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序章


 ある日突然死ぬ確率と言うのは、道を歩いていたら、流れ矢に当たる確率と同じか、それ以上に高いのかもしれない。

 視界が白くぼやけていく。霞んだ景色の向こう側に、走馬灯のように今までの私の十六年間の記憶が、とても緩慢に、同時にものすごい速さで、流れていく。


「シャーロット様! シャーロット様……!」


 泣き叫ぶ侍女の声がした。

 ばたばたと、足音が遠のいていく。馬車を襲った男たちは逃げて行ったのだろう。


 私を刺して怖くなったのか、それとも、最初から私を殺すことが目的だったのか。

 今となっては、もう良く分からない。

 だって私の短い人生の幕は、もう閉じてしまったのだから。


 ふと気づくと、私は見慣れない部屋のソファに寝ころんでいた。

 黒い皮張りのソファだ。

 ふわふわしているというよりは、硬くて寝心地が悪い。


「ここはどこかしら」


 ソファで寝ころぶなど、私としては許せない行為だ。

 ソファというのは座るところであって、寝る場所ではない。体を横にするのはベッドの上でなければならないし、横たわるのなら服を着替える必要がある。

 なんていう無様を晒してしまったのだろうと思いながら、私はきちんとソファに座りなおした。

 特に、頭が痛いとか、体が痛いといったこともない。


 私は飾り気のない白い服を着ている。

 足は裸足で、アクセサリーも身に着けていない。

 首元を覗き込んで確認すると、白い服の下は全裸だった。


 いくら私の裸体が完璧な造形美とはいえ、コルセットも下履きもなく白いワンピースだけなんて、一体どこの誰が私にこのような辱めを受けさせているのだろう。

 一言怒鳴りつけてやらなければ気がすまないわね。許せない。


 正方形のあまり広くない部屋だ。

 天井には黒いシャンデリアが吊り下げられていて、シャンデリアの燭台にはいくつかの蝋燭の炎が揺らめいている。

 とはいえ部屋が暗いわけではなくて、壁の模様がはっきり分かるぐらいには明るい。

 窓はない。扉もみあたらない。 

 それなのに明るいというのは、奇妙ではある。


「シャーロット・ロストワン」


 低く落ち着いた男性の声が、部屋に響いた。

 人の声も顔も、一度聞いたり見たりしたら完璧に覚えることができる私だけれど、その男性の声には聞き覚えがない。

 ソファの向かい側に、政務机がある。

 政務机の上には、何か四角くて薄っぺらい物がおかれている。

 その前に座ってこちらを見ている男性が、言葉を発したのだろう。

 やはり知らない人だ。

 きっちりとオールバックに整えられた、黒い髪と、銀縁の眼鏡が特徴的な男性は、見た目的には二十歳程度だろうか。それなりに整った顔立ちをしている。

 金色の何の感情も籠らない瞳が私を静かに見つめていた。


「十六歳。ロゼクラリス皇国の公爵令嬢で、セルジュ・ローゼン皇太子殿下の婚約者だった」


「そうよ。だから?」


「大人しく聞いていなさい。そういうところが、良くない」


「単刀直入に話をして。いちいち説明されなくても、自分のことは一番自分が良く知っているわ」


 私はソファの上で足を組んだ。

 ワンピースの下が全裸であることを知っているけれど、これはわざとだ。

 私のあられもない仕草を見て、誰だか分からないけれど、目の前の男性はせいぜい反省すると良い。

 まぁ、反省しなくても良い。

 男の価値は、こういう時にどのような対応をするかで分かるというものである。


「君は、今日、死んだ」


 男性は私の仕草に特に興味がないように、表情一つ変えなかった。

 これはこれで合格ね。私は満足した。面倒だけれど、男性と会話をしてあげても良いかと思う。


「そうね」


「こちらとしては、想定外の出来事だった。君は今日の昼過ぎ、十六歳の誕生日を祝うために、王宮へと招かれた。そこで――」


 私は男性の話を聞き流した。

 だって知っているもの。

 私は婚約者のセルジュ様の開いてくださった誕生日会に呼ばれて、いつも通り振舞った。

 私の振る舞いで、何人かの侍女が泣いたし、何人かのお集まりになっていたご令嬢が泣いた。

 これはいつものことである。

 私が真っ当な指摘をするだけで、皆が泣くのだ。

 セルジュ様に何度か注意を受けたことがあるけれど、正しいのは私だ。私の注意は、ただの教育なので、教育されて泣く方が間違っているのだと思っていた。

 そうこうしているうちに、セルジュ様が深い溜息をついて、言った。


 ――シャーロット。君のことは嫌いではないけれど、今のままの君を王妃にすることはできない。君は他者の気持ちが分からず、優しさが抜け落ちていて、傲慢だ。何度注意をしても、君は聞いてくれなかった。君との婚約は白紙に戻そう。


