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Lip's Red 2 -狂った科学者と銀雪の狼  作者: kouzi3
第1章 混迷の基盤世界
11/27

(10) ファーマスとマモル

・・・


 参った…。本当に…参った。


 参りすぎて…ちょっと、意識が朦朧としてしまっている。

 どうしよう…マルルィア…。


 俺は、自分が…そう思考するのが精一杯で、実際には声を出せていないことに気が付いた。しかし、自分の左腕の中にマルルィアの肩を抱いていることだけは間違い無く感じとることができているから、その無事だけでも確かめようと左手に力を込める。


 「………う。…うぅ…ん」


 マルルィアの声が聞こえて、取りあえず命に別状は無さそうだということが分かり、俺は一安心する。

 この目でマルルィアの美しい顔に傷が出来たりしていないか確認したいところだが、額に出来た傷が思いの外、出血が酷いようで…流れ出た血液に両眼をふさがれて開くことができない。


・・・


 「…ふむ。さすがの碧色の森泉国(イエメルアーダス)…ファーマス王子といえども、両世界の境が安定した時期に、無理に転移をしようとすれば…無事では済まないようだ」


 聞き覚えの無い男の声が、俺の頭の上の方向から聞こえてくるが…まさか「神」というワケではあるまい。我が基盤世界(サードレイヤース)では、「神」は銀雪の狼どもに喰らい尽くされ…絶えて久しいというのは、子どもでも知っていることだ。

 いや。…今の男の発言からすると…セクダルとサウザムによる自分たちへの異界送り(ナザーダスヴォック)自体は成功し…俺とマルルィアは異世界へと辿り着いてはいるようだ。異世界では…「神」は絶えてはいないのかもしれない。


 しかし、いずれにしても俺は「神」になど用はない。

 男が、俺やマルルィアを害しようとする者であるならば、たとえ目が見えない状態だろうと戦わざるを得ないが…先ほどから、俺の体から流れ出る血を止めるために、男が水の因子(ファラクル)能力(パーランス)らしき癒しの技を使ってくれていることから…取りあえず直ちに敵対する者ではない…と判断し、治療されるままに大人しくしていることにした。


 「…本当は、私が…直接、こうして王子たちと接触することは好ましくないのですが…既に、6年前に王子の運命は…本来のあり方から大きく歪められてしまっていますからね。今更、私が…少々の規約違反をしたところで…大きな影響は無いでしょう。…それに、今となっては、私の行動を把握するほどの能力を持つ役員も…存在しませんしね」


 男の言うことは…悔しいが、この俺にも全く理解不能だ。


・・・


 しかし、瀕死の状態となっている俺とマルルィアが、何らかの超越的な意志によって生かされようとしている…というコトだけは間違いない。

 なら、今は、それで十分だ。


 世界の摂理に逆らい、無理矢理に二つの世界の壁に穴を開けてこちらの世界へと侵入した俺たち。無理矢理開けた穴は、目に見えるような代物ではないが…おそらく相当に「ささくれ立った」ような状態なのだろう。或いは、俺たちは世界から秩序を乱すものとして拒絶され…排斥されようとしたのかもしれない。


 「なぁ…。一応…助けてくれているみたいだから…礼を言わせてもらうが………お前は、俺の…いや。俺とマルルィアの6年前に何があったかも知っている…ような口ぶりだね。一体、何者なんだい?」

 「申し訳ありませんが…お答えすることはできませんね。アナタは、私の担当すべき人物ではありませんので…。そして、お礼を言っていただく必要もありませんよ。私に操られているような状態ではありますが…実際に、アナタに対して回復の水の技を使用しているのは…アナタと同じ世界出身のハル・クロコ・ロップルさんと…その一族の皆さんですからね」


 ハル…?…聞かない名だな。…しかし、ニューラ姫の暗殺を請け負って異世界へと送り込まれた一族が…確か…そんなような族名だったような気がしなくもない。

 もしそうだとしたら、我が愛しのニューラ姫の命を狙った憎き連中に命を救われているというコトになる。


・・・


 俺は、今現在の我が身がおかれている皮肉な状況に内心で苦笑する。あの暗殺屋の社長には、知られたくない状況だな。…が、あの男の情報網なら、間違いなく知ってしまうだろうが。いや、そもそも…あの男には異世界にも情報源がいるような口ぶりだった。それが…この男なのだろうか?


