つかの間の休息
「ほら、ケビン。起きなさいよ」
やや眠そうなアリスの声と身体を揺らされる事によって、ケビンは眠りから覚める。
「おう…、もう時間か…」
「そうよ。もうハロルドは行ったわ。アンタも早く来なさい」
「了解…。あ~あ、これからあの狭い中に三時間近く缶詰か…」
ケビンは大きく欠伸をすると、仮眠用の質素なベッドから立ち上がる。
装甲車の護衛中に、今までとは違って、作戦の様なものを使う遺物と交戦したケビン達は、報告と戦闘データの受け渡しの為に、一足早くムスタフに戻る事となり、つかの間の休息として二時間程の仮眠を取っていたのだった。
「おう、ケビン。来たか」
「なんだ、ハンドジョブ・ジャック、見送りか?」
パイロットスーツに着替え、仮眠室から出て弾薬の補給を済ませている機体があるガレージに向かったケビンは、帰還の繰上げのせいで別行動を取る羽目になっていたジャックに出会う。
「おい、ケビン、そのあだ名は止めろと…」
「分かったから、用件を言え…、なんだ、そいつ?」
ケビンは、文句を言おうとするジャックを遮って本題に移らせようとするが、ジャックの隣に誰かが居る事に気付く。
「おう。なんでも、さっきの装甲車に乗ってたらしくてな。お前に言いたい事があるんだと」
「俺に?」
ケビンはジャックの言葉に驚くと、ジャックの隣に立ち、緊張した面持ちでケビンを見ている少年を見る。年は十三から十五、顔つきには幼さが残り、下手をすれば女ともとれる顔つきをしていた。髪は金で、長すぎもせず短すぎずもせずといった長さ、そしてやや目に掛かっている金髪の間からブルーの瞳がケビンを見据えていた。
「あ、あの!僕、ニコル・ライアンっていいます!」
「は、はぁ…」
少年の熱の篭った自己紹介に、何ともとれない反応をする、ケビン。
「さ、先程は守っていただいて、本当にありがとうございました!」
「い、いやぁ、どういたしまして…」
「それで、あの…、一つお願いがあるんですけど…」
「まぁ、俺に出来る範囲ならいいけど、手短に頼むぜ?これから一仕事あるんでな」
少年の熱意に圧されながらも、少年の頼みを聞こうとする、ケビン。
少年の声に引きつけられてか、いつの間にかアリスとハロルドも近くに来て、二人の会話を聞いていた。
「ほ、本当ですか!?では…」
ニコルはケビンの返事に表情を輝かせると、深呼吸をしてから、ケビンに向かって頭を下げて言った。
「ぼ、僕を弟子にしてください!」
「………はい?」
ケビンはたっぷり十秒程呆気に取られ、必死に状況を理解しようとしたものの、結局呑み込めずに、間抜けな声を上げる。
「ハハハハハハッ!こいつは傑作だぜ!よりにもよって、ケビンに弟子入りするような奴が出てくるとはよぉ!」
「おい、坊主、それは考え直した方がいいと思うぜ?」
「ぼ、僕は本気ですっ!」
ニコルの予想外の申し出に、ジャックは笑い転げ、ハロルドは考え直すように諭すが、ニコルは頑として聞き入れない。
「えっと、何でニコル君はケビンに弟子入りしたいの?」
肝心のケビンも茫然としており、見かねたアリスがニコルに質問する。
「あの…何て言うか、かっこいいなぁって思って…。姿も見えない相手に向かっていく姿も、G・Sが傷ついても諦めなかった姿も…」
ニコルはアリスの質問に、その時の出来事を思い返し、目を輝かせながら答える。
それを見たアリスは、「そう…」とだけ言うと、ケビンの方を向く。
「な、何だよ」
「何だよ、じゃないわよ。ちゃんと、アンタの口から言いなさい」
「…了解」
ケビンはアリスに促されると、小さく溜め息を吐いてからニコルの近くに行き、しゃがんで目線を合わせた。
「悪いが、弟子入りは無理だ」
「ど、どうして…」
ニコルは戸惑った様な声を上げるが、ケビンはそれを手をかざして遮る。
「いいか、まず一つ目に、俺はお前に教える様な技術は何も持ち合わせてない。二つ目に、そういった俺がお前に教えられるのは考え方とか心意気だが、これは教える気が無い」
「何でですか!?僕が子供だからって言うのなら、僕はもう…」
「いや、そうじゃない。ただ、こういうのは人から教えられても効果が無いからだ。自分で掴み取る以外じゃ、モノに出来ねぇんだよ」
「じゃ、じゃあ、僕はどうしたらいいんですか?どうしたら弟子にしてくれますか?」
ケビンは、必死に問いかけてくるニコルの頭に手を置いて言った。
