Two Face
一面にタイルが張り巡らされた部屋に、“それ”は横たわっていた。白い布が被せられており、一見しただけではそれが“誰”なのかは分からない。
だからこそ、その男は布を捲るその瞬間まで、事実を受け入れる事が出来なかった。
最愛の人間がコロニー間の移動の際に遺物の襲撃に遭ったなど。ましてや、遺物の攻撃を受けて最新の装甲を搭載したバスが横転し、横に座っていた男を庇って死んだなど。何せ、男は彼女がコロニーを離れていた事すら知らなかったのだから。
男はすがり付く様にして、布を捲る。
布を捲って現れたのは、全く見覚えの無い誰かで。後ろの扉から白衣姿の男が駆け込んで来るか、その“赤の他人”の遺族が入って来るなりして、ただの手違いだった事が分かって。安堵しながら家に帰り、最愛の人とこの出来事を肴に晩酌をして、その“赤の他人”の冥福を祈る。
そうなるに決まっいる。いや、そうであってくれ。
男は信じた事もない神に祈りながら、布に手を掛ける。そして…、
ピピピピピピピピピピ!
「…夢か…」
ハロルドはそう呟くと、自分の耳元で鳴り響く携帯電話にてを伸ばす。
伸びをしながら欠伸をすると、ハロルドは携帯電話を耳にあてる。
「…もしもし?」
『もしもし、じゃないわよ。何回メールしたと思ってるの?』
通話口から聞こえる、責める様な口調ながらも、何処か楽しげな声に、ハロルドは頭を押さえながら答える。
「ラブコールなら間に合ってるぜ、アリス」
ハロルドの返事に、声の主であるアリス・フローレンは呆れた様子で返す。
『流石、寝起きね。ユーモアの質も、我等が愛しの組織と同じぐらい、クソッタレね』
いきなりのアリスの痛烈な皮肉に、ハロルドは思わず苦笑する。
「いきなり、随分とお口が悪いな。昨日の疲れが残ってるのか、それとも例のアノ日なのか…」
『…やっぱし、アンタはケビンのバディだわ…』
「…そいつはお褒めに預かり、光栄なこって」
『褒めてない、褒めてない』
通話口から聞こえる、アリスの呆れ混じりの一言に、一瞬だが固まるハロルド。だが、次の瞬間には元に戻っており、アリスがそれに気付く事は出来なかったが。
「で?何の用なんだ?」
『あ、そうそう。それなんだけど、これからランチでもどうかしら?』
アリスの言葉に、ハロルドは思わず時計を確認する。時間は十一時半程で、待ち合わせる事も考慮に入れた場合、丁度いい時間帯だといえた。
「別に構わないが、何で俺なんだ?」
ハロルドがそう訊ねると、アリスは少し考えてから答える。
『本当はケビンも呼ぼうと思ったんだけど、アイツはあの子…フィーだっけ?の世話があるし。それに、作戦の時の話の続きもしたいし…』
「話の続き…、あぁ、あれか」
ハロルドはアリスの言葉を聞いて、前回の作戦中にイージスを辞めるように勧めたのを思い出す。
アリスは救護施設での会話で、イージスに残ると宣言していたが、結局すぐに話題がケビンについてに切り替わった為、それ以上の会話は無かったのだった。
「分かった。何処に向かえばいい?」
『ボーダーストリートにある洋食屋に来てちょうだい。『ル・ヴァン』って名前よ』
コロニー・ムスタフには五つの大通りが存在する。
コロニーを東西南北に分けるメインストリート、そして高所得者の居住区と中~低所得者の居住区を分けるボーダーストリートである。
ハロルドは店の名前を書き写すと、アリスに何時に行けばいいか訊ねる。アリスは今すぐ家を出るように指示すると、通話を終了する。
ハロルドは携帯電話を置くと、ベッドから立ち上がってカーテンを開ける。
「…綺麗だな…」
ハロルドはそう呟きながら、昨日のシルヴィアとの会話を思い出す。葬儀の席で語ったケビンの思惑を。
「…それが奴の目論見…ですか…」
「そう。これが、ケビン・カーティスがアリス・フローレンを撃ち殺さなかった理由」
ハロルドはシルヴィアの語った、ケビンが引き金を引かなかった理由に、思わず言葉を失う。
ケビンがイージスに並々ならぬ忠誠を誓っいるのは知っていた。だが、たかが人材発掘の為だけに命を捨てる程とは、考えてもいなかったからだ。
確かにケビンの言い分にも一理ある。
情報参謀部に求められる人材は、高い実力と自己犠牲や味方を捨て駒にする事を厭わない忠誠心を兼ね備えた存在である。
だが、当然の事ながらそんな人間は簡単には現れず、ムスタフ自体の歴史の浅さも相まって、慢性的な人手不足に陥っている。