 「俺は今、こんな状況だ。誰でも構わないよ。救ってもらって…感謝する」

 「ほぅ。王子でありながら…素直なのですね」

 「ふん。さっき、アンタが言ったとおり…俺は6年前に散々な目にあっているからな。それでも、こうして生きているのには…今回と同様、いろいろと他人様の有り難いお心があってのことなのさ。感謝の気持ちだって芽生えようってもんだ」

 「なるほど…」

 「で…、感謝ついでに…出来れば頼みがあるんだが…」

 「ニューラ姫の件でしょうか?」

 「あぁ…。やっぱり、アンタも、間違いなく…只者じゃないんだな…今、基盤世界で起こっていることを…こちらの世界に居ながらにして把握してるんだ?」

 「はぁ。まぁ…私は…そういう存在なのだと…ご理解ください」

 「あぁ。深くは詮索しないよ。…今は…する力もないからな。…だが、事情が分かっているのなら…頼む。時間が無いんだ。ニューラ姫を…」

 「申し訳ないのですが…」


 俺の柄にもない必死の願いを、男は最後まで言わせてもくれずに拒絶する。

 俺は、別に…「俺の代わりに救いに行ってくれ」…などと言うつもりは無い。ただ、氷原国のニューラ姫がいる地点へと転移させてくれれば良いだけなのだが…


・・・


 「…さすがに、そこまで関与するわけにはいかないのですよ。自分が向こうへ行くことは当然できませんし…ファーマスさんを転移させるほどの力を使えば…さすがに委員会の連中にも察知されてしまいます。申し訳ありませんが…それはできません」


 俺の意図を正確に読み取った上で、男は無理だと言う。つまりは、「委員会」とやらに知られる心配さえなければ…それが容易に実行可能な力を…使える存在だということ。


 「…くそう。以前から、話には聞いていたが…『委員会』ってのは本当に存在するんだな。…しかも…組織として力を持っている…ってだけじゃなく…アンタのように、個人としても…当たり前のように絶大な力を保持している…とは…」

 「ファーマスさん…いや。王子…悔しがることはありませんよ。私は、そのような力を能力としては操ることが可能ですが…実際には、様々なしがらみ…制限があって…全くと言って良いほど…使う機会はありません。画に描いた餅…のようなものですから」


 ふん。確かに…煮ても焼いても食えないような…そんな匂いのする男だ。「画に描いた餅」とは、自分自身のコトをも皮肉って言っているような…卑屈な響きも含んでいるようだ。


 「何。心配することはありません。…この世界における標準時間表現で…ここ数百年、ファーマスさんたちの世界でいうところの…ここ数百周季の間を見ても、これほどまでに激動の時代はありませんでした。その激動の時代の主役は、間違いなく…アナタやニューラ姫です。そんなに早く、主役が世界から退場するなんてコトはありません」


・・・


 男の言葉は楽観的だ。そして、気休めにすらなっていない。誰が主役か…なんてことは、全ての物語が終わり…後世の者が他人事のように判断することなのだ。

 仮に自分が主役の一人だというのが事実だとしても、だからといって何もしないで見ていれば全てが「めでたし。めでたし…」という終わりを迎えるなどということは有り得ない。物語の途中に存在する俺たちは…物語のコトなど意識せずに全力で生きるしかないのだ。

 俺の憤りと焦りを知ってか知らずか…その男の気配が急に薄れ始める。


 「…ほら。やっぱり…ファーマスさん。アナタは運が良いようです。私やクロコ・ロップル一族では、アナタの望みを叶えて差し上げられませんが………アナタの望みを叶えることができる人物が…近づいてきているようです。」


