3話 そんなに大きかったら掴んじゃうだろうが!
ジェイドはハッとなって意識を取り戻した。
不眠の暗黒魔導士を自負する己が眠っていたことにまず驚いた。いったい何か月ぶりに眠ったのだろうか、などと考えている状況ではなかった。目覚めた場所は、荒々しく飛び跳ねて斜面を駆け下りる獣少女の背中の上だったのだから。
思わず叫んでしまうのも無理はない。
「とととっ! 止まれええ!!」
キキーーィィィッ
というブレーキ音を立ててクマ耳少女が急停止。急に止まられると、乗っている方の人物は前方に投げ出されまいと咄嗟に乗り物を掴んでしがみつくのもやむを得ない。
「どこ掴んでのよ! このスケベ! さっさと離しなさいよ!!」
クマ耳少女は鋭い爪の生えたモフモフな手で、ギュッとしがみつくジェイドの腕をバシバシ叩いた。
自分が現在している破廉恥な行為に気づいたジェイドは、慌てて彼女から手を離して距離をとる。
「あわっ、あーああー。すまないっ! いや、君が急に止まるからだろ!」
「止まれって言ったのはあなたでしょ!」
「そりゃそんなに大きかったら掴んじゃうだろうが! しょうがな……あ、いや、やっぱりボクが悪かった」
メイド服の下のふくらみを指差されたクマ耳少女が恥ずかしそうにそこを両腕腕で隠す仕草をした。ジトリと変人を見るかのような少女の視線に耐えかねて、ジェイドは180°のおじぎをする。
「偶然の事故なんだ! ごめん許してよ」
「ほーんと! わたし命の恩人なんだからね? 分かってる?」
「いや本当に、なんとお礼を言っていいのやら」
「じゃあお礼をしてもらおうかしら?」
「……はへ?」
ジェイドが顔を上げて困った様子を見せる。
「いやー、あのー、んと。ボク何も持ってないしぃ、出来ることなんて何もないしぃ、面接とかも落ちちゃうたちだしぃ、お礼とかは難しいかな……」
「まあ、別にお礼はいいんだけど……。近くに湧き水があるからそこで休んでいかない?」
ジェイドは尚もいたたまれない気持ちになっていた。空気の読めないマイペースな男もさすがに命を救ってくれた上に破廉恥な事までしておいてこのまま立ち去ってよいものなのか、と思ってはいる。
思ってはいるが、やはり図太い男であった。
「そうしたいのはやまやまなんだけどね……、ボクは今すぐ頂上を目指さないといけないから……」
「頂上!? そんなのぜったい無――」
ジェイドは話をさえぎってまたおじぎをした。
「ありがとう! じゃっ!」
それだけ言って、少女に背を向けスタスタと去って行ってしまう。「ほへ?」と少女はあっ気にとられてしまったが、尚更その男の事が心配になって小走りで後を追った。
「ちょっとお兄さん! 本当にまた登るつもりなの!? 頭おかしいの?」
今さっき自分が死に際を助けやったばかりの奴が、すぐさま何の準備もなしにその死にかけた場所へ行こうとしているのだから、引き留めるのも当然である。頭が正常ではないとの推論も妥当と言えよう。
がしかし彼女は知らないのだ。この男が神話に登場する伝説の暗黒魔導士の血を引く者であるという事を。
「言っただろ? ボクはこの山の頂上に行かねばならない。大事な目的があるんだ」
歩みを止めずに答えるジェイドに少女はついて行く。
「死ぬよ? てかさっき死んでたよ?」
「大丈夫だって。さっきのでだいたい分かったから、ちょっと眠ったから今度は失敗しないってば」
「すごい自信ね……、ちょっとぐらい休んでいけば? 簡単なのでよければお料理作ってあげてもいいわよ?」
「気遣いに感謝するよ。でもボクは行くと決めたんだ」
ジェイドは足を止めて少女に向き直り、自信に満ちあふれた表情で彼女の手を握った。
「本当にいろいろとありがとう。全部終わったらお礼をするよ」
少女はジェイドの全身からあふれ出る自信に圧倒されて言葉を失い、不思議そうに彼の瞳を眺めるばかりだ。
「さらば」
ジェイドは少女を置いてまたスタスタと歩き出した。
さすが、恐れ知らずの暗黒魔導士である。なんらためらう事もなく一度死にかけた場所へとまた踏み込んでいくのである。
クマ耳少女は彼の背中が見えなくなるまで熱い視線を送り続けた。
質実剛健、自信満々、有言実行、問答無用、無茶苦茶、、無茶苦茶、、
「……かっこいい」
◆ ◆ ◆
ジェイドはハッとなって意識を取り戻した。
そしてやはり驚いた。目覚めた場所は、荒々しく飛び跳ねて斜面を駆け下りる獣少女の背中の上だったのだから。これは何だ、デジャヴか。
思わず叫んでしまうのも無理はない。
「止まれええ!!」
キキーーィィィッ
「このスケベーー!! さっさと離しなさいよ!!」
「あっあわっ、すまない……」
と、お約束の展開を一通り済ませると、ジェイドは力なく地面にへたり込んだ。
「また死にかけたのか……」
体を小さく丸めていじけた仕草をする。こんな彼を見たくはなかったぞ!
