第二通「件名:笑ってくれてありがとう」
担任の苅間 慎司の口から告げられた言葉は、教室の空気を一瞬で凍りつかせた。
「瀬戸が……亡くなった」
その意味を、誰もすぐには理解できなかった。
いや――理解することを、心が拒んでいたのかもしれない。
静寂は、ほんの数秒。
次の瞬間、ざわめきが教室中に広がった。椅子の軋む音、息を呑む気配、信じられないと首を振る者……それらすべてが混ざり合い、重苦しい波となって押し寄せる。
「そんな……嘘だ!」
声を張り上げたのは、美月の親友・高石 美里だった。
机に手をつき、今にも崩れ落ちそうな表情で前を見つめている。
その瞳は、怒りとも悲しみともつかない感情に激しく揺れていた。
珠紀は、ただ席に座ったまま動けなかった。
――嘘、だろ……
胸の奥で同じ言葉が何度も繰り返される。
けれど、慎司の沈んだ表情が、それを現実だと突きつけていた。
当然、その日の授業は行われなかった。
最低限の連絡だけが淡々と伝えられ、クラス全員が早々に下校することになった。
誰も笑わず、誰とも目を合わせない。
静まり返った廊下を、それぞれが重い足取りで歩いていく。
*
数日後――瀬戸 美月の葬儀が執り行われた。
白い花に囲まれた遺影の中で、美月は生前と変わらない柔らかな笑顔を浮かべていた。
それがあまりにも"いつも通り"で、かえって現実感を奪っていく。
焼香の列に並びながら、珠紀は視線を上げることができなかった。
「なんで……」
問いかけても、答えはどこにもない。
ただ、静かな線香の匂いだけが時間を満たしていた。
*
やがて日常は、何事もなかったかのように再開する。
学校も、授業も、時間も――止まってはくれなかった。
だが、教室の空気だけは確実に変わっていた。
重く、沈み、互いの距離を測るような沈黙。
誰もがどこか、以前とは違う顔をしている。
その沈黙を破ったのは、城戸 太一だった。
「なんか、瀬戸さんからメッセージきてたんだけど」
何気ない口調。
けれどその一言は、水面に落ちた石のように教室へ波紋を広げた。
「え、俺もきてた」
久遠 成弘が続く。
さらに――
「俺も」
「私も……」
小さな声が、あちこちから重なった。
珠紀の鼓動が、ゆっくりと速くなる。
「もしかして、瀬戸さん以外の23人全員にきてる……?」
珠紀のその発言に、誰も否定しない。
それが答えだった。
「なあ、なんてきてた?」
太一が身を乗り出す。
だが成弘は、わずかに動揺して言った。
「言うわけねぇだろ。これ、一人一人に宛てた手紙みたいなもんだろ?そんなの他のやつに見せるもんじゃない」
教室の空気が、また少しだけ重くなる。
しかし――
「気になるねぇ」
窓際に座っていた神崎 碧が、鼻で小さく笑った。
そしてゆっくりと立ち上がり、教室を見渡しながら言う。
その目はどこか冷めていて、この状況すら観察しているようだった。
「瀬戸さんは、多分自殺だろ?なんの理由もなく自殺する奴なんているかなぁ?」
一瞬――教室の空気が止まる。
「そのメッセージに何か隠されてるかも?」
静かな一言が、教室の奥へ沈んでいく。
そのとき、美月の親友である美里が正樹をまっすぐに見た。
逃げ場を与えない視線だった。
「あんた、美月が死んだ日『何もなく無断欠席するような子じゃない』って言ったよね?」
正樹の肩が、びくりと揺れる。
「何もなく? 何かあったの知ってるんじゃないの?」
静かな声。
けれど、その奥には鋭い疑念が潜んでいた。
「違う!あれはしっかりしてる瀬戸さんに限ってそんなことないって意味で」
慌てた声が教室に響く。
必死な否定は、かえって不自然に聞こえた。
「じゃあ証明して」
「……証明?」
「あんたに送られてきた美月からのメッセージ。読んで」
視線が一斉に正樹へ集まる。
もう逃げられない。
「え……?」
「なに?なんかやましいことでもあるの?」
沈黙が落ちる。
短いはずの時間が、やけに長く感じられた。
「ない」
硬い声だった。
「良いよね?先生」
碧が軽い調子で慎司を見る。
「待て、瀬戸は本当にそんなこと望んでるのか?」
「そんなの本人にどうやって聞くんですか」
美里の冷えた言葉が返る。
再び沈黙。
やがて――
「分かった。読む」
正樹は観念したように呟いた。
震える指でスマートフォンを開き、表示された文章を見つめる。
小さく息を吸い込み、読み上げた。
『件名:笑ってくれてありがとう
鹿島君は、いつも明るくて、私が言ったことにも笑ってくれて嬉しかった。ありがとう。』
読み終えたあと、静寂が落ちた。
「これが、俺にきたメッセージ」
「なんだ普通じゃねぇか」
太一の声が、張り詰めた空気をわずかに緩める。
「そう、何もやましいことなんてない。わかっただろ?」
正樹はそう言いながら、どこか確かめるように周囲を見渡した。
「もう座って」
美里の声は、感情を押し殺した冷たさを帯びていた。
正樹は何も言わず席へ戻り、椅子に腰を下ろす。
深く吐いた息には、わずかな安堵が混じっている。
だが――
――本当に、これだけ……?
珠紀の胸に、小さな違和感が残る。
教室のどこかで、確実に何かが狂い始めていた。
まだ誰も、その正体に気づいていないだけで。




