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盤上の絆(後編)

作者: 高野みのり
掲載日:2023/03/23

とりあえずその場はお母さんがひたすら謝って何とか内田君のお母さんの怒りを鎮めて家に帰って来た。問題はここからだ。家のドアを閉めるなり、お母さんは僕に尋ねる。


「湊、内田君のお母さんが言っていたことってほんと?」

「うん」

「どうして学校では喋らないの?」

「分からない」

「…」


お母さんはその場で泣き崩れてしまった。泣きながらお父さんに電話して、早く帰って来たお父さんと話し合いになった。


僕は早く寝るように言われたけれど、その夜は昔のことを考えていて、結局十時くらいまで起きていた。




あれは確か、幼稚園年長さんのお遊戯会だったと思う。当時はみんなより少し背が高かった僕は、王子様の役を任された。王子様の役は僕の他に四人いて、みんな誰とでも話ができるような子たちだった。王子様の役にはセリフがあり、長いセリフを五人の王子様で分担して言わなければならなかった。他の四人の王子様役の子たちは練習の時からすごく楽しそうにすらすらとセリフが言えるのに、僕は何度練習しても途中でセリフが出てこなくなる。


そして本番でもそうなった。セリフの途中で止まり、一瞬で観客のお母さん、お父さんたちの視線が僕に刺さる、そんな感じがした。


お母さんは、「湊の王子様、とってもかっこよかったよ」と褒めてくれるけれど、僕はあの時のみんなの視線が刺さる感じがずっと怖い。その日以来、家以外の場所で話そうとすると言葉が出てこなくなったのだ。


挿絵(By みてみん)




次の日、両親に病院に連れていかれた僕は、場面緘黙(ばめんかんもく)症の可能性があると言われた。


家など落ち着いた環境では普通に話せるのだが、学校などの外の環境では人前で話せなくなる、簡単に言うとそういう病気らしい。家では普通に話せるので、学校では少し大人しい子という印象がついてしまえば発見が遅れることもあるのだそうだ。僕の担当をした小児科の先生は、僕にも分かるような易しい言葉で僕にもきちんと説明してくれた。


続けて先生は、親の育て方の問題ではない、小学三年生だと自然に治る可能性もあるのでしばらく様子を見ましょうという話を両親にした。それを聞いた両親は安心し、その日は午後からは学校に行くことになった。


教室に着いた僕に、彼女は真っ先に謝ってきた。「きのうはごめんね」と書かれた紙を僕に手渡しながら頭を下げる。彼女がきちんと掃除をサボっていないと自分で主張できれば僕も怒られずに済んだかもしれない、そう思っているようだった。


僕も何も言えなかったんだから、僕の方がごめんね、だ。僕は学校に来たばっかりで鉛筆を用意していなかったので、右手で自分の眉間をつまむようにして、そのまま前で拝むように手を立てる。


彼女は、すぐにそれが手話だと気付いて笑顔になる。前に僕が、彼女を傷つけた友達を罵ったときに、彼女がしていたのが手話だと気付いてから少しだけ調べたのだ。


そこからはいつものようにチェスの対局を行う。今日だってこれがなかったら学校には来なかっただろう。今日の対局は彼女が少しだけミスをしたので、あと少しで勝てそうだったけれど、何とか引き分けに持ち込まれてしまった。




それからの僕は、彼女を守るナイトにでもなったような気分で、できるだけ彼女の側にいることにした。


そのお陰もあってか、先の一件からいじめっ子の内田君と田中君は大人しかった。僕に殴られた内田君に至っては僕の事を怖がっているようで、横を通るときでさえ警戒しているのが伝わった。




しかし、夏休みも近づいてきた七月のある日、いつものように放課後の教室で彼女とのチェスの対局をしていた時だった。田中君が僕たちのところへやって来て、担任の先生が前の一件についてもう一度話を聞きたいから理科準備室に来てくれと言っていると伝えた。


僕たちは対局を中断して理科準備室へ向かう。理科準備室は危険な薬品や器具が多いため、普段鍵がかかっているのだが、この時は開いていたので先生が開けてくれているのだと思って中に入る。


理科準備室の引き戸を閉めたその瞬間、廊下側でゴトンと物音がした。しまったと思った時にはもうすでに遅く、外側から棒のようなもので固定され、理科準備室のドアは完全に閉めきられてしまった。理科室に通じるドアもあるのだが、こちらも理科室側に何かを置かれているようでびくともしない。


理科準備室に閉じ込められた。状況を理解した彼女は泣き出してしまった。僕は冷静に次の策を考える。チェスでも次の一手を冷静に考えることが大事だ。


窓からの脱出ー理科準備室は二階だ。死ぬことはないだろうが、無傷で出られることはないだろう。できれば避けたい。


ドアを突き破るー非力な僕の力では厳しいと思うし、後で弁償とかしなければならないのも困る。


他に何か脱出に使えそうな物はないか、狭い理科準備室を探索し始めたその時、廊下から他の人の話し声が近づいてくる。おそらくたまたま通りがかった生徒だろう。僕は助けを求めるべく、ドアをガタガタと鳴らす。