「別に、特別な事なんてしなくてもいいさ。強いて言うなら、死ぬなって事ぐらいか」
「……?」
「まぁ、別にお前が自殺願望持ちだとか、そういう事を言ってるんじゃなくてだな。別にG・S乗りだけがこの世の全てじゃないんだから、他の生き方も考えてみろって事だ。そのためにも、生きて色んな経験をしろっていう訳だ。どっちにしろ、十七になんなきゃイージスに入れねぇんだしよ?」
ケビンはそう言って、ニコルの頭をガシガシと荒っぽく掻き回すと、立ち上がる。
「その第一歩だ、少年。家族の所に帰りな。その様子だと、黙って出てきたんだろ?」
ケビンがそう言うと、ニコルの身体が一瞬堅くなる。
ケビンはそれで自分の予測が合っていた事を確信すると、ニコルに背を向け、手を振ってから機体の方に歩く。
「も、もしも…」
だが、その歩みは背後から聞こえてくる、ニコルの声によって止められる。
「もしもそれ以外の“道”を見つけられなけらば、その時は…」
ケビンはニコルの方を振り返る。その強い決意が感じられる視線を真っ向から受けて、ケビンは全てを語られなくとも、ニコルが言いたい事を理解する。
「そん時はお前さんの好きにしな。まぁ、弟子なんて性に合わないから、部下か同僚か上司のどれかで再開したいもんだがね」
ケビンはニコルの目を見つめ返しながら、ニコルに返事を返す。
ニコルは返事を聞くと、無言で頭を下げて、ガレージの出口へ消えた。ケビン達も、それを無言で最後まで見送った後、各々の仕事に取り掛かるべく、歩き出した。
「さてと、ここがとりあえずの根城かァ?」
扉を開けて部屋に入った男は開口一番にそう言うと、豪勢にも屋根の付いたダブルベッドに飛び込む。
「あ!アタシもアタシも!」
「おい、ちょっと待て……ゲフゥ!」
その男の真上に赤毛の少女が飛び乗り、男は悲鳴を上げる。
そんなやり取りを繰り広げる二人とは対照的に、男の後に続いて入ってきた集団は、無駄の無い動きで機械やモニターを背負っているバッグから取り出して設置していく。
「隊長、通信繋がります」
「ハイハイ、今行くよォ、っとォ…」
ベッドに寝そべっていた男は、自分の上に乗っている少女を両手で持ち上げてわきに退けると、ベッドから降りてモニターの前に移動する。
『どうやら潜り混めた様だな』
「まぁなァ、こっちはスイートでくつろがせてもらってるぜ」
男は、モニターの向こうで無表情で佇んでいる茶髪の青年に潜伏先として選んだホテルのスイートルームを見せるべく、体をモニターの前から退ける。
『…成る程、窮屈はしなさそうだな』
「だろォ?オマケにベッドには屋根まで付いてんだぜェ?」
男は呆れた様子で返事を返す青年に、自慢気に話す。
『まぁいい。ちゃんと身分証明書は持っているな?』
「おうよ」
男は青年の問いに威勢良く答えると、ズボンの尻ポケットから、身分証明書を出す。
「しッかし、よく出来てるなァ、この偽造身分証明書。イージスの検査システムを騙すなんぞ、今まで一回も成功しなかったのによォ。コツでもあんのかァ?」
『悪いが、企業秘密だ。遺物と同じく、前文明の古知恵とだけコメントさせてもらおう』
「ケッ。ケチ臭ェこった」
男は青年の冷淡な対応に、面白くなさそうに顔をしかめる。
『こういう性分だ、気にするな』
「フン。それよりどうすんだ?俺の部下を潜り混ませてコソコソやらせてる間、俺はここでくつろいでればいいのかァ?」
男はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、これからの予定について青年に訊ねる。その口調には、先程の豪華な部屋に対する喜びは消えており、退屈でたまらない、といった感情がありありと浮かんでいた。
『あんたの部下には準備をさせているんだ。それが終わるまでは作戦は実行出来ないし、あんた等の身分も書き直す必要がある。後三時間程は待ってもらおう』
「チッ!面倒臭ェ…」
青年の返答に、男は忌々しげに舌打ちする。
「だいたいよォ、イージスに潜り混ませられんのは一人だけなんだろォ?」
『あぁ。それ以上は流石にもたない。一時間も経たずに怪しまれるだろう』
男の問いに、青年は淡々と答える。
護衛役の職員として身分を偽装した部下は、男達と別れた後そのままイージスの本部に潜り混んでいる。ガレージは使われていない中でも目立たないものを選び抜いており、イージスの記録にも細工する事で何とか怪しまれずに済んでいるものの、これ以上の人数はいくら記録に手を加えていても怪しまれる上に、今の状況でさえ長くはもたないと青年は考えていた。
