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 高校生活四年間で、一番心に残った事とは何か、と尋ねられました。卒業文集のテーマだから、真剣に考えなさい、と。

 私にとって、何にも増しての大事件だったのは、やっぱり一年生の頃に遭った交通事故でしょうか。信号を無視して私をはねたタクシーの形は、はねられた痛みを思い出せないのに、今でもはっきりと覚えています。あの事故で、私は高校一年生を二度経験する事になりました。普通の人には中々ない経験ですし、多分私の心に一番残っている事だろうと思います。ですが、先生に訊かなくても、事故について延々と書いた卒業文を求める人は一人としていない事は分かっているので、それで、私は悩んでいます。

 事故が起きたのが一年生の頃で良かったと思うのは、その年また新しく入ってきた新入生達と、何の違和感もなく馴染めたからでしょうか。友達もたくさん出来ました。いわゆるボーイフレンドさえ、そんな物ができるなんて、引っ込み思案だった当時の私が思いもしていない内に、出来てしまいました。ですから、事故から復帰して以後の私の高校生活は、平均的な高校生の平均から比べてみても、順調だったのだと思います。

 ボーイフレンドのその方が、私の、母の故郷である京都への里帰りについてきてくれた事がありました。山科という、京都市内では地味な地域への里帰りで、田舎とも都会とも言えない街の雰囲気に、私はボーイフレンドへと申し訳ない気持ちを募らせたものです。しかし、これも、卒業に当たって書く文章には適さないのでしょう。私にとって大切で、いつまでも忘れないであろう思い出には違いないのですが。

 私は、高校四年間を文芸部に過ごしました。私の書く文章は、部長の友田くんに言わせれば、平易で低調で味のない、要するに才能の「さ」の字も感じられないものでした。私自身、友田くんが言うほどではないだろうと思っていたにせよ、自分の文章力はよくわきまえていたのですが、文芸部の雰囲気があまりにも良くて、楽しかったので、離れる事ができなくなったのです。ただ、中でも、物語作文には全く才能がなかったようで、文芸部の皆が某大賞に応募しては、三次選考に通る通らないという話をしている端で、私は一人一次選考さえ通る事はありませんでした。

 そう言えば、二年生の夏休みに、文芸部全員で肝試しをした事がありました。あれは副部長の井田さんが、不気味さの表現について学びたい、と言った事から始まって、学校には使われていない廃校舎がありましたから、ならそこで探検でもしてみようか、と意見がまとまったのだと覚えています。怖い物が苦手な私が、どうして参加する方へと流されたのかは全く覚えていませんが、夏休みの一平日を、家でただ怠惰に過ごす事への反感と言うか、要するに友達恋しさを感じていたのでしょう。文芸部は当時、一年生から三年生までを合計して八人の部員を抱えていたのですが、三年生はおらず、一年生である三人がまともに部活動へ出席した事はありませんでしたから、実質二年生五人による部活動でした。

 ここに細叙する程の、また、細述するのに相応しい類の話ではないかも知れません。ただ、私を含めた文芸部五人で経験した、あの旧校舎での出来事は、間違いなく脳から離れないまま一生を過ごすだろうという、強烈な印象を私に与えました。

 最初に断っておきますが、私達の高校の旧校舎には、自殺者の霊が出るだとか、夜な夜なピアノを弾く音が聞こえてくるだとか、そんな怪談は一つとして存在していませんでした。今、改めて思えば、何の怪談もついていない旧校舎は、それはそれで「曰く付き」なのですが。とにかく、私達は、何も出ないだろう、という前提の中で、闇と場所の雰囲気による迫力だけを期待して、旧校舎に足を踏み入れたのです。