対策として選定基準の比率を実力に傾けたりはしているが、情報参謀部が扱う作戦は、外部に洩れれば批判は避けられないものばかりである。下手をすれば、イージスを快く思わない“政府”がそれをきっかけにして権力の奪還を試みかねない。
世界基準の治安維持組織であるイージスの設立以来、“政府”の権力は大きく削がれており、コロニー内の警備をしている政府軍はともかく、政治家達は国民達には張り子の虎扱いされている。
五百年程その状況が続いているものの、彼等は諦める気は無いらしく未だに虎視眈々とイージスの権威失墜を狙っている。
こういった理由から、情報参謀部で扱う案件はどれも世の中に晒してはいけないものとなっており、年々忠誠心が定かではない人間が増えていくのを快く思っていない人間は多い。そんな状況下にある情報参謀部では、地上階相当の実力と確かな忠誠心を持った人間がいるとしたら、文字通り喉から手が出る程欲しい人材である。
「確かに、奴の考えも分かる…。だが…、いくらなんでも狂ってる…」
「そうね。流石の私でも、少し寒気がしたわ。まさか、あの子供を引き取るなんて言い出すなんて…」
「…それが何かおかしいんですか?」
「あら?そこの事を言ってたんじゃなかったのかしら?」
シルヴィアが予想外のところに話のメスを入れた為、言葉の意味が理解出来ずに訊き返す、ハロルド。シルヴィアはそれに一瞬、キョトンとした表情になった後、仕方無さそうに理由を語り始める。
「確かにアイツの言ってる事はかなりイッちゃってるけど、そんなに驚く事でもないわ。問題は、その後にフィーを引き取ろうとした事よ」
「どこがおかしいんですか?あいつはあの子供と約束していたようですし…」
シルヴィアはハロルドの質問に溜め息を吐くと、喪服のポケットからライターと煙草を取り出し、咥えて火を点けると、話に戻る。
「とりあえずもっと根本的な所から話すけど、本当の意味での狂人っていううのは案外限られてくるのよ」
「は、はぁ」
シルヴィアの言葉にとりあえず相槌を打つ、ハロルド。
彼自身はなんでいきなり会話の内容が心理学めいたものに変わったのか理解できなかったが、その間にもシルヴィアは話を進めようとしていた為、会話に集中する。
「実際は、ただ単に価値観が違うだけだったりするのよ。あまりにも価値観が違いすぎる為に、その行動に及んだ動機が理解できない。家族が殺されそうだったから殺人を犯した人間には同情出来ても、花が摘まれそうだったから殺人を犯した人間に同情するのは無理でしょう?結局はそういう事なのよ。彼等にとっては、被害者は殺しても構わない程度の価値しかなかったし、家族や花は殺人を犯してでも守りたい程の価値があった。守りたいもの価値を吊り上げ、捨てるもの価値を引き下げる事によって、決断し、罪悪感を薄めているの。両者共に、そうやって価値に差をつけないと、行動には踏み切れないのよ。結果、その行動が理解し難いものだったとしても、本質的には両者に大した違いはない。何が大切で、何を捨てても構わないと妥協出来たかぐらいの違いしかね。でも、ケビン・カーティスは違う」
「…何が違うんですか?奴と他の奴等では…」
緊張した面持ちで訊ねるハロルドに、シルヴィアは煙草の煙を吐き出しながら答える。
「まず一つは、彼はそうした価値観の変動を行わない事。もう一つは、彼自身の価値観は極めて純粋な事よ」
「それは…一体…どういう…!?」
ハロルドはシルヴィアの語った答えに、思わず言葉を失う。
「そのままの意味よ。彼はアナタ達の事を本当に大切な存在だと思ってる。それどころか、命は尊いものだとも考えてるわ。善人の多くがそうであるように。じゃなきゃ、重荷にしかならない約束を守る訳ないしね。その一方で、イージスの為なら自分だろうが、戦友だろうが、もしかしたら家族だろうが迷わずに切り捨てる。まるで機械の様に。どんな理由があろうと殺人を悪だと考え、深い罪悪感を感じ続ける事の出来る、善人としての側面と、目的の為なら手段を選ばない、悪人としての側面が同時に浮かび上がっている存在、それがケビン・カーティスだと、私は考えているわ」
「罪悪感に身を焦がし続ける悪人…か…」
ハロルドはシルヴィアの考えを聞いて、ポツリと呟く。そして、同時にケビンに対して、恐れとも怒りともつかない感情を抱いていた。
「あいつは…何の為に戦っているんでしょうか…?罪悪感にその身を焦がしてなお、何でイージスに拘り続けるんでしょうか…?」
ハロルドは呟く様にしてシルヴィアに問う。
