蒼依の呼び出し
部活を終えると、私はその足でフラワーショップ榊に向かった。
アルバイトは私の来れる日だけで良いと紅樹先輩が言ってくれたので、お金が欲しい私は基本的に毎日とお願いしてある。
水曜日はお休みなので、水曜日以外は毎日だ。
サリエルにも伝えた。
てっきり監視のためについてくるかと思ったのだけれど、サリエルは私がアルバイト中は姿を消していることに決めたようだ。
それなので、最近サリエルと話している時間が短くなったように思う。
寂しいわけではないけれど、どうにもサリエルを蔑ろにしてしまっているような居心地の悪さが少しある。
いえ、別に問題はないのよね。サリエルはただの監視なのだから。
この国に来てからずっと一緒にいるし、私のことをシャーロットだと知っている唯一の相手だから、どうにも、家族みたいに思えてしまっているみたいだ。
それが良いのか悪いのか、私にはよくわからないのだけれど。
でも、サリエルがいなくなってしまったら、私がシャーロットだと証明できる人はこの国には誰もいなくなってしまう。
紅樹先輩は既に先にお店にいた。
生徒会の仕事は毎日あるわけではないから、集まりがない日は早めに店に来れるのだという。
私は半袖の制服の上からエプロンをつけて、閉店まで働いた。
いつの間にか、ぱつぱつだった制服はずいぶんゆるくなっていた。
元々果林は、必要以上に食べていたのだ。食べるのをやめたら痩せるのは道理というもの。
私の役目はそろそろ終わりなはずなのに、こうしてだらだらと、日々を続けてしまっている。
私らしくもない。
紅樹先輩は、今日も穏やかだった。
紅樹先輩と一緒にいると、妙に心が穏やかになる。それは、空気がそこにあるのと同じ。
余計なことを話さなくてすむし、苛立ったりもしない。
それは色々と辛い思いをして、それを乗り越えたように見える紅樹先輩が、とても大人びているように見えるからかもしれない。
アルバイトを終えて家に帰宅して、いつものようにお風呂と、サラダと蒸し鶏のご飯をすませて、部屋に戻る。
部屋の扉を開こうとすると、物置を一部屋隔てて隣にある蒼依の部屋の扉が開いて、蒼依が部屋から顔を出した。
「果林。話がある」
久々に、蒼依の声を聞いた。
蒼依に話があったとしても、私には特にないのだけれど。
今日も一日頑張ったので、早く宿題を済ませて寝てしまいたい。
けれど果林は兄である蒼依との関係性にも、きっと悩んでいるはず。果林のために私の役目を果たさなければと思い、私は部屋に入ろうとしていた足を止めた。
「何かしら、お兄ちゃん」
果林が兄を呼んでいた呼び方で、私も蒼依を呼ぶ。
蒼依は、それはもう不快そうに、私をきつく睨みつけた。
「母さんに訊かれたくない。俺の部屋に来い」
「……仕方ないわね」
横柄な言い方しかできないクズメガネの言葉など聞きたくないのだけれど。
私はため息をつくと、蒼依の部屋に向かった。
私の部屋に入られて、サリエルの姿を見られたら困る。サリエルが部屋にいるかどうかはわからないけれど。
蒼依の部屋は、ベッドと勉強机が置かれた果林のものとほぼ一緒ではあるけれど、果林の部屋よりは色味が少ない。
勉強机には、参考書や教科書が積まれている。
私が中に入ると、蒼依は扉を閉めた。
それから部屋の中央で立ったままの私の姿を、上から下までじろじろ見た。
「……お前は誰なんだ?」
開口一番に、蒼依が私に尋ねる。
蒼依の瞳には、苛立ちと、それから気味の悪いものを見るような嫌悪感が滲んでいた。
「果林は、……俺の妹は、お前とは全然違う。お前は果林じゃないのに、母さんは騙されてる。ルイも紅樹も騙して、お前は一体何がしたいんだ?」
私は蒼依を見上げて、感心した。
よくわかってるじゃない。
その通りだ。私は果林じゃない。
皆を騙していると言われたら、そうなのだろう。
「元の果林を、どこにやったんだ? 馬鹿げた話だとはわかってる。だが、お前はやっぱり果林じゃない。妹は、お前みたいに真っ直ぐ人の顔を見ることができないんだよ。気が弱くて、人の顔色ばっかり窺っていて、すぐ泣く馬鹿だった」
「……どうして、あなたの妹はそうなったと思う?」
幼い頃の記憶が脳裏をよぎる。
果林がうまれたときに、既に果林の父親は浮気をしていた。
蒼依は聡明で、おそらくは誰よりも先にその事実に気づいていたのだろう。
果林のお母様はずっと仕事をしていて、休日もいない日が多かった。
それなので、父親は休日に子供の面倒をよく見ていた。
遊びに行くという名目で、浮気をするためだろうけれど、三月のお母様と三月と、果林と果林の父親が連れ立って休日に遊びに行く日が多くあった。
蒼依は無邪気におでかけを喜ぶ果林を、一人家に残りながら、憎しみや嫌悪に塗れた瞳で見つめていた。
最初は、幼い果林を蒼依は哀れんでいたようだ。
けれど、何も知らずに父親に懐いている果林に苛立ちが募り、やがて、自分の鬱憤を晴らすようにして、馬鹿にしたり、軽い暴力を振るうようになった。
果林は蒼依を恐れるようになった。けれど、やがて家の様子がおかしいことに気づくと、蒼依の行動の理由がわかり、抵抗ひとつせずに全て諦めてしまった。
「何もできない馬鹿だからだろ」
「馬鹿はあなたよ、蒼依。弱い男ね、あなた。本来なら守るべきは妹だったのではないかしら。自分が一番不幸だから、他者を攻撃して良いとでも思っているの?」
「俺は、まともだ。成績も良いし、友人も多いし、生徒会にだって入ってる。役立たずの果林とは違う」
「役に立っているじゃない。あなたの苛立ちの、はけ口という役に。良いこと、蒼依。果林は誰にも貶められるべき存在ではないわ。弱くて、泣いてばかりいると思ったら大間違いよ。誰よりも強いから、あなたや母親の苦しみを全て受けいれたのではなくて? だから、あなたや母親に従っていたのでしょう。何も言わずに」
「弱いからだろ。俺に言い返しもしないで泣いてばかりいるのは、弱いからだ」
「違うわ。……それは、優しくて、誰よりも強いからよ。でもね、強さには限界がある。この世界には、自分の居場所がない。そう、果林は思ったの。家にいても外にいても、どこにも安心できる場所がない。水に溺れるみたいに、苦しくて息ができなくて、それこそ、消えてしまいたくなるぐらいに、……もう、嫌だって」
私は腕を組むと、嘲るように口元に笑みを浮かべた。
「あなたの妹は、もうあなたに会いたくないのでしょうね。あなたにとって都合の良かった果林は、もういないわ。果林を嫌って馬鹿にしていたくせに、元に戻ってほしいと願うの? 勝手ね、蒼依」
「…………果林は、俺の妹だ。俺だけが、お前が別人だと気づいた。果林をかえせ。出ていけ、化け物」
「そのうちね。……でも、あなたが、あなたの言うまともな人間、にならない限り、今度は本当に果林は、死んでしまうかもしれないわね」
私は肩をすくめた。
これで良いのよね、果林。
そう、頭の中の果林に話しかける。
蒼依のことを、気に病んでいるのよね。だから、頭の奥に隠れて、出てこないのよね。
伝えるべきことは伝えた。だからもう、大丈夫よ、きっと。
何度呼びかけても、果林からの返事は結局得られなかった。




