(16) アキラ、ファーマス…そしてナヴィン
基盤世界の混乱の中
今回は、地球世界に残された連中の話…です。
説明が長くてくどい…とまた言われそうですね。ごめんなさい。
適当に流し読みしたり、読み飛ばしてください。
・・・
おそらく…「考える」という言葉の意味が、我々のイメージするものと、彼ら一握りの「天才」たちとでは全く異なるのだろう。
我々が「考える」という言葉を思うとき、それは「答えに至るまでのプロセス」として、ある程度の時間の経過を伴う作業としてイメージされる。
「いや。自分はそうは思わない」…と言う人もいるだろう。そういう人は、我々…には含まれない…おそらくは一握りの「天才」か…単なるへそ曲がりか…。
とにかく彼ら一握りの「天才」にとって、「考える」という言葉は作業を意味しない。
彼らの中には、常に「ひらめき」に至る直前のピースが幾つも揺らめいていて、ある時にふと、そのピースのうちの幾つかが組み合わさり「答え」として出力されてくる。
だから彼らにとっては、「考える」という言葉は常に過去形…「考えた」という表現でしか使われないのかもしれない。「答え」が出た瞬間が「考え…」であって、それを語る時にはもう、その瞬間は過去へと過ぎ去っているのだから。
そういう意味で、あの男…あの悪魔のような研究者は、紛れもなく「天才」なのだろう。
そして、俺の前に無防備な背中を晒す…この男も。
「…起きたのか」
後ろを振り返ることなく、あの男の息子である…この男は俺に言葉を投げてくる。
気づかれないようなら、背後から拘束してやろうと思ったのに…。
・・・
「お前は…俺たちのことを、どこまで知っている?」
俺は、失敗に終わった不意打ちを諦めて、情報戦へと移行することにした。
相手と会話し、相手からより多くの情報を引き出す。と、同時に、相手には出来るだけ情報を与えず、あわよくば誤解させ、間違った情報へと導く。
さらに上手く会話を誘導できれば…暗示を掛けることもできる。
「なるほど…。つまり、ファーマス。貴様は『俺がどこまで知っているか』…を知らないというワケだ。フフフ…」
これだから、コイツ等は嫌なんだ。
基本的に、この男も、そしてその父親であるあの男も、いつでも上から目線だ。
そして、絶対に後手に回ることがない。まともに会話するのは得策では無い。俺は、この男…アキラの挑発には乗らず、最初の問いへの答えが返るのを黙って待つ。
「…まだ…横になっていた方が…良いんじゃないのか?…そんなに警戒しなくとも、俺は貴様にも、マルルィア嬢にも危害を加えるつもりはない」
予想外の言葉。悪魔の息子アキラから俺たちを気遣う言葉が掛けられる。
俺を油断させるためか?…しかし、文字通り満身創痍の状態の俺やマルルィアに対して、そのような回りくどい方法で油断を誘うことに何の意味があるのか。
…となると、アキラが俺に掛けた今の言葉は…本心からの気遣いなのか?