「そうよ。わたしがあなたを追いかけていなかったらあそこで気を失って死んでたわね」
クマ耳少女はあの後、結局ジェイドが心配で居てもたっても居られなくなり後を追う事にしたのだった。冷静になってみれば、同じことをしたら同じ結果になるという至極当然の予想であろう。
「ああぁ、なんてことだ。ボクなのに、まさかボクにできないことがこの世に有ったということなのか」
「ねえ。どうしてそこまでして頂上へ行きたいの?」
「月……。夜空に輝くあの月へと行くのさ。だから地上で最も高い場所へ行かなければならないんだ」
少女はその途方もない夢を呆然と口を半開きにして聞いていた。
無理もない。月に行くなどとのたまうのは、竹から生まれた美少女でもなければ伝説の仙人か、あるいはパッパラパーである。
「月ね……、へー」
ツッコミたいところではあったが、弱々しくいじけている目の前の男を見ていたら何も言えなかった。
「そーなんだー。よく分かんないけど、なんかすごーい。へー」
ジェイドは何度も大きな溜息を吐いてうなだれるばかりだ。他人には理解しがたい事ではあったが、よほど頂上へ行けなかったことを嘆いているのが見て取れる。死にたくなければ諦めなさいと言うべきなのだろうが、応援してあげたい気持ちも湧いてくるというものだ。
「じゃあさ、しばらくここで暮らしてみたら?」
「ぬ?」
「冷静に考えて、あなたは今のままじゃ頂上へは行けないわよ。でも、しばらくこの辺に暮らして山の上の環境に体を慣らしてゆけば、そのうちもっと高い場所へも行けるようになるかもしれないわ?」
ジェイドはしばし思案して、
「ほお」
ポンと手のひらにグーのはんこを押した。わが意を得たり。
クマ耳少女もニッコリと、
「なら、わたしの国へ行きましょう」
「国?」
「そう、この高地の環境でしか暮らせない種族や訳あって流れ着いた者たちで作った国よ。そこで暮らせばいいわ」
そういえば、この少女はジェイドが死にかける場所でも平気にピンピン動いていた。この高山の環境を得意とする者達がいるということだ。この高山地帯を攻略するヒントがその国にあるかもしれないぞとジェイドは考えた。
「そんな国があるなら。ぜひ行ってみたいよ」
「よぉし! じゃあ、わたしの背中に乗って? 連れてってあげる」
ジェイドはクマ耳少女の提案を断った。何度も何度も少女の力に頼るなんぞプライドが許さないからだ。
「遠慮するよ。ボクの方が君より走るの速いから」
「へー、あっそ……」
なぜか笑顔が消えて頬を膨らませた。クマ獣人としてのプライドを傷つけてしまったかとジェイドは不安になって話題をそらす。
「えっとボクはジェイドっていう。君は?」
「ウェイミーよ。よろしくね、ジェイド。じゃ行くよ?」
クマ耳少女ことウェイミーはそう言うとすぐさま駆けだして行ってしまった。不意を突かれたジェイドも後を追った。
「ちょ、ちょっとウェイミー? 待てって!」
(つづく)