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Lip's Red 2 -狂った科学者と銀雪の狼  作者: kouzi3
第1章 混迷の基盤世界
14/27

(13) 起死回生

・・・






       【…暗い…】






・・・


 そこ


 …と呼んでよいのか?…とにかく、そこには何も無かった。


 深い、深い…どこまでも深い闇の中…

 ただ、こうして今、私は、ただ、ただ…絶望とともに闇の彼方を見つめていた。

 見つめて………?

 こんな深い闇の中で…何も見えないはずなのに…私は何故、自分が何かを見つめているなどと考えたのだろう?…そもそも、私には体が…まだ存在するのだろうか?


 私は閉ざされた闇の中で…何も出来ずに、ただ、ただ、グルグルと同じところを巡る思考と化していた。闇の彼方を見つめ…自身の肉体の存在について思い巡らせる…その繰り返し。時間が流れているのかどうかも、分からなくなりそうだ。だが…そう考えた途端、時間という概念について、新たにグルグルと巡る思考の中に新たなさざ波が沸き起こる。思考に変化が生じる…ということは…ここには時間も流れているのだろう。


 自分が何故、こんなところに居るのか…私には理解できなかった。いや。ここに…自分は居るのか?…思考がある。しかし…外部からの入力、視覚、聴覚、嗅覚、触覚…味覚も?…含めて…自分の体を感じさせる実感が…何も無かった。


 今、感じている「暗い」という思いも…それが本当に視覚からもたらされた感覚に基づくもの…という実感がまるで無く…ただ、概念として「暗い」というイメージを思い浮かべているだけかもしれない…という得たいの知れない恐怖に襲われる。


・・・


 無


 これが…「無」という事なのか?


 いや。でも…。

 私は、私は………では…今、このグルグルと巡る「闇」と「肉体」、「時間」と「無」について思考している…この私は…いったい何なのだ?


 わからない。


 あぁ…。こんな思考は…無意味で、無駄なのかもしれない。

 だって、ここには何も無いのだから。そして、この私の思考も…今、この瞬間は…思考をしている…と感じているけれど………ほんの一瞬前に、本当に私が、今と同じように思考していたかどうか…それを保証するものは何もないし…誰もいない。


 拠り所が何一つない、私の思考。比較すべき何ものも存在しない「ここ」で、この思考が「緩慢」なのかどうかすら…測ることはできないが…少しずつ…この思考の無意味さに思考を継続しようという意志が薄らいでいくのがわかる。


 もう。いいの…


 全ては、終わったのだから。

 私の物語は………どんな物語だったのかは…思い出せないけれど…終わってしまった…


・・・





       【………】





・・・


 何も起こらず。何の変化もないまま…永遠とも言える時間だけが…過ぎていく。

 何も変化がないのだから…時間の経過も感じることが無ければ…どれだけ幸せか。

 何も変化がないにも関わらず、私の心は…どうしてこんなに落ち着かないのか…


 このまま、眠れたら良いのに。

 そう考えて、思考を止めてみたけれど…何かが…私を眠らせようとはしなかった。

 ううぅん。わかっている。眠りたくないのは………この私だ。


 だから考える。再び考える。存在の全てをエネルギーへと変えるつもりで考える。


 私は何だ?………いや。違う。私は誰だ。

 何故、ここにいる。………いや。違う。何故………なぜ、居るべき場所に居ない?


 「居るべき場所」


 居るべき場所?…とは何処だ?…ここは…そうではないのか?

 そもそも、「ここ」以外に…「場所」などというものがあるのか?…そう。そもそも、「私の思念」という…大きさも形もないものに…場所などという概念が必要なのか?

 この「無」の「暗闇」…それ自体が…私であり、私…は…私などではなく…ただ、ただ、思考する「無」なのではないのか?


