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決戦のフラワーショップ



 ばらばらと、傘に雨がぶつかる音がする。

 道ゆく人たちはみんな色とりどりの傘をさしていて、街には花が咲いたように見える。


 それは大ぶりの薔薇の花が咲き乱れている、お城の庭園を思い出させる光景だった。

 あれは、私が六歳で、セルジュ様が十歳の時だったかしら。

 国王陛下と側妃様、それから側妃様の娘が乗った馬車が暴漢に襲撃されて、皆帰らぬ人となってしまった。


 王妃様とセルジュ様だけが残されたお城では、王妃様の兄でもある宰相閣下が王妃様の後見人となり、セルジュ様が皇帝陛下としての役割を果たすことができるようになるまでは、セルジュ様のかわりに政治の全てを取り仕切るようになった。

 

 私はお父様に連れられて、セルジュ様の元を訪れていた。

 家族を亡くされたのだから、さぞ辛いだろうと幼いながらに私は思っていたけれど、セルジュ様はいつも通りの穏やかな様子で、私を庭園に連れて行った。


「セルジュ様、ひどいことがおこってしまいましたのね。私に、できることはありますか?」


 セルジュ様は、庭園の東家に座って、私と手を繋いでいた。

 セルジュ様とはいつも穏やかで感情の波が少ない方だ。悲しい様子も苦しい様子も感じられないのだけれど、お父様を失ったばかりなのだから、きっとその心は晴れやかとは言えないだろう。


 どうして良いのかわからない。でも、私でできることなら、してさしあげたい。

 そう思って尋ねると、セルジュ様はアメジストのような大きな瞳で私をじっと見つめた。


「シャーロット……皆、私に気をつかい、そのことを口にしようとしない。君はいつでもはっきりと、言葉で伝えてくれるんだね」


「それは起こってしまったことですから、変えることができませんし、見ないふりも、できませんわ。きっとお辛いことと思います。セルジュ様のお気持ちが少しでも楽になるように、私にお手伝いできることがあればなんでも言ってくださいまし」


「そんなに、辛くはないんだよ。元々、父と私の母は、良い関係とは言えなかった。父は側妃を愛していて、側妃は孕っていた。もし男児が産まれていたら、きっとそちらを皇帝にと、父は望んでいただろう」


「そうですのね……でも、それはおかしいですわ。だって、正妃様の息子であるセルジュ様が、皇帝になるのが道理というものではありませんか」


「シャーロットは、たとえば私が、皇帝にはなれないのだとしたら、私の元から離れてしまうのだろうか」


「馬鹿げたことを聞かないでくださいまし。私はセルジュ様の婚約者である限り、セルジュ様の元にいますわ。婚約とはそういうものです。セルジュ様の立場など、関係がありませんのよ。セルジュ様がセルジュ様であるかぎり、私はセルジュ様のものです」


 私は皇帝陛下と結婚するわけではなく、セルジュ様と結婚するのだから。

 セルジュ様が皇帝になろうがなるまいが、そんなことはどうでも良いし、興味もない。

 私は私だし、セルジュ様はセルジュ様だ。

 

 皇帝が誰になろうと、私はあまり興味がなかった。

 それに、亡くなった皇帝陛下や側妃様や、王妃様の関係についても、私の知ったことではないと思う。

 セルジュ様は私の婚約者である。ただ、それだけの話だ。周囲の事柄など、私たちの関係においてはほんの些細なことでしかない。


「昔から、庭園に一人でいると、落ち着くんだ。人の声が、煩わしい時があって」


「それでは、私は邪魔をしない方が良いですわね。私の相手が面倒な時は言ってくださいまし。セルジュ様を煩わせたいとは思っておりませんのよ」


「言い方が悪かったね、すまない。……私が安らぐことができるのは、ここにいる時と、君といるとき。それだけだ。君はいつだって正直で、嘘がなくて、とても、眩しい」


「自分の意見をいうことが、正直ということなら、そうなのでしょうね」


「うん。シャーロット、君がいてくれると、私は一人ではない気がするんだ。だから、私とずっと、一緒にいてほしい」


 私は頷いた。

 セルジュ様は、私の手を引き寄せて、私を抱きしめたまましばらく何も言わなかった。


 ずっと、一緒にいる。

 そんな約束をしていたわね。

 結局、私はその約束を、破ることになってしまったのだけれど。


 私はフラワーショップ榊に向かった。

 紅樹先輩の自宅は、店舗の二階。

 会いに行く時間としてはあまり正しくないし、ラーメンと餃子を食べた後で、どうなのかしら、という感じはするわね。


 でも、今日を逃したら、またずるずる私は日々を続けてしまう気がする。

 サリエルはいなくなって、私は私を見失ってしまうかもしれない。

 それは、いけない。


(これは、私の人生ではないもの)


 それになんとなくだけれど、紅樹先輩は私を待っているような気がする。

 フラワーショップは今日はお休み。正面の扉はシャッターが閉まっている。

 私は裏口に回ると、チャイムを押した。


「果林さん、どうしたの?」


 ややあって、紅樹先輩が出てくる。

 今日は制服ではなくて、黒い飾り気のないシャツを着ている。

 裏口の扉をひらいて、私を中へと招いてくれた。


「雨だし、もう遅いから、早く帰った方が良いよ。それとも、会いに来てくれた?」


 シャッターを閉めたままのフラワーショップの店内に灯りが灯る。

 蛍光灯に照らされた広い店は、少しだけ薄暗い。

 所狭しと置かれた花々が薄ぼんやりとした明かりに照らされている光景は幻想的で、在りし日の庭園が想起されるものだった。


「……会いに、来ましたの。……どうしても、知りたいことがあって」


 傘をさしてはいたけれど、私の制服の袖口や足やスカートが、しっとりと水に濡れている。


「雨の日に、君と会えて良かった。祖父が、今日の昼間救急車で病院に運ばれて。もう、長くはないみたいだ。雨の日に一人で過ごすのは、好きじゃないから。一緒にいてくれて、嬉しいよ、果林さん」


 穏やかに微笑む顔が、私のよく知っている人に重なって見える。

 まさかとは思う。

 けれど、私はここにいる。

 私がここにいるのだから、私の抱いている疑問は、そうおかしいことではないはずだ。


「あなたは、誰です? 本当に、紅樹先輩ですか?」


 緊張で、声が震えそうになった。

 けれど私は真っ直ぐに紅樹先輩を見据えて、できる限りはっきりと、言葉を紡いだ。


 紅樹先輩の宇宙の果てのような黒い瞳が、私の心の中までを見透かすようにして私を見つめる。

 すっと目が細められて、浮かんだ表情は、優しい笑顔だった。


「君はいつでもそうして、真っ直ぐに言葉を口にしてくれるんだね。どんな立場でも、どんな場所でも」


「当たり前です。だって私は」


「シャーロット・ロストワン。……私の大切な、婚約者」


 紅樹先輩が――セルジュ様が、私に手を伸ばして言った。



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