(12) 雪と氷片の塵の中で
※この第12話の投稿前に、プロローグ第0話として、ニューラ姫や伝次郎が基盤世界へと転移する際のエピソードを追加挿入しましたので、よろしければ、そちらもお読みください。
・・・
雪が舞い落ちる。
地面へと落ちた雪は、溶けることなくサラサラとした結晶のまま、吹く風に散らされ白い雪煙へと変わる。
激しい戦闘の末、我々の足跡に乱された銀雪の氷原は、降り積もる雪だけでなく、風に飛ばされた雪煙にも覆われ、すぐに滑らかな平面を取り戻していく。
冷たく寒い場所。
激しい戦闘により熱を帯びていた体は、汗をかく必要もないほどに瞬くまに熱を失っていく。
しかし、今、私の心から急激に奪われていくものは………
「…悪いけど、このオッサンは…消さないと厄介だからな…ということで、オッサン。覚悟は良いな?」
敵の柄の悪い男が形だけは疑問形の…死刑宣告を下す。
私は…何も出来ない。まるで体を鎖でがんじがらめにされたように。
姫様が私に向かって何か叫んでいらっしゃるが、私の思考は先ほどからグルグルぐるぐるとただ空回りしている。答えの出ることのない生還の道への検索に、頭の奥深いところが麻痺したように鈍い痛みを感じている。
ついに私の…ラサ・クロノ・ロストの…命運、ここに尽きたか…
・・・
私は、何もかもをあきらめたわけでは無い。
…が、さすがに自分が助かることはないだろう…そう観念した。しかし、筆頭従者としての能力の全てを出し尽くしても、相手の何人かを戦闘不能状態にするのがやっと…というこの状況にあって、もはや私に残された道は限られている。
我が従者隊は私を除く全員が既に消し去られてしまった。跡形すら残すことなく。これほどの戦力差に、いったい私に何ができるというのか?
さっきから空回りする思考を気合いで立て直そうと、必死で知恵を絞る努力してはいるが…どうやらその時間すらも与えてもらえないようだ。
私は念じた。せめて、約束通り…姫様の無事だけは保証してくれることを。命がけで戦うという選択肢を選ぶべきなのかもしれないが…この状況では姫様の命まで賭けることになる。もう、私にはわずかな可能性に賭けるより他はない。
願う…
我らがこの世界への帰還を察知して、第2独立小隊が応援に駆けつけんことを…
願う…
国境を越え隣国よりファーマス王子の従者隊が…姫を救いに現れんことを…
願う…
世界の境界を隔てた彼の世界より…マモル殿の超然たる力の飛来せんことを…
願う。願う。願う…願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う願う…
・・・
私の思考が…「願う」…ただそれだけで埋め尽くされたその時。
…敵のリーダー格の男がその腕を振り上げ、手のひらに不可視の力を集め…振り下ろす。
私は…ただ、その振り下ろされる腕を…真っ白な思考のままに…見る…そして、その次の瞬間に訪れるであろう自らの運命を受け入れる。
「ラサ!!!…音に惑わさ【っっっつつづづづどぅどぅどぅどぅどぅどぅずずずずがぁぁあああん!】………!!!」
・・・
な
に
が
あ
っ
た
?
なにがあった?
誰か…教えてくれ。凄まじい轟音により…その未来を失うのは。私だったハズだ。
今、私の目の前に…体を投げ込み…何かを叫んで…消えていったのは…誰だ………?
・・・
姫様が消えた。
ウィラが消え…ティグルが消え…エルスが消え…テトが消え…アグナが…ドットが…キュルラが消え…メイリアとレノウも消えた。
次に消えるのは…私だったはずだ。
なのに…何故?