「え、理科準備室のドア、ガタガタいってない?」

「ほんとだ。やだ、怖い」


こちらの合図には気付いたようだが、このままではドアの向こうの生徒たちは怖がって行ってしまう、そう思った瞬間に、


「た、」

反射的に声が出た。

「た、すけ」

「たすけ、て」

「たすけて!!」

さらに声を振り絞って何度も繰り返す。


廊下を歩いていたのは六年生の女子二人組で、僕の声に気付いて理科準備室のドアの前に置かれていた棒を動かしてくれた。


僕は先輩たちにお礼を言うと、走って教室に戻った。


教室の前に戻ると僕は勢いよくドアを開けた。教室の中では内田君と田中君が彼女の机の前で何かをしていた。


ドアの音を聞いて僕の方を見た内田君と田中君は、かなり驚いたようでそのまま固まってしまった、手にマジックペンを持ったまま。


「何、して、る?」


僕は息を切らしながら尋ねる。今まで一度も喋ったことがない僕が喋っているのを見て、さらに驚いたようで少し後ずさる。


「何、してる?」

僕はさっきよりも少し大きな声で再び尋ねる。

「な、何でもいいだろ」

「そうだそうだ」


「よくない」

僕はそう言い放つと二人に詰め寄る。彼女の机の上が見える距離まで近づくと、机の上を見て怒りがこみ上げてくるのを感じた。机の上にはひどい悪口がマジックペンで書かれていたのだ。二人を睨み付け、今にも飛びかかろうとしたその時、


「長谷川、ストップだ」

僕を呼ぶ声が後ろからした。見ると廊下に担任の先生の姿があった。側には彼女の姿もある。彼女は理科準備室から出してもらえた後、職員室から担任の先生を連れて来てくれたのだ。


そこからは先生が内田君と田中君を叱った。二人は必死に言い逃れをするのだが、今回は僕も声をあげて反論する。最終的に今回は二人が悪いということで、先生は二人に机の上の落書きをきちんと消すように命じた。


二人が落書きを消している間、先生は前の一件も僕たちは悪くなかったのではないかと聞いてきたので、僕は今度はきちんと話した。先生は僕たちに謝って、この日は僕たちは解放になった。




家に帰ってお母さんに今日の出来事を話すと、お母さんは笑顔で僕の頭を撫でてくれて、「今日はよく頑張ったね」と言って褒めてくれた。


しばらくすると内田君と田中君がお母さんに連れられて謝りに来た。特に内田君のお母さんは、前の一件で僕のお母さんにひどいことを言ってしまったことをすごく反省しているようで、何度も謝っていた。僕のお母さんの方は、「内田さんのお陰でうちの子の状態が分かったわけですから」と特に気にしてもいないようである。




この日から、僕は少しずつ学校でも喋れるようになった。人前で発表したり、音読をしたりはできないけれど、一対一で仲の良い友達となら少しだけ話ができるようになった。


彼女の方は少しだけ学校を休んでしまったけれど、すぐに学校に来れるようになって、僕と彼女とチェスの日常は元に戻った。




夏休みに入った。


学校の休み時間と放課後にチェスをするのが、僕と彼女の日常だったわけだが、学校が開いていないとできなくなってしまう。僕たちの家はお互い少し遠い所にあるので行き来するのも面倒だし、頻繁にはさすがにできないという事で、学校の近くの児童館でチェスの対局を行うことになった。


そんなある日の対局中、彼女が少しだけ普段はやらないようなミスをした。僕はまた手を抜かれているのかと思ったが、よく考えると前にもこんな事があった。確か最初に内田君と田中君とゴタゴタになった次の日の対局だ。


僕は対局を一旦中断して、

「何かあった?」

と、紙に書く。

彼女は驚いたような顔をして、少し寂しそうにコクリと頷く。


「どうしたの?」

続けて書く。

「お母さんが学校を変えた方がいいって」

彼女も書く。


彼女の話をまとめると、彼女のお母さんは耳が聞こえないことで問題が起きることをすごく心配していて、前回の一件から特別支援学校に転校させることを検討していたのだそうだ。そして夏休みの間に学校を探し、とうとう二学期からはそちらに転校することが決まったらしい。


「そんな…」

ここまでの話を書いた紙を見た僕は思わず声に出す。


何とかできないものかと策を考えるも、彼女のためを思えばその方がいいのかもしれない。


その日はお互いに対局を続ける気になれなくて、また明日ということになり解散となった。


彼女のために何ができるだろう。僕は一晩考え、そしてある考えにたどり着いた。




翌日、彼女にURLを書いた紙を渡した。彼女は不思議そうに首を傾げたので僕は別の紙に書いて説明する。


オンラインでチェスの対局ができるサイトがあるのだ。このサイトに登録すれば無料でオンラインチェスが楽しめる。さらに友達としてお互いを登録すれば、対局中のチャットなども可能なのだ。


僕の説明を理解した彼女は笑顔で「ありがとう」と書き、「でもたまにはいっしょに会いたいな」と少し照れながら書いた。




始まる前は長かったように感じていた夏休みもあっという間に終わり、彼女はやはり特別支援学校へと転校してしまった。でも今でもほぼ毎日オンラインで対局はしているし、たまに児童館で対局もしている。


彼女には今のところまだ一度も勝てていないが、いつか必ず勝つんだ、そう思いながら今日も六十四マスの盤を前に作戦を考える。


ありがとうございました

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