セルジュ・ローゼンの願い
◆◆◆◆
公爵家に戻って行ったシャーロットを乗せた馬車が、城へと戻ってきた。
セルジュの愛しい婚約者だった少女の、変わり果てた亡骸を乗せて。
「シャーロット、シャーロット……!」
もう手遅れだ。
少女は美しいままに見えたが、決定的な何かが欠けている。
今まで、シャーロットを輝かせていた魂の輝きのようなものが、感じられない。
シャーロットは馬車から降ろされて、城の一室に寝かされている。
報告を受けてシャーロットが眠る部屋に向かったセルジュは、白い布がかけられた少女の体を取り乱しながら抱きしめた。
名前を呼んでも、もう答えることはない。
強い意志を持った大きな青空のような瞳が、もう自分を見てくれることはない。
「……私は、愚かだ」
シャーロットのドレスは血に塗れている。
胸から腹までを、刃に切り裂かれていた。
ここに運び込まれるまでに、すっかり血が抜けてしまったのだろう。
白い肌は青白く輝き、閉じられた瞼に並んだ金のまつ毛の美しさがより一層際立っているように見える。
薔薇色だった頬も、唇も、色を失っている。
「シャーロット……」
いつだって真っ直ぐで、自分を曲げないシャーロットが眩しくて、愛しかった。
手を離すべきではなかった。
それが、シャーロットのためだと思っていたのに。
「…………私も、すぐに君の元へ」
この国には、居場所がない。
シャーロットが、幸せでいてくれたらそれで良いと、思っていたのに。
たとえその隣に、自分がいなくても。
セルジュは腰に下げている護身用の剣を抜いた。
そして躊躇うことなく、その剣で自分の胸を突き刺した。シャーロットと、同じ痛みを味わうようにして。
セルジュの母と、父である皇帝とは政略結婚だった。
母と父が結婚した時、すでに母の生まれたライオネル宰相家が中央での政治の実権を握っていて、皇帝という座は宰相の傀儡に近いものだった。
宰相家は更に皇帝家とのつながりを強くしたかったのだろう。国を乗っ取ろうという野心があったのだろうと思う。
セルジュが物心ついた時、父は母を疎んでいた。
きっとそれは最初からそうだったのだろう。
父は側妃を愛していて、母は寂しい生活を送っているように見えた。
宰相である母の兄は母を大切にしていたようだから、それだけが救いのように見えた。
そんな環境の中、セルジュは皇帝になることだけを求められて育てられた。
母や宰相からの期待はあつく、父には疎んじられていた。父にとっての家族とは、側妃とその娘だけのようだった。
シャーロットが婚約者に選ばれたのも、ロストワン公爵家の権力を得たかったからだろう。
政略結婚に愛情は必要ない。父と母を見てれば、それが理解できる。
何も期待していなかった。
けれど、シャーロット・ロストワンは、セルジュの世界を明るく照らしてくれるような、輝きに満ちた少女だった。
誰にも阿らず、何も臆せず、自分の意見をはっきり口にする少女だった。
セルジュに媚びることもなく、また、セルジュに何かを期待することもない。
自分はシャーロットであり、セルジュはセルジュである。
ただそれだけだと、シャーロットはよく口にした。
皇帝になる以外に、自分には何も価値がないのだと思っていたセルジュにとって、それは世界が変わるぐらいの衝撃だった。
シャーロットを、大切にしよう。
ずっと、共にありたい。
そう願っていた。
そうして、皇帝と側妃と、その娘が乗った馬車が襲撃されるという事件が起こった。
皇帝がいなくなり、宰相は更にその力を増した。
宰相と母は兄妹でありながら、まるで恋人同士のようにさえ、セルジュの目には見えた。
もしかしたら自分は、彼ら兄妹の不義の子供であるのかと疑ってしまうぐらいに。
やがて宰相は、シャーロットの在り方に苦言を呈し始めた。
王妃にするには気が強すぎると、シャーロットが何か揉め事を起こすたびにセルジュや母に言うようになった。
おそらくは、目障りになったのだろう。
