理解できる。自らの属する国を替える。その決断を下すということは、君たちにとって容易ではないのだろう?』
上空に浮かぶ巨大な黒い影…その横に、どういう技を用いているのか分からないが、上半身だけが空間に映し出された巨大なダルガバスが、自分の言葉に酔っているかのような表情で、声を上ずらせて演説をぶっていた。
そして、リックウェル殿が評したように、恩着せがましい物言いで、いかにも自分は温情に満ちた広い心を持っている…と強調するかのように語り続けている。
『しかし、君たちは誤解をしているのだ。私は、我が国が、この基盤世界第8番目の国家として、既存の7カ国と対等に渡り合えるだけの力を持っていることを示すために、やむを得ず村の一部を焼かせてもらったが…君たちを、圧政をもって締め付ける意思はない…』
肩を寄せ合い、寒さを凌ぎながら上方を仰ぎ見る村人たち。
ある者は、憎しみを込めた目で睨み。ある者は、不安げに瞳を揺らす。
家族や愛する者同士は、手を取り合って、或いは互いに抱きしめ合って、氷雪の寒さと…理不尽な仕打ちに耐えている。
『…我が国の民となってくれるのであれば、必要最小限の生産能力の提供と引き替えに、未来永劫、この村が他国から侵されることのないように守ること約束する。私は、ちゃんと知っているぞ?…この地が、森泉国と氷原国の2国の勝手な都合によって、度々、戦火に包まれ、その属する国を替えてきたという歴史を…』
・・・
そう言ったダルガバスの言葉が、ほんの一瞬、途切れたその隙間に、ジストン殿が「フンっ…勝手な都合で村を燃やしたのは、お前さんも一緒だろう!?」…と、鼻を鳴らしながら見事な合いの手を入れる。
「…村の3分の1を布告もせずに一瞬で燃やすなんてマネをしない分だけ、その2国の方がずっと増しだ」
「おぅ。良く言った!…ジストン。お前でも、そんな乱暴な口をきくことができるんだな。構わねぇから、どんどん言ってやれ!」
「…あんな鬼畜相手なら、どんな乱暴な言葉だって吐いてみせますよ。ただ、どうせ相手には聞こえないでしょうから…リックウェルさんが構わない…とか言わなくても、そもそもアチラさんには構ってもらえないでしょうけどね…」
「がははは。そりゃ、そうだ。…だったら、皆も言いたい放題、我慢せずにあの浮いてるデカい奴に向かって言わなきゃ損だな。よし、皆もどんどん言ってやれ!」
案外と皮肉屋のツッコミ体質とみえるジストン殿の顔を嬉しそうに見ながら、リックウェル殿が大きな声で賞賛の声を上げる。
村の運命がかかった深刻な状況ではあるが、二人の賑やかな掛け合いに、村人の強ばった面持ちは、僅かながらほころんだように見える。
村人の何人かは、「そうだ、そうだ!勝手なのはお前だろ!」、「偉そうなことを言うなら、ご自慢の圧倒的な力とやらで、村を元通りにしてみせろ!」などと、見上げた黒い固まりに向かって叫んでいる。
その俄なざわめきの中には、小さな少年、少女…リュイスとステラ…の、まだ幼い声も混じって聞こえる。あの子どもたちも、もう泣きべそをかいてはいない。
・・・
しかし、勝手なダルガバスの…くだらない演説は続く。
『その都度、さぞや辛い選択を強いられてきたのだろうな…。私は心が痛い。そのような選択を、私自身が君たちに強いているという…この現状に…私は心を痛めている』
「…なら、さっさと土下座して、帰りやがれ!」
「「「「「 そうだ、そうだ!! 」」」」」
ジストン殿が吐き捨てるように呟くと、それを聞いた村人が同意の声を上げる。
それが聞こえないダルガバスは、自分がそんな風に罵倒されているなどとはつゆも知らず、鼻の穴を広げて偉そうな演説を続ける。
『…だが…それも今回が最後だ。我がマッドガルデンの力は見ただろう?…この圧倒的な戦力を持ってして他国に睨みを利かせ、以後、二度と君たちが辛き選択を強いられることの無きようにする…と、そう約束しようではないか!」
