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第1話 闇が家族になる朝

 

魔王城アレクサンドリアの朝は、いつにも増して深く静まり返っていた。

 外では雪が絶え間なく降り続き、白い世界が黒石の城をやわらかく覆っていく。


 冷たい石壁に反射する音はなく、魔灯の淡い光だけが、闇の広間へほんのりと温度を落としていた。

 凍えの気配はない。ただ、深い闇の呼吸だけが、ゆるやかに満ちている。


 エイデンは、まだ言葉すら知らぬ赤子だった。

 小さな胸が上下するたび、空気がかすかに震える。


 それは魔力とも、風とも違う。

 名を与えられていない、静かな“ゆらぎ”。


 その揺らぎを腕の中で感じながら、魔王エイナはふっと息をついた。


(……やはり、この子……

 ただの人の子ではないの……)


 魔王らしからぬほど穏やかな手つきで、その髪を撫でる。


 その瞬間、

魔灯の揺らぎが、エイデンの呼吸と、ほんの一瞬だけ同じ周期で重なった。


 エイナは、それを見なかったことにする。


 撫でた手を胸元へ引き戻し、わずかに指を握る。

 ――王としての判断を、無意識に飲み込む仕草だった。



「魔王様〜? 入るよん♡」


 軽いノックの直後、扉がひょいと開く。

 ネフィラが、滑り込むように入室した。


 黒月侍女団(メイド)の制服は彼女仕様に大胆に整えられているが、足運びに音はない。

 その動きは、侍女というよりも戦士――あるいは暗殺者のそれに近かった。


「は〜いエイデンくん♡

 今日も世界一かわいい〜♡」


 エイナの腕から赤子を受け取る仕草は、驚くほど繊細だ。


「……わらわの子じゃぞ」


「分かってるってば〜♡

 でも抱っこは、上手い人がやるべきなんだよん?」


 その言葉が終わるより早く――


「エイデーーン!! 来たぞぉ!!」


 爆ぜるように扉が開き、ミリアが飛び込んでくる。


「ミリア、静かにせんか!」


「無理無理!

 エイデン見たら叫ぶに決まってるじゃん!!」


 突撃してきたミリアを、ネフィラがひょいとかわす。


「ミリア様、近い近い〜。

 赤子に息かかりまくり〜」


「いいじゃん!

 赤ちゃんって距離感だいじでしょ!」



「……ラズリ、そんな所で何してるの〜?」


 ネフィラの視線に応えるように、部屋の隅の影がふわりと揺れた。

 いつからいたのか分からぬ気配で、ラズリが立っている。


「……赤子、落としたら……大変なのだわ……

 だから……ここで見守っていたのだわ……」


 ミリアですら気づかなかった、その存在感の薄さ。


「お主は優しいの。近う寄ってよいぞ」


 エイナの声に、ラズリはわずかに逡巡しながら近づき、

 エイデンの頭をそっと撫でた。


 影が、寄り添うように揺れる。



「……魔王様。少し気になる反応があります」


 気配もなく、リュカが入室する。

 声は低く、分析と報告のためのものだった。


「このゆらぎ……通常の魔力循環ではありません。

 内部で自律する、不規則な変動です」


「……感じておったか」


「はい。危険性はありませんが……赤子としては異例です」


 淡々とした声音の奥に、

研究対象以上の温度が、確かに滲んでいた。



「……騒がしいと思ったら、やっぱりここか」


 低い声とともに、グロンが入室する。

 大きな影が伸び、ミリアが反射的に肩を跳ねさせた。


「ほれ見ろ、赤子が驚く」


「なんであたしのせいなの!?」


 グロンは答えず、エイデンへ視線を落とす。


「……本当にちっこいな。

 ……よく生きてた」


 その短い言葉に、

武人としての重みが宿っていた。



「皆様、赤子には静寂が必要でございますよ」


 セラフィルが優雅に姿を現す。

 抱き姿勢、毛布、室温――すべてを一瞬で整える。


「魔王様、この角度が最も負担が少ないかと」


「……うむ」


 エイナが素直に従い、

ミリアとネフィラが揃って目を丸くする。



 気づけば、自然と円ができていた。

 魔王、五柱、ネフィラ。

 そして中心には、世界をまだ知らぬ小さな赤子。


「……この子は、わらわの家族じゃ。

 そして――お主らの家族でもある」


 その一言で、空気が変わる。


「当然じゃん!!」


 ミリアが即答し、

ラズリは胸に手を当てて頷く。


「……家族……なのだわ……」


 グロンは短く肯き、

セラフィルは深く礼をした。


 リュカは何も言わない。

だが、細められた瞳が、静かに喜びを帯びていた。



「……ネフィラ」


「なに〜?」


「このまま、エイデンの傍におれ。

 お主の抱き方が、一番落ち着くようじゃ」


 それは明言ではない。

 だが、確かな任命だった。


「は〜い♡

 任せといてよん♡」


「なんでネフィラだけなの!?」


 ミリアが、即座に噛みつく。


「ミリア様、

 抱っこしながら走る人には任せられないよん〜」


「走らないし!!

 ……いや、ちょっとは走るかもだけど!!」


「……姉様。

 まずは、自分の部屋を片付けた方が……」


 静かに刺すような、リュカの一言。


「なんで今それ言うの!!」


「……この前……

 エイデン、ひっくり返しそうになってたよ……?」


「~~っ!!」


 言葉を失ったミリアに、

ラズリがぽつりと落とす。


「……ミリアは……

 赤子より元気なのだわ……」


 その瞬間――

エイデンが、すやすやと寝返りを打った。


 誰の声に反応したのかは、分からない。

ただその一拍だけ、

魔王城の闇が、ほんのわずかに揺らいだ。



 無意識に、

ネフィラの足が半歩前へ出る。


 次の瞬間、本人だけが気づき、

何事もなかったように戻った。


 誰も、指摘しない。



 魔王城の闇が、

ほんのわずかに光を帯びた――ように見えた。


 エイナは、その光を直視しない。

 ただ、赤子を抱く腕に、わずかに力を込める。


──こうして、魔王家の物語は静かに幕を開ける。


 この子が、どの光へ歩むのか。

 どの闇を選ぶのか。


 まだ、誰も知らない。

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