シャーロット様、サラダ生活をはじめる
食堂である。
そう、食堂。
シャーロット・ロストワンだった私は、食事といえば侍女が運んでくるものだった。
自分の所持金で何かを購入してご飯を食べるというのは初体験だ。
それなりに広さのある食堂には簡素な机と椅子が整然と並んでいて、生徒たちは思い思いの食事をそれぞれの席に座って食べている。
ホワイトボードには今日の定食は『ヒレカツ定食』と書かれている。
それ以外に、お蕎麦とうどん。それから、カレーライス。つけあわせでサラダを頼むことができる。
飲み物はペットボトル飲料か、水。
まずは入り口にある券売機なるもので、食券を購入して、食事を注文する仕組みになっているようだ。
「……お金を入れると、紙が出てくるのね。不思議だわ」
私は券売機の前に立って、ぶつぶつ呟いた。
三月さんに絡まれたせいで食堂への到着時刻が遅れてしまったため、券売機の前は空いていた。
早い時間に来ると行列ができるーーという記憶がある。これは果林の記憶である。
果林は食堂を使うことなんてなかったのだけれど。
これは三月さんから逃げるためと、兄という名前の塵眼鏡に会いたくないからのようだ。
気持ちはわかる。私だってあの眼鏡と顔を合わせたくはない。
とはいえ、塵眼鏡こと蒼依の存在が私の行動を妨げるなんて馬鹿馬鹿しいことこの上ないので、私は食堂にきたわけだけれど。
「私が頼むべきは、サラダ……そう、サラダ……」
二千円しか入っていないお財布からなけなしの千円札を出す。
サラダは三百円。ヒレカツ定食は五百円。
「サラダが三百円で定食が五百円なんて、どういうことなの……」
私は券売機の前で愕然とした。
どう考えてもヒレカツ定食の方が費用対効果が高い。カロリーも高い。
「君が頼むべきは、サラダ。しかしサラダだけではタンパク質が足りないため、俺が購買で購入してきた魚肉ソーセージを特別にプレゼントしてあげよう」
千円札を突っ込んだ券売機で、赤く光るサラダと定食のボタンを前に、指を差し出して指先をぷるぷるさせていた私の背後に、背の高い男が立った。
沙里衛士先生ことサリエルである。
サリエルは無情にもサラダのボタンを長い指で押した。
ピッという音がして、食券がパサりと落ちてくる。
「……………非道だわ」
私はサリエルを睨んだ。
私の食券を買うという初体験はサリエルに奪われたのである。ボタン、押したかった。
「購入の仕方がわからないのかと思って」
「知っているわよ。記憶にあるもの。私の記憶じゃないけど。サラダが三百円で、ヒレカツ定食が五百円なのよ、サリー」
「そうか。ならば俺はヒレカツ定食を食べよう」
サリエルは自分の分のヒレカツ定食を黒い財布を取り出して購入した。
私はサラダの食券を手に持って、サリエルの財布を覗き込む。
一万円札がわんさか入っている。サリエルがこの国で労働してきたとは思えないので、これも天使の不思議な力の一つなのかしらね。
詐欺だわ。
「……ちょっと待ちなさい、まさか一緒に食べるつもり?」
「そうだが、何か問題が?」
「問題しかないわよ」
「君は孤独な女子生徒。担任として俺は君を放っておけない。正しい担任の在り方では?」
「いらないわよ、不必要よ、サラダを食べる私の前で何堂々とヒレカツ定食食べようとしているのよ……!」
「俺たちに体重の増減という概念はないからな」
「呪われると良い……!」
本当はサリエルの眼鏡をむしりとって床に叩きつけてやりたかったけれど、サリエルの背が高すぎて届かない。
私ののばした手は空を切って、サリエルの前で片手を伸ばしてぴょんぴょん跳ねることしかできなかった。
ぴょんぴょん跳ねると息切れがする。
サリエルと一緒にいるだけで痩せることができそう。怒りで。