「お前の約束なんて、アテになるか!!…だいたい、今回だってその2国が黙っているわきゃないだろ!?」
「…だよな。ジストン。お前もそう考えるか。…だとすると、そろそろ…氷原国の偵察従者隊の1人や2人ぐらい到着する頃合いだと思うんだが…」
ジストン殿の言葉を受けた、このリックウェル殿の予想は、そう時をあけずに当たることになる。
・・・
『…何度も言うようだが、私は鬼ではない。間も無く、この地も光の刻が終わりを告げ、闇の刻へと遷っていく頃合いだ。この雪の舞い散る寒空の下で、次の光の刻まで…暗く冷たい闇の刻を過ごせなどと言う気はない』
ダルガバスの言葉に、私も天蓋の色に目を向けた。その言葉どおり、光の刻の終わりを告げる紅緋の刻から深緋の刻へと遷り変わりつつある。
あの巨大な艦船が、天蓋からの光を遮っているため、本来よりもずっと暗く感じる。
…確かに。吐く息の白さが増してきている。
この村の者は寒さへの耐性も高く、身につけている服も防寒具であるからまだ我慢できているようだが、金属製の白鎧を身につけた、我が独立第二小隊の面々は、因子の能力を微かに働かせて、それぞれの得意な技を持って、寒さを防がなければならなくなっていた。
『…闇の刻の間、君たちが村へ戻り、屋内で暖をとりながら話し合い、体を休めることができるように配慮しようではないか。何、心配することはない。我が国は、どの国よりも人道を重んじるのだ。闇の刻の間は、絶対に攻撃をすることは無い…そう誓おう』
思いがけないダルガバスの配慮の言葉。
このまま、屋外で闇の刻を過ごさなければならないのではないか…と不安を感じていた村人たちの間に、微かな期待と…同時に、新たな不安が広がる。
村へ戻れ、暖を取ることができる…という期待。その一方で、戻った途端に、今度こそ自分たちごと、村を焼き尽くされるのではないか…という不安。というか…疑念。
・・・
『何?…闇の刻の間だけでは、結論が出せぬかね?…うむ、そうだろう、そうだろう。重要な選択だ。たった1周刻やそこらで結論を出せというのは酷というものだ。よし、わかった。私が気の長い男で、君たちは幸運だった。3周刻…そう、3周刻もあれば…十分だろう?…君たちには、それだけの時間を与えよう』
ダルガバスは、村人たちが何も言っていないのに、まるで村人たちと会話でもしているかのような…下手な一人芝居を交えつつ、相変わらずの恩着せがましさで、3周刻の猶予を与えるという、一方的な通告をしてきた。
図らずも…間違いなく、こちらの声がダルガバスに届いていない…ということが判明したわけだが………では、こちらの結論が出たとして…どうやって、我々はダルガバスにその結論を伝えたら良いのだろう?
『もちろん。その間に、我が国民となるとの結論に至れば、いつでも申し出るが良い。3周刻を待たずとも、私はいつでも君たちを心から歓迎する』
「…なぁ?…ジストン。あのオッサン…あんなことを言っているが、よく考えたら、俺たちは…どうやって、あのオッサンに…その申し出とやらをしたら良いんだ?」
リックウェル殿は、私と同じ疑問に気が付いたようで、ジストン殿に訊いている。
ジストン殿は、大げさな身振りで両手を体の左右、胸の高さあたりに広げて見せて、戯けたように答える。
「さぁ?…私に訊かないで下さいよ。いっそ…人文字でも作ってみますか?」
・・・
ジストン殿の…おそらくは冗談だろう…発言に、当然のことながら笑った者は一人もおらず、皆、困惑した表情を浮かべて上空を仰ぐ。
そうなのだ。
徹底的に、反抗する態度を貫くにしても…また、仮に、ダルガバスの軍門に下る選択を取るにしても…いずれにしても、その意思を相手に伝える方法が、提示されていない。
ダルガバス自身は、そのことに気づいているのだろうか?