 まさか、卒業文で白状した校則違反を、咎められる事もないでしょう。私が、文芸部の皆と遭遇したあの不思議について、さて、少し書いてみます。




 八月十一日の夕方六時前に、私達五人は学校の正門の前に集合しました。あえて日付を詳細に書いているのは、私の意地によるものです。文芸部の皆と、八月の某日に集まったのは間違いないのですが、その日付について何故か部員の中で意見が分かれているのです。私が十一日だったと言うのに対して、友田くんと井田さんは十日だったと主張し、林くんと坂本さんは十二日だったと言い張ったのです。私は普段から、物忘れの多い方ではありましたが、その日付が十一日だった事ははっきりと覚えています。誰かが私と同じように考えて卒業文集にこの話を書いた時、たとえば井田さんが、十日だと書いていたら、この出来事が十日に起こった事になってしまいます。私にはそれが、どこかいけない事のように感じられたのです。

 私が日付にこうもこだわるのは、もし日付を誤認してしまえば、この件に関しての完全な解決は見込みにくくなるという懸念によるものです。語る上で必要な訳ではありませんが、恐らく、この出来事があった日付には、意味があるのですから。

 話を戻します。学校に集まった私達の目的は、不気味に黒ずんでそびえ立つ旧校舎での、肝試しでした。校舎があって、生徒は「みだりに」中に入ってはいけない、と校則に定めておきながら、常に入り口の扉を開放したままにしている事も、私達の知的好奇心をくすぐったのかも知れません。

「ひー、ふー、みー、よー、いつ。よし、全員居るな」

 部長の友田くんの号令の声は今でも覚えています。それは、友田くんはいつも同じ言葉を使って号令を掛けているからです。

「当たり前じゃない、見たら分かるでしょう? これだから、うちの馬鹿部長は……」

 そう、呆れた声を挙げたのは、副部長の井田さんでした。

「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。お前だって、痩せてないと分かっていながら体重計に乗ったりするだろう。それと同じだろうに」

「何? 殴られたいの、蹴られたいの。それとも、踏まれたいの?」

「踏んだらいいと思うよー」

 すっかり喧嘩口調の井田さんにそう言ったのは、坂本さんです。

「その心は?」

「友っちは、うどんみたいに踏まれてコシを入れたら良いんだよー。腰抜けさんなんだし」

 卒業文集を読むような方ならご存知でしょうが、井田さんと坂本さんは、学校内でも「落語家コンビ」として有名でした。

「さっすが、坂ちゃん。要点を掴んでいるわね。じゃあ、そのうどん、物足りないすき焼きに入れちゃおっか」

「むむー? その心は?」

「麩抜け」

 ただし、出来の悪い落語家コンビとして、でしたが。

「おい。誰が馬鹿で腰抜けで腑抜けで天才の美少年だ」

「あの、日が暮れてしまいます」

 耐え切れなくなって、私は三人に言いました。そのままにしておくと、いつまでも三人の漫才が続いて、マイペースな林くんが静かに帰ってしまうかも知れないと思ったのです。

「おっと、そうだな。おい、林。立ったまま寝るな」

「ふぇ? ごめん、なぁに?」

「いや、良い。起きたまま、帰らないでいてくれ」

「りょーかいー」

 林くんは、背も高くて私の友達の中にもファンがいるほどの格好の良い人なのですが、どうにも掴み様のない性格と雰囲気で、いつも音もなく現れたかと思うと、静かに消えているような人です。ただ、その不思議な彼の性質を、文芸部一同は好んでいました。

「さて。では、副部長の井田。お前の企画なんだから、お前が音頭を取れ」

「言われなくても、そうするわよ」

 友田くんから進行のバトンを受け取った井田さんは、そう少し毒付いてから、

「じゃあ、そろそろ、行こうかしら」

 と皆に呼び掛けました。私と坂本さんは頷いて、林くんははーいと手を上げる事で、それに応えたのですが、友田くんだけはやれやれといった様子で、首を振っていました。

 普段同様、井田さん渾身のキックが友田くんの左腿を直撃すると、私達五人は一つになって、校門をくぐって校内へと入りました。

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