宰相はセルジュのことも傀儡にしたいのだ。皇帝の座だけを与えて、権力は自分が手に入れる。
その算段で、セルジュを皇帝の座につかせようとしていた。
けれどシャーロットの性格は苛烈で、曲がったことを嫌う。
王妃となったら、そのような状況に黙っていられるような人間ではない。
ロストワン公爵家の力も強く、シャーロットがセルジュの立場を守ろうとすれば、宰相は今までのように自由に力を振るえなくなる。
セルジュはシャーロットを守るために、揉め事を起こさないようにと幾度か伝えた。
シャーロットはいつだって真っ直ぐで、間違っていることを間違っていると口にしているだけだと理解はしていた。
自分の置かれた立場や周囲の雑音から目を背けて良いのなら、シャーロットにはあるがままでいてほしいと、セルジュは願っていた。
けれど、それはできない。
宰相の目からシャーロットを隠すためには、シャーロットに、少しだけでも良いから、大人しくしてもらわなくては。
シャーロットと結婚するまでに、なんとか宰相や母をどうにか城の片隅に追いやって、シャーロットと二人で穏やかに過ごせる状況を作り出さなければいけない。
そう思っていた。
けれど、それはできなかった。
オリーフィアという女がセルジュの前に現れて、全てが悪い方へと転がっていった。
オリーフィアは、ヒストリカ子爵家に、孤児院から引き取られた養女である。
孤児院に拾われる前の記憶は失っているのだという。
どこかで見たことがあると、思っていた。
それもそのはずで、オリーフィアはかつて皇帝の乗る馬車が襲撃を受けた時に共に死んだと思われていた、側妃の娘だったのである。
背中に、花弁の形の痣がある。
それは側妃の娘であるオデッタにあったものと、同じもの。
それに気づいた宰相は、随分と焦っていた。
そうしてセルジュは気づいた。おそらく、皇帝や側妃を殺すように手配したのは宰相だろう。
オリーフィアが記憶を取り戻して、宰相の立場が危うくなるような証言をされるのを、恐れている。
セルジュの予想通り、宰相はオリーフィアを妃にしろと言い出した。ずっと恐れ続けているのなら、抱え込んでしまえば良いと思ったのだろう。
腹違いの兄妹である。だが、オリーフィアには記憶がなく、セルジュもオリーフィアがオデッタだと、気づかないふりをしていた。
愚かなふりを続けることが、城での処世術だった。
何も気づかず、問題も起こさず、誰に対しても穏やかで、優しい。
それが、セルジュ・ローゼン。
偽りの自分だ。
シャーロットの身が危険だと感じた。
自分の感情を押し通して、シャーロットと結婚をしたら、宰相がシャーロットを傷つけないとも限らない。
それに、オリーフィアも。
オリーフィアはどこか歪んでいる。シャーロットに一度叱られた後、シャーロットを加害者だと仕立て上げるために、自らのドレスを自分で引き裂いて、シャーロットに暴行を受けたと言い張っていたことを、セルジュは知っている。
シャーロットには、幸せでいてほしい。
けれど自分の側にいては、それは難しい。
セルジュの周囲には雑音が多すぎる。シャーロットがシャーロットして振る舞うには、窮屈すぎる。
シャーロットの性格を理由にして、婚約を白紙に戻した。
心にもないことをシャーロットに伝えた。
シャーロットはセルジュの思った通りに、セルジュに縋り付くようなことはせずに、颯爽と城から出ていった。
これでよかったのだろうと、思っていたのに。
手遅れだった。愚かだった。
シャーロットを殺したのは、おそらくは宰相の手の者だろう。
宰相は、セルジュの気持ちに気づいていた。シャーロットに対して寄せている、強い思いを。
間違えてしまった。失ってしまった。
もう、どうにもならない。
生きている理由も、その意義も、何一つ見当たらない。
もし次に生まれ変わることができるとしたら、シャーロットと共に穏やかに暮らせる場所が良い。
立場も権力も何もいらない。
ただ静かに毎日を過ごせる。
そんな場所であれば良い。