後から来た私たちが…それを知らぬのは仕方ないとしても、事の始めから推移を見守っているというリックウェル殿やジストン殿までもが知らぬということは、そもそも、最初の布告の段階でも、ダルガバスは…その方法を示していない…ということだ。
もしかして…その肝心なことの欠落に…ダルガバスは気づいていない?
俄に巻き起こった、こちら側の困惑を知ることもなく、ダルガバスは…一方的で勝手な通告を、どんどんと続けていく。
『だが、君たちが、一度見ただけでは…我が国の力を理解できなかった…というおそれもある。ひょっとしたら、あのような力は、一度しか使えないのではないか?…などと勘違いしている者もいるだろう。…だから、私は考えた…』
嫌な予感がする。
あのダルガバスという男は、自分では頭が良いと思っているようだが…肝心なところが見事に抜け落ちているところからして…ろくな事を考えそうにない。
・・・
『1周刻の内で、もっとも温かく明るい…白の刻。うむ。毎周刻、各白の刻ちょうどに、我が国の力を再び示そう。あぁ…いや。心配するな。先ほどの光の攻撃ほどの威力では、君たちを傷つけてしまうかもしれないからな…以後の攻撃は、もう少し威力を押さえたものとする』
やはり…そう来たか。嫌な予感は直後に現実として耳に届いた。
3周刻もの考える猶予を与える…という意外な度量の大きさを見せたと、少しだけ感心していたのだが、案の定、黙って3周刻待つ気はなかったようだ。
『最初の1回は、先ほどと同じ村の東側区域。次は、村の西側区域…。そして、最後の一度は、村の中央部に向けて、我が力を放つ。…分かるかね?…つまり、3度目の攻撃で、君たちは住む場所を全て失ってしまう…というワケだ』
「…何が…『…というワケだ』…だ。馬鹿野郎が。こちからの返答の仕方も…示してねぇくせに。結局、てめぇは、自分の武力を誇示したいだけだろうが」
「えぇ。そうに違いありませんね。…というか…奴の目的は、どちらかというと、あれが持つ武力を、試してみたい…という子供染みたもののように思えてなりません」
リックウェル殿のついた悪態に、ジストン殿が同意する。
私も、二人の意見が正しいように思う。
この村を、生産拠点として確保したいというのは嘘ではないのだろうが、ダルガバスの感心事は、それよりも、アレの持つ武力を色々と試してみたいだけ…なようにみえる。
誰か…あの愚か者に忠言する家臣は、あのマッドガルデンとやらに居ないのだろうか?
・・・
村に帰ることができる…という微かな期待を抱いていた村人たち。
そして、村ごと焼かれてしまうのではないかとの不安と疑念を抱いていた村人たち。
結局、後者の…不安が現実として提示され、村人たちは失意の声を上げてざわめいている。前者がぬか喜びであると判明したため、よけいに失意は大きいようだ。当然だろう、いつ攻撃をうけるか…という時間が予告されているといっても、攻撃の対象となっている場所で、ゆっくりと寛げる者がいるワケがない。
村へは戻りたい。しかし、その村は、次の光の刻…その最も明るい白の刻には、再び攻撃にさらされる。どうして良いか分からない村人たちは、オロオロとするばかりだ。
『できれば、私は…そのような悲しい事にはしたくない。君たちが、ぜひ3度目の攻撃より前までに…我が国民となる決意を表明してくれることを望む』
「…だから、その決意の表明方法を、教えやがれってんだよ!!」
村人の意見を代弁して、リックウェル殿が怒鳴る。
『…そのような事態となることは無いと思うが…もし、3度目の攻撃の後、最終期限の闇の刻を迎えてしまった…その時には、残念ながら君たちを敵とみなし、さきほどと同じ光による攻撃を再びしなければならない。そして、我が国の総力を持って、君たちを制圧せざるを得なくなる…』
まさか…始めから、最終的な制圧を行うと決めているのだろうか?