「だったらよォ、俺を潜り混ませればよかったじゃねぇか。地下三階ごときじゃ束になったって俺には敵わねぇんだしよォ」
男は自信満々に提案するが、それを聞いている青年の方は盛大に溜め息を吐いていた。
『ただ攻めればいい訳じゃない、今回の一番の目標はイージス中枢最深部へのハッキングだ。存在しない職員を作るのとは訳が違う。その為にあんたの部下を潜入させ、“その子”を連れてきたんだぞ』
モニターの向こうの青年はそう言うと、男の隣にいつの間にか移動していた少女に視線を向ける。
「そうだよ、何の為にアタシがついてきたと思ってんだよ!」
「分ァかったよォ、お前の言うとおりにすりゃいいんだろ、すればよォ」
男は髪の毛を引っ張ってくる少女を引きはがそうと悪戦苦闘しながら、大儀そうに返事をする。
『理解してくれたようで何よりだ。そろそろ身分証を上書きする、準備は出来てるか?』
青年の問いを受けて、男は部下の方に視線を向ける。すると、部下の一人が、小型のパソコンとコードで繋がっている機械を男に手渡す。
「バッチシだ。こいつに突っ込めばいいんだよなァ?」
『そうだ。あとはこっちでやる』
男は頷くと、身分証明書を機械に挿し込み、モニターの隣に置く。
「で?あとはどうすりゃいいんだァ?」
『ご苦労だったな、あとはテレビでも観ながら休んでいて構わない』
「チッ、やってられっか」
男は青年の皮肉めいた言葉に舌打ちをすると、立ち上がって出口に向かう。
「隊長、何処に…」
「外の空気吸ってくんだよォ、あとは任せたぜェ」
「待てよ、アタシも行く!」
男は部下にそう告げると、少女を連れて部屋を後にする。
「さてと、出てきたはいいが、どうしたもんか。そんな長い間動ける訳でもねぇしなァ…」
男はホテルから出ると、これから何をするか、考え始める。身分証明書はホテルに置いてきた為、出来る事は限られ、作戦の関係もあって動ける時間も二時間程といったところだった。
「ゲーム買いに行くのは?帰ったらやりたいし」
「バァカ、ここじゃ身分証無きゃ何も買えねぇよ」
「ムッ、じゃあ、どうすんだよ?」
「そうだなァ………適当にブラつくか」
「何だそりゃ、アンタだって何も考えてねーじゃん」
「うるせェ、さっさと行くぞ」
男はぶっきらぼうに言うと、ホテルから持ってきた観光案内を取り出して、最寄りのメインストリートに歩を進める。
「お~!、すっごいデケェぞ!国家連合とは大違いだ!」
「オォイ、はしゃぎ過ぎてコケんじゃねぇぞォ」
メインストリートを見て走り出した少女を、男は面倒臭そうに追いかける。
メインストリートには、夜も遅くなってきている為、人は多くないものの、前を見なければ誰かに衝突するぐらいの人がおり、実際に何人かは少女にぶつかってしかめ面をしていた。
「スゲー!こんなゲーム機見たことねぇ!」
「オイ、だから待てって…。ハァ…」
男が少女に追いつき捕まえようとするも、少女はその手をすり抜けてゲームショップに向かって走り去ってしまい、男は溜め息を吐く。
「……楽しそうなこって…」
男がそう呟いて視線を外すと、そこには店のガラスに映っている自分の姿があった。
「…増えたなァ……白髪…」
男は自分の髪を触りながら溜め息を吐く。大雑把に切られている短い黒髪には、男の言うとおり白い部分が見られ、右目の上辺りなどは真っ白になっていた。
「まだ四十いってないんだが……。どうしてこうなったかねェ…」
男は溜め息を吐きながら、ふと今までの人生を思い返す。
苦労もあったが、それなりに楽しいと言える人生、だが男には一つだけ不満があった。
「どこかにいねェかなァ…、俺を殺せる奴がよォ…」
そう漏らす男は本気で悩んでいた。
今まで自分の死に様など考えもしなかった男だが、老いというタイムリミットは確実に近づいていると解らせるには、今の自分の姿は充分過ぎた。かといって、老衰でベッドで寝ながらこの世を去るなど、男は真っ平御免だった。
そう考えた時、男の脳裏をよぎったのはその言葉だった。今までは誰かを傷つける事を楽しみ、殺せるなら強かろうが弱かろうが、聖人だろうが外道だろうが、どうでもいいと考えていた男の心境に、小さな変化が起こっていた。
(…何で、こんな事考えてんだ、俺?)