・・・
「俺は、親父ほどには…お前たちのことを知っているわけじゃない。…せいぜいが、お前たちが異世界から来た…ということと、俺たちこっちの世界の人間には無い、特殊な能力を持っている…ということぐらいだ…まぁ…もっとも…」
アキラは、それでも警戒を解かない俺に苦笑しながら、回転する椅子に座ったまま、こちらへと体を向け、最初の問いへの答えを返す。
その手には、何冊かの書物のようなものを持っており、その一番上の一冊をペラペラと捲りながら言葉を続ける。
「ここに、俺の親父が遺した、幾つかの論文とレポートがある。俺の知識…というわけではないが、これらには貴様たち異世界人についての…様々な研究成果が書かれている…その中に…」
「俺とマルルィアについての記述も…あるというワケか?」
「…まぁ。何処まで本当のコトなのか…という感想だが…我が親父ながら悪魔よりも酷い…まさに鬼畜の所行だな」
「何が…書かれているのか分からないが…アキラ。お前のその感想を聞けば、そこに書かれていることが真実だと分かる…その悪魔の息子であるお前に、俺たちが警戒を抱かずにいられると…思うか?」
ぱたん…と書物を閉じて、再び椅子を回転させて背中を見せるアキラ。
「思わない。…だが、お前には因子の能力とやらがあるのだろう?…本当に俺を敵と思うなら…さっさと、それで攻撃してくれば良い」
・・・
そういうアキラの背中は、確かに隙だらけだ。
不健康…というほどではないが、それほどに鍛えられている…という体でもない。
気配を読む能力は高いようだが、今、椅子に座っている状態を見る限り、その身の重心の置き方や足や手の配置は、俺が襲いかかった場合に即座に対応できるというような研ぎ澄まされたものは何も無い。
信じることは出来ない。奴の父親が俺たちの心に刻んだ傷は、多少のことで消えることのない程に深い。だから、アキラを信じることは…今は…まだ出来ないが…
「俺たちが、ここへ来てから…どのぐらい経った?」
アキラが俺たちを害そうという気であれば、もう既に俺たちは生きていないハズであることも…また確かだ。無闇に警戒して袋小路に迷い込めば、身動きが取れなくなるだけで、何も得ることはできない。俺は、アキラを交渉するに値する相手として認めることにして話を前に進めることにした。
「…1日半…と言って理解できるか?」
「初めてこちらへ来たわけじゃぁ…ない。こちらの世界の言い回しの意味するところは、だいたい理解できる。お前の父親からのありがたい教育のおかげさまでね…」
「クアさんのように…俺には、お前たちの傷を癒す不思議な技は使えない。クアさんが、止血やら自己治癒能力の活性化…とやらの処置をしていってくれたようだが…1日半では、まだ、まともに動ける状態には回復できていないだろう?」
「…そうか。ニューラ姫の従者の一人に…救われたのか…俺たちは…」
・・・
マモル少年にニューラ姫の救出を託した後、俺は意識を失ってしまったようだが、言われてみれば「白き水龍」の異名を持つニューラ姫の従者、クア・アオシ・ウルトとも会話をしたような記憶も…ボンヤリとだがある。
恐るべき技の使い手であると噂されるが、癒しの技も得意とすると聞いたことがある。彼女が治癒の技を施してくれていたのであれば、あれ程の傷を負いながら今こうしてアキラと会話できるほどに回復していることに納得がいく。
「貴様がマモルに依頼した姫様の救出は…今頃、成功か失敗のどちらかに終わっているだろうな。だから、慌てることは無い。落ち着けよ」
「…戦いを知らないお前が…断定するなよ。実力が拮抗している場合には、戦闘は何日にも及ぶことがあるんだぞ?」
「ふむ。そうなのか?…しかし、うちのマモルは眠らずに夜通し闘うほどの体力も気力も無いと思うぞ?…つまり、1日経って相手を倒せて居なければ…居眠りした所をやられて終わりだ。今も、無事なら、それは相手を倒せたということだろう。いずれにしても、既に救出劇は終わっているハズだ」