我々へ与えた猶予は、人道的な配慮をしたという…口実を作るためなのか?まさか?
・・・
『…これは、脅しではない。君たちを怖がらせることが目的ではない。君たちが難しい選択への答えを出しやすいように、具体的で明確な期限を設定してやっているのだ。繰り返すが、私が君たちに与える猶予は、3周刻だ…では、君たちが賢明な選択を、早期にしてくれることを期待しているよ…以上だ』
結局、リックウェル殿の渾身の叫びはダルガバスの耳に届くことはなく、上空に映し出された巨大な半身は、その一瞬後、幻の如く…何も無かったように消失した。
「姫様ぁ~。あのお馬鹿しゃんは、こっちがどうやって答えを伝えればいいのか指定し忘れていますわん!…アレだけ高い位置にあると…音声は届かないですし…」
「うむ。…村長に問うのだが…、この地方では、音声の届かない離れた場所同士での情報伝達手段のようなものが…共通認識として存在したりするのだろうか?」
「いいえ…狭い区域に存在する小さな村ですので…」
姉様の言葉をうけて姫様が村長に問うが、村長は困った顔つきで首を横に振る。
他の村人へと村長の視線は向けられるが、誰も心当たりのある者はいないようだ。
私たち独立第二小隊が氷原王から借り受けてきた氷翼竜の背に使者を乗せて可能な限りの高度まで上昇し、そこから大声で呼びかけてみるか?…もしくは何らかの技で合図を送るか?
しかし、その接近する行為や技の行使が敵対行為と誤解され、あの強力な武力の行使の目標物とされてはかなわない。
思いついた案を、姫様に提案すべきかどうか、私が思い悩んでいると…
・・・
「…お困りの様子ですね。私が、ひょっとしたら、お力になれるかもしれませんが…口出しを許していただけますか?」
姉様が村から連れてきたジウ殿が、全く表情を変えることなく…しかし、それでいて、失礼さを全く感じさせることのない丁寧な口調で、姫様に申し出る。
何を考えているのか、全く考えの読めないジウ殿。
ダルガバスの長い演説の間、ほとんど声を出すこともなく、それどころか、身じろぎ一つもしなかった彼の突然の申し出に、姫様は少し驚いたような表情をされたが、すぐにゆっくりと頷いた。
「…どうも。お許しいただき、ありがとうございます。…ところで、この中に遠距離の因子通信を操れる方は、お見えになりますか?」
「………因子通信か…」
ジウ殿の言葉を、微かな期待を込めた表情で聴いていた姫様だったが、発言を聴き終えて…落胆とは言わないまでも、やや微妙な表情となる。
確かに、遠距離の因子通信なら届くかもしれない。
しかし、それが可能なら…とっくの昔にやっているのだ。姫様はもちろん、私たち従者もそのぐらいのことは、すぐに考えつく。しかし、あの高さにまで届くような遠距離通信ができる能力者は、ここにはいないのだ。
リックウェル殿やジストン殿も、それについては同じらしく、首を横に振っている。
・・・
もし、それだけの遠距離通信が出来たなら、そもそも姫様とラサ様は、我が白暮の石塔国へと連絡を取っていることだろう。
そもそも、石塔国には、因子通信が得意な従者自体がほとんどいない。
おそらく、ラサ様やクア姉様ほどの優れた従者でも、短距離通信が出来るかどうか…というところではないだろうか。
「ふむ。それは…不思議ですね。デルタ村が、氷原国の支配下にあるのであれば、王政府への報告や、王政府からの指示を受けるために、遠距離の因子通信が可能な者がいるはずだと予想したのですが…」
「あ…そ、そういう事なら…わ、ワシがその役目を負っておるのじゃが…」
ジウ殿の呟きに、おそらくは村の長老と思われるご老体が、他の村人たちの背中を縫うようにして前へ進み出る。
かなりの高齢ではあるが、おそらく昔はかなりの技の使い手だったのだろう。その眼光は、今も鋭い輝きを放っている。
「…それには、村へ戻って、中央広場にある儀式場の『アスタロスの窓』を使わねぇとならぬのじゃよ」