敵の男たちも…困惑した顔で違いに顔を見合わせている。
「…ひ……め……さ…ま?」
何処か遠くから聞こえる…その声が…自分の声だと気づくのに数瞬かかった。
私は、その時初めて自分の愚かさを悟る。
そうだ…あの姫様が、私たち従者を犠牲にして…独り命を永らえようとするような…そんな方であるわけがないのだ。
もし、そういうお方であれば…そもそもが異世界などへ異界送りにより飛ばされることもなく…仮に飛ばされたとしても…お一人で即座に基盤世界へとお戻りになることが出来たのだ。
・・・
折角、マモル殿が尽力をして、我々をこちらの世界へ返してくれたのに…このような世界の反対側の…祖国から遠く離れた場所へと転移したのも…我々従者たちと行動を共にされんとしたがため…。
姫様お一人だけであれば…転移地も祖国へと調整できたハズなのだ。
私が…諦め…姫様の命を永らえる代償として我が命を差し出す。そんなことを…しようとして…黙って見ていられる姫様では無い…と…私は誰よりも知っているハズなのに…
「…あん?…な…んか…予想外の展開になっちまったけどぉ?…どうする?」
私に死刑宣告をした粗暴な男が…間抜けな声を出す。
「まぁ…こういう展開もあるってことだ。順番が狂っただけで…俺たちのやることは変わらねぇよ…。オッサン…手違いでアンタのお姫様が…先にいっちまったが…恨みっこなしだぜ?…今のは、嬢ちゃんが自分から飛び込んだんだからな…」
「そっかぁ…まぁ…どのみち行く先は同じだからな…」
「…そっ。それじゃぁ…改めて、オッサンも旅立ちなよ…」
そう言って、再び、リーダー格の男が腕を振り上げる。
私は…死ねなくなった。
守るべき姫様を失っておいて…今更…自分が生き延びてどうするのか?
そう思うかもしれないが…この命は…たった今、姫様に救われた命だ。
・・・
そして、私まで死んでしまえば…この地で姫様の身に起こったことを、誰が兄王様にお伝えするのか。
しかも、我が姫様を害した…この者たちに一矢も報いることなく…楽に死ねるなどと…思うことは許されない。
まずは、腕の一本、二本を失うことになろうとも、私の持てる力の全てを使って、この者たちの包囲を破り…我が国へと帰還しよう。
姫様をお守りすることができなかった…私の罪の全てを兄王様にお伝えし、どのような裁きも受けよう。…だが、もし。もし、許されるのならば…姫様の仇を討つ部隊の一兵卒として…再び…この地へと舞い戻り…目の前のこ奴らを………
私の思念に反応して、私の中の闇の因子が暴走に近い状態にまで制御を離れる。私の周りにある要素が、その因子の働きに反応し…私の両腕に暗黒の光となって付着する。
両腕に宿ったのは、負の技だ。相手のエネルギーと逆符号の属性として働き、私の打撃や放った暗黒光の弾に接触した相手の部位から…根こそぎエネルギーを奪う。
負の技が奪うエネルギーは、その部位がその部位として存在するためのエネルギーすらも打ち消し…エネルギーを失った部位は…存在を維持できずに消滅することになる。
我がクロノ・ロスト一族に伝わる…究極の技だ。
そのような強力な技には…もちろん…代償が必要となる。
代償の一つは…その力を宿した…我が身も無事では済まないこと。短時間ならば…耐えられる…そのように幼少時より特訓に明け暮れてきたのだから。しかし、一つの戦闘を終えるころには…我が腕も…形を残していないだろう…
・・・
そして、もう一つ。
この技の力は制御が難しく…効果範囲の設定も容易ではないため…敵味方の区別なく、効果を発揮してしまうこと。
自分の体に対しても…そう。不用意に腕を下ろせば、自らの腰や腿を喰らい尽くす。
守ろうとして包み込む…味方の体をも消し去ってしまう………姫様を守りながら使用することが出来なかったのは…それが理由だ。
しかし、私は悔やんでいる。