「自分の弟の安否を…他人事のように語るのだな…」
「…血も涙も無い…俺のことをそう言いたいのかな?…まぁ、どう思われようと別に構わんが…俺はマモルの奴はピンピンしてて、姫様も無事に救出できていると仮定して話しているからな。冷静でいられない理由は特にない。冷静であれば論理的な思考を継続するのが研究者というものだ」
「ほう…弟が向かった先も、その闘う相手のことも知らないのに?…随分、弟の力を高く評価しているんだな…お前は」
「…ふむ。そう言われれば…そうだ。だが、まぁ…<マモル>なら勝つだろう」
・・・
「お前の弟は………いったい何なんだ?」
「さぁな?…俺にも分からん。が、俺は何度も奴の不思議な状態を目にしてきた。それこそ嫉妬心で心がねじ曲がるぐらいにな。だから、アレの力を信じている」
「しかし、6年…前…に、俺とマルルィアがこちらの世界へ来た時には…彼は、普通の気弱な…優しい…ただの少年だったぞ?…やはり…この6年の間に、お前の父親がマモル君を…あんな化け物へと改造したのか?」
「改造………って。面白いことを言うな。貴様…。しかし、さすがの親父も、自分の息子に改造なんていう無茶な真似をする程のマッドサイエンティストでは無かったと思うがな。…それに、6年前どころか、<マモル>の奴はもっと小さな頃から、驚異的な能力を時々発揮していたよ」
「そ…そうなのか」
「あぁ。ま、今、親父の論文やら日記やら、とにかく今後の展開に役立ちそうな文献には、片っ端から目を通している。親父が何らかの秘密を隠していたなら、どこかにその秘密を明らかにする記述が出てくるだろう」
「…俺に、そんなに情報をベラベラと話していいのか?」
「ふん。貴様は…話術による攻防のような…回りくどい手順を楽しみたいタイプか?」
「何?」
「俺は、面倒なことは嫌いだ。時間の無駄だからな。ハッキリ言おう。俺は、貴様と手を組みたいと思っている。親父やマモルと違って、俺には今のところ異世界に行くためのツテが何も無いからな」
「何だと?…お前は…俺たちの世界へ行くつもりか?…行って何をする気だ?」
俺の心に再び猛烈な警戒心が沸き起こる。あの男と同様、侵略を企んでいるのか?
・・・
「侵略しようなんて思ってないぞ?」
俺の心を読んだのか?…やはり、あの父親やマモル君と同じように…このアキラにも特殊な能力があるのだろうか?
「…それと、俺には人の心を読む力も無い。そんなに驚いた顔をしなくてもOKだ」
「し、しかし…」
「貴様の愛しの姫様たちな。ここに滞在中に、俺の親父と色々と話をしていたんだが、その時に…やはりあの親父を貴様と同じように随分と警戒していてな。侵略戦争をしかけるつもりなんじゃないか…って、何度も心配して確認していたからな」
「あの男なら…やりかねん」
「…俺も同感だ。が、別に俺の親父は貴様のような一国の主というワケじゃない。侵略なんていうものを行わなきゃならない理由も義務もない。…それにな、この論文を見てみろよ…っと………そうか、さすがにコッチの文字は読めないか…信じるかどうかは貴様に任せるが…そこに…親父が異世界へ行きたがってた理由が書いてある」
「…信じるかどうかは…聞いてから決める」
「うむ。理解できなければ質問を受け付けるが…取りあえず、この論文のタイトルをそのまま読み上げてやろう。いいか?…『異世界の社会構造と経済基盤の分析及び異世界との交易の実現可能性に関する考察』…と、こう書いてあるんだが…分かるか?」
「交易………だと?」
質の悪い冗談か?…いや。このアキラという男は…冗談を言うようなタマじゃない。では、その論文とやらが…あの悪魔のような父親の周到な罠か?…いや。しかし…
・・・
いくら悪魔のようだといっても…本物の悪魔でないのなら…俺とアキラが、今日、この場所で奴の論文を目にする…などという未来を…予想できるワケがない。
だとすれば…これが…奴の…本心?