「アスタロス…あぁ…なるほど…」
「それにアレは、どこへ繋ぐ…とか、そういうことを…ワシ等には自由にできんのじゃ。決められた時期の決められた刻に、氷原王政府のお役人と話ができるだけなんじゃ…」
ジウ殿が、何を期待しているのか察し、しかし、それが無理であるとご老体は言った。
・・・
その言葉を聴いて、ジウ殿は、しばらく思案するように小さく独り言を呟いている。
「…あぁ。そうか。今すぐアレに意思表示をする必要はないんでしたね。ならば、私が規約違反を犯してまで………をする必要は……。ふむ。この接近する気配は…無…か。それから…王軍も動いている…闇の刻前には…では、取りあえず村へ…」
「我々のために、必死に知恵を絞ってくれることには…十分、感謝しよう。しかし、出来ぬものは仕方がないのだ…」
引っ込みが付かなくなったのではないか…と心配した姫様が、ジウ殿を気遣う。
だが、ジウ殿は表情を変えぬままに、姫様に言った。
「いえ。元々、私が何かをしようと考えているのではありません。私が力になれるのは、お知恵をお貸しすることだけ…です。今、考えがまとまりました。上のアレ。えっと…ダルガバス…でしたか…彼に返答する方法については、心配する必要はありません」
「…心配する必要はない?…方法が無いのにか?」
「はい。今すぐ、返答しなければ攻撃される…というのであれば…何とかしないとなりませんが…しかし、少なくとも明日の光の刻を迎えるまでは、猶予があります…」
「…そのとおりだが…しかし、その事すらも、本当に信じて良いものかどうか」
何の事前通告もなしに、いきなり村を燃やしたダルガバスの言うことなのだ。明日の光の刻までは攻撃しない…と言ったところで、その約束が果たして本当に守られる保証があるのか信用ができない。姫様の疑念は、私も、そして村人たちにも共通の思いだった。
村に戻りたい想いを抱えながら、その不安に村人たちは身動きできずにいる。
・・・
「…私には、少しだけ勘の鋭いところがありまして。信じていただけるかどうか分かりませんが、我々が村へ戻った直後、そこに無の技を使う者たちが戻ってきます。そして、その後すぐに、氷原王の命を受けた先行部隊が来るはずです。もう…かなり近くまで来ているようですから…間も無く気配を感じられることでしょう」
「無の技を使う者たち…?………はっ!…ひょっとして…狼たちか?」
心当たりが有りすぎる特徴の者たちの事が話題にあがり、姫様が驚いたように聴き返す。
私も、ジウ殿の言葉を、驚きをもって聴いた。ただ、私が気になったのは「無の技」という部分ではなく、その後の「戻って来る」という部分だ。
「あ…確かに、そろそろ兄さんたちの帰ってくる頃だ!」
「…でも、おじさんたち…無の技…なんていうの…使えるの?」
ステラとリュイスが、思い当たることがあるらしく声を上げる。
どうやら、この村の住人で、現在、ここには居ない者たちがいるらしい。
ジウ殿は、姫様の問いに答えることなく、その先を続ける。
「その者たちも、遠隔通信ができるわけではありませんが…そういった援軍…のような者たちが、続々と村へと集まってくる様子は、ダルガバスから見れば、敵対の意思表示と受け取られかねません…そこで…」
ジウ殿は、「失礼…」と断ってから姫様の耳元に、その口を近づけて…何かを小声で伝える。姫様は、少し戸惑いながらも、小さく頷きながら話を聞いている。
・・・
「…うむ。うむ。…うむむ。…うん。よし。分かった。信じよう」
ジウ殿が話を終え、姫様の耳元から口を離す。
姫様は、少しだけ頬を染めているが、呼吸を整えると村人たちの方を振り返って、大きな声で呼びかけた。
「今。このジウ殿が、私に知恵を授けてくれた。今は詳しい話をしている時間はないが、ジウ殿の話は、参考とすべき内容が多いと私は感じた。皆、村へ戻ろう。ダルガバスがいつ攻撃を再開するか、皆が不安であることは私もよく理解している。しかし、このまま、ここに居ても凍えるだけだ。子どもや老人…それに身重な者には辛かろう…」