 いや。いや。………いやいやいやいや…嫌。違う。違う。違うの…


 違うのだ。私は「無」なんかじゃない。………だって…だって…何故なら…


・・・


 「それ」は、私の手の中にあった。


 それを感じた途端。…私は、体を取り戻す。いや。正確に表現するならば「体の感覚を取り戻した」と言うべきか。

 意識した途端。「それ」は、「これ」に変わる。

 「これ」は、この世界には無かった物だ。小さな…硬い…異物感。


 あの人の匂い…


 あぁ。確かに「匂い」だ。私は嗅覚を取り戻す。でも…何だか「匂い」などと表現すると恥ずかしいな。………そうだ。匂い以上に強く感じるのは…あの人の「気配」だ。

 ここに居るはずのない。でも、居て欲しい…。あの人の気配。


 小さな。小さな。小さな指輪。………安物だと言った。あの人の…


 私は、自分の顔を思い出す。あの人が見つめてくれた…あの人の瞳に映る…少し恥ずかしそうにぎこちなく笑っていた…幸せそうな私の顔。


 ねえ…。アナタは誰?


 私を…私に、今、形を与えてくれた…アナタは…誰?

 いいえ。私は、知っている。そうだ。私は、知っている。あの人の名前。そして…

 私の名前。私の使命………あの人と別れてまで…この世界へ戻った理由…


・・・

・・・


 舞い落ちる雪。

 それが、自然と降るものなのか、先ほどの落下の衝撃で舞い上がった氷雪が再び落ちてきたものなのかわからないが…おそらくは…その両方が混ざり合ったものなのだろう。

 風に流されながら、落下の軌道を不規則に変えるその雪は…しかし、地上まであと人の身長より少し高いほどの位置まで落下したところで…不自然に…まるで急に規則に縛られたかのように、その軌道を等しく変える。

 まるで、その場所に…触れてはいけない…何かがあるかのように。


 「ち…。気づかれたか…」

 「やべぇな。多少の雪なら…目立たねぇんだが…こんなに氷が落ちきちゃ、そりゃ…目立つわなぁ…」


 圧倒的な力の差を見せつけ、余裕で戦闘を支配していた特殊傭兵部隊「狼」たちに、初めて狼狽の色が見えた。

 せっかく狼狽してくれたのだ。私は、ここで一気に起死回生………と行きたいのだが…どうしてよいのか…実は攻めあぐねていた。


 私は、筆頭従者(ヘッダテンド)として数々の戦闘を経験してきたが…「無」の因子(ファラクル)能力者(パーランシャル)と戦った経験は皆無なのだ。

 私は得意とする「闇」の因子の他にも、いくつかの因子を保有している。しかし、頭の中で色々と仮想戦闘を思い浮かべても、「無」の防壁を打ち消すような技を思い浮かべることができない。


・・・


 我が一族の秘伝、闇の因子による「負の技」では駄目だろう。

 相手のエネルギーと逆符号の属性として働き、私の打撃や放った暗黒光の弾に接触した相手の部位から…根こそぎエネルギーを奪うという「負の技」の発動原理。

 負の技が奪うエネルギーは、その部位がその部位として存在するためのエネルギーすらも打ち消し…エネルギーを失った部位は…存在を維持できずに消滅することになるのだが、無の防壁は「無」ということだけあって…そもそもエネルギーという概念に正も負も無いと思われる。

 先ほど「負の技」を使おうとした時には、敵の連中は私の技の正体や原理を知らないがために慌てふためいてくれたが…実際に打ち合っていたら、私の技は間違いなく打ち破られてしまったことだろう。ある意味、先ほどの落下物の激しい衝撃により戦闘が中断されたことは幸運だったと言える。私の技の正体がバレずにすんだのだから。


 相手に通用する攻撃手段が思い浮かばない…という絶望的な状況にありながらも、私は先ほどまでのような悲観的な気持ちにはならずに済んでいる。なぜなら、相手の操る「無」の因子。私の知る限りでは、この「無」の因子も決して攻撃に適した因子ではないハズだからだ。「無」であるが故に、相手の肉体への攻撃として打ち付けようとも、何らダメージを与えることが出来ない。あの因子は、何かを「無」に変えられるわけではないのだ。空間に彷徨う要素(ルリミナル)を「無」としての属性を持つように変化させることで、そのたの属性を持つ要素(ルリミナル)の効果を遮断する。そのような防御としての使い方が基本となる因子なのだ。