 俺とマルルィアに水の癒しを与えていた複数の気配も、静かにこの場から立ち去ろうとしているのがわかる。


 「彼もまた…この物語の主要人物の一人でしょう。真の主役の座…が、誰になるのかはアナタたち一人ひとりの努力次第ですが………楽しみに影から拝見してますよ。では…訳あって、私たちは彼と顔を合わすワケにはいかないので…去ります」


 そう言って、その男の気配は掻き消えた。忽然と。


 そして…代わりに…あの青年の気配が近づいてくる。


・・・

・・・


 「!!!…ご、ごごごごごごごごご…………」


 俺のトレーニングに付き合って走っていたクアが、突然、地震でも起きたかのような擬音を口にする。


 クアは厳しい従者(ヴァレッツ)としての訓練を受けているだけあって、俺なんかよりも体力がある。俺が、かなり汗だくになりながら呼吸を乱しているにもかかわらず、クアは汗一つかくことなく、呼吸も乱すことなく余裕で走っていたんだけど…突然、どうしたんだろう?


 「ご、ご主人様…あそこに、ひ、人が倒れていますわん!」


 俺の速度に合わせて走ってくれていたクア。しかし、ゴール地点である我が家の玄関前に倒れている人影を見つけると、走るというよりもほとんど飛ぶ…に近い表現で滑るように駆け寄っていった。

 俺もラストスパートの気合いを入れて、クアの後をついて全力で走る。


 先ほど狐狼廟ころうびょうで、因子の能力を身につけるための訓練中に、どういうわけか狐狼の石像を1体消してしまうという失敗をした俺。その場から逃げるように立ち去り…そのままトレーニングと称して市内をランニングしたため…もうかなり体力を消耗してしまっている。だから、全力で走ったと言っても、実際にはヘロヘロと倒れている人影のところまで倒れないように近づいた…というのが本当のところなんだけどね…。


・・・


 倒れている人影は、2つ。


 俺より少し年上?…っぽい男性と、その左腕に抱かれるようにした、やはり少し俺よりお姉さん?…な大人の色気が香る女性だった。

 二人とも、何があったのか…傷だらけで、血まみれだった。

 クアは、彼らが何者かを問うこともなく、駆けつけると同時に得意の水の因子による治癒を必死に行っている。


 「…く、クア…はぁ、はぁ…だ、大丈夫!?」

 「はぃ。私より先に…誰かが最低限の止血だけはしていたようですにゃん。」

 「はぁはぁ…そ、そう。っていうか…どうしてこの人たち血まみれなの?」

 「うにゅ…ご主人様と一緒に、今、戻ってきたばかりの私には分かりませんわん!」

 「そ、そりゃ…そうか。はぁはぁ…でも、何で家の前に?」


 俺は、そう言って二人の顔を覗き込む。


 あれ?