確かに…。鈍い私は全く気づくことがなかったが、妊婦と思われるご婦人も何名かみえるようだ。さすが、姫様。細やかな配慮がおできになる。
「村へ戻ろう。私を信じてくれ。どうやらステラやリュイスには、心当たりがあるようだが、無の技を持つ者たちが帰ってくれば、不意の攻撃からも村は守られる。そして、氷原王に助けを求め、あのダルガバスに苦い思いをさせてやれる。そうだな?ジウ殿」
「はい。この世界では、あのような環境を破壊するような行為を行う者は…決して許されません。ダルガバスが何故、3周刻もの猶予を与えると言ったのかはわかりませんが、それだけの時間があれば、世界をあるべき状態に守ろうとする力が…全て、村人たちのために、ここに集結されることでしょう…」
「聴いただろう!…ダルガバスに正義はない。この世界は、あのような振る舞いを許すようには出来ていない。さぁ。村へ戻ろう。それが、反撃の第一歩となる!」
・・・
姫様は、村人たちの方へと体を向け、自信にあふれた態度と口調で呼びかける。
村人たちには、もちろん不安がある。
しかし、姫様は、不思議と村人たちから信頼されているようで、村長をはじめ、村人たちは、家族や仲間同士で意見を交わしあい、そしてそれぞれに姫様に向いて深く頷いた。
ジウ殿は、その間、姫様の少し後方に、見守るように付き従い無表情のまま佇んでいる。
彼は、色々と考えがあるようだが、自分が前面に立って何かを指示しようという気はないようだ。
不思議なことに、誰もジウ殿の方を見ていない。
・・・
…はて?…何故、私はジウ殿の方を見ているのだろう。
いけない、いけない。姫様が、せっかく陣頭指揮を執って下さっているのに、家臣である我々がボーッとしている暇はないのだ。
私は、すぐさま独立第2小隊の面々に、村人たちを守りながら村へと向かうよう指示を出す。そして、私たちは全員、無事に村へと入る。暖かな村へ…。
すると、ほぼ時を同じくして村に入った特殊傭兵部隊“狼”たちと再開し、また、氷原国の王軍先行舞台とも合流する。ラサ殿たち独立第1小隊も無事、村へ辿り着き…
そうして村で過ごす闇の刻が終わり、次の光の刻が訪れ…村は再び炎に包まれた。
・・・
・・・
【銀雪の氷原国】フルィスケルツリン
・・・
「何故…動かない?」
目を閉じ、右手の中指で自らの眉間をトントンと叩く。
物事を深く考えようとする時の私の癖だ。
「ファーマスの奴は、何を考えている?」
私の疑問形の言葉に、しかし、私の侍従たちも、家臣たちも、誰一人として答えようとするものはいない。
だが、それで良いのだ。私は、私の中の思考をする仮想の私と対話しているのだから。
もしも、間抜けにも私の問いに答え、私の思考に水を差すような者があれば…それは、私の侍従でもなければ家臣でもないということになる。
実際、かつて間抜けな他国の間諜を、それにより見抜いたことがあったな。
おっと…。いけない、いけない。
私としたことが、意味の無い、無価値な思考に捕らわれてしまったようだ。
「ファーマスは、私の指し手の意味が理解できないのか?」
いや。いけ好かない奴ではあるが、奴は馬鹿ではない。
それに、今回は、出来るだけ分かりやすい手を選んで駒を進めているのだ。
・・・
「それとも、私の指し手の…その先が読めぬのか?」
ははは。それこそ、あり得ぬな。
ファーマスの奴は、どちらかと言えば先を読みすぎて墓穴を掘るタイプの奴だ。
だから、今回も、わざと奴が先読みしやすい…あからさまな戦術を採っているのだ。
では…
「何故、動かぬのだ?」
目を開き、侍従や家臣の顔を一人一人眺めやる。
そこに、答えがあるはずもなく、私は再び目を閉じ、右手の中指で自らの眉間をトントンと叩く。
トントン。
トントン。
トントン…トントン…トンと…
!!