 つまり…アレは恐くない。「無」の因子が無効化できるのは要素(ルリミナル)の効果だけ。私の肉体そのものを「無」に帰せるわけではないのだ。


・・・


 気になるのは、奴らが「無」の因子以外にも、複数の因子を使いこなせるかどうか…なのだが、使えてくれた方が…むしろ好都合かもしれない。奴らが防御として「無」の因子を体全体に膜のように張り巡らせている限り、彼らは他の因子の技を使えないハズなのだから。「無」の無効化効果が、自らの使用しようとする他の因子の効果までをも遮断してしまうハズだからだ。

 敵が、このまま今までと同じように、「無」の膜を応用した戦術で押し通してくるようなら…少々、困ったことになる。手の打ちようが思い付かないから。しかし、敵も先ほどの私の「負の技」の正体が分かっていないため、この先の戦闘の展開を計りかねているようだ。…つまりは…奴らの「無」の膜にも、何らかの弱点はある…ということだろう。あれが無敵なら、躊躇無く先ほどまでの作戦を継続してくるはずだ。


 何だ?…何なのだ?…無敵に見える「無」の技の弱点とは?


 かのマルルィア殿は、この「狼」たちと互角に戦ったと伝え聞く。しかし、彼女も倒せなかったということは…彼女の得意とする「炎」の因子では勝てない…ということだ。では、マルルィア殿はどうやって?…私は彼女と手合わせしたことは無いため、彼女が他にどのような因子を保有しているかも知らないが…。


 いや。待て。…彼女の「通り名」が「青き炎のマルルィア」…というのは…彼女に基盤世界最強との肩書きを与えた、この「狼」との戦いによるもののハズ。

 つまりは…「炎」そのものの攻撃は、敵を殲滅するに至らない…にしても、「狼」たちを撤退に追いやることは可能だった…ということになるのではないか?


・・・


 睨み合いの膠着がしばらく続いた後、敵のリーダー格の男が動いた。


 「…はっ。俺等の技の正体はバレたようだが…このオッサン。俺たちを攻めあぐねているみたいだな。まぁ、それは俺等も一緒だが………しかし、そんなら俺等の勝ちだ。このオッサンのことは無視すりゃあ、戦利品だけ確保して氷原国へと土産を引き渡すことは出来るだろう」

 「おぉ。そうだな。俺たちゃぁ別に、オッサンに恨みがあるわけでもねぇからなぁ。氷原国の軍から契約どおり金さえいただけりゃぁ…良いってワケだ!」


 マズイ…。私に未だ打つ手がないのを見抜かれた。

 確かに、私の追撃を無視して、姫様たちを銀雪の氷原国(フルィスケルツリン)の軍へと連行されてしまえば…大局的には私たちの負けだ。

 現在は中立の立場を取っている氷原国王といえども、敵対する碧色の森泉国(イエメルアーダス)のファーマス王子にとっての人質として我が姫様を利用することが可能となれば…我が姫様を手中で良いように扱おうとするのは目に見えている。場合によっては、現在行われている反森泉国連合との戦いに介入してくるかもしれない。それが、森泉国を挟撃する…という連合にとって良い方へと働けばよいが…おそらく、白暮の石塔国(ファイストゥーン)を傀儡として、森泉国の国力を削ぐように戦況を支配しようとするだろう。氷原国王は知略の人と聞く。森泉国は、挟撃に遭うかもしれない。…しかし、それは我々反森泉国連合にとって都合の良い挟撃ではなく、氷原国軍が森泉国へと攻め入る際に有利となるような挟撃になるに違いない。つまり、氷原国側の戦況さえ有利に進むなら、我々傀儡となった石塔国軍など…捨て駒のように無茶な戦いを強いられる可能性が極めて大きい。