「まぁ…本心かどうかは分からないぞ?…研究者っていう人種は、学術的に面白いと考えれば…実際に行うかどうかは別として…取りあえず考察してみようと思うものだからな…。しかし…この考察は…なかなかに具体的だ、予測に基づく仮説もしっかりと立ててある。行動派の研究者は…仮説を立てたら検証してみたいと思うのも…また事実」
だから…俺たちの世界との交易を実証しようとする可能性は…高い。そうアキラは付け加えた。
「…しかし…、交易などというものは…自由に…いや…少なくとも定期的に、相互に行き来が出来て初めて成り立つものだ。…アキラ。俺を見てみろ。こんな無様に傷を負わなければ…俺たちは本当に必要な時ですら自由に転移できない。このぐらいで済んだならまだ良い方で、下手をすれば命を失っていた可能性もある」
「ふむ。俺は…良く分からんのだが、あの姫様たちも、こちらへ来た直後は、そんな風に傷を負っていたのか?」
「いや。必ず傷を負うというわけではない。今回は、世界の境界が比較的安定した時期に、無理に転移を行ったから…世界の境界から拒絶された…という感じなのだが」
「ほう。境界の安定…ね。それは、いつ安定するのかとか周期のようなものがあるのか?…それとも、何らかの手段で意図的に安定させることができるのか?」
「それは、お前の父親の方が詳しいハズだ…論文とやらに載っていないか?」
・・・
「一応…速読術というのはマスターしているんだがな。膨大で、かつ、難解な論文ばかりだから、さすがの俺様も全てを読み解くにはもう少し時間がかかる」
「ちっ…仕方ないな。なんだか俺ばかり手の内を晒しているような気がしてならないが…知っている範囲で答えよう。…答えとしては両方だ。基本的には異界送りの儀式の中で意図的に世界の境界を曖昧にさせている。あらかじめ術式の対象範囲を囲むように空間断絶の効果を織り込んだ呪符を配置しておくんだ」
「ふむ。ということは、貴様は今回、その手間を惜しんだ?」
「間抜けだと言いたいなら言うがいい。…呪符の助けを得なくても比較的、転移を成功させやすい場所もあるのだが…ニューラ姫の危機的状況を思うと…その場所へと移動する時間をも惜しんでしまった。…結果、こんな有様で…全く情けない限りだ」
「で?…両方と貴様は言ったな?」
「あぁ…。これは、実は俺たちの世界でも知るものは少ない。世界の境界が曖昧となっているかどうか…をその時の状況で感知することはできるが…これまでは予測するということはできなかった」
「待て。…俺の記憶では、姫様を暗殺しようとした黒服どもは、帰還の時期をあらかじめ想定した上で襲撃をしてきたと聞いたぞ?…つまりは予測可能ということではないのか?」
アキラの問いに、俺は一瞬驚いた。何故、そんなことを知っているのか…と。しかし、ニューラ姫は、この屋敷にしばらく滞在していたのだったということを思い出す。
「それはおそらく、境界が曖昧に成りつつある状況を観測した上で、その状態が最大になる時期を計っただけだと思う…」
・・・
「ふむ。では、何故…お前は両方だと言った?」
「さっき言っただろう。お前の父親だよ。お前は覚えていないようだが、俺は6年前にこちらに捕らわれていた時、お前の父親の研究とやらに無理矢理に協力させられていたんだ。隙を窺って…マモル君の協力もあって逃げ出したがな。その時、お前の父親が仮説を立てていた周期説を…俺は自分の世界へ帰ってから独自で研究したんだ」
「なるほど。貴様も…ある意味、俺の親父の弟子…というわけか」
「複雑な気分だが…な。そういうことになる」
「話を元に戻そう。…呪符による周到な準備か、もしくは境界が曖昧となる周期をしっかりと見計らえば、定期的な交流は可能となる。お前の言うことからすると、こう解釈されるな。ならば…交易は十分に可能だと思うが?」
「その周期自体が複雑なんだよ。異なる周期と振幅、波長を持って変動する複数の条件が重なりあっていて、それらが最大の振幅に合成されて…やっと安定した転移が可能となるんだ。向こうからこちらへは呪符によれば良いが…こちらから俺たちの世界への転移の方法は…実際のところかなり運任せとなる」