男はそこで考えを止め、自分が何故こんな事を考えているのかに疑問を感じ、考え始める。
(別に歳なんて気にするタイプじゃないと思ってたんだけどなァ…)
そうやって物思いに耽っていると、少女の声が聞こえない事に気付き、視線をガラスから外して少女を探す。
「おっ、いたいた…、ん?」
辺りを見回すと少女の姿は簡単に発見でき、男は少女の許に行こうとしたが、少女の様子がおかしい事に気付き、足を止める。そして溜め息を吐くと、少女に気付かれないように気配を殺しながら少女に近づく。
「オイ」
「うわっ!な、何だよ、アンタかよ…」
男が声をかけると、少女は驚いて声を上げるが、声の主は男である事を確認すると、安心して胸を撫で下ろす。
「お、驚かせんじゃねーよ!」
「……ふゥん」
「な、何だよ…」
少女は男に文句を言うものの、男の何やら不敵な態度を前にして、語尾が弱くなる。
男は意地の悪そうな笑みを浮かべると、少女に訊ねる。
「食いてェのか?」
「うっ…」
男は先ほどまで少女の視線の先にあったもの…ホットドッグの屋台を見ながら、そう訊ねた。訊ねられた少女は図星を突かれたのか、決まりの悪そうな声を出す。
「そ、そんな訳ねーじゃん!アタシがそんな、あんなのを食いたいなんて…。大体、身分証なきゃ買えないし!?」
「…………」
男の問いを狼狽えながら否定する少女を、男は無言で睨み続ける。
「……食べたい」
「…ったく、しょうがねぇなァ…。すいませェん!」
男の眼差しに耐えかねて、少女は恥ずかしそうに呟く。
男は苦笑すると、近くを歩いていた通行人の一人に声をかける。
「なっ、なんですか?」
「すいませんねェ、ちょっと身分証を家に忘れてしまいましてェ、お金は出すので代わりにアレを買ってくれませんかねェ?子供が欲しがってましてェ…」
「別にいいですけど…」
話しかけられた、メガネを掛けたサラリーマン風のスーツの男は、男の容姿に一瞬たじろいだものの、男の頼みを聞き入れて男から金を受け取り、ホッツドッグの屋台でホットドッグを二つ買って男に手渡す。
「あれ?一つでよかったんですけどォ…?」
「それは私からの奢りです。娘さんと一緒に食べてください」
「これはこれはァ…、ご親切にどうもォ…」
「いえ、私にもあなたの娘さんぐらいの子供がいるので。それでは、失礼します」
「あ、ありがとう…」
サラリーマン風の男は、少女の頭を撫でると男達と別れた。
少女は恥ずかしそうに感謝の言葉を呟き、男はそれを面白そうに眺める。
「な、なんだよ、何が可笑しいんだよ?」
「いやァ、別に何もォ?それより、そろそろ時間だ。そいつは戻りながら食うぞ」
「分かった」
男がそう言うと、二人はホットドッグを食べながら来た道を引き返し始た。二人共、間近に近づく戦の匂いを感じ取り、男は溢れ出そうな歓喜を抑え込みながら、少女は湧き出る不安を押し込めながら。




