表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/37

お母様とご飯


 楽を追求したような大きくて趣味の悪い服と、下着やら、靴下やらを分類してクローゼットに仕舞い込み終わると、すっかり日が暮れていた。

 よくよく考えたら、いまだに天井から不気味に紐が垂れ下がっていて、ぷらんぷらんしている。

 怖いわね。


「疲れた……服をたたむのって結構疲れるのね。い、いえ、疲れてなどいないわ。私がこれしきのことで疲れるものですか……」


 床の上に仰向けに寝転がっていると、天井から伸びる紐が目に入っていけない。

 私が頑張っている間、サリエルときたらずっと何かを書いたり、ノートパソコンで何かを調べたりしていた。

 役立たずである。


「サリー、あの縄。あれだけ、どうにかしてちょうだい。不吉すぎる」


「あぁ、そうだな。それは手伝おう。疲れ果てた君が、椅子の上に立って転んで、腰を打って怪我をしたらいけない」


 サリエルがパチンと指を鳴らすと、天井の縄が一瞬で消えた。

 良かった。天井から自死のための縄が下がった部屋で生活するとか、嫌よね。

 私は人間には強いけれど、不吉なものは得意じゃないのよ。

 ところで私は今床に寝ているのよね。

 とても不本意。自分で自分が許せない。

 けれど、今日だけは許して私。とっても疲れた。心も体もぐったりなのよ。

 もう指先一本も動かしたくない。


「果林ちゃん、ご飯できたわよ」


 見知らぬ女性の声が聞こえた。

 ふと見ると、扉が開いていた。

 薄暗い部屋に、廊下から光が差し込んでいる。

 光の中にいるのは、中年の女性だ。どことなく、果林に似ている。けれど果林のようにふくよかではない。

 きちんとスーツを着ていて、髪も結いているし、化粧もしている。


「お母様」


「やだ、お母様なんて。どうしちゃったの?」


 女性は、明るい声で笑った。

 この方は、お母様。果林の母親だ。

 何か問題があるような人には見えないのだけれど、その顔を見た途端に果林の心が重たく沈み込んでいることに気づいた。

 困ったわね。あなたは、家族が全員敵なのかしらね。

 そういえば部屋にサリエルがいるのだけれど、姿を見られても大丈夫なのかしら。

 見知らぬ男性を部屋に連れ込んでいるということになるのではないかしら。


 私はのそのそと起き上がった。

 ベッドの上にはやっぱりサリエルが座っている。

 けれど、どうやらお母様には見えていないらしかった。まぁ、天使なのだから、そういうこともあるのだろう。


「果林ちゃん、お風呂に入ったの?」


「ええ、入りましたわ、お母様」


「どうしたの、その話し方。お兄ちゃんが果林ちゃんがおかしいって怒っていたけれど、また喧嘩しちゃったの?」


 お母様は困ったように言った。

 どうにも、小さな子供に話すような話し方ね。

 私は、というか、果林はもう十六歳なのに。ものすごく子供扱いされている気がする。

 私の国では十六歳というのは大人だ。十五歳から婚姻に耐えうる年齢とされているので、お母様やお父様は私を大人として扱ってくれていた。

 もちろん、十六歳の私はすでに基礎教育や王妃教育を終えていた。

 セルジュ様は私よりも四つ年上だったので、十五歳で婚姻を結ぶのは私が可哀想だと言って、十六歳まで待っていてくれたのである。

 というのは建前で、本当は私のことが嫌いだったのかもしれない。

 だって、婚約は破棄されたのだから。

 死んでしまった今となっては、もうどうでも良いことだけれど。


「喧嘩はしていませんわ、お母様」


「でも、果林ちゃん」


 狭い廊下を歩いて、階段を降りながら、私は一度口を閉じた。

 どうにもこの話し方は良くないようだ。


「お兄ちゃんは、受験生で大事な時期なの。果林ちゃんは邪魔をしないでね。果林ちゃんには期待していないから良いけど、お兄ちゃんは頭が良いから」


 てっきりお母様は果林の味方をするのかなと思ったのだけれど、そういうわけでもなさそうだ。

 私は心の中で「あらまあ」と嘆息した。


「お兄ちゃんは、ご飯いらないって。果林ちゃんは、食べるわよね」


 私のことを今愚弄した気がするのだけれど、お母様は全く悪気がなさそうね。

 日常会話を普通に続けてくるので、私は呆れ果てながら、心の中で果林に話しかけた。


(これは、なかなかどうして、ひどいわね。あなたが、人生やめたくなる気持ちも少し理解できた気がするわよ)