「ふむ。こちらでは呪符は使えない?…なるほど…運任せか…」
「周期が短ければ良い。しかし、俺たちが転移するのに必要な要素が枯渇する前に次の周期がこなければ…二度と帰れなくなる」
「その性質を利用して…俺たちの世界を流刑地として利用していたワケだな?」
そういうとアキラは、またしばらく考え込む。そして、きっぱりと断言する。
「交易を目的としているなら…それは問題にならないな」
「?…どういうことだ。往復便の帰りが自由にならないなら…駄目だろう?」
・・・
少しは頭を使え…と小さな声で言うアキラ。答えの代わりに問い掛けてくる。
「流刑地…と言いながら、お前たちは帰還を果たしているな?…何故だ?」
「…そうか。次の流刑者が…僅かだが要素を纏って来るから…」
「そうだ。どのぐらい手間がかかるのかは知らないが、定期的にお前たちの世界で、呪符による安定化を図って、こちらへと交易品と担当官を転移させれば、それに合わせて、こちらからの交易品を持ち帰る便を送ればいいのさ」
「…なるほど…だが…そうなると…もう」
「あぁ。流刑地としては使えなくなるな。だが、俺たちの世界からすれば、流刑に処されるような困ったちゃんを、勝手に押しつけられては困る。交易するかどうかに関わらず、その風習は止めて欲しいものだな…」
「…ふぅ。そうだな。俺の一存で…どうなるものでもないが………迷惑を掛けているんだってことは理解できる」
実際問題…6年前に俺とマルルィアがこの世界へと飛ばされたのも、凶悪犯の異界送りに巻き込まれたせいだ。そいつは、怯える俺たち2人の目の前で、この世界の人間たちに無差別に襲いかかっていた。もっとも…その凶悪犯にしても、異世界の膨大な人間たちに取り囲まれた恐怖に混乱した挙げ句の凶行で…侵略の意図だとかそういった思惑によるものではなかったのだが…。まぁ、こちらの世界の人間には迷惑以外の何ものでもないだろとは思う。
「ファーマス。貴様は…あっちじゃ、何処かの国の王子様なんだろう?…俺とお前が組めば…交易を実現させることも…夢じゃないぜ?」
・・・
俺と組みたい…先ほどアキラが言っていたことは、コレか…。
しかし…そんなことをして…何の得が?
「メリットは何だ…と聞きたそうな顔だな。今、言っただろう?俺たちにとっては、今後、流刑地として困った乱暴者が送られてくる可能性がなくなる。そっちの悪党は、そっちの世界で責任持って始末してもらおう。そして、貴様のメリットだが…こちらの技術を持って帰り、自国の有利となるように活用することができる」
「ふん。当然に対価を要求されるんだろう?」
「ま。必要な経費程度は負担してもらわないとな。だが、利益はそれほど上乗せしないでおいてやる」
「…お前が慈善事業をやるようなタマには見えないが?」
「見る目があるな。そのとおりだ。俺は、お前に異世界に関する情報の独占的提供を要求する。人道的な範囲内での…人体実験にも協力して貰えると助かるが…」
「人道的な人体実験などあるものか!…お前もやはりあの父親の子だな…」
やはり、アキラもあの悪魔の血を引くようだ。恐ろしいことを顔色一つ変えずに言う。
「待て。そう興奮するな。俺は…貴様たちと俺の違いを正しく認識したいだけだ。貴様に対して行う人体実験は、同時に俺も必ず受ける。だから…それほど危険なものではないことを保証するし、危険な場合でも…貴様たちだけを危険な目にはあわさない」
「………アキラ。俺は…別の意味で、お前が恐いよ。お前には、お前の父親とは、また違った種類の狂気を感じる…」
「ふふふふふ。嬉しいじゃないか。親父と違う…そうだろう。そうだともさ」
・・・
少し疲れたから休ませて欲しい。
俺は、そう言ってアキラの部屋を後にした。
実際、奴の申し出を「はい、そうですか。了解した」…と即答できるほどに信じることはできない。