ここに来て、ハロルドにはケビンがどういう存在なのか解らなくなっていた。ただ単にイージス以外のものに価値を見出だしていない人間だと思っていた男を、上司は、価値のあるものを切り捨てて傷付きながらも、頑なに生き方を変えない人間だと語った。だが、シルヴィアが語るケビンの実態と、ケビンの普段の態度がどうしても噛み合わなかったのだ。
本当に罪悪感に苛まれ続けているなら、もっと捻くれた人格であって然るべきであると、ハロルドは考えていた。だが、普段のケビンの性格は口が悪く、やや粗暴な、お調子者のチンピラの様な性格だからだ。
故に、ハロルドはケビンの実態を掴めなくなり、自ずとこの質問をしていたのだった。
「悪いけど、それは私にも解らないわね。多分、ハンスの方が詳しいわよ?」
「ハンスって、地下四階エリアチーフのハンス・ゴールディングですか?」
突然、予想外の名前が出て来た事に、驚く、ハロルド。シルヴィアはハロルドの問いに軽く頷くと、その理由を語り始める。
「多分だけど、彼が今の状態になったのは地下四階に所属していた頃よ」
「どうしてそうだと?」
「ケビンの実力はアナタも知っての通りだと思うけど、地下三階就任時の時は今より酷かったのよ。彼はハンスの推薦で地下三階に上がってきたんだけど、私は納得出来なかったから、実力不足の彼を推薦した理由を聞きに言ったのよ」
「それで、ハンスチーフは何て言ったんです?」
シルヴィアは一回言葉を切ると、煙草を地面に捨て、新しいのを咥えると、話を再開する。
「その時ハンスが語った理由が、今私がアナタに語った考えよ」
「なっ…!」
ハロルドは予想外のシルヴィアの言葉に、思わず息を飲む。
「ハンスは嬉しそうに笑いながら、話してたわ。何でも、これからのイージスにとって必要な人間だ、とか言ってたわね」
「必要な…人間…?」
言葉の意味が理解出来ず、思わずハロルドは訊き返す。
「まぁ、解らない事もないわ。イージスの職員なら自分の命を賭けるのに戸惑ってるような奴じゃ指揮は任せられないし、なにより、ケビンは命を重く考えてるからね。いくら秩序を守るといっても、行き着く先は“人々”を守る事だし、命を救おうと考えられない奴には向いてないのよ、イージスっていう組織は」
「…その考え方は、少し意外ですね…」
ハロルドは皮肉っぽく返すが、シルヴィアはそれを気にも留めずに話を続ける。
「まぁ、そう思うのも無理はないけどね。とにかく、ハンスの考えも理解出来るけど、それにしたって、アイツの精神は歪んでると思うわ。仲間を死地に追いやる事をいつも後悔しているくせに、いざその時がきたら、能面みたいなツラして切り捨てるんだから。どう考えてもイカれてるわ」
シルヴィアはそう言い切ると、どこか不機嫌そうに煙草を地面に吐き出すと、足で踏みつけて火を消す。
「とりあえず、これ以上話す事は無いわ。持ち場に戻りなさい」
「…了解」
ハロルドは特に反抗せずに、シルヴィアに背を向けて歩き出す。しかし、十歩も歩かない内に後ろからシルヴィアに呼び止められた。
「一つだけ言い忘れてたわ。仲間を裏切ってきた罪悪感からなのか、ケビンは自分の命に価値を見出していない。だから、今回みたいなふざけた理由で命を捨てようとする。でもね…」
シルヴィアはそこで言葉を切り、ハロルドがシルヴィアに向き直るのを待ってから、話を再開する。
「イージスは今回の件で、ケビンに目を付けてる。少なくとも、情報参謀部転属への候補になってるのは間違いない。だから、今回みたいな行動はイージスとしても、控えさせたいと考えてる」
「それで…?」
「でも、今のケビン相手じゃ、命を大切にしろ、って言っても聞かないのよ。上司の私が言っても通じないまでに、自分の命に価値を見出していないのよ、ケビンは。恐らく、それがケビンの精神面での唯一の欠点ね」
「…俺があいつを死なないようにしろ…、そういう事ですか?」
ハロルドが訊ねると、シルヴィアは首を立てに振る。
「多分、というか絶対、言葉で言っても効き目は無いから、作戦中にケビンが死なないように立ち回ってくれればいいわ。お願いできるかしら?」
「…それは、命令ですか?」
そう訊ねるハロルドに、シルヴィアは平然とした様子で答える。
「どうとってくれても構わないわ。アナタが無理なら他の人間をあたらせるから」
シルヴィアはそう言い放つと、黙ってハロルドの答えを待つ。
ハロルドは少しの間頭の中で考えを廻らせると、溜め息を吐いてシルヴィアの要求に返事をした。