姫様の守りを他の従者に任せ、自分は距離を取った外周から、負の技を発動して一気に敵を殲滅すべきであったと。たとえ、私の両腕が朽ち果てようとも…あの時、技の使い惜しみなどせずに…敵の殲滅を図っていれば、今頃、姫様も他の従者たちも失うことにはならなかったハズだ。早くも腕が悲鳴をあげ始めるが…これは私への罰だ。
私の甘さで…全てが後手に回り…最悪の結果を招いてしまった…
だが…もう、躊躇する必要はない。守るべきものは何もないのだから…
周りへの被害など、何も気にすることなく…暴れ回るだけだ。そう…。暴れ回り、包囲網の一角だけでも破ることができれば良い。
そこを抜けて…全力で祖国への帰還を果たすだけだ。
「…おぃ!…こ…このオッサン…何か恐い技持ってるぜ!?」
「早く、消せ…オッサンに動く暇を与えるな!」
敵の男たちが騒ぐのを、私は冷めた気持ちで見遣り…軸足に力を貯める。
後は私の技が早いか、敵の技の発動が早いか…それだけだ…
・・・
敵のリーダーが腕を振り下ろし…
私が…地面を蹴って、そのリーダーへと突進し…
風が大きく唸り…
【ごっ………ずぅどぅずずずずがぁぁあああがぁぁぁぁあああああんんん!】
それが起こった。
・・・
私と敵のリーダーの間。
そこに、突如として飛来した落下物が…轟音とともに雪を吹き飛ばし、その下の氷の層にも穴を穿つ。
飛び散る破片。それは、銀雪の氷原における硬い地表…永久に溶けることがないといわれている…分厚い氷の岩盤の欠片だった。
リーダーに向かって飛び込もうとしていた私のベクトルが180度反転し、私は後転しながら落下点から離れる方向へと弾き飛ばされる。辛うじて後頭部への強打は免れたが、完全には受け身を取り切れず、闇の因子の励起状態を保っていられなくなる。
敵に大きな隙を見せてしまったことになる…と、一瞬焦った私だが…今の衝撃に対し、その向こう側、等距離にいた敵も無事でいられるハズがない。
何よりも…この視界を覆う、雪や塵が戦闘を一時不能な状態としていた。
体に破片による小さな傷を幾つも負い、流血する自分の体を…私は冷静に観察していた。
流血する…ということは…私が未だ生きている証だ。ならば、自分には…まだ、やるべきことが残っている…そのことに変わりはない。
変わりはないが…私の中に…小さな、しかし、見落としようのない疑念が生まれた。
(ラサ!!!…音に惑わされるな!!!)
あの瞬間。姫様が私に向かって叫んだ言葉が…突然、脳裏に閃光の如く駆け抜ける。
・・・
そうだ。
そうだ。そうだ。そうだ!そうだ!!そうだそうだそうだそうだそうだ!!!
思い出せ!…いや。もう遅い…。いや!遅くない!!…思い出せ!
(ラサ!…落ち着け…何かおかしい!…頼む…気づいてくれ!)
姫様は、何度も…必死に…私に呼びかけていたではないか…
(ラサ。…この者たちは…それほど強くない。目を醒ませ。お前は暗示にかかっているのではないか?)
そして…特殊傭兵部隊『狼』の伝聞に心を捕らわれ…必要以上に算を乱して従者隊としての連携も忘れた無様な戦いをしてしまった私の目を…姫様は何度も醒まそうとしてくださっていたではないか…。
暗示。
そう。暗示だ。
小国と雖も、この世界最大の強国である碧色の森泉国から永く国境を守り抜いてきた我が国軍従者隊。その中でも精鋭を集めた末姫付き独立第一小隊の隊員たちが…ああも易々と…痕跡さへ残さずに一瞬で消し去られるなど…有り得ない。
・・・
轟音とともに効果を現す敵の技に、我々は「狼」の噂も相まって、正体不明の恐怖心を抱いてしまっていた。敵の技が…どのような仕組みで我々に害をなしているのかを考えようともせずに…
しかし…あの技は、いったい何をしている?
炎の因子にしても、闇の因子にしても…そして、もっと直接的に…死の因子にしても、その技の発動の仕組みを極端に表現すれば…全て「因子により強制励起状態に置かれた要素を媒介として、指向性を持った波動やエネルギーを相手の体や対象となる物体へと照射し、正常な状態にある組織を異常な状態へと強制的に変化させる」…という表現で説明しうるハズのものなのだ。
では…敵のアノ技は?