・・・


 姫様の命が直ちに危ぶまれるということは無いのかもしれないが、祖国の独立性が損なわれるようなことも避けなければならない。

 とりとめもない思考の環に捕らわれて動きのとれなくなった私を背に、「狼」たちは姫様たちが捕らわれている「無の檻」を引きずりながら去ろうする。


 「ま………待て!」


 我に返った私は、「狼」たちの背中を呼び止めようと声を掛ける。…が、彼らは私からの攻撃を警戒しながらも、止まることなくゆっくりと移動を始める。

 「無」の障壁で隠してあったのだろうか…彼らの進む先には雪石竜子(スヌォウドゥラグァン)三頭が曳くように仕立てられた大型の貨物雪車そりが姿を現した。


 「…悪りぃなぁ…。だが、これ以上…睨み合ってても風邪ひくだけだぜぇ?」

 「おぅ。オッサンも諦めてついてくるなら…暖かい寝床へとご案内するぜぇ?…ま、石牢っちゅう名の安宿だろうけどよぉ~うっひゃひゃひゃっ!」


 打つ手の無い私は、馬鹿にするような敵の言葉に歯噛みするより他はない。

 「無」の力を操り、彼らは姫様たちの捕らわれた「無の檻」を移動させていく。

 どうすればいい?…考えあぐねる私の目の前で…次々と「無の檻」は貨物雪車に乗せられていく。

 私は、為す術無く………ただ、無意識に姫様への謝罪の言葉が口に出る。


 「…ひ…姫様。申し訳…ありません…」


・・・





 「謝る必要など無いぞ………ラサ!」





・・・


 敵の男たちが驚愕の表情を浮かべる。

 聞こえるハズの無い声。

 どの檻に姫様が捕らわれているのか、私には知りようもなかったが…狼狽する「狼」たちの視線を集める一つの「無の檻」。それこそが、今、彼らを驚愕させた「声」の出所であると私は知った。そう…私の耳の錯覚などでは無い。今、聞こえたのは…今、聞こえたのは………間違いない!


 「下郎ども。私を誰だと思っている…」


 再び、凛とした声が氷原に響き渡る。


 「私は…ニューラ。白暮の石塔国の末姫。ニューラ・アカキ・ミューゼスなるぞ!」


 何も無い空間から、白く細い可憐な指が突き出される。指には見たこともないような光を放つ指輪がはめられている。みるみるうちに、その指を起点として腕が、肩が、そして…そして姫様の全身が…姿を現す。


 「こんなものは…まやかしだ…自我をしっかりと認識できれば…何の意味もない」


 姿を消したその時と変わることなく…いや、以前よりもむしろ神々しいほどの毅然さを身に纏って胸を張る姫様。


 「…ご…ご無事…なのです…ね?」


・・・


 私の確認に、大きく頷いてくださった姫様。


 「ラサ。心配させてすまない。が、お前も気が付いただろう?…これは『無』の因子の技を応用した…まやかし…だ。我々の因子(ファラクル)能力(パーランス)は無効化してしまうが…私の肉体を傷つけるような力は秘めていない…だから、意識さえ取り戻せれば…こうして容易に抜け出すことが出来る」


 敵の男たちの口から「くっ」と、苦々しさを込めた声が漏れる。私が、攻めあぐね…今まで打開策を思いつけなかった「無の檻」を…姫様は内側からいとも容易たやすく打ち破ってみせたのだ。


 「ぶ…物理的な…だ、打撃が…ゆ、有効…ということ?…なのですか?」


 私には、まだ上手く状況が飲み込めていない。確かに…私たち基盤(サードレイヤース)の能力者は、戦闘といえば因子の能力のぶつけ合い…という先入観に縛られがちであることは否めない。正直に白状すれば…私も、その前提で攻略方法を探していた。

 言い訳をするようだが、全く物理的な打撃による攻撃のことを考えなかったわけではない。しかし、先ほどの「狼の石像」らしきモノが落下した際の衝撃により抉られて飛び散った氷のつぶては、私をボロボロになるほど傷つけたにもかかわらず、「無」の防壁をまとった「狼」たちを傷つけることはなく…また、落下する氷雪は、姫様たちを捕らえていた「無の檻」によりその落下の軌道を逸らされていたではないか?


