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シャーロット様、婚約者を思い出す


 夕食を食べずに部屋に戻った私は、空腹と戦っていた。

 寝る前にストレッチ体操をしたらどうかとサリエルに言われたので、スクワット十回をなんとかやりきった。


 スクワット十回だけなのになかなかの辛さだった。

 人生やめたくなるレベルのしんどさだったけれど、私はシャーロット・ロストワンなので、なんとか乗り切った。


 それにしても、辛い。

 ご飯を我慢することも辛ければ、運動することも辛い。

 私のこの辛さに比べたら、ゴミクズ男が浮気をしているだけのお母様なんて、さして辛くないのでは? と思ってしまうわね。


 なんせお腹が空いたので、早めにベッドに入って寝転がりながら私は考える。

 視線を動かすと、サリエルの姿がある。

 夜になるとサリエルはいなくなるのかしらと思っていたけれど、そんなことはなかった。


 サリエルは暗闇の中で私の勉強机の椅子に座って、ノートパソコンのキーボードをカチャカチャ打っている。

 天使は眠る必要もご飯を食べる必要もないらしい。

 当然肉体の変化とも無縁で、人間的な感情も持ち合わせていないので、不倫やら浮気やらも無縁らしい。

 愛だの恋だのが感情として存在していないのだから、それはそうだろう。


「たとえば、セルジュ様が心変わりとしたとしたら、セルジュ様のことなんて、こちらから捨ててやると思うわよ」


 お腹が空いて眠ることさえできない私は、気を紛らわすためにサリエルに話しかけた。


「君の場合は、すでに捨てられたわけだが」


「それはセルジュ様が私の価値をわからないからでしょう」


 パソコンの画面から顔を上げて、私の方に視線を向けるサリエルを、私は睨む。


「君は、生きていたとしたら、本当に割り切っていられたのだろうか。セルジュに新しい恋人ができたら、セルジュを恨むのでは?」


「なぜ私がセルジュ様を恨むの? だって、婚約破棄をされた瞬間、セルジュ様と私は無関係の他人じゃない」


「すぐに新しい恋人が現れたとしたら、君は、セルジュが以前から浮気をしていて、新しい恋人を妃にするために、君の性格を理由に婚約を白紙にしたと思うのではないだろうか」


「そうなの?」


「たとえばの、話だ」


「つまり、サリーの運命予定表とやらでは、そのようになっているというわけね」


「いや、そうではなく」


「天使というのは嘘がつけないのね。わかりやすいわよ、あなた。予定では、私は暴漢に襲われて生き残り、セルジュ様を恨むことになるわけね。そんなこと、私はしないと思うけれど」


「……君は、素敵な彼氏を作ると母に言った。それは、果林として?」


 サリエルは、どういうわけか夕食時の私とお母様の会話を知っているらしい。

 監視というからには、ずっと見張っているのかもしれない。

 見張っているのなら、姿を見せておいて欲しいものである。いるんだかいないんだかわからないよりは、きちんと存在していることをアピールしておいてほしい。そのほうが落ち着くからだ。


「私は果林じゃないもの。この体でずっと生きたいとは思わないわよ。私はゴーストのようなものなのでしょう? お化けは嫌いだけれど」


「お化けとは」


「死者の魂のこと。怖いのよ。どろどろして、ぐちゃぐちゃしていて、脅かしてくるのよ」


「ナンセンスだな。死者の魂は、私たちが導く。なぜ君を驚かす必要がある」


「今はお化けの話はどうでも良いわよ」


「君がはじめたのだろう」


「そうだけど。……私はね、サリー。ろくでもない家族に囲まれて育って死にたがっている果林が、生きたいと思うようになったら、必要がなくなる存在よ。私はもう死んでいて、こうやって話している私は、果林ではないの。だから、恋愛も、結婚もできない。果林がいつまでも、私を体から追い出さなかったら、ね」


「これは君にとってもチャンスだ、シャーロット。君にも再び生きる可能性がある」


「いらないわよ、そんなの」


 もし私が生き返ることができたとしても、私は婚約破棄をされていて、セルジュ様には新しい恋人がいるかもしれない。

 それで――セルジュ様を恨むような女に私が成り下がってしまうとしたら、潔く死んでしまった方がずっと良い。

 目を閉じると、胸が痛んだ。

 私はセルジュ様のことが、好きだったのかしらね。

 今更、気づいても遅いのに。

 瞼の裏側に、セルジュ様の美しい姿が思い出された。

 透き通った湖面を連想させる青みを帯びた銀色の髪に、アメジストのような瞳。

 私よりも四つも歳が上だから、出会った頃は、お兄さんに見えたわね。

 セルジュ様は兄の友人だったから、私にとっては皇太子殿下というよりは、もう一人のお兄様という印象が強かった。

 懐かしいわね。

 セルジュ様は私の話を、いつも穏やかに聞いてくれた。セルジュ様と一緒に過ごす時間を、不快に思ったことなんて一度もなかった。

 もう、会えないのね。


 最後だと知っていたら、もう少し可愛げがある言葉を、伝えていたのに。




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