青き炎のマルルィアは…苦戦したとはいえ、彼らを退けてたと聞く。だからこそ、マルルィア嬢が、基盤世界で最強だ…などと噂されるのだ。
私は…マルルィア嬢には及ばないのかもしれないが…それでも、以前に手合わせした時の感想では、それほどに遅れを取っているとも思えない。それは、我が従者隊の全員についても言えることだ。
勿論、戦闘においては、少しの力の差が…最終的な勝敗を決してしまうこともある。
だが、あの技が我が隊員と姫様に与えた効果…そして結果は…余りにも大きすぎる。
・・・
訓練された従者は、いずれの者も無意識に自分の支配下に置いた要素の防御膜を身に纏っている。
意識してそれを制御すれば、敵の意志による技の波動やエネルギーを伝搬する要素をある程度までは打ち消すことが可能なはずなのだ。
よくよく考え、よくよく観察すれば…私にも気が付いたハズなのだが………姫様のご指摘どおり…暗示にかかっていたのだろう。無様にも私は、その相殺効果がまるで発揮されずに仲間たちが消されていくのを…違和感を覚えることなく事実として受け入れてしまっていたのだ。
ならば…
姫様が与えて下さった疑念をキッカケとし、今、私が推測した敵の技の仕組みが正しければ………私には、まだ…やれることがある。
そう。まだ、希望は残されている…
それを…今、落下してきた謎の物体が教えてくれた。
そうだ。そうなのだ。敵の技が、あれだけの轟音を巻き起こすような力を本当に持っているのなら。我が従者を消し去った余波が…空気を揺らす程度で済むハズが無いのだ。
今の落下物によるものと同じく、氷原に穴を穿ち、雪や氷の破片を多少なりとも巻き上げていたハズなのだ。
・・・
しかし…この基盤世界にあって、そのような環境に大きな影響を与えるような攻撃方法を用いることは許されない…ということは常識だ。
この閉じた世界である基盤世界では、少しの環境の汚染や破壊が、世界全体の生存環境を脅かしかねないのだから。
マモル殿の世界…あの隠れ家としていた倉庫で、暗殺集団が行って来た爆発物による攻撃などというものは、こちらの世界では自殺行為だ。それも、単に自分にとっての自殺行為に留まらず、世界全体を死に至らしめる危険さえ孕んだ…。
あれは、マモル殿が病院で襲撃を受けた際に、水の技と火の技を同時に発現させて、水蒸気爆発を起こし、敵を退けるという技を見て…真似た攻撃方法だろう。暗殺集団は、マモル殿の世界が我々の世界ほどには閉じておらず、多少の環境破壊は許容されるということを学習したのだ。
だが、この世界では…そうはいかない。
何故なら、そのような攻撃方法を実行すれば、「管理委員会」が黙ってはいないからだ。
その攻撃により如何に優位に立とうとも、超越的な力を持つ「管理委員会」が「調停」の名の下に介入してくれば、あっと言う間に戦いの勝者といえども「管理委員会」によって制圧されてしまうのだ。
だから、敵のあの技の行使に伴う…あの轟音は…結果として発生した音ではなく…音そのものを効果として意図的に発生させた音なのだ。
では…何の為に、そのような轟音を発生させたのか?
今となってみれば…考えるまでもない。我々の心に隙をつくる為に他ならない。
・・・
轟音にすくむことで、思考が相手に制御されやすい状態に置かれ、その結果として容易に暗示にかけられてしまう。
轟音により崩された体内制御が、無意識に発動させている防御のための要素の波動の効果を縮小させる。
…しかし、それだけだ。
あの轟音には、それ自体に破壊力は秘められておらず、どのような攻撃力も生み出していないハズなのだ。
つまりは………そこで遅ればせながら私も、姫様が感じたのと同じ疑問に辿り着く。
本当に…我が従者隊と姫様は…その命と体を消し去られたのか?
確かに、姿が見えない状態になった。そういう意味では…消えた。これは違いない。
しかし、姿が消えた…というのと、命を散らして体が跡形もなく消え去った…というのは全く別物なのだ。
姫様は…生きている!?
でも…どこに?
視界を遮っていた雪と氷の破片…そして塵。それらが、徐々に収まり、目の前に大きく穿った穴が姿を現しつつある。
・・・
視界が明瞭になるにつれ、落下跡の様子が明らかになる。
落下によって粉々に砕け散ったと予想された落下物は、意外にも完全には砕け散ることなく、ある程度の大きさを持った幾つかの固まりとして残存していた。
それは………『狼』………の石像?
伝承に書き記される特徴的な目鼻立ちと符号する頭部が、首から割れ離れて転がり…恨めしげな視線を私に向けている。
その向こう側には、胴体部分や前後の脚部…それから尻尾などのいくつかの部分が、割れ分かれて転がっている。
これは…何だ?