 「あぁあ。…こりゃぁ…お前等を…生かしておくわけには行かなくなったな」


・・・


 さっきまで余裕のようなふざけた様子を見せていた「狼」たちの雰囲気が、姫様による謎解きが始まろうとした途端に豹変した。


 「俺等は…これで食ってる一族なんでね。お前等に、ネタばらしをされたらぁ…商売上がったりになっちまう…」

 「おぅよ。俺たちが…『無』しか使えないとか思っていやがると…痛い目に遭うぜ!」

 「ば…馬鹿野郎…せ、積極的に、こっちの手の内を明かしてどうする!」

 「…おい、ふざけてないで…さっさと始末するぞ!」


 依然として私と姫様が危機的状況であることに違いはない。「無の檻」を内側から自力で破ってみせた姫様のお力には、あらためて感服するが…貨物雪車へと向かっていた状態の配置のままであり、姫様が敵中にあることは変わりないのだ。

 だが、彼らの慌て様を目にし、私は逆に冷静さを取り戻すことができた。敵の方針が定まらないうちに、体中のバネとなる筋肉を最大限に駆動して敵の列の中へと飛び込む。一瞬の虚をついて、姫様の腰を抱き、さらうように敵中から奪い去る。

 傷を負った私の動きでは、そのままでは無傷の彼らに再び囲まれてしまうに違いなかったが、私が姫様を掠って飛び出した先には、我々がデルタ村から譲り受けた雪石竜子たちが乗り手を失った状態で彷徨い歩いているのを、確認済みだ。

 姫様を抱えたまま、勢いを殺さないように駆け抜ける。そして、一頭の雪石竜子の背に駆け上がる。手綱を引き、さらにもう一頭の雪石竜子の隣まで移動。姫様を最初の雪石竜子の背中に残し、自らはもう一頭へと乗り移る。


 「…悪いな。だが…これ以上、睨み合ってても風邪をひくだけなんだろう?」


・・・


 私は、敵を倒すことより姫様を連れて逃げ切る…という選択に切り替えた。

 相手を挑発し精神的な余裕を奪うのは、対人戦の基本だ。私は、敢えて先ほどの敵の台詞せりふをそのまま借用して、離脱の意志を表明する。


 「…な………。くっ…ふ、ふざけやがって…俺たちから逃げられると思うのか!?」

 「おぅ。俺たちの隔離無檻(カムィカコゥシ)が完全に破られたわけじゃぁねぇんだ!…逃げようったって、もう一度、技で閉じ込めるだけだぜぇ!!!」


 敵の言葉はごもっとも。私と姫様は、戦闘開始時よりも疲弊してしまっていることも否めない。敵の技に再び捕らわれる可能性は、むしろ高まっている。


 「あぁ。そうだな。では、私は、何度でも技を破って逃げきって見せよう」

 「姫様のお陰で…技の破り方は、この目で直に見た。私にも、その技は多少の足止め効果しか生まぬぞ!」


 姫様と私の挑発に、敵の顔に殺気のようなものが浮かぶ。


 「ふん。そりゃぁ…困るな…だが………こっちの手には、お前さんたちの仲間が、まだ9人も捕らわれたままだってことを…忘れてもらっちゃぁ…困る」


 私は、慌てて姫様を振り返る。お優しい姫様。確かに…その事実が、我が姫様にとっては最も弱みになると…私も考えた。

 戦いである以上、卑怯…と敵をなじることに意味はないが………


・・・


 ………だが。


 「…私には使命がある。そして、義務もある。………そして、我が従者たちが…何の為にお前たちに捕らわれてしまったのか………その意味も…理解することができる」


 姫様の顔は、険しいながらも迷いの色はない。


 「お前たちには感謝しよう。私の中にあった、甘さは…お前たちの檻の中に…置いてきた。我が従者たちが命を賭して、私を逃がそうとしてくれているのだ。ならば、私が今、すべきことは、この状況から離脱すること…」