 何か…この二人…見たことあるような………???…それも最近。


 「あ~~~~!!!…お、思い出した。く、クア…この人たち、お前と同じ異世界の人たちだよ!」


 俺の突然の驚きの声に、クアも改めて二人の顔を確認する。


・・・


 「あら…本当ですにゃん!…ファーマス様とマルルィアさんですわん?」


 やっぱりそうだ。

 あの夜。姫様を巡って、「救い帰ろうとする者」と「姫の命を奪おうとする者」が狐狼廟で戦った。あの場所に二人で現れた、「救い帰ろうとする者」の側だったハズだ。

 …確か…そう、ファーマスとマルルィアって呼ばれていたような気がする。


 「…ど、どういうこと?…あっちの世界に…帰ったんじゃなかったの?」


 という俺の問いに答えるものは当然のごとくいるわけがなく…とりあえず俺は、クアと協力して二人を家の中に運びこんだ。

 普通のけが人なら、警察と消防に通報して…という手続きをとるんだけど、異世界人がらみとなると知らせるべき相手は彼らではなく別の者の方が良い。

 本当なら、その最適任者は俺の親父だったんだけど…あの夜、俺が姫様と一緒に向こうの世界へ飛ばしてしまったので…今は居ない。


 「………何やってんだ?…お前ら…」


 つまり、必然的に俺が頼る相手は兄貴…ということになる。

 兄貴は、クアに代わってけが人を受け取ると、俺と一緒に奥の寝室へと二人を運ぶ。

 クアが軽々と運んでいたので、軽いと錯覚した兄貴は…クアから引き継いだファーマスの体重が予想外に重いために、ヨロヨロとよろけている。


・・・


 クアは従者だから見かけによらず力持ちだ。だから、俺がマルルィアさんで、クアがファーマスさんを運んでいるのを見て、「お前何やってんだ?」と俺を睨み付けた兄貴だが、転けそうになって慌てている。うしししし…クアの前だからって、張り切って格好いいところ見せようとするなんて…兄貴も可愛いもんだな。


 取りあえず今は不在となっている親父の寝室に二人を運び、そっと寝かせる。

 痛みと失血で、気を失っていたファーマスという青年が、冷たい布団の感触の刺激に意識を覚醒させたのか「うぅぅぅ…」と呻きをあげる。

 そして、次の瞬間…


 「…し、しまった。意識を失っている場合じゃない。急がないと…」


 そういって飛び起きる。当然、クアの治療があったとはいえ、気絶するほどの傷を負っていたのが短時間に完治するワケもなく、飛び起きた勢いに痛みが全身をおそったようで、「うぐぅ…」と前屈みになる。


 「な、何を急いでいるのか分かんないけどさ…その傷じゃぁ無理だよ。大丈夫?」


 俺が声をかけると、ファーマスは俺を睨み付けて怒り出す。


 「…お、お前は…ま、マモル君じゃないか!…こ、こんなところで何をしている!?」


 こんなところ…って?…あの、ここは俺の家なんだけどね?


・・・


 「お前は…ニューラ姫の守護者(ガルディオン)だったんじゃないのか!?…いや、守護者で無くなった…という話も聞いたが…そ、それでも、あれだけの術を使う力があるのに………何故、姫を助けに行かない!?」


 やっぱり、異世界の本物の王族だというファーマスは…俺の秘密も全てお見通しなんだろうか。確か…詠唱者(シャンティル)でもあると言われていた気がする。

 でも、姫様ですら俺が守護者でなくなったことを、はっきりとは気づかなかったのに…ファーマスは何故、そのことまで知っているんだろう?


 「…た、助けるって…??…あの…だって、姫様は無事に自分の祖国へと帰ったんじゃないの?」


 俺は、クアと顔を見合わせる。クアも事情が分からない…といった顔で小首を傾げる。


 「…お前は、自分が何をしたのか分かってないのか?…お前が白暮の石塔国(ファイストゥーン)とは全く反対側の…世界の果て…銀雪の氷原国(フルィスケルツリン)なんかにニューラ姫を飛ばすから………姫は、今、大変な危機に陥っているんだぞ!」

 「氷原国に!?…まぁ~。やっぱり、あの場所で術を発動したから…そうなってしまったにゃんね?」


 クアが、驚きながらも同時に納得したという器用な表情を浮かべて頷く。

 そして、俺の顔をみつめて「ほら、さっき言ったでしょ?」的な目線を送ってくる。


・・・


 「ぬぬぬ。ひょ、ひょっとして、さっき飛ばした狐狼の石像が、姫様の頭の上に落ちちゃったとか?」


 俺の間抜けな驚きに、ファーマスが襟首に掴みかかりながら問い質す。


 「お、お前…。ま、まだ、転移の術式を発動できるのか!?」

 「く、苦しい………」

 「なら、もたもたするな…俺を、俺を早く、ニューラ姫と同じ氷原国へと飛ばせ!」


 首を絞めるように掴みかかられて…俺は呼吸ができなくなる。


 そこへ、兄貴が無表情で現れてファーマスの腕に注射器をつきたてる。一瞬だが、親父と同じで、人を人とも思わない「研究者の顔」をした兄貴に恐いものを感じる。

 だが、お陰でファーマスの腕から力が抜けて、俺は再び空気を肺に取り込むことができて…命拾い?した。


 「ファーマス…だな?…何があったか知らないが…人の家で騒がしくするのは遠慮して貰おう」


 ?…兄貴は、ファーマスのことを知っている?