――そうして、セルジュ・ローゼンは、今まさに死のうとしていた榊紅樹として目を覚ましたのである。
◆◆◆◆
おおよそ、予想通りの返事だった。
薄々は気づいていたのだ。だってあまりにも似ている。
それに、紅樹先輩は、ーーいえ、セルジュ様は、わざと同じような言葉を私に伝えていたのだろう。
それは、自分を思い出してほしいという、切実な願いに似ている。
「セルジュ様。私がシャーロットだと、ずっと知っていましたのね」
「あぁ、知っていたよ。君と校舎ですれ違った日から、ずっと。食堂で君と話をして、予想は確証に変わった。姿が違っても、内面の輝きは同じ。君は、私のシャーロット。……もう一度会えて、嬉しい」
紅樹先輩の姿をしたセルジュ様は、私を抱きしめようとして手を伸ばしてくる。
私は一歩下がって、その手から逃げた。
「セルジュ様も、私と同じ? 天使に連れられて、ここに」
「私は、……私の場合は、私が望んだからなのではないかな。あの国ではないどこかで、シャーロットと共にいたいと。気づいたら、私は紅樹だった」
「紅樹先輩は、……元の、紅樹先輩は、どうなりましたの?」
セルジュ様は、胸を押さえて、目を伏せた。
「私が紅樹になった時、紅樹は死のうとしていた。浴室に紅樹の苦手な水を溜めて、ナイフを準備していてね。紅樹の記憶は、君に話した通りだ。両親は多額の借金を抱えて死に、祖父は紅樹を守るため、そしてこの店を守るために必死に働いて、病気に」
「ええ。お聞きしましたわね。紅樹先輩は、けれど、どうして」
「祖父が治らない病気だと分かった時、紅樹はこれから訪れるだろう孤独に耐えかねたようだね。親しい相手もいない。両親を見殺しにして、生き残ったは良いけれど、結局自分は一人。生きる理由も目的もない」
「生きる理由や目的なんて、誰にもわからないのではないかしら。それは死を望む理由になるとは思えません」
「紅樹の場合は、それが理由になった。ずっと、溺れているみたいだった。何をしても、誰といても。目を閉じると、水底に沈んでいく両親が乗った車の悪夢を見るんだ。起きていても、寝ていても。……伸ばした手は水面に届かなくて、紅樹も一緒に水底へ沈んでいく」
私は唇を噛んだ。
私が紅樹先輩と共に沈んでいくような、息苦しさを感じる。
「一緒に沈んでしまえば良かったと、何度も思った。そうしたら、祖父は病気にならなかったかもしれない。全て、自分のせいだと」
「そんなことはありませんわ。おじいさまはご家族を守りたかったのでしょう? 自分の役割を果たすため、働いたのでしょう。紅樹先輩のために働くことができて、嬉しかったのでは?」
「たとえそうだとしても、紅樹にとってそれは、苦痛でしかなかった。……自分の存在は、蛇足だ。だから、消えてしまおうと思ったのだろうね。……そして、私がここにいる」
セルジュ様は、紅樹先輩の顔で、切なげな微笑みを浮かべた。
「シャーロット、君のそばに」
「…………私たちはもう婚約者ではありませんわ」
「そうだね。でも、私は君を愛している。この世界は、苦痛に満ちているけれど穏やかだ。誰も、私の邪魔をしない。君と静かに日々を過ごすことができる」
「あなたは紅樹先輩ではなくて、私は果林ではないのに」
「私は紅樹として、君は果林として、……この場所で、共に暮らそう? シャーロット、私は君を愛している。もう君を手放そうなどと、愚かなことはしない」
セルジュ様が私の頬に触れる。
「セルジュ様……」
私はセルジュ様のことが――多分、好きだった。
今も好きだ。
会えて嬉しいという気持ちと、これではいけないという気持ちが頭の中でごちゃごちゃになって、泣きそうになる。
泣くなどは、私にはふさわしくないのに。
「…………私は、私。セルジュ様は、セルジュ様です。私たちは、紅樹先輩でもなければ、果林でもありません」
私はセルジュ様の手を振り払った。
セルジュ様の気持ちを受け入れてしまえば、私は私ではなくなってしまう気がした。