いったい…どこから現れた?
いや。…そんなことよりも………
こうして狼の石像の破片を観察している間にも、視界を遮っていた白い雪と氷の塵は風にチラされ…徐々により遠くまでを見通せるようになってくる。
あの塵があと少し晴れれば、また敵の男たちの姿が見えてくるはずだ…
・・・
そして、その予想どおり…彼らが、一人、また一人とその姿を現す。
しかし…何と言うことだ。
私は彼らが恐ろしい。
今、私が、満足に四肢に力が入らないほどの傷を負い…ふらついているというのに…なんということか。彼らは、まるで傷を負うことなく立っているではないか。
この傷の負いようの違いを見ても…私に勝ち目などあろうハズが無い………。
そう絶望しかけた…その時。
私は見た。彼らの体の回りに空高く舞い上がっていた氷の破片が降り注ぐのを。
その降り注ぐ氷が…彼らの体に触れる…ことなく…彼らの周りの空間に微かな揺らぎ起こしながら、その落下地点を微妙に変えていることを。
あれは?…彼らの身に纏う要素の層か?…しかし、彼らはどのような色の光にも包まれてはいない。
風の技を極めたジンであれば薄い青。水の技のクアであれば薄い水色。私は闇色。姫様は赤い光を。それぞれの体に秘めた因子の能力に応じた微かな光が、その技の属性を教えてくれるハズなのだが…
彼らの体に、そのような光や色は見られない………まるで、何の力も働いていないかのように………。
そして、私はさらに見た。
敵の男たちの体の周りと同様に、いくつかの何も無いはずの空間に、振り落ちる氷片がさざ波を立てながら、その落下の起動を微妙に変えていくのを…
・・・
あそこには…何も無い。
いや。無い…のだが…しかし…何かが…ある?
無い…無い…無…無無無………!!!!!
無!?
そうだ。その存在は極めて珍しく、通常は戦うための力として用いられることは無いが…ただ一つだけ、いかなる色も光りも発しない因子が存在するではないか!
何て愚かなんだ!…私は…。つい先日まで、この世界へと帰還するために必要な3つの因子として探し求めていた…「鍵」と「混沌」と「無」の因子。
そこに…答えはあったのだ。
私にとって、いつの間にか…「無」の因子とは戦うための因子ではなく、異世界からの帰還のためだけに必要な因子であるという先入観が芽生えてしまっていた。
そのために、私は全くもって、「無」の因子を敵が使役しているということに気づけなかったのだ。
気づく機会はあった。
あの隠れ家としていた倉庫への暗殺集団の襲撃時。
絶体絶命の危機にあった姫様を、守りきって見せたあの<マモル>殿が操った力は…ナヴィン殿の保有する因子であったとのことだが…それが「無」の因子だったと聞いたように思う。
・・・
「無」の因子なら、空間を隔絶する技を発現することができる。
敵への攻撃力にはあまり適していないらしいが、防御用に特化して操れば…確かに強力な壁として展開できるだろう。
事実。私をこれほどまでに傷つけた、あの衝撃と飛び散った氷片から、敵の男たちは、無傷で身を守ることが出来ている。
そして、それに気づくまで想像すら出来なかったことだが、彼らは…その隔絶の力…「無」の技を応用して…姫様を始め我が従者隊の面々を次々と消していったということなのだ。しかし…その「消す」という意味は…実際に消し去っているワケではない。
あの一見何も存在しない空間。
敵の男たちの立ち位置の間を埋めるように点在するその空間は…あれは…「無」の技の応用による「見えざる檻」に違いない。
落ちてくる破片の衝突による空間の揺らぎと…その破片が落下の軌道を変える様子から…幾つもの密閉された監獄のような空間がそこかしこに確認できる。
その数は…ちょうど…10。
姫様と、私以外の消された従者9人との合計…その数とピッタリ一致する。
あぁ…あぁ…あぁぁぁぁぁあああああああ。間違いない。間違いない。間違いないぞ!
私の中で、姫様や仲間の生存が…願望から確信へとその属性を変えた。
・・・
次回、「混迷の基盤世界(仮題)」へ続く…