 伏せ目がちに硬い声を、雪石竜子の首元に向かって吐き出している姫様。

 その顔を上げ、目線を敵へと向けると、こう言い放った。


 「だが、お前たち。忘れるなよ。お前たちの力量は知った。我が従者に仇成した報いは、必ずや、この地へと舞い戻り…お前たちに嫌と言うほど思い知らせてやるからな」


 さすがの「狼」たちも、姫様のその迫力に気圧される。

 その隙をついて、姫様は雪石竜子の後頭部をそっと前へと押し出し、雪石竜子を走らせる。当然、私もそれにならう。


 「くっ…。逃がすな…!追え!!」

 「構わねぇから、殺傷系の技も使え!…俺たちの技の秘密を生きて持ち帰らすな!」


・・・


 殺傷系の技。

 こちらに、防御の的を絞らせないよう…敢えて何の因子(ファラクル)の技かを言わないところは…敵がまだ完全に冷静さを失っていない証だ。

 私は、後頭部のうなじの辺りの毛先がチリチリとした感じに晒されるのを覚えた。気を抜くわけには行かない。敵が肉体破壊系の技を使うなら、相手の支配力を超える力で、自らの周りの要素(ルリミナル)を支配しきらなければならない。そのためには、相手の攻撃してきた一瞬を見極めて、その瞬間に最大出力で自らの因子(ファラクル)を駆動し要素(ルリミナル)へと思念を伝えなければならないのだ。

 私には、出来る。そのために、従者として幼少時より厳しい訓練を受けてきたのだ。だが、姫様にそれができるか?…そうだ、姫様へ攻撃の狙いをつけさせてはならない。私が盾となるのだ。敵との配置を頭の中で必死に計算し、姫様を頂点とした細長い三角形となった敵との配置上で、私は体を左右に入替ながら、自らの背を盾として後方からの攻撃を防御する。

 だが、敵の数は10人。私一人で、その全ての攻撃を受けきるには…やはり限界がある。

 数の優位に気づいた「狼」たちは、それまで各自がバラバラに攻撃をしかけていたのを改めて、同時に私と姫様を狙う方針へと切り替えたようだ。

 私という盾をすり抜けて、姫様へ届く攻撃。辛うじて、姫様も周囲の要素(ルリミナル)を支配して攻撃を凌ぐ。しかし、全ての要素を支配することは敵わず、姫様は肩口に傷を負う。白い…姫様の衣に滲む赤い色…


 「ひ、姫様!」


 次の攻撃を受ければ…危ない。私は、自分の力の無さに気が狂いそうになる。


・・・


 次の瞬間。


 私と姫様の頭上に、巨大な黒い影が覆いかぶさる。

 こ…こんな…大きな力を操れるのか?…私は、絶望しながら…その頭上の影を仰ぎ見る。

 しかし、幸いにも影は、私と姫様の後方へと逸れる。

 安堵したのも束の間、最初の影を追うように、次々と上空から私たちの頭上へと巨大な黒い影が落ちてくる。

 何という力を隠し持っているのだ。やはり最強のマルルィアと互角…と噂される者たちの実力というのは…私など…遠く及ばないものなのか…

 繰り返し襲い来る絶望に、私は姫様を庇いつつも身を固くして恐怖するほか無い。



 「えっと………これは?…間に合った?………ってことなのかな?」



 だが、背後へと落下した巨大な影は、「狼の石像」の落下時とは違い、爆発的な衝撃をまき散らしたりはしなかった。………代わりに聞こえて来たのは…少し、戸惑いを含んだ女性の声。その聞き覚えのある…声の主は…


