突然、忽然、必然。
アルバイトをしているコンビニから歩く事5分程。徐々に住んでいるアパートが見えてくる。まるでそこだけ時代から置いてけぼりを食らったかのような佇まい。大正どころか明治時代からあるのではと錯覚しそうなほど古ぼけたアパート、それが今時広が住んでいるアパート「野差荘」であった。
六畳一間で風呂無しトイレ別。周りに新しく立ったアパートのおかげで日当たりは最悪。洗濯物を干すのにも一苦労である。しかし風通しは抜群に良い。なにせ築何年か管理人すら知らないこの建物は建てつけというものが恐ろしく悪く、隙間風が通り放題だからだ。冬は寒くて夏は暑いを地で行く、住人にはカケラも優しくない。そんなアパートが「野差荘」だ。
このアパートは玄関口の扉から入ると建物の真ん中に廊下が通っている。雨の日も玄関を抜けてしまえば濡れる心配が無くそこはこの建物の良い所ではないだろうか。その廊下を境に左右対称に部屋が並んでいる。古い家屋に興味のある人ならば一度は住んでみたいと思わせるような古い木造建築特有のレトロな良い雰囲気が漂っているが、住んでいる本人からすると新しい家に住みたいと思う事は然るべき感情かもしれない。
時間が時間なのであまり物音を立てないよう慎重に廊下を歩くと一○四号室。時広の部屋があった。部屋番号が四番で角部屋、しかも築何年かわからない古い建物で曰く付きと言われても過言ではない部屋であるが当の本人はあまり気にしていない。住み始めた当初は天井のシミなどに一々ビクついていたが、さすがにもう慣れた物だ。西洋風なドアノブにピッキングの技術など無い時広でも開けられてしまうのではないかと思うほど簡素な鍵を通すと少し苦戦はしたが開いた。この鍵が曲者で内部が錆びているのではと思うほど開かない時がある。住み始めた当初は悪戦苦闘して30分や1時間も鍵を開けるのにかかったが、こちらも慣れた物でものの数分で開くようになった。ある意味防犯か? と思いもしないが一役買っている事は間違いないであろう。
ドアを開くと一人暮らし特有の足の踏み場もない時広の自室が待っていた。飲みかけのペットボトルや食いかけのカップヌードル。雑誌やコンセントの配線。触れただけで崩れてしまうのではと思うほどうずたかくゴミが積まれたテーブルの上。いつ干したか忘れてしまった万年床にはタバコの焦げ跡がかなりあった。
しかし、そんな汚い部屋であるが壁には数々のポスターやカタログの切り抜きがはられたコルクボードなどが飾ってあった。バイクレースの選手がバイクをフルバンクしてコーナーを駆け抜けているポスター。カタログの表紙を切り取って数々の名車が壁一面に張られている。
宮中時広は大のバイク好きだ。三度の飯よりバイクを弄る事が好きで、バイト代もほとんどバイクにつぎ込んでいる。家賃よりも高いバイクガレージを借りておりそこに愛車は止まっている。どんなツラい事があってもバイクに跨ればすぐにスッキリしたし、バイク弄りをすれば時間を忘れられた。クロームステンの輝きにどんな音楽なんかよりも心地よい排気音。それだけあれば十分であった。
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それからしばらくしてテーブルの上のゴミをまとめてゴミ箱に放り込み、食事ができるだけのスペースを確保すると電気ケトルでお湯を沸かしカップラーメンに注ぐ。待っている間にバイク雑誌の新刊を読み、やはり今の時代の偉い人は効率を求めすぎてバイクをおかしな方向に持って行っているのではと不安にかられる時広。排他的な事こそに美学を感じるし、利便性をとことんまで突き詰めればそれはもう車で良いのじゃないかと眉間にシワを寄せながら唸る。セミダブルクレードル鉄パイプフレームこそ排他的で非合理的なバイクの真骨頂だと豪語する時広にとってカウリングで固められたバイクなど愚の骨頂だと一笑に付す。
セットしたタイマーの音が鳴り麺が茹で上がった事を確認すると液体のスープを入れ混ぜる。とたんに良い香りが部屋を包み食欲も増す。さて、これを食べたら惰眠を貪るか、と幸せな予定を頭の中で立てついついにやける時広だったがふとした異変に気付く。
突然に、忽然と……。そして必然に出会う。
これが彼らの、始まり、始まり……。
プロローグ―終了