(9) 大慌ての森泉組?
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ジストンの瞳が仄かな緑色に光っている。
「…じ、ジストン…お前………?」
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数刻前…
ニューラ姫の移動経路の予想が困難なため、俺とジストンは一旦、追跡を諦めてデルタ村へと戻ってきた。
今度はどんなデタラメをジストンが言ったのか…村人たちは本来なら厄介者であるはずの他国の兵である俺たちを、またしても厚くもてなしてくれた。どうやら、ニューラ姫を保護するために尽力している…ということに対して、村人たちが協力的であるということだけは間違いない。つまりは、ジストンの口車の上手い下手以前に、俺たちは結果としてニューラ姫の人徳に助けられている…ということになるのだろう。
とにかく、俺たちは村の儀式場を借りて、ファーマス殿下へ因子通信で連絡を取ることにした。
俺たちが「こちらの世界」へ帰還できているのだ。詠唱者であるファーマス殿下が、こちらへ帰還できていないハズがない。
儀式場には、因子の能力が低い者でも遠距離通信を行うことができるよう、恒常的に効果を発動する儀式装置が設置されている。
その儀式装置は、因子通信の術の効果を増幅する機能だけを有しており、王国執政院が各地区の代表者たちへの命令を伝達したり、逆に各地区の代表者たちから王国執政院への報告を行うために支給されており、基盤の全ての国に共通する情報伝達手段だ。
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俺とジストンは、銀雪の氷原国の軍部や王国執政院に傍受されないように慎重に思念を集中しながら、碧色の森泉国方面へ因子通信を試みた。
森泉国の王宮や国軍への因子通信は、ダルガバス宰相に察知されてしまう恐れがある。そのため、森泉国の比較的外縁部に位置する農村部などを順番に走査していく。数多い拠点を一つひとつ確認し、ファーマス殿下の気配を探していく。根気の要る作業だ。
そして、今…
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突然、夢遊病の様に立ち上がり、硬直したジストンの瞳が仄かな緑色の光を放ち、そのジストンの口から、ジストンでは無い…別人の声が響いてきた。
『…馬鹿か?馬鹿なのか?…いや、馬鹿過ぎてむしろ優秀なのかもしれないと思い始めてしまったぞ?…って、言うかよ馬鹿野郎ども!…そんな雑な思念で因子走査なんかしたら、基盤世界中の詠唱者たちにお前たちの居場所はおろか、俺とマルルィアの居場所まで筒抜けになるだろう!?』
俺は、一瞬、ジストンが悪ふざけをしているのか?…と疑ったが…この状況で、そんな手の込んだ悪ふざけをする理由が思い浮かばない。
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「ふぁ…ファーマス殿下なのですか?」
『…ジストンの目を通じて、定期的にお前たち二人の行動は確認していた。いちいちお前たちから連絡しようなんてしなくていいんだよ?…まったく、ちょっと俺がマルルィアと取り込み中で、お前たちから目を離した隙に…雑な因子走査なんか掛けてきやがって…まったく…もう!』
「…も、申し訳ありません………と、取り込み中…お邪魔しまして…」
『まったくだよ!…マルルィアなんか、ジャマされて機嫌を損ねちまって…もう…あ…痛っ…やめろって…ちょっと…マルルィア…イイ子だから大人しくしててね?………あ…悪い。そういうことだから…以後、気を付けるように!』
「わ、分かりました…」
緑色に光る目で硬直したままのジストンの口から、このような会話が繰り広げられる姿というのは相当に異様な光景だ。
『何とか、妨害因子をぶつけて、ダルガバスには気づかれないように誤魔化せたから良いが…危うく奇襲が事前に察知されるところだったぞ?』
「…き、奇襲ですか?」
『あぁ。マルルィアと俺なら、力ずくでダルガバスを失脚させることも可能だが、奴に俺の可愛い国軍を動かして抵抗されると面倒だ。今後の俺の計画を迅速に実現するためには、その手駒となる国軍は出来るだけ無傷で奪い返したい』
「なるほど。確かに、心情はどうであれ、現在の宰相であり兼ねて国軍総司令でもあるダルガバス様の命令があれば、軍属としては従わざるを得ませんからな」
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『そうだ。だが、軍属はそれで良い。指揮命令系統を簡単に無視するような奴らは使い物にならないし、信用も出来ない』
ふざけたような口調が常のファーマス殿下だが、どうやら軍属というものに対する認識にはまともな感覚をお持ちであるようだ。
「…し、しかし…奇襲とは。だ、危険ではないのですか?…いくら詠唱者とはいえ、たったお二人で…」
『お前たちが知らないのも無理はないが…我が王宮内には、軍属はおろか従者などの術を操る連中は自由には入れないのさ。お前がダルガバスに軍務の報告をする場合でも、王城の敷地内、許された区画にしか入れなかっただろ?』
「…は、はい」
『王宮内が無骨な者たちで溢れて殺風景にならないようにという昔からのしきたりなんだがね。詠唱者である王に対して謀反を起こそうなんていう馬鹿な奴は居ないから、別に王宮内を軍属や従者が歩き回ろうと構わないんだが…俺にとっては都合のいいしきたりなのさ………王宮内まで入ってしまえば、こっちのもんだ』
「し、しかし…ダルガバス宰相も…え、詠唱者なのでは?」
確かに、詠唱者であるファーマス殿下であれば、軍属や従者のいない王宮内で直ちに危機に陥るということはないだろう。しかし、対するダルガバス宰相も詠唱者なのだ。詠唱者同士の直接対決など、俺には想像もつかないが…ファーマス殿下に全く危険が無いという保証はないのではないだろうか?