 「クア!!」


 私よりも先に、姫様が、ここに居るハズのない一人の従者の名を叫ぶ。

 その名を呼ばれた巨大な影の主は…


・・・


 「…あっと………似てるって良く言われますけど…私は、独立第二小隊…隊長を務めさせていただいている………ウォラです。ウォラ・アオシ・ウルト…」


 黒い影。そう見えたものは巨大な氷翼竜(アイセラヌォ)たちだった。背中に3人ずつの白鎧の戦乙女たちを乗せた氷翼竜は、追っての「狼」たちと睨み合っている。


 「ラサ様ぁ~!お久しぶりですぅ~。私、わたし…覚えてますぅ?ドミナですよぉ!」

 「ドミナ…何はしゃいでるの!?…っていうか、まずは姫様に挨拶が先でしょ!?」


 ウォラと同じ氷翼竜の上にいるのは、副長のドミナと…もう一人は…ニンスだろう。

 「狼」たちは、突然の闖入者…それも4頭の氷翼竜と12人の白鎧の戦乙女たちという自分たちの数を上回る新戦力に、対応を計り兼ねているようだ。

 この場面で、思いも寄らぬ援軍に、私も姫様も喜ばないわけがない。…のだが、しかし、彼女たちと同じか、それ以上に精鋭のハズの、我が第一従者隊ですら、為す術もなく破れた相手…特殊傭兵部隊「狼」を前に、彼女たちの力がどれほど役に立つか?


 「…はん。人数が増えたところで…また、消せばいいだけだ」

 「おぅ。この姉ちゃんたちは、俺たちの隔離無檻を、まだ見てないからな!」

 「よし。対応を伝えられる前に、一気に消すぜぇ!!」


 敵も、私と同じ考えに至ったらしく、例の「無の檻」…どうやら隔離無檻と言う技らしいが…で一気に彼女たちを消してしまおうと考えたようだ。マズイ…。


・・・


 「控えろ!特殊傭兵部隊…狼の者どもよ!…私は、氷原国王の使者であり、お前たちに氷原国王からの命令書を預かってきた!!!」


 クアによく似た声。しかし、クアのどこか飄々とした口調とは違い、凛とした真面目そうな口調を、さらに氷原国王の権威を借りて畏まった口調とし、ウォラは声を張り上げて「狼」たちの攻撃を制止する。


 「………め、命令書…だとぉ?」

 「し、信じるわけねぇだろ!!…そんなハッタリ!…ふざけるな!」


 意表を突かれてざわめく「狼」たち。しかし、本来ならば、そのようなハッタリなど無視して攻撃をしかけてもおかしくないプロの先頭集団が、何故か動きを止める。


 「…あ。アレは…間違いねぇ…王家の…氷原国の王家の紋章だ」


 先ほどの口上と同時に、ウォラがその手に一通の書簡を持ち、「狼」たちに向けて差し出していた。その書簡には、どのような仕掛けなのか全ての光を反射してキラキラと輝く鏡面に複雑な紋様が刻まれた印が貼り付いている。