 でも、頭が悪いことをお母様に残念がられているのなら、努力をしたらどうなのかしら。

 努力でどうにかできないぐらいに、頭が悪いのかしらね、果林は。


 リビングと繋がっているダイニングテーブルには、それはそれはたくさんのご飯が用意されていた。

 大皿に、茶色いものがたくさん。

 そして、白いご飯。


「唐揚げと、コロッケと、フライドポテトもあるわよ。それから、肉じゃがと、豚の角煮。好きでしょう、果林ちゃん」


 喉が、ごくりと鳴った。

 いえ、食べたことはないのだけれど、これは美味しいものだと、本能が告げている。

 食卓には、私とお母様しかいない。

 量が多すぎやしないかしら。


「お母さんの作ったご飯、果林ちゃんしか食べてくれないの。だから、今日もたくさん食べてね」


 お母様はなんとも言い難い笑みを浮かべて、私を見ている。

 私は食卓のご飯とお母様を交互に見つめた。

 いえ、これ、全部食べたらどう考えても太るわよね。

 善意なのかしら、これは。

 わからないわ。


 食欲と、理性の合間で、私は戦っている。

 生まれてはじめてのなんとも言い難い欲求である。

 揚げ物が、美味しそう。そして油たっぷりのお肉が美味しそう。よく味の染み込んでいるように見える馬鈴薯が、つやつや輝いて見える。


(鎮まりなさい、私の食欲……!)


 ほかほかのご飯が、どんぶりに山盛りになっている。

 ご飯の上に豚の角煮なるものを乗せて食べたら、至福の楽園がそこに待っていることを、この体は知っている。


(お母様のご飯は美味しいのね、果林。良いことだわ。でも量が多いわ。あなたのお母様は、あなたを愚弄するのに、ご飯の量が多い。わからないわ!)


 如何ともし難い食欲に支配されながら、私は珍しく混乱していた。

 お母様は、私の目の前の椅子に座って、にこにこしている。

 餌付けされている珍獣の気分だわ。


「果林ちゃん、食後にケーキもあるわよ。仕事の帰りに買ってきたの。明日は学校でしょう、果林ちゃんの元気が出るように」


 そうね、明日は学校だわ。

 今日は日曜日。日曜日という単語に、どんよりと心が沈む。それと同時に食欲が湧き上がってくる。

 日曜日は、嫌。学校には行きたくない。

 食べると楽になる。それから、お母さんが喜んでくれる。

 食べないと、お母さんが悲しむ。

 身に覚えのない記憶が、頭をよぎる。


(善意だとしたら、断れないものなのかしらね。確かに明らかに悪意を向けられた方が、わかりやすいのだけれど)


 でも、ともかく、食べるわけにはいかない。

 だって私は、現在絶賛ダイエット中なのだから。

 ものすごく、ものすごく美味しそうだけれど、口にしたら一瞬で私は堕落してしまう予感がする。

 私はシャーロット・ロストワン。

 夕食は、小鳥の餌ぐらいの量しか食べないのだ。だって、夜はもう寝るだけなのだから。


「お母様、たくさんのお料理をありがとうございます」


「料理、好きだから良いのよ。私は果林ちゃんがご飯を食べるのを見るのが、好きなの。だっていつも美味しいって、たくさん食べてくれるから」


 善意なのだろうけれど、どうにも、ぬめっとするわね。

 体に何か、粘着質なものがまとわりついている感じがする。

 たくさん食べる私を見るのが好き。それは褒め言葉なのかもしれないけれどーーでも、食べなかったら?

 食事を拒否する果林のことは嫌い。

 お母様は暗にそう言っているように感じられた。


(私は、期待されていない。お兄ちゃんと違って頭が悪くて、不細工だから。ご飯を食べることぐらいしか、お母さんを喜ばせる方法がない)


 一瞬、果林の記憶に心がのみ込まれた。

 不安で、苦しくて、いつも何かに怯えている。

 自分に自信なんてまるでない。夢も希望もない。

 まるで、真っ暗い夜の海の底へと、落ちていっているような、息苦しさだけがそこにある。


「……お母様、私、ダイエットをしようと思っているの」


「ダイエット?」


「そう。この体型は不自由なことが多いから、痩せたいの」


「そんなことしなくて良いのよ。女の子は年頃になったら痩せるのだから」


「もう年頃なのよ! それは幻想よ、年頃になって痩せるのなら、この世界にふくよかという言葉は存在しないわ!」


 思わず大きな声を出してしまった。

 お母様は一瞬言葉に詰まった。それから、両手に顔を埋めて、ぐすぐすと泣き出した。

 良い大人なのに泣いているわよ。

 どうなっているの、これ。


「果林ちゃんまで、お母さんに反抗するの? お母さんが産んで、育ててあげているのに……! ご飯も、せっかく作ったのに、果林ちゃんのために、仕事から帰ってきて疲れているのに、頑張ったのに……!」


 さめざめと泣きながら、お母様が金切声をあげた。

 なんなの、これ。

 この国の大人というのは、こうも簡単に泣くのかしら。


「お父さんは、帰ってこないし、お兄ちゃんはお母さんのことを馬鹿にしているもの。果林ちゃんだけは、味方だと思っていたのに」


「ちょっと待ちなさい。お母様、お父様が帰ってこないとは?」


「果林ちゃんも知っているでしょう。お父さん、私の友達と不倫しているのよ。出張なんて、嘘。もう帰ってこないのよ」


「お母様、あなた、そのようなゴミクズと結婚しているの?」


 兄の眼鏡もゴミだと思ったけれど、父親もゴミ屑なのね。

 私は両手をあげて、肩をすくめた。とんだ家庭環境だわ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