「…やります」
「そう。じゃあ、頼んだわよ」
ハロルドの返事に、まるで報告書を受け取ったような軽い態度でシルヴィアは言葉を返す。
ハロルドはシルヴィアの言葉を聞くと、話は終わりだ、とでも言いたげにシルヴィアに背を向け、遠ざかっていった。
「っても、どうすればいいんだか…」
先日の記憶から意識を戻したハロルドは、自嘲気味に呟く。
「イージス復帰まで数日あるし、何とか考えをハッキリさせないとな」
ハロルドはそう呟くと、服を着替え、携帯電話とサイフを持つ。机の上に置かれている自宅の鍵を取ると、部屋を出てアリスとの集合場所へと向かった。ケビンを仲間として見るか、危険分子として見るかを決めあぐねたまま。
陽の光の届かぬ地下に作られた巨大な通路、そこを数台のトレーラーが進んでいた。
「おい、まだ着かねぇのか?そろそろタルくなってきたんだけどォ?」
一台のトレーラーの中で、不機嫌そうな男の声が響き渡る。
声の主である男は、黒髪の中年の男で、特に手入れをしている様子のない短めの髪に、所々白髪が混じっていた。鍛え上げられた肉体を軍服らしき緑色の衣服が包んでいるが、礼儀正しさは微塵も感じられず、そのミスマッチ感が返って男の粗暴さを強調していた。
「約二時間程で到着する予定です」
「二時間だとォ!?冗談じゃねぇぞ。後二時間も座りっぱなしだったら、不能になっちまうっつーのォ!」
男は部下の報告を聞いて、不満そうでいて芝居がかった声で嘆くと、舌打ちして、手元に意識を集中させる。
「しゃーねーなァ、んじゃ、暇だし、遊んでようかなァ…っと」
男は懐から携帯ゲーム機を取り出すと、電源を入れる。小気味良い効果音と共に、開発元のロゴが浮かび上がった。
「ん…むにゃ…。着いたのか…?」
効果音が鳴り響くと共に、男の隣の黒い塊が動き出したかと思うと、中から赤毛の少女が現れる。
「いや、まだだ」
「そうか…。お休み…って、何やってるんだよ、お前」
男の返事を聞いて少女は再び眠りに就こうとするが、男の手元のゲーム機を見て、その動きが止まる。
「見りゃ分かんだろ。ゲームだよ、ゲーム」
「なんだ、それ!アタシには酔うからやるな、って言ったくせに!」
少女は大声で不満を上げながら、男の手からゲーム機を奪い取ろうとする。
「ちょ、今ムービーシーンなのに…。えぇい、邪魔だッ!俺はいいんだよ、俺は。ダンディでアダルティな大人の男だからなァ!」
「えぇー、なんだよ、それ!納得できねぇよ!」
男はゲーム機を盗られまいと、空いた片手で少女を引き剥がそうとするが、少女の方も意地でも離す気は無いらしく、そのまま暫くの間、取っ組み合いになる。
「分かった!一回死んだら交代してやる」
「絶対だからな。約束破んなよ」
息を切らしながらの男の提案に、少女は疑いの眼差しを向けながら、その提案に乗る。
そして、二人が暫くの間ゲームで盛り上がっていると、不意に少女が不安そうな声で男に話しかけた。
「なぁ、今度の作戦、ホントに大丈夫かなぁ…」
「アァン?まぁ、確かに信用は出来ない相手だよなァ…」
少女の言葉を受けて、男は今回の作戦で協力を申し出てきた連中の事を考える。
日陰の存在である自分達に協力を申し出てきたかと思うと、地上を統治する組織が存在すら知らないであろう施設や兵器の情報を自分達に流してきた。
確かにそれがあったから、彼等の協力を受け入れる事にしたのだが、長年打倒すべきとして存在している組織の情報力を嫌という程理解している身としては、組織の情報網を簡単にすり抜けている連中の存在は、簡単に信用出来るものではなかった。
男はそこまで考えると、楽しそうに口元を歪め、少女に告げる。
「まぁ、元老院の老害どもは何かとほざいてくるだろうが、怪しいにしろ怪しくないにしろ、使い終わったら殺そうと思ってるしィ?裏切ってきたら、奴等が最後の裁判で髭を生やした爺さんにカマを掘られるのが早まるだけの話さ。そうだろう?」
「…う、うん!そうだよな!先手必勝でやっつければいいだけだよな!」
少女は一瞬、呆然とした後、どこかほっとした表情で男の意見を肯定する。
「おうよ。この俺が負ける訳無い、そうだろうがよォ?」
「そうだよな!だって、お前は強いもんな!お前が負ける筈ないもんな!」
「その通りだ!だから、そんな意味の無ェ、与太話なんて止めて、三面のボスの攻略方法を考えるとしようや」
男は笑いながらそう言って話を打ち切ると、再び少女と共にゲーム機へと意識を向けたのであった。