サリエルと私は向かい合って食堂の席に座った。
サリエルの前には、艶々と輝く白米と、キャベツの上に並んだヒレカツと、お味噌汁と漬物と、付け合わせのポテトサラダという完璧な定食が置かれている。
そして私の前には、小さなサラダボウルに入った、レタスとキュウリとトマトが並んだ何の変哲もないサラダ。
そしてサリエルから与えられた魚肉ソーセージが一本、ぽつんと四角いトレイの上に置かれている。
「いただきます」
私は両手を合わせて、食事の前のご挨拶をした。
ご挨拶は大事だ。果林の国では食事前の祈りとはこのように捧げるらしい。
サリエルも私を見習って同じように挨拶をすると、黙々とヒレカツ定食を食べ始める。
すごい美味しそう。すごい美味しそう。私の細胞が脂を欲しがっているのがわかる。負けるな私、頑張るのよシャーロット・ロストワン。
誘惑に負けてはいけない。サラダだって美味しそうじゃない。
「……サラダおいしー」
「……泣きながら言わなくても」
こんなに食欲に欲望を振り切ったことがあったかしらというぐらい、ヒレカツなるものが食べたい。
私の国にはない食べ物だけれど、それは豚肉を油で揚げたもので、とても美味しいという記憶がある。
果林に食事を与えることを生き甲斐にしているような、ややメンタルが不安定な果林のお母様もよくヒレカツを作っていた。
美味しいのである。白米とヒレカツ、最高に美味しい。そしてカロリーが高い。
私はゆっくりとシャキシャキのレタスやキュウリを食べた。
サラダ美味しい。それは間違いない。
野菜不足の体に野菜の栄養素が染み渡る。
「このような食事を摂るのははじめてだが、なかなか、旨いものだな」
「そうでしょうね! 滅びろ!」
「シャーロット、先ほどから俺に妙に攻撃的なのは、女性特有のバイオリズムの問題なのだろうか」
「ヒレカツ定食が戦争を引き起こすのよ」
「無事に理想的な体型になれた暁には、お祝いにヒレカツ定食を食べよう」
「お祝いなのに学園の食堂で済ますつもり? 私を誰だと思っているの」
「シャーロット。今は、果林」
私はため息をついて、魚肉ソーセージを手にした。
魚肉ソーセージの側面にはピシッとビニールが張り付いている。
「これは、どうやって食べるのかしら……皮が剥けないわ。これは皮よね。魚肉ソーセージの、皮……?」
皮と表現するのが正しいのかどうなのかよくわからないけれど、皮っぽい。
赤いテープをピッと剥がしてみたけれど、側面のビニールが剥ける気配がない。
「……サリー」
「君にも苦手なことがあるのだな」
「魚肉ソーセージの皮をむく勉強なんてしたことがないわよ。というか、こんな食べ物私の国にはなかったわよ」
「貸してくれる?」
私たちの会話に別の声が混じった。
見上げるとそこには、先ほど廊下ですれ違った、私が三月さんに絡まれる原因を作った榊先輩とやらが立っていた。
榊先輩は自分の持っていたトレイを私の横に置くと、私の手から魚肉ソーセージを抜き取った。
榊先輩のトレイには、天ぷら蕎麦が乗っている。すごい美味しそう。
「これで良いかな。……ここ、席空いてる?」
「ええ、空いていますけれど……」
器用に魚肉ソーセージの皮を剥いて、榊先輩は私に魚肉ソーセージを渡してくれた。
それから私の隣の席に座る。
食堂の他の席がいっぱい、というわけではない。
そして果林が榊先輩と個人的に親しかったという記憶もない。
これは榊先輩が極度の魚肉ソーセージ好きだという可能性が高い。
魚肉ソーセージから始まるロマンス。
ないわね。ないない。
サリエルは奇妙なものを見るように、榊先輩を見ていた。
それから私から魚肉ソーセージを受け取ろうと伸ばしていた手を、一度握ると、引っ込めた。