俺一人なら、多少の冒険も生きる上での醍醐味として楽しめる。
しかし、俺には可愛いマルルィアがいる。
またしても、俺の我が儘に付き合わせて大きな傷を負わせてしまった。
可哀想なマルルィア。愛しいマルルィア。
「あぁ。分からない。どうしたら良いか全然分からないよ。マルルィア。分からな過ぎて、何だか眠くなってきてしまったよ。…少し…眠ってもいいかな?マルルィア。少しの間でいいから…お前の横で…一緒に…眠らせて…く………れ」
自分でも分かる。
俺は相当に無理をしていた。
場合によっては、アキラを強引にでも打ち倒し、主導権を奪取しなければと。
そうやって、まずマルルィアと自分の身の安全を確保し、それから次の行動を選択するつもりだった。
だが、アキラとの会話で気づいてしまった。
今の段階で、俺にできることは余り多くない。
俺は、自分の不甲斐なさを噛みしめながら…マルルィアの横で眠った。
・・・
・・・
「さて。一つ目の種は撒いた」
俺は、ファーマスが再び眠りに落ちたのをそっと確認してから、また自室に戻って思索に耽る。
「あとは…こっちの海へ張り巡らせておいた網に、あの爺さん?…が、上手く引っかかってくれると嬉しいんだが…」
手元の原稿を見る。
---【急募】交易担当職員若干名。当社ではこの度、イエメルアーダスとの間に交易を結ぶ予定をしております。給与・雇用条件:応談。必要資格等:サードレイヤースの言語に明るい方を優遇します。また、エムクラックとの交渉窓口となれる技能をお持ちの方は特に優遇します」---
これをネット上の求人サイトや、この近辺のローカルペーパーに掲載するように依頼を掛けたのが昨日のことだ。
あの爺さん…いや、きっと本当はもっと若いだろう…が、こっちの世界の人間でないことは間違いない。ナヴィンという名が偽名かどうかは不明だが…。
どうやって生活しているかは不明だが、異世界人の連中も、俺たち同様に食事を採ることは、姫様たちで確認済みだ。ということは、ナヴィンも食っていくために、何らかの仕事をしなければならないハズだ。
・・・
ナヴィンには、色々と後ろ暗そうなところがあるようだから、一つの職に長期間腰を落ち着けているということは無いだろう。
それに、マモルに目を付けていることは間違いないから、この俺の家をどこかから観察しているハズだ。
つまりは、この町に網を張って接触を試みれば、必ずナヴィンはその網にかかるハズ。
その網であり、撒き餌となるのが、この求人記事だ。
一般の人にとっては、聞いたこともない小国との交易の記事。気に留めることもないだろう。第一、応募しようにもサードレイヤース語ってなんだよ?…エムクラックって何だよ?…って話で、資格要件が全く意味不明だろう。
しかし、ナヴィンにとっては、これが自分に対する俺からのメッセージだということが分かるはずだ。
まぁ…分かったからと言って、必ずしも反応があるとは限らないが…
それならそれで、もっと刺激的な広告記事でも打ってやることにするさ。
ナヴィンの野郎が、この町で暮らしにくくなるような刺激的な奴をな。
それに…確か…クアさんの話によると、姫様たちの暗殺を企んだ例の黒服の集団も、まだこちらの世界に潜伏しているという。
奴らにとっても、向こうの世界へ帰るために残された期限は約2週間だというから、そう遠くないうちに何らかの動きはあるはずだ。
マルルィア嬢は、聞くところによると異世界でも最高クラスの能力者だというから、彼女が回復しさえすれば、こちらから積極的にナヴィンたちの気配とやらを探ることもできるだろう。
・・・
俺には、一つ確信があった。
今のところ仮説に過ぎないが、知り得た情報を総合的に判断すると、ほぼ間違いなく俺の仮説は事実だろうと思われる。
【仮説】
過去…地球世界と基盤世界には大規模な交流があった。
向こうとこちらの遺伝子にほぼ差が無い…という親父の資料も理由の一つ。
だが、他にもそう考えなければ説明できない、多くの疑問がある。
何故、奴らと我々とで言語がこれほどに似通っているのか?