「セルジュ・ローゼンから婚約破棄を言い渡された君は――」


「私の価値が分からない男などこちらから願い下げですわ! と言って、公爵家に戻ったの」


「そうだ。そうして君の乗る馬車は、暴漢たちに襲われた。金品を奪われて、侍従たちは殺され、君も痛い目を見る……はずだった。運命予定表では、そのようになっている」


「運命予定表」


 私は肩を竦めた。

 言葉の意味はなんとなくわかる。けれど、そんなものがあってたまるかと思う。

 私の道は私が決める。あらかじめ決められていた運命なんて、私にはいらない。


「けれどシャーロット。君はどういうわけか、侍従たちの叫び声を聞いて、すぐに馬車から降りた。そうして大声で言った」


「ええ。名乗ったわよ。私は、シャーロット・ロストワン」


 ――侍女を襲うのはおやめなさい。弱い女を襲う男など、びくびく怯える弱い犬と同じ。この私を殺すことができる度胸のある者はいるの? このシャーロット・ロストワンを!


「侍従たちの前に立ち、君は両手を広げて、彼らを護った。君の名乗りを受けて混乱した暴漢たちの一人が君に刃を振り下ろし、その後ロストワン公爵家の名に怯えて、皆逃げていった。君が侍従たちを助けたのだ」


「そう。良かったわね。役立たずの護衛も無事だったのかしら」


「ああ。一命は取り留めたようだ」


 私が馬車から降りたとき、暴漢たちに、護衛は倒されてしまっていた。

 だから私は、私にできることをした。

 どのみち、全員殺される。

 だとしたら私ができることは、己の権力を盾にすることだけだ。

 侍従たちは、公爵家で良く務めてくれている者ばかり。主たる私には彼らを護る義務がある。

 それだけの話だ。


「私は死んだ。それならここはどこなの?」


「ここは、エデン。神の在られる地。あらゆる魂が到達する、最後の楽園」


「馬鹿げたことを」


「俺は、エデンで働く天使の一人。君の魂の処遇は俺に任されている」


「天使、ね」


 まったく、くだらないわね。

 私は腕を組んだ。早く終わらせてくれないかしら。死んだ後にこんな手続きがあるとか、死ぬっていうのもなかなか面倒なものなのね。

 私の人生はもう終わってしまった。終わってしまったものに未練などないのだから、花畑の広がる楽園で、ふわふわ蝶々になって飛び回るとか、その程度で良いのに。


「君の死は、想定外だった。そして、君は最後に善い行いをした。よって、君にチャンスを与えようと、俺は思っている」


「いらないわよ」


「同じ日、同じ時間に、君と同じ年齢の少女が、今まさに死のうとしている。彼女には君の助けが必要だ。君の行いによっては――君の命も、救われるかもしれない」


「いらないと言っているでしょう。私の話を聞きなさい」


「彼女の名前は、白沢果林(しろさわかりん)。君は白沢果林となり、二度目の人生を送ることになる」


「あなたね、いい加減になさい。天使だかなんだかしらないけれど、私はチャンスなんて必要ない。私の人生は一度きりで十分よ。私は私の思うままに生きたもの」


「白沢果林は――死にたいと願い、自ら死のうとしている」


「馬鹿じゃない?」


 私は苛々しながら言った。

 私の話を聞かない男性も、見ず知らずの少女も――私にとってはどうでも良い。

 少女が誰だかしらないけれど、自分から死のうとするなんて。


「シャーロット。君が、彼女を救え」


「何故?」


「君の傲慢さが、彼女の助けになるだろう」


「……私に拒否権はないのかしら」


 私は両手をあげた。

 仕方ない。お手上げだ。別に、もう一度人生をやり直したいと思っているわけではないけれど――。

 最後に、もう一人ぐらい誰かを助けても良いかもしれない。


「安心しろ、シャーロット。俺が君の生活を、サポートする」


「いらないわよ」


「いわば監視だ」


「サポートはどこにいったのよ。うら若き十六歳の私を監視するとか、犯罪者として捕まるわよ。で、あなた。名前は?」


 男性は眼鏡の位置を指先でなおすと、口元にはじめて笑みを浮かべた。


「サリエル」


「サリーね」


「サリエルだ」


 案外可愛い名前ね。

 私はよろしく、と微笑んだ。

 私はシャーロット・ロストワン。私は私の思うままに生きている。今までも、これからも。

 それが誰かを救うというのなら、それも良いわね、きっと。



 

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