表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/17

第2話 黒薔薇の庭で、魔王は誓う



魔王城アレクサンドリアの朝は、雪が積もるほど静まり返っていた。

 黒石の壁に触れた粉雪が、かすかな音を残して溶けていく。

 中庭に広がる《黒薔薇の庭園(ノワール・ロザリウム)》だけが、薄い光を抱いていた。


 霜をまとった黒薔薇は、闇の中でひっそりと灯る魔力の花だ。

 噴水は薄氷に覆われ、空気は凛と張りつめている。


 その中心に、魔王エイナは静かに座していた。

 膝の上には、一年を迎えた幼子――エイデン。


 拾い上げた日から、まだわずかな月日しか経っていないはずなのに。

 その温もりは、確かに増している。


(……よう育っておる。

 よい……実に、よい……)


 エイナはそっと、赤子の頬にかかる柔らかな髪を撫でた。

 呼吸は穏やかで、魔力の揺れも落ち着いている。


「魔王様〜、どーぞ♡

 今日の《血香茶(サングィス・アロマ)》ね〜」


 聞き慣れた声が、庭へ軽やかに届いた。

 ネフィラが、湯気の立つ茶杯を差し出してくる。


 赤黒い《血珠(ブラッド・パール)》が溶け、ほんのりと甘い血の香りが広がった。


「……温度も香りも、わらわに合わせてあるのぅ」


「当然♡

 エイデンくん抱っこしながらでも、飲みやすい角度だよん?」


(……この子に任せておけば、

 危ういことは起きぬ……)


 改造された短いスカートのメイド服が揺れる。

 だが、その足音はひとつも響かない。

 動きは侍女というより、むしろ――暗殺者のそれだった。


 穏やかな朝。

 ――のはずだった。


「へっ……へっ……ぶおっしゅばあああっ!!」


 爆発のようなくしゃみが、庭ごと揺らした。

 黒薔薇が“ばさっ”と跳ね、霜が散る。


「……ミリア。静かにせぬか」


「ちょ、ちょっと! 魔王様!?

 今のはマジで偶然!!

 あたし別に――」


「……姉様。

 今の、完全におじさんの音だったよ……?」


 淡々と刺す声。

 悪魔族の最高魔術師、リュカだった。


「おじさん言うなぁぁぁ!!

 ピチピチ悪魔なんだけど!?!?」


「……ほんとのピチピチは、

 自分で言わないんだよ……?」


「リュカあああああ!!」


 黒薔薇の庭に、騒音が跳ね返る。


「……ミリア、おじさんだったのだわ……」


 影の中から顔を出したラズリが、静かに告げる。


「ラズリ!?

 なんで刺さるやつ言うの!?!?」


「……事実なのだわ……」


 グロンまで、無言で頷いた。


「確かにデカかったな。

 完全におっさんの音だった」


「なんで!?

 グロンまで追撃してくんの!?!?」


 セラフィルはため息をひとつ吐き、優雅にスカートを整える。


「ミリア様……

 後ほど、庭のお片付けをお願いいたします」


「全員で殺しにきてる!?!?」


 エイナは小さく微笑み、

 膝の上で眠るエイデンの頬を撫でた。


(……騒がしい連中じゃ……

 ふむ……)


 ――と、その時。


 エイデンが、小さく喉を鳴らした。

 ほんの一拍。


 庭が、しん……と落ち着く。


 黒薔薇の影が揺れ、

 噴水の氷膜が、かすかに鳴った。


(……もう一年……

 早いものじゃ……)


 しかし、胸の奥にそっと沈む影があった。


(……いずれ、勇者どもとの対峙は避けられぬ。

 わらわが剣を取らずとも……

 エイデンが真実を知れば、この子の歩みは止まらぬじゃろう)


 焼けた村の匂い。

 歪んだ光。


 “正義”と謳われた破壊の記憶が、脳裏をよぎる。


(……その時、五柱はこの子の隣に立つじゃろう。

 ネフィラも迷わぬ。

 わらわもじゃ)


 剣を握り、

 迷いと痛みの中で立とうとする少年の影が、

 かすかに未来から差し込んだ。


(この子が復讐を選ぶなら――

 その刃が折れぬよう、支える。


 赦しを選ぶなら――

 その心が壊れぬよう、抱きしめる。


 どちらであろうと……

 この子の未来は、わらわが守る)


 その誓いは、じわりと形を取る。


(セレヴァールの民も、この子も。

 わらわは、すべて守る。

 そのためなら――)


 決意が静かに結ばれた、その瞬間。

 世界のほうが、わずかに軋んだ。


 空気が沈むのではない。

 ――圧が、満ちる。


 黒薔薇がひとつ、音もなく折れた。

 噴水の影が、深く黒く沈む。

 霧が、一拍で蒸発する。


 世界が、“魔王の威”を認識し直した。


 グロンは拳を握り、

 ラズリの影が膨らんでは収まる。


 ネフィラは魔力の波を静かに受け止め、

 セラフィルは胸に手を当てて息を整えた。


 リュカは、眼差しだけで理解する。


(……たとえ世界すべてが敵になろうとも、

 わらわが押し返すまでよ)


 その闇は暴れず、

 ただ深く、静かに沈む。


 だが誰もが、その力の“片鱗”を確かに見た。


「魔王様〜?

 今の……けっこう凄かったよん?」


「……ああ。

 少し、考えごとをしておっただけじゃ」


「んふふ、そゆとこ好き♡」


「からかうでない」


 エイナは咳払いし、五柱へ視線を向ける。


「……お主ら。

 庭を散らかした罰として、後で片付けよ」


「えぇぇ!?」

「……はい……」

「了解した」

「うむ」

「承知いたしました」

「りょーかい♡」


 再び、黒薔薇の庭に賑やかさが戻る。


 だがエイナは、胸の奥で。

 先ほどの誓いが、まだ静かに熱を帯びているのを感じていた。


(……この子の未来が、どれほど険しくとも。

 わらわが守る。

 それが、わらわの選んだ“母”としての道じゃ)


 膝の上の小さな命が、安らかな寝息を立てる。

 黒薔薇の庭に、柔らかな朝光が差し込んだ。


──こうして、魔王家の朝は、今日も続いていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