しかも、奴らの言語を多少だが解析すると、まるで冗談のような由来が見えてくる。
まるで、こちらの言葉をわざと無理やりに訛らせたような。
そして、何故、彼らの社会体制は、我々の中世の社会に酷似しているのか。
衣服や食文化。そういったものも含めて、余りにも違和感が少なすぎる。
同じ地球上でも、文化的に交流の無い未開の地区とでは、大きな隔たりを感じるというのに。
いや。未開地に限定しなくても、ヨーロッパとインド、中国、アフリカ…交流があるにも関わらず、現代に至っても地域間の文化的な特徴の差違には、ファーマス達に感じる差違以上のモノがある。
言葉は日本に近く。社会様式は中世ヨーロッパか?…偶然とはやはり思えない。
・・・
・・・
<<…ジウ…ジウ………聞こえないのか?>>
全く…あの親子は、どいつもこいつも…面白いことをやってくれますね。
「イエメルアーダスとの交易」…ですか?
秀才タイプで、一番特徴に欠けると思っていたのですが…あの長男もやはり只者ではなかった…というわけですね。
<<おい。………ジウ…こら…ジウ。返事をせんか!>>
しかし…発想は面白いが、マモル君と違って、アキラという長男には特に特殊な能力が使えるという事実は無かったように思うのだが…。
ファーマス王子…いや。王となったらしいが…彼と接触して以降、マモル君とクア・アオシ・ウルトの気配が感じ取れなくなっているのと何か関係があるのだろうか?
この時期に無理に転移を行うことが、どのような結果を招くかは、ファーマス王とマルルィア嬢の受けた傷を見れば予想がつくと思うのだが…まさか、あの後、二人は転移を実行したのか?
ファーマス王に気配を読まれないように警戒し過ぎて、逆に彼らの気配を読むのが疎かになってしまっていたようで…私には今現在の緋宮家の状況が掴み切れていなかった。
<<お~~~い。ジウ。怒らないから…返事をせんか!…全くいつもお前は…>>
ん?…何か騒がしいと思ったら…また、あのお方からの通信でしたか…。
・・・
『申し訳ありません。少し考え事をしていましたので…』
<<馬鹿モン!貴様…私を怒らせたらどうなるか分かっているだろうな!…泣いて泣いて、泣きまくって…手の着けられないぐらいに駄々をこねて困らせてやるぞ!いいのか!?…あん?…覚悟は出来ているんだろうな!?>>
怒らない…と言っておきながら、何だか子どものような馬鹿な怒り方をしているな。
相変わらず元気なお方だ。この方は…。
『はい。はい。私が全面的に悪うございました。謝りますから駄々をこねたりしないで下さい。…しかし、こんなに頻繁に連絡を下さるなんて…いったいどういう風の吹き回しなんです?』
<<何を呑気なことを言っている?…ジウ。お前は、知らんのか?…今、基盤世界側で何が起きているのかを…>>
『知りませんよ。私はコチラの世界に居るんですから。せいぜいが、ファーマス王とマルルィア嬢の転移に伴って入ってきた情報として…氷原国の辺りでニューラ姫が特殊傭兵部隊の襲撃を受けている…程度のことぐらいしか…』
<<わはははは…そんな古い情報しか持っておらんのか?…ジウ。お前の情報網も大した事はないな。今、向こうで起きているのは、そんな日常的な出来事ではないぞ!>>
傭兵に襲われる日常なんて…嫌ですね。と、心の中で呟いてから、話したくてウズウズしているこの方の機嫌が悪くならないうちに、私は素直に話を聞くことにした。
『アナタがそんなにも興奮なさるということは…よほどの大事件なのでしょうね?』
・・・
<<興奮?…何を言う。私は興奮なんて全くしていないぞ?…だが、大事件であることは間違いない。良いか?…心の準備は?…話すぞ?話しちゃうぞ?…>>
あぁ…もう、面倒臭い…。
『意地悪しないで教えて下さい。驚く準備はできました。さぁ、どうぞ』
<<つまらん反応だな。ジウ。…お前は、全く、いつもつまらん。まぁ、良いわ………ジウ。お前は、【創世の方舟】を覚えているか?>>
『…覚えているか…って…忘れるワケが無いでしょう…だって、アレは…』
<<あぁ。そうだったな…アレにお前は関わっていたんだったな>>
『そ、その【創世の方舟】の話が…どうして急に出るんです?…アレはもう失われた過去の遺物…じゃないですか?…大事件というのは昔話の中のことですか?』
<<わははは。良い反応だぞ!ジウ。聞いて驚け!…その失われたハズの過去の遺物が、今、氷原国の辺境上空に姿を現し、【雷の斧】をぶっ放しおったのだ!>>
何ですって?…姿を…現した?しかも…【雷の斧】を…使った…と?
