2話 本気出したら行けんじゃね?
その暗すぎる風貌のためにアイドル系冒険隊『カラフルサンシャイン』を脱退させられたジェイドは、何がどうあれ神話の暗黒魔導士だ。
仕事をクビになろうが一人ぼっちになろうが途方に暮れる事などない。自分に出来ないことなど何もないと確信しているし、なんとでもなると思っている。
努力は嫌いだが、努力しようと思えば努力できると考えている。アイドルとして人気が出なかったのはその気が無かっただけで、本気を出せばファンの100人や200人どうとでも出来るのだ、と信じている。モテすぎても困るわけで、一番大切な人に好かれたいんだと心からそう思っている。一途な暗黒魔導士なのだ。
などということを寄り道した洞窟の中にいたコウモリ達に熱く語って、気持ちを落ち着かせると、ようやく真剣にこれからの事を考え始めた。
一晩中考えたり、考えなかったり。日中の間ずっと雲を眺めたり、木の上に登ったり降りたり。
並外れた魔力を体内に宿すジェイドは数か月の間不眠でも絶食しても生きていける体なので、一人でどっぷりと想いにふけってみれば、いくらでもふけっていられるのである。
思えばこれまでの人生、自分で自分の道を決めて来なかったのではないかという気がしてきた。
生まれた家系や与えられた能力から、魔導士として外敵から国民を守ることが使命だと思わされて来たのではないか。
冒険者を始めたのだって、若いうちに旅をした方がよいと師匠に言われて、勧められるがままに始めた事だった。そして、右も左も分からないジェイドに最初に声をかけて来たSランク剣士のアラムに従ってこれまでやって来たわけだ。
肩書きを失い、誰からも命令も助言もされない状況。何でもできるし何をやってもよいという真にの自由な身となることで、初めて自分で決めなければ何も起きない状況にされた事に彼は気づいた。
なんとでもなるというのは、無限の選択枝から一つを選ばなければならないという事でもある。
それでも結局はシンプルな結論に辿り着くものである。
どうせなんとでもなるのだ。思い付きで良いじゃないか。
とりあえず今までなんとなーくやりたかったけど、絶対にできなかった事をやろうと思い立った。
コンビニのアルバイトである。
元々読書が好きで、本の立ち読みができるコンビニという存在が以前から気になっていた。そして何より夜型の人間だったので深夜も営業しているところに大きな魅力を感じていたのだ。
狙いをつけたお店に出向いてさっそく面接を受けることとなった。
自信満々で面接を受けたジェイドであったが、どうやら彼は世間を知らなさ過ぎた。
うさん臭い占い師のような服装で面接に来るんじゃないと説教されて、あえなく不採用。さすがの彼もちょっとヘコんだが、あんな青と白のしましまの制服は自分には似合わない、こっちから願い下げだと都合良く考えを改め、コンビニへの興味は薄れてしまった。
ジェイドはやはり黒へのこだわりが強い事を再認識した。
コンビニの次に彼がやりたい事といえば、それは月へ行くことであった。つまり遥か夜空の上で輝くお月様、その大地に降り立つべく旅行がしたかった。
強力な魔法を使うために月のエネルギーを得ることを繰り返してきた彼は、次第に月が身近にあるような気がしていて、もしかして本気だしたら行けんじゃね? と思っていたのだ。
彼はこれまでに、物知りそうな人物を見つけては、月への行き方をしりませんか? と尋ねて回って来たのだが誰も教えてくれはしなかった。
だから自分で月へ行く方法を見つけなければならないわけで、彼なりに考えを巡らした結果、まずはとにかく高い山の頂上に登ろうということになった。出来るだけ近づけば何か分かる事があるだろうという発想だ。
そういうわけで、ジェイドは自分の知っている中で一番高い山を登り始めた。