 「矛を収めよ。王からの命令の委細は、この書面を読めば記されていようぞ」


 そういって、ウォラは書簡を回転させるようにして「狼」たちへと投げ放つ。風を切りながら滑るように飛ぶ書簡は、次の瞬間「狼」たちのリーダー格の男の手へと収まった。


・・・


 「どうする?…どうやら、コイツ等を氷原国軍へと引き渡しても…金にならないらしいぜ?…それどころか…命令違反…とか言われかねねぇ…」

 「くそっ…。だ、だが…奴らには俺たちの技を見られて…」

 「そ、そうだよ。ひ、引き渡さなくていいなら…や、殺っちまっても良いってことだろ?…このまま…返らせたら…」


 敵に動揺が広がる。その動揺につけ込むかのように、ウォラが再び声を張り上げる。


 「貴殿らは、我々を容易に倒せるとの幻想を抱いているようだが?…知らぬのか?」


 自信に満ちた力強い声。何だ?…ウォラのこの気迫は。


 「し、知らぬのか?って…お前ぇこそ、知らねぇのかよ!…俺たちは、あの最強のマルルィアと互角に…」

 「はぁ?…誰が、最強だと?…マルルィア殿の青き炎なら、私はこの白鎧と共に、見事に防ぎきってみせたぞ。彼女は、確かに強者ではあったが、私の強さに、主人のファーマス殿とともに、あっさりと撤退していったぞ?」

 「…何?」


 ハッタリか?…そんな話は、私も知らぬ。知らぬが…嘘やハッタリで、あのように自信満々に語ることなどできるのだろうか?…ウォラの度胸の良さには、定評があるが…しかし………では…本当に?…私の知らない間に、マルルィア嬢との戦闘を経験したということか?


・・・


 「そうよ!そうよ!…お姉様のお力に恐れをなして、ファーマス様たちはお逃げになったんだから!」

 「うん。うん。私も見たよ!!…あのビックリしたマルルィアの顔!」

 「…だ、だから!…私をお姉様と呼ぶな!!」


 ふざけているような白鎧の戦乙女たちのさえずり。だが、特殊傭兵部隊「狼」の噂を知らないワケがない彼女たちが…この場でふざける余裕を見せることことそが…真実の証?

 緊張した面持ちで彼女たちを睨みつける「狼」たち。やがて悔しそうに声を絞り出す。


 「ちっ…技は見られたが…破られたワケじゃない。ここで、不確定要素の新手まで相手にするのは…得策とは言えないな…野郎ども…ここは引くぞ」

 「お、おぃ。良いのかよ?」

 「…俺が責任を取る。引くぞ!」


 敵の中でも、やはり一番の使い手であることを感じさせるリーダー格の男が、撤退を宣言する。敵ながら、彼の冷静さや思慮深さは侮れないと…心の中で賞賛を送る。


 「お姫さん…オッサン。それから…鎧の姉ちゃんたち…。勘違い…するなよ?…マルルィアと互角なのは俺たち…。しかし、今、不在の俺たちの隊長は、マルルィアなんかより圧倒的に強いんだ。この撤退で、俺たちを侮れば…次は…喰われるぜ?」


 覚えていやがれ…などと陳腐な捨て台詞は言わず、彼らは「無の技」の応用だと思われる力で、次々と自分たちの姿を消していく。


・・・


 「あ…。ちょ、ちょっと待て。我が従者たちを………」


 姫様が消えていく「狼」たちに、慌てて声を掛ける。

 そうだ。まだ、我が従者たちの檻は解かれていないのだ。

 しかし、彼らが全て去ったその後。いつの間にか檻から解放された9人の従者たちが、冷たい氷原に横たわっていた。


 「ご無事で…よかった。間に合った………とは言えないようですが…」

 「いや。お前たちは、間に合ってくれた。ありがとう。感謝します」


 姫様へと駆け寄ったウォラに、姫様は礼の言葉をかける。


 「…だが。このままでは、風邪をひくどころか…凍え死ぬ。倒れている第一小隊の従者たちを…どこか暖の取れる場所へ運ばないと…」


 姫様の言葉を受けて、ドミナとニンスが他の第二小隊員に手際よく指示を飛ばす。

 本来なら隊長の役目であるハズの指示を、自らは行わずに…ウォラは氷原のある一点を呆然と見つめている。あれは…「狼の石像」…その落下地点に散らばる破片。


 「ど…どうして…アレがここに?」


 ウォラの小さな呟き。あれが何かを知っているのか?…驚きの表情で、砕けた「狼の石像」の頭部を見つめながら…ウォラは、しばらく動きを止めて固まっていた。


・・・


次回、こそ…第一章の終わり「混迷の基盤世界」の…予定

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