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『お前…知らないのか?…俺のマルルィアが、他国から何と呼ばれているのか…』
「あ…」
『俺には、基盤世界最強の守護者がいる』
「…青き炎の…」
『そうだ。しかし、ダルガバスには未だに守護者はいない。奴は…猜疑心が強いからな…よほどの信頼を寄せた者にしか選定の儀は行えないのさ…』
「クレメンス様は?」
『奴が唯一心を許しているクレメンスは、侍従…文官だ。守護者にしたところで、何もできない。そこそこに知恵の回る優秀な男だが、クレメンスは王宮の外の情報は詳しくないから、参謀としても役には立たないさ。なにせ、俺が暗示をかけたせいもあるが…ダルガバスもクレメンスも…俺に守護者がいることを知らないからな』
ファーマス殿下の説明に、俺は黙って呻るしかない。…恐ろしいお方だ。何もかも見通して、全てをその掌の上で操っているのだろう。…確かに、それならば間違い無く明日にでも、ファーマス殿下は王宮の支配者として復帰するに違いない。
それならば、もう俺があれこれと心配するのは時間の無駄というものだ。
俺は、本来の報告案件であるニューラ姫の件に話題を切り替えることにした。
「ところで、ニューラ姫の件ですが…」
『あぁ。ジストンの目を通じて、お前たちの見聞きしたことの概ねは理解している』
「申し訳ありません。同じ氷原国へと転移しておきながら、無様にも昏倒している間に、姫を見失いました」
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『気にするな。お前たちを転移させた術を操ったのは、どうやら術式に不慣れな異世界の青年らしいからな。お前たちと姫とは、異なる刻にこちらへ顕現したらしい』
「…異なる刻?」
『考えて見ろ、もし、お前たちが姫と同じ時刻に氷原国へと転移してきていたら…そして一晩中、そこで昏倒なんかしていたら…今頃、命はあるまい?』
「…そ、そうですな。確かに…危うく凍え死ぬところでした」
『俺にも、詳しい仕組みはわからないんだが…それでも、通常の空間へ転移できただけ、お前たちは幸せだぞ?』
「…幸せ?…ですか?」
『あぁ。お前たちがこっちらへ転移させられた時、お前たちの気配と一緒に、異世界の現地人の気配も同時に消えていたんだが…どうも、今のところ、少なくとも氷原国の周辺には顕現した様子が無いんだ…まだ…ということなのか…それとも、何処かに引っかかっているのか…』
「はぁ…」
『まぁ何にせよ、ニューラ姫には、まあまあ優秀なラサという筆頭従者を始め10人程度の従者がついているということだから、そう心配はいらないと思うが…』
そこで、ファーマス殿下は言葉を切った。
どうしたのだろうか?…しばらく沈黙が続く。
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沈黙に耐えきれなくなり、ファーマス殿下に問いかけようとしたとき、緑色に目を光らせたジストンの口から再び言葉が漏れた。
『…む。まずいな…』
「どうかなさいましたか?」
『お前は、感じなかったのか?………無理か…一瞬だったし、実際には発動しなかったようだからな…』
「な、何ですか?」
『…ニューラ姫の現在の位置が分かった。中立大平原を内回廊方面へ向けて進んだ氷原地帯だ…』
「おぉ!…さすがはファーマス殿下。遠くにあられても、ニューラ姫の気配を探査できたのですね!?」
『…今のは…詠唱…。術式の初期化部分だけだったが…』
「ファーマス殿下?」
『そんなものを唱えなければならない…状況とは…何?…おぉ、そうかマルルィアの言うとおりだ。中立大平原には、あの面倒な連中がいたな』
「面倒な連中?…ですか?」
『お前も耳にしたことがあるだろう…特殊傭兵部隊の噂を…』
「…お、『狼』ですか…特殊傭兵部隊…『狼』…」
もちろん俺も耳にしたことがある。マルルィア様を最強として世に知らしめた伝説の戦い。その戦いの相手が…特殊傭兵部隊「狼」だ。俺の背中に寒いものが走る。
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「そ、それは…大変ではないですか!…マルルィア様と互角とも言われる連中が相手では…いくらニューラ姫の筆頭従者が優秀な男でも…」