 そういえば、寝室に運び込んで二人を寝かせた後、兄貴は二人の顔をしばらく除き込んだ後、何も言わずに部屋を出て行ったけど…何かを確認しにいっていたのだろうか?


・・・


 「く…あ、お前は…あ、アキラか…お、俺に何をした?」

 「心配するな。鎮静剤を打っただけだ。6年前に、お前も親父から多少は薬学を学んでいたろう?…だったら鎮静剤の効能は説明しなくても…わかるよな?」

 「………くそ。俺は、落ち着いている暇など無いんだ…うぐぅ」

 「あの姫が、どうやら危険な状態にあるらしい…という話は、聞こえた。近所迷惑なぐらいの大声だったからな。…だが、お前のその傷の状態では、子猫一匹だって救うことはできないぜ?」


 鎮静剤の効き目か…それとも、兄貴の指摘に納得したのか…ファーマスはそれでやっと大人しくなった。

 クアがそれを待っていたかのように、真剣な目をしてファーマスに問いかける。


 「ファーマス様。お久しゅうございます。石塔国末姫付き独立第一小隊所属…クア。クア・アオシ・ウルトでございます…」

 「…あぁ…白き水龍…クアか…久しぶりだな」

 「姫様に…何が起きているのか…お聞かせ願えますか?…もし、必要であれば私こそが…姫様をお助けに飛ぶべき立場故に…」


 クアの顔をじっと見つめ、しばらく沈黙した後に、ファーマスはマルルィアの方に視線を落として、小さな声で言った。


 「…そうだな。お前の力なら…銀雪の狼とも渡り合えるだろう。マルルィアの傷は、俺よりも重いようだしな。白き水龍に…託すべきなんだろうな…ここは」


・・・


 いきなり人の首を締め付けてくれたファーマスだが、姫様の身を案じる真剣さや、隣で未だ意識を失っているマルルィアという女性を思いやる姿勢には好感が持てる。


 「なら…早く行ってくれ。…ラサ・クロノ・ロストといえども…初見では「狼」どもの小細工に気づかずに苦戦していることだろう…」

 「………ひっ…お、『狼』…で…ございますか!!」


 狼…という単語を聞いて、クアが顔を引きつらせる。


 「慌てるな…。『狼』とは氷原国との契約に基づいて我が森泉国との国境防衛と…侵入者の捕獲を生業なりわいとする特殊傭兵部隊の名だよ…」


 薄く笑みを浮かべてファーマスは姫様のおかれている…と思われる…状況を説明しはじめた。

 俺には、基盤世界の地理や政情が少しも分からないので若干意味不明のところもあったが、クアはその辺りも含めて理解できているらしく、真剣な表情でファーマスの話を聞いている。「わん」とか「にゃん」といった特徴的な語尾も…さすがに隣国の王族相手には使わないようで…なんだか別人のようだ。

 途中から話についていけなくなった俺は、クアの以外な一面に意外な魅力を感じて、いつの間にか話そっちのけでクアの横顔を見つめていた。

 …が、そんな視線が、自分とは別に…いや、むしろ自分の視線よりも強く太く注がれているのに気づいて、横を振り返る。締まらない顔をした兄貴が、やはりクアの凛々しくも愛らしい横顔を見つめていた。


・・・


 ファーマスの話が終わると、クアが俺の方に向き直り、真剣な顔で頭を下げてきた。


 「ご主人様。お聴きのとおりです。私は…行かなければなりません」

 「う…うん」

 「ですが…私の力では…姫様のもとへと駆けつけることができません」

 「うん…知ってる」

 「無理を承知で…お願いします。私を…姫様のもとへと送りとどけてくださいませんでしょうか?」


 予想はできた依頼だけど…俺は、普通の地球人だ。

 たまたま、あの夜は姫様たち…と、親父…を異世界へ送り帰すことができたけれど…そんなことがもう一度、果たして出来るだろうか?