地元の人々に〝ホシトリ山〟と呼ばれ、大昔に仙人が頂上に登って星をつかみ取り地上に持って帰ったという伝説のあるほどに高く鋭くそびえる雄峰である。山頂に常に雲がかかっていてその先を地上から見る事はできない。また、今だかつて登頂を成し遂げた者はいないという。それでもジェイドは神話の暗黒魔導士だ。自分に出来ないことなどあるはずが無いのである。
これまで冒険者をしてきたわけだから、山の一つや二つは登ったことはある。しかし今回の山はこれまでに経験した山とは次元が違った。
山をナメてはいけない。
巨大な岩が転がってこようが雪崩に巻き込まれようが、神話の暗黒魔導士たるジェイドには造作もないことだ。汗一つ流すことなく、指先をかざせば全てを破壊し、時空を歪ませれば何も彼に触れることすらできない。鼻歌を歌いながら、カラスやコウモリやグリフィンとしりとりをしながら昼夜休むことなくひょうひょうと山を登り続けた。
だが、標高8000mを超えたあたりから次第に息が苦しくなってきた。
空気中の酸素が少ないことがこんなに辛いとは知らなかった。暗黒魔導士といえど呼吸という人間としての生命活動の源まで歪めることはできなかったのだ。
しかも当然のようにここまで不眠不休で登って来ていたわけで。「山で寝たら死ぬぞ」というフレーズだけどこかで聞いて頭に残っていたからであるが、元々眠らない生活をしてきたし普段から寝不足のような顔をしている男なのだ。
歩みを進めるたびに、高山病が神話の暗黒魔導士をむしばんでいった。
めまいがし、意識がもうろうとしだすと、「ゆうりょうのレジぶくろはごいりようでしょうか」というコンビニの面接の前に必死で練習した言葉をつぶやきだす始末だ。足だけは前へと進めるのだが、もはや自分が登っているのか下っているのかすら分からなくなってきた。実際は同じ所をぐるぐると回っているだけなのだが。
もとより人間の踏み入る場所ではなかったのだ。ついには足も動かなくなってしまった。
心肺機能の限界であった。
草一つ生えぬ一面真っ白い雪に覆われた山の斜面にポツンと立ち尽くす黒いローブに黒いとんがり帽子の男。
もはやここまで。
月へ行くという壮大な夢への挑戦の途中、志半ばでの最期ではあるがよく頑張ったと言いたい。『カラフルサンシャイン』時代に人気がなかったとはいえ、イベントの毎にジェイドに握手を求める女性ファンや男性ファンが2、3人は確かいただろう。きっと誰かの心の中で1~2年くらいは生きられるんじゃないだろうか。
お疲れ様、今度こそゆっくり眠ってくれ……
・・・
「ぅお~い……」
かすかに聞こえた少女の甘ったるい声。
「お~~いっ! やっぱ死んじゃってる?」
意識が少しずつ戻ってくる。首から上に断続的な振動を感じる。どうやらほっぺたに繰り返しビンタをされているらしい。始めは心地よくもあったが、徐々に皮膚の痛みが強くなってきた。ビンタの周期から言ってもかなり大振りで引っぱたいているに違いない。
「うわっ! 目開いた!」
視界が明るくなっていくと、目の前にいた甘ったるい声の主の姿が鮮明になってゆく。
「あなた人間じゃんね? なんでこんなとこまで来ちゃったの? てかよくここまで来れたよね」
声の主は獣人だった。人間の少女のような顔にクマの耳が生えている。そしてなぜか黒と白のメイド服を着ていた。
「まいいわ。下の方まで送ってってあげるから、寝てていいよ」
そう言うと彼女は細い腕の先のモフモフな手でジェイドをひょいと持ち上げ背中に乗せると、獣らしく腕と脚で地を駆り颯爽と斜面を下って行った。
ジェイドはもうろうとした意識もままに「めいがらではなくばんごうでおしえてください」と一言つぶやくと、少女の背中の上で再び眠りについたのだった。
(つづく)