辻占【魔】
〈谷底の横丁今日はあつたかき 涙次〉
【i】
谷澤景六=テオとタイムボム荒磯の漫画、*『リトルリーグ血風録!!』(「月刊少年シャンプー」連載)は、絶好調とも云へる滑り出しで、もう早くも第3話めの準備が、谷澤・荒磯兩名に依つて進められてゐた。今回、谷澤が提示した原作の中に、かう云ふシーンがある-
* 當該シリーズ第11話參照。
【ii】
ストーリイの中では、まづ「雜兵」扱ひと云つても良いキャラの獨白である。「僕逹は、野球を通じて大人になる。大人のレヴェルとしての抗爭と云ふものを、學んでゐる段階なのだ。それは熾烈で、僕逹はふと『大人つて嫌だな』と思つてしまつたりもするが、世の野球少年逹以外の同年配の子らは、その事に氣付かず安逸な日々を、たゞ漫然と過ごしてゐる。僕逹リトルリーグの戰士は、そんな抗爭について知つてゐるだけ、大人の世界を先取りしてゐるのだ...」
【iii】
これは至言である。本來なら「大將格」の者に云はせても、可笑しくはない。それを敢へてサブキャラに語らせてゐるところが、谷澤の文學的配慮と云ふものなんだらう。これをだうやつてクローズアップしやうか、それが作画者・荒磯に課せられた「使命」である事は、明白だつた。荒磯にとつては、仕事上の腐心と云ふものは、全くと云つていゝぐらゐ、苦にならなかつた。
【iv】
たゞ、荒磯の中には、いまいち仕事に集中し切れない「何か」がわだかまつてゐた。「何か」とか書きはぐらかすのは良くない。それは明らかに、養女・鈴子の万引き癖が引き起こした悩み、であつた。幼稚園児にして早くも手癖の惡さを露呈した彼女。鈴子が魔界出身だと云ふ事が、それに関連してゐるのだらうか? 然もその手口は割と巧妙で、* 先住の養女・力子にその罪を擦り付けたりもする。
* 前シリーズ第70話參照。
【v】
荒磯は保護者として、警察の事情聴取を受けた。担当の警官は、昔ながらの「お巡りさん」と云ふ風情の人で、子供の罪に對しては寛容だつた。「まあまだしてはいけない事が分からない年頃だし、今回は大目に見ますよ。たゞ繰り返しかう云つた事をしでかしたのでは、こちらとしても問題視せざるを得ない。保護者がまづ、氣を引き締めねば、ね」
※※※※
〈人と人デッドエンドな僕逹はトイレの中でいゝ事しやう 平手みき〉
【vi】
その件について、荒磯には一つ、心に引つ掛かつてゐる事件(?)があつたのだ。荒磯、つひ先だつて、力子と鈴子の手を引いて、街をぶらぶら散策してゐたのだが、辻占の男にふと呼び止められた。男は鈴子を指し、「この子には將來大泥棒になる相が、現れてをりますぞ」と云ひ放つた。「縁起でもない事を云ふな!」と荒磯は怒つたのだが、その事と鈴子の万引きとが、だうしても切り離して考へられない。彼は、件の辻占が、【魔】の息が掛かつてゐる者だとは知らなかつた。
【vii】
思ひ余つた荒磯は、テオに相談を持ち掛けた。「谷澤先生、身内の恥を曝すやうなんですが...」-テオ「泥棒? 蛇の道は蛇、と云ふよ。こゝは一つ、鈴子ちやんを怪盗もぐら國王に預けてみれば?」
【viii】
荒磯にとつては* 久々の「もぐら御殿」である。國王、「その子を預かる? いゝぜ。實は朱那が『子供が慾しい』なんて云ひ出してさ」。鈴子は歓迎された譯だが、何を思つたか、國王、鈴子に大泥棒になる道筋を、諄々と説き始めた! これは、ミスジャッジをしたテオがいけなかつたのか、勘違ひをした國王がいけなかつたのか。どちらにせよ、彼ら皆引つくるめて、【魔】の思ふ壺に嵌まつてしまつた譯である。
* 前シリーズ第77話參照。
【ix】
荒磯は國王の「教育方針」を聴いて、愕然とした。急ぎ、鈴子は荒磯のマンションまで帰されたのであつたが、時既に遅し、鈴子の中の「泥棒のDNA」は、もう覺醒された後だつた...
【x】
例の「辻占【魔】」は、水晶玉の魔術に依りその事を知り、一人快哉を叫んだ。「やつた、ビンゴだ!」。カンテラ一味、それと知らぬ内に、手痛い一敗を喫してしまつた譯である。で、鈴子の万引き癖は治るどころか、亢進してゐたのだつた。
【xi】
たゞ鈴子、力子に罪を擦り付けるのだけは已めた。「だつてもぐらのをぢさんが、それはしちや駄目な事なんだよ、つて云つてたもん」-鈴子としては、先輩格の力子には或る種の仁義は通したつて事。荒磯には頭の痛い日々が續く。然も、テオ=谷澤が、彼に髙度の「漫画術」を要求するのには、變はりがなかつたのである。頑張れ荒磯、鈴子が大泥棒として一人立ちする迄・笑。
【xii】
然しこゝは、テオのミスジャッジは責められまい。彼もまた、谷澤景六として奮闘の最中にあるのだから。だが介在する【魔】の存在に誰も氣付かなかつた、と云ふのはだうか。* 荒磯だとて魔界の出身者である事を、忘れてはならない。お仕舞ひ。
* 前シリーズ第55話參照。
※※※※
〈木漏れ日に春を感じつ暫し佇つ 涙次〉
PS: こゝで、嘗ての魔王・ルシフェルの獨り言。
悲しげな
人臭い顔の天使
無我夢中な老いの中で
力量を試される
恩寵の先触れとなる事が
出來ず神を怨んだ日も
最早遠くなつてしまつた
運命の繰る者とは
下界に棲む者らの蔑稱だとは云へ
さほど深い悲しみなど
彼らは知らない
さだめしルシフェルと
私は呼ばれる事だらう
墜ちる-
堕ちてしまふよ
これにて擱筆。