『…あぁ。その噂は、氷原王が流した噂を…俺が都合の良いように一部改変して流した噂だから…必要以上に恐れる必要は無いんだが………連中の扱う因子の能力のカラクリに気づくのが遅れると…あのラサ・クロノ・ロストといえども…遅れをとる可能性はある………』
ファーマス殿下の声に焦りの色が混じる。
マルルィア様と互角といわれるような連中に、俺がどれだけ太刀打ちできるかは不明だが…中立大平原ならば、ファーマス殿下よりも我々の方が近い。俺は、特殊傭兵部隊「狼」の噂に怯える心にムチを振るって言った。
「…す、直ぐに、自分とジストン准尉で中立大平原へ向かいます」
『………いや。待て。…気持ちは評価するが…お前たちの保有する因子では、奴らの因子には対抗できない』
「…敵の保有する因子をご存じなのですか?」
『あぁ。マルルィアがてこずった…というのは事実だからな………よし。お前たちは、その場に待機して、俺が救出したニューラ姫をお迎えできるように寝所を確保しておけ………必ず、助け出す…が、今からでは…さすがに無傷で…というわけにはいかないだろうから…』
そのお言葉を最後に、ジストンの目は緑の輝きを失い…ファーマス殿下のお声は聞こえなくなった。俺は、ジストンの介抱も忘れて、しばらく呆然とするだけだった。
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「困った!困ったぞ!…困りすぎて気が変になりそうだよ…マルルィア。…さぁ、いったい、俺はどうしたら良いと思う?」
ファーマス様は、元国軍第一従者隊の隊長たちとの因子通信を終えると頭を抱えながら私に泣きついてきた。あぁ、愛しい人。やっぱり私が手を貸して差し上げなければいけないのね。ファーマス様には、私が絶対に必要なんだわ。…あは。嬉しい。何て幸せなのかしら。
このままニューラ姫のことは捨て置いて、ファーマス様と二人っきりでいたいのはやまやまなのだけれど…きっと、それではファーマス様の笑顔を見ることが出来なくなってしまうものね。仕方ないけど、知恵を貸して差し上げるわ…。私は、ファーマス様の頭を優しく抱き寄せながら、考えをお伝えする。
「…ファーマス様。セクダル様とサウザム様のお力を借りたらいかがかしら?」
「セクダルとサウザムの?…奴らを氷原国に派遣するのか?」
「違いますわよ。それなら、私とファーマス様で行くのと時間的に変わらないじゃありませんの」
「あぁ。そうだよな。ダルガバスに察知されることを覚悟すれば、因子通信で若干は時間を節約できるが…それでも、碧色の塔から氷原国の中立大平原まで向かうには…かなりの時間が必要だ………」
「もう、王宮は目と鼻の先。まずは、さっさとダルガバスを追い出しましょう」
「あぁ…それは、一瞬で片を付けられるが…」
「うふふ。聡明なファーマス様にしては、なかなかお気づきになりませんのね?」
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ファーマス様は、よほど焦っておみえなのね。
普段のファーマス様なら、私が今、考えている程度の方法なら、ご自分でとっくの昔に思いついてみえるハズなのに………
私は、可哀想なので、ヒントを出して差し上げることにした。
「…ファーマス様。どうして、ニューラ姫や元隊長さんたちは、氷原国なんていう遠い場所にいるのかしらね?」
「!」
「うふふ…」
今度こそ、ファーマス様は私の考えをお気づきになったみたい。
嬉しそうな顔をして、私の手を握り、ぶんぶん…と音がするほど振り回す。
「素晴らしい!素晴らしいよ!マルルィア!…素晴らしすぎて、お前を惚れ直してしまいそうだ!」
「さすがですわ…ファーマス様。はい。何度でも惚れ直してくださいね…でも」
「あぁ。分かっている。今は時間がない。そうとなれば、一刻も早くダルガバスを失脚させて、自由に行動できるようにならないとな」
今まで、罪人の流刑地でしかなかった異世界。
まさか、交通手段として活用するなんて…ご先祖様たちもビックリでしょうね。
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それから数刻後…
私とファーマス様は、あっさりとダルガバス宰相を失脚させて、セクダル様とサウザム様と合流。二人の異界送りの力を借りて、再び、マモル青年のいる異世界へと旅立ったの。
もちろん、ニューラ姫たちと同様に、そこからまた銀雪の氷原国へ転移するためにね…
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