 俺は返答に困って、口をぱくぱくするしかなかった。


 「ご主人様なら出来ますわん!…石像の狼さんも、きっと今頃、基盤世界に行き着いているに違いないですにゃん!」


 感情の高ぶりと共に、「わん・にゃん」というおかしな語尾が復活してる。

 俺は、困ってしまい…思わず兄貴の方に顔を向けて…助けを乞おうとしてしまった。

 そんな俺に、兄貴は怒ったように命令した。


 「何を呆けた顔をしている。クアさんの願いを聞いただろう?…今、それが出来るのはお前しかいないんだ。…だったら、答えは決まっているだろうが」


・・・


 本当は、自分がクアさんに付き添って行きたいのだが…と言いながら、兄貴はファーマスとマルルィアの二人を見る。


 「俺は、この二人の介抱してやらないといけないからな。一応、知った顔ではあるし…。クアさんは、一人で姫さんを助けに向かうつもりのようだが…マモル。お前、まさか自分は安全なところに留まって、クアさんだけに責任を押しつけようとはしていないだろうな?…助ける相手は…お前の大事な…あの姫さんだぞ?」


 兄貴に指をつきつけられて、俺は考えた。

 俺は、一度は姫様やラサさんの依頼を承諾し、異世界を訪れてもいいと考えていた。

 しかし、親父からの思いもよらぬ愛情を示されて…親父を裏切って異世界には行けない…と考えを改めた。

 それに…俺は、あの倉庫での襲撃を凌いだのを最後に…守護者ですら無くなっていたのだから…異世界へと付いていく理由も…資格もないと思ったのだ。


 だけど…、今、その親父は異世界に居る。

 そして、守護者ではないものの…詠唱者であるファーマスにすら不可能な技が…使える…らしい。

 そして、クアも…どのみち…いつかは異世界へと帰してやるつもりだった。

 何よりも…あの美しく可憐な姫様が…命の危険に晒されているのだという。


 色々と考える………その必要も無いほどに…俺のやるべきことは明白だった。


・・・


 覚悟を決めて頷いた俺に、兄貴は幾つかの指示と助言らしきものを書き込んだメモを手渡してきた。


 「ファーマスのことは…どうでもいいんだが…マルルィア嬢は、異世界へと帰してやらないと気の毒だ。だから…お前は、アッチの世界で姫さんを救うことができたら…そのメモにある俺からの指示に従って、この世界でファーマスが帰還の術式を発動できるように…その…なんだ…あぁ要素(ルリミナル)だったか…それを、こっちの世界へと送ってこい」


 なんだか…親父と同じような顔をして兄貴が無茶を言う。

 俺が、不安そうな顔をしていると…


 「心配するな。親父の論文を読破し、さらに姫さんやお前、そしてクアさんから直接聞かせていただいた話を総合して推論を検証した結果が正しければ、そのメモのとおりにやることで…可能なハズだ。俺の弟なら…やって見せろ。それで全員が笑顔になれる」