「…もしや!?」
そうか。そうなのか?…いや。そうだ。それが最も、事実と符合する。
ファーマスの奴は、またしても…不在なのだ。
「はははははは。彼奴め、何処へ隠れているのやら…」
そう考えれば、碧色の森泉国側の動きの鈍さは、納得ができる。
ダルガバスとやらが宰相を務めていた僅かな期間、つまりファーマスが幽閉されていたらしい…今より少し前の期間も…思えば、今と同様に森泉国の動きは鈍かった。
・・・
さて…では、ファーマスが不在という前提で、行動の微修正をしようではないか。
「よし。四大従者を呼べ」
我が侍従たちは、私の言葉が指示であるのか、自問の言葉であるのかを瞬時に、かつ、性格に聞き分けることができる。
私の言葉は直ちに四大従者たちに伝わり、程なく4人が現れる。
「方針の変更を行う。理由は、ファーマスが不在である可能性が窺われるからである。先読み癖のある彼奴の好みに合わせた戦術を採っていたが、今後は、より明確に意図を表示する戦術を採るものとする。委細は君たちに任せる。何か質問は?」
四大従者たちは優秀な我が従者の中でも、ずば抜けて明晰な頭脳を持つ者ばかりだ。
理由まで伝えてやったのだから意図を理解して対応できないようでは困るが…期待通り、彼らは誰一人として私の意図が読めなかった者はなく、質問の声は上がらない。
「ふ。頼もしいな。…だが、抜かるなよ。あの飛行する要塞のようなモノ。アレは、ダルガバスなどという愚物が操っているから良いようなものだが…あの村の3分の1を一撃で炎上させる破壊力は、ハッキリ言って脅威だ。我が国の歴史上最大の危機だといっても過言では無い。君たちの働きに、我が国と国民の未来がかかっているのだ。心して自らの義務を果たして欲しい。君たちの最善を尽くせ。以上だ。」
私の言葉に深く頷くと、四大従者たちは皆、迅速に行動を開始した。
・・・
「ところで、デルタ村の方はどうなっている?」
全ての指示を出し終え、私は事の中心地となっているデルタ村の様子を尋ねる。
私の質問に間髪開けずに、銀の鏡が目の前に浮かび、そこに村の像を結ぶ。
「…なんだ?…これは?」
私は、思わず映像に身を乗り出してしまった。
映像の中では、あのマッドガルデンと称する飛行国家の下腹部から、三本に分かれた枝のような物が突き出て、村に向かって何か光のような粒を振り散らしている。
やがて、思う存分に光の粒を振り散らして満足したかのように、その三本に分かれた枝は下腹部へと引き込められて姿を消す。
当然、そのような攻撃に晒された村は…
明々と炎に包まれている。
不思議と…煙はあまり立ち昇ってはいないようだが…
「…狼どもは…間に合わなかったのか?…アレでは、村人たちは…」
私は、守るべき民を…みすみすとあの炎の犠牲としてしまったことに…心が傷んだ。
「おのれ…。ダルガバスめ…。許さんぞ…」
私は、自分らしくないと知りながら、立ち上がって銀の鏡の前で拳を握り締めた…。
・・・
次回、「氷原王の戦術<2>(仮題)」へ、続く




