第12話:後編 影は血を継ぎ、光へ仕える
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その夜。
魔王城は、いつもより静かだった。
雪が降っている音が、遠くに聞こえる。
エイデンは目を覚ましていた。
眠れないわけじゃない。
ただ、胸の奥が落ち着かなかった。
廊下の向こうで、低い声が揺れた気がした。
◇
円卓の間の扉は、少しだけ開いていた。
赤い灯りが、床に細く伸びている。
五柱の影が、長く揺れていた。
その奥に――
エイナが立っている。
「……今夜は、星がよく見える」
振り返った紅い瞳が、灯りを受けて光る。
エイデンは、息を止めた。
声が、いつもより深い。
◇
「守影とは、本来“護る影”じゃ」
その言葉は、静かに落ちた。
「声を上げず、刃も滅多に抜かぬ。
主の背を支えるだけの影」
エイデンは、ネフィラを思い浮かべる。
いつも笑っていて、
そばに立っていて、
ぎゅっと抱きしめてくれた、あの影。
でも。
赤い夜の中で見たネフィラは、違った。
速かった。
迷わなかった。
◇
「だが――」
ひとつ、灯が揺れた。
「あの子の……ネフィラの歩き方は違う」
円卓の空気が、少し沈む。
「守る影ではなく……狩る影じゃ」
その言葉に、胸がひくりと震えた。
狩る。
その響きは、冷たい。
◇
「昔――」
エイナの声が、わずかに低くなる。
「魔族が力を誇示し、血で世界を黙らせた時代があった」
灯りが揺れた。
部屋の温度が、下がる。
「魔王の影として、夜を渡った者どもがいた」
名は、言わない。
けれど。
空気が知っている。
怖い匂いが、わずかに漂う。
「黒月裏守」
その名が落ちた瞬間、
エイデンの背に、ぞわりと寒気が走った。
◇
エイナの声は淡々としている。
だが、言葉だけが重い。
朝の来なかった谷。
赤く染まり続けた雪。
影に溶けた町。
エイデンは、光景を想像してしまう。
白い雪が、赤くなる。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
◇
「わらわは、即位と同時に黒月裏守を廃した」
その声は、誇りを含んでいた。
「力で黙らせる時代は終わった」
エイデンは、少し息をつく。
終わった。
そう言ってくれた。
◇
「……ただひとつだけ、影を呼び戻す理由があった」
その瞬間。
エイナの視線が、扉の方へ向く。
エイデンは、びくりとする。
「わらわが、あの子を抱いた時じゃ」
胸が、どくんと鳴った。
◇
「胸の奥に、名のつかぬざわめきが落ちた」
未来の影。
過ぎ去った炎。
勇者の匂い。
王国の歪み。
宿命。
どれも分からない。
けれど、“狙われる”という言葉だけが、はっきりと胸に残った。
◇
「ゆえに、影を置いた」
その声は、揺れない。
「だが黒月裏守を復活させたわけではない」
紅い瞳が細まる。
「ネフィラは“影の系譜”を継いでおる。
じゃが、黒月裏守とは違う」
エイデンの手が、無意識に握られる。
◇
「恐怖のためではなく……」
ほんのわずか、間。
「ただ一人の子を守るために使う影など――」
紅い瞳が、静かに細まる。
「……それも、人の子のためになど。歴史上、存在せなんだ」
胸の奥が、熱くなる。
「ネフィラは、それを選んだ」
わらわではなく。
エイデンのために。
◇
その言葉が、まっすぐ刺さる。
息が、少し乱れる。
ネフィラが、選んだ。
自分のために。
◇
「そして……あの子は今夜こう言うた」
五柱の影が、わずかに動く。
「“つよくなりたい。ぼくも、まもりたい”と」
顔が熱くなる。
聞かれていた。
あの言葉。
◇
「ゆえに、明日より育成を任せる」
静かな宣言。
「剣も、魔も、心も。
光を目指す道も、影に足を取られる危うさも」
すべてを。
「必要なものは、すべて教えてやれ」
その言葉が、胸に落ちる。
◇
窓の外で、星がひとつ流れた。
エイデンは、そっと扉から離れる。
胸の奥が、静かに熱い。
(……ネフィラは……影)
(……でも……)
あの腕は、あたたかかった。
あの声は、やさしかった。
影が、怖いだけとは思えなかった。
◇
(……ぼく、つよくなる)
誰にも聞こえない声で、呟く。
光のために。
影を知るために。
そして。
いつか。
自分で選ぶために。