 あ…兄貴が…なんかカッコイイこと言ってる。

 感動するよりも、弟としての気恥ずかしさに目線を逸らすと、クアが目をキラキラさせながら兄貴を見ている。

 兄貴も、どうやら俺に…ではなく、クアを意識して言葉を選んでいるようだ。

 何だか、その兄貴の健気な気持ち微笑ましくて…俺は、急に肩の力が抜けた。

 よし。出来るかどうか…分からないけど………分からないなら、やってみれば良いだけだ。


・・・


 「駄目で元々。よし、クア。行こうか!」

 「はい!…お願いしますにゃん!」


 俺の呼びかけに、クアが黙って目を閉じて祈るように手を合わせる。

 兄貴がそんな可愛らしい仕草のクアを眩しそうに見ている。

 もう…こっちが気恥ずかしくて、やってられないよ。…とか、思いながら…


 「違うよ。クア。この場所じゃなくて…上手くやれるとしたら、やっぱりあの場所からに違いないんだ。…走るよ。狐狼廟へ…」


 俺は、そう言って玄関へ向かって走り出した。

 ファーマスが、弱々しげな声で「頼む…」と一言、俺の背中に投げかけてきた。

 振り返らずに親指を立てた手を肩の高さに上げて仕草で答える。了解…と。


 玄関先で靴を履いていると、兄貴が防災用の「非常用持ち出し袋」を放り投げてきた。


 「緋宮家の特性防災袋だ。遠からず、この日が来ると予想して、俺がいくつか、アッチの世界で役立ちそうなものを入れておいた…持っていけ」


 親父といい…兄貴といい…俺の家族は、凄すぎる。胸に広がる誇らしい感覚を確かめながら、俺は無言で手を振って玄関から走り出した。

 クアも無言で、兄貴に深々と礼をして…そして俺の後を付いてくる。


・・・


 10数分後…


 俺は、クアと共に再び狐狼廟にいた。


 ちょっと…罰当たりかも…とか胸が痛んだが…二人して狐狼の石像に跨っている。

 何故なら、成功のイメージを大事にするためだ。

 他の因子の能力の発動には、ことごとく失敗してしまった俺は…気合いはあっても、また失敗するのではないか…という負のイメージに付きまとわれている。

 しかし、確かに、今日、さっきここで1体の狐狼の石像を消すことには成功したのだ。

 あれが異世界へ石像を本当に送り込んだ…ということなのか自信はないのだけれど…クアは、間違い無いと保証してくれている。


 あの石像の消滅が…転移などではなく、純粋に消滅だとしたら…俺とクアは、そろってこの世から姿を消して…一巻の終わり…ということになってしまうのだ。

 ある意味、もの凄い賭けだといえるけど…不思議と俺は恐くなかった。

 俺よりも遙かに強く、凄い能力を持った従者。そのクアが、俺の技でなら間違いなく姫様のところへと行ける…そう信じてくれているのだ。

 ならば、狐狼の石像は間違いなく、異世界へと飛んでいったのだろう。

 さらに二体も数を減らせば…怒られちゃうな…とか一瞬心に雑念が浮かんだが…その時には兄貴が何とかしてくれるだろう。


 「よし。クアが俺を信じてくれるなら…俺も、俺を信じるよ」

 「はいですにゃん!」


・・・


 二人並んで狐狼の石像に跨っている…という、端から見たら間抜けな格好で、俺たちは熱い視線を交わし…頷き合う。そして、静かに…目を閉じた。


 体の中を流れる体液。その中を漂う…因子(ファラクル)を意識する。

 同時に、空間に偏在する要素(ルリミナル)にも意識を向ける。

 因子を意識し…要素を意識する。


 因子…要素…要素…因子…因子…因子…要素…因子…要素…要素………

 下腹…へそ下辺り…丹田と呼ばれる部分を意識して…気を練り…同時に眉間の辺りにも意識を傾ける。

 巡る。巡り始める。俺の体を縦に貫き胸の辺りで捻れるように交差した要素(ルリミナル)の流れが、少しずつ太さと速さを増していく。

 胸の前で何かを挟むように手のひら同士を向け合い…合掌の状態から…少しずつ間隔を開けて…やがて体の幅と同じほどの距離で手のひらを固定する。


 掴んだ。


 俺の中で、因子と要素が互いに共鳴しあっている。

 後は、特定の因子を選び出して、そこにベクトルを与えてやれば………

 俺は、胸の奥にしまっておいた姫様の美しい顔を思い浮かべ…そして、同じように美しく可憐なクアと共に姫様の元へ駆けつけるイメージを強く念じた。

 次の瞬間。俺とクアは…狐狼の石像と共に…異世界へと旅立った。

 実際には、急激な浮遊感に目眩を起こしたのだけれど…それでも、俺は成功を確信した。


・・・


次回、いよいよマモルの異世界デビュー!「技のカラクリを見抜け(仮題)」へ続く!

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