ep.10『犬』
「お手」
レイが手のひらを前に出すと。
「ワン!」
その手のひらの上によろこんで手を乗せる男が目の前にいる。歳は……四十代半ばと言ったところだろうか。
「おかわり」
「ワン!」
律儀に逆の手もやって見せる。
「おーよしよし」
顎髭をジョリジョリ。
「レイ、犬を飼う余裕はない。返してきなさい」
「やです!」
レイは目を潤ませ首を振った。
とりあえず犬(?)を連れて宿まで帰ってきたが、どうしたものか。
「やだって言われてもなぁ。なんなんだよこれ……」
「従順な犬になりたいって言うから、叶えてあげたんです」
と、意味不明な説明を繰り返しており、話にならないのである。
頭が痛くなってきた。
これでも俺はこいつの周りで起こる奇っ怪な現象に慣れてはいるのだ。しかしこんな事は流石に初めてだ。
「はぁ、まずこいつはどこのどいつなんだ?」
「えっと、カルロス?」
誰だ。
「どこの人かは知りません」
だめだ。こいつと喋っても何も実りがない。
「カルロスさん。聞こえますか?」
「ワン!」
「わんじゃねぇよ! ったく」
だめだこりゃ。たぶん何かヤバい薬でもやっているんだろう。
「レイ。マジな話、このままじゃどうにもならない。旅に連れてはいけないんだ。どうにかしたい。協力してくれるか?」
「むー」
レイは不満そうな顔でカルロスの髭をジョリジョリ撫でている。
「はぁ、わかりました……はいッ」
ペチッ
レイは渋々と胸の前で手を叩いた。
「はっ」
今まで犬のような息遣いをしていたカルロスがハッとしてまるで時が止まったかのように静かになる。
「カルロスさん……?」
「はい」
返事が返ってきた!
「大丈夫ですか?」
色んな意味で。
「はい。ええと、ありがとうございます」
カルロスは少し恥ずかしそうに膝の埃を払い立ち上がる。
「むー」
レイはまだむくれっ面のままだ。
「あの〜カルロスさんはレイとはどのようなご関係で?」
正気に戻ったなら元の場所に戻ってもらうだけだが、どうしてこうなったのか、好奇心が抑えられなかった。
「はい……。私はカルロス・コール。隣町の領主の六番目の息子でして、奴隷商に愛玩用の奴隷を買いに来たのですが、ちょうどそこのレイ君が売られて来た所に出くわしてですね。その……一目惚れでした」
自分がどこの誰かまでちゃんと名乗ってくれた。
「まさかとは思いますが犬だった間の事、覚えてるんですか?」
「……はい」
何故か恍惚の表情を浮かべて肯定する。カルロスにとってワンちゃんプレイはなかなか魅惑的なものだったようだ。
「それで、カルロスさんはレイを買ったんですよね」
でなければすんなり商館から出してもらえなかったろうが一応聞いてみる。
「はい」
つまるところまだレイの所有権はカルロスさんにあるという事だ。これは厄介。
「レイは元々攫われて奴隷商に売られた身なので解放してほしい気持ちが一番なのですが──」
「はいどうぞ」
「ですよね。ダメですよね。分かって……え?」
今何と?
「大丈夫ですよ。私としては大変残念な気持ちではありますが、レイ君の幸せが一番です。レイ君は自由に生きるべきです」
「カルロスさん……」
こんなにいい人がわざわざ奴隷を買いに来たとは。一体どんな事情があったのか。
「でもお金とか」
「いえいえ、良いんです!」
「えっでも」
「分かってます。じゃあ何のために買ったのかですよね。お恥ずかしながら、私も最初はその……憂さ晴らしとか、そういうのに使うつもりだったんです。最低なクズ野郎だったんです」
それは確かにクズ野郎だ。とは、言えないので黙っているとカルロスはそのまま語りだした。
「でもレイ君を初めて見た時、一目惚れして、会って話して、少しですが触れて、その時の優しさと聡明さと明るさに心が洗われました。憑き物が落ちた気分でした」
レイがまるで聖人のように扱われているが自分の購入者を逆に犬扱いするドSクソガキだぞ。一体どんな御高説を聞かされたんだ。
「そうですか。カルロスさんはこれから自分の町へ帰るのですよね」
「はい」
「もしよろしければですが、道中の護衛として同行しますよ。勿論従者がいると思うのでその方達と相談して頂いた上での話ですが、護衛は多い方がいいと思うので」
ここまで良くしてもらっては……という気持ちとワンちゃんプレイのお詫びも兼ねて申し出てみた。
「それは助かります」
「ところで、従者の方々は今どこに? 心配されているのでは?」
そう言えば、商館でも近くにはいなかった。
「お忍びで、というか勝手に家を飛び出してきたので来る時も商人に金を払って乗せてもらったのです」
領主の子息とはいえ六男となるとそこそこ自由が利くのだろうか。
「なるほど、そうなると結局足がないので馬車を手配しないといけませんね。馬車代は出しますよ」
「ではお言葉に甘えます」
言い出した手前もう引けない。またレイのお陰で出費が嵩むではないか。
次の町では仕事を探さなければ。