『…あ、アレは…大規模開拓と広域整地を目的とした技術ですよ?…そんなものを、今のサードレイヤースで使用するなんて…』
<<まぁ…一発だけだし、幸い人死にも出なかったようだがな>>
『な…何を呑気なことを言っているんです。基盤世界の民には肉体があり血も流れている。呼吸だってしているんです。委員会本部に留まって神を気取っている…あの連中とは違うんですよ?…環境の破壊が…何を意味するか…』
・・・
<<それを知らない馬鹿者と、知りようが無かった余所者が手を結んで、失われたハズの【創世の方舟】を偶然手に入れてしまったというワケなのさ>>
『な…なんてことだ。では、方舟を操っているのは…ダルガバス元宰相と…緋宮伝次郎の二人なのですか…』
だ、大事件どころの騒ぎじゃない…き、緊急事態じゃないか?
そ、それこそ…普段、偉そうに踏ん反り返っている委員会の連中は、何をやっているんだ?…基盤世界の環境維持を管理するのが、奴らの存在意義じゃないか?
<<さすがの私も驚いたよ。アレを持ち出して来て、しかも独立国家として建国を宣言したのだからな…委員会の連中も大騒ぎさ。ただ、今のところ氷原王の出方を見計らっているようだがな。さて…無能な奴らに、事態の収拾が果たしてできるかな?>>
『しかし…どうしてなんでしょうか?…【創世の方舟】は、【狐狼】と一緒に処分されたハズではないのですか?…処分を担当した連中は…いったい何をしていたんだ?』
<<…その…す、すまん。実は…私が…>>
あぁ…またか。面白そうだとか…なんとか…その場の思いつきで、横やりを入れたんだな。もう、この方のやることに一々と文句を言っても始まらない。
『…で。それを私に知らせて…どうしたいんでしょうか?』
<<お、怒ったのか?…>>
『怒ってません。呆れてるんです』
<<お、怒ってるじゃないか!?>>
・・・
『…下らないやり取りに付き合うのにはもう疲れました。こうしている間にも、向こうでは事態が急速に進展しているんでしょう?…アナタは私と油を売っている暇など無いはずです』
<<むぅ…。昔から、お前だけは私に全く容赦がないなぁ…>>
『回線を切りますよ?…私も暇じゃないんです。こちらの世界は、こちらの世界なりに、色々と対処しないといけない事項があるんですから…』
そう。緋宮家長男のアキラが、私にしかけた網。
それに、敢えて掛かるか、それとも無視するか…。
それはそれで、今後の展開を左右する大きな選択なのだ。
ファーマス王やマルルィア嬢、それに暗殺集団の処遇についても、あと10日ほどの間には決断を下さなければならない。要素の必要濃度が維持できている間でなければ転移の技は発動できない。
<<まぁ…良いわ。私からお前に言うことはいつも同じだ。分かっているだろうが…>>
『くれぐれも…「余計な干渉はするな」…でしょ?』
<<そうだ。分かっているなら良い。だが、念のために言うぞ。よく聞けよ?…くれぐれも、「余計な干渉」はするなよ?…いいな?…「余計な干渉」は…だぞ?>>
うるせぇよ。…私は、心の中だけで毒づく。
そんな風に、あからさまに言わなくとも…分かっている。一切の干渉をしないつもりであれば、私は地球世界で苦行のような潜伏を続ける必要などないのだ。
私は、ついにそれ以上の通信に絶えられず、一方的に通信を切断した。
・・・
次回…「氷原王の戦術(仮題)」へと続く。
絶大な破壊力を持つ飛行国家に対して、知略の王が採った秘策とは!?
(あくまでも予定です…言い訳してゴメンなさいですが。)