1. プロローグ
「そっち、気をつけて。傷つけないように」
「了解です」
大手引っ越し業者のチーフ・相原彬良とアルバイトの大学三年生・浅見悟は汗だくになりながら、今日もまた引っ越し業務に携わっている。
「あ、三宅さん。その梱包は特に丁寧に扱って」
相原が、荷ほどきの女性バイト・三宅由加梨に声をかけた。
「はい。割れ物ですよね?」
「ああ。高価な陶磁器だから気をつけて」
「わかりました」
由加梨がにっこりと微笑む。
その笑顔は天使か女神かと思うほど愛らしい。
力仕事がメインの引っ越し業務だが、梱包や荷ほどきなど女性の力を頼る仕事もある。
由加梨は浅見と同じ大学の二年生で苦学生だ。
生家は学者の一族で、由加梨も両親の出身大学の教授を目指すよう幼い頃から躾けられていた。しかし、由加梨は大学教授より社会福祉士になりたいと思うようになり、半ば勘当同然で大学に入学して、自力で学費・一人暮らしの生活費を捻出している。そのために、時給の高いこのアルバイトについているのだと、相原は聞いている。
そうして、各自テキパキと仕事を進めていた時。
「きゃっ……!」
食器を持って由加梨が立ち上がろうとして、バランスを崩した。
「三宅!」
たまたま背後にいた浅見がうまく由加梨の体を支えた。
「浅見先輩……」
「大丈夫か? 少し足捻らなかった?」
「はい、このくらい大丈夫です」
笑って答えた由加梨だが、実際は少し痛そうだった。
「チーフ、少し三宅を休ませた方が」
「そうだな。時間に余裕もあるし三宅さん、暫く足を休ませて」
「すみません……」
そういうちょっとしたトラブルがあったが、作業は時間内に無事終わり
「みんなお疲れ。これで今日の業務終了だ」
相原が皆に声をかけた。
◇◆◇
「くぅー! 仕事上がりの生はやっぱイケますね」
浅見が生ビールの大ジョッキに喉を鳴らす。
ここは、居酒屋『花しぐれ』。
引っ越し業務が終わった後、相原が浅見を飲みに誘ったのだ。
二人は以前からちょくちょく一緒に飲みに出かけたりする気心の知れた関係である。
「何でも好きなもの頼めよ。今日は俺の奢りだ」
「え? いいんですか?!」
「ああ。お前、ここの唐揚げとか特に好きだろ」
「じゃあ、遠慮なく。鶏と軟骨の唐揚げに、えーとフライドポテトと枝豆と……」
「おいおい、食べられるだけにしとけよ」
「わかってますって」
料理の皿がテーブルに並び、二杯目のビールを飲みながら浅見が言った。
「相原さん、何か俺に頼み事でもあるんですか?」
「え? な、なんで……」
「そりゃあ。いつも割り勘の相原さんが「奢る」となったら何かあるでしょ」
浅見らしからぬ鋭い推察だった。
相原は少し言いにくそうに視線を泳がせた。
が、浅見の目を再び見据え、卓上で力拳を握りながら一言、言った。
「お前。三宅さんとどういう関係なんだ?」
「はあ?」
「つきあってるのか?」
相原は、それは真剣な顔つきで尋ねた。
「いや。同じ大学の同じ『芸術愛好会』会員、同じバイト仲間、てだけでそれ以上でも以下でもないっすよ」
「でも、バイト中いつも一緒にいるよな?」
「そうすか? 好きな音楽や演劇の話してるだけですよ」
「ということは。……お前は三宅さんにその。恋愛感情はないのか?」
「恋愛?!」
思ってもない単語が相原の口から飛び出し、浅見は飲んでいたビールを思わず吹き出しそうになった。
「……相原さん。まさか。三宅に……」
恋してるんですか? という台詞は何か照れくさくて言えなかったが、浅見はどういうリアクションをしたらいいのかわからなかった。
浅見は由加梨に対して恋愛感情はない。コアな芸術の話が合うだけの女友達、いや一つ年下で小柄の可愛らしい由加梨は強いて言うなら妹分か。
由加梨も多分、いや絶対に自分に恋愛感情はないと浅見は思っている。それは普段から一緒にいる時間が長いからこそ、余計わかることだった。
「俺……、三宅さんが気になるんだ」
相原はとうとう本音を言った。
「じゃあ、いっそ告れば?」
「でも。彼女、大学生だし、俺はいい歳した大人の社会人だ。恋愛対象としては、やっぱ年が近くて普段からも仲がいいお前だろ」
「いやいや! 全然そんな関係じゃないですし、俺ら。むしろ大人の相原さんの方が彼女を守ってあげるナイトに相応しいっすよ」
『ナイト』に例えられた相原はぱっと笑顔になり、嬉しそうな顔をした。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
「それを俺に聞きますか……?」
彼女いない歴=歳の数の俺に……と、頭を抱えながら浅見は独りごちる。
「それは俺も同じだ」
その呟きを聞き逃さなかった耳聡い相原は、その時だけエヘンと胸を張った。本来、誇るべきことではないのだが。
「うーん、そうですねえ」
浅見は腕組みをして暫し考え、そして言った。
「中央駅東口に『CLAIR』ていうフルーツパーラーがあります。三宅、そこのワッフルが好きだから、誘ってみて、そこで告れば或いは……」
「マジか?! それ」
「間違いないっす。あ! いいモノありますよ!」
そう言うと、浅見はボディバッグから二枚のチケットを相原の前に差し出した。
「これは?」
「再来週の日曜日にあるバレエのチケットです。演目のラストが三宅の好きな『ボレロ』だから、これ二人で観に行って下さい」
「悪いな。チケット代いくらだ?」
「ああ、『貝塚バレエ団』の知人に安く譲ってもらったんで、気にせず。今日の奢りのお返しです」
「浅見! お前に相談して良かったよ!」
相原がキラキラした目で浅見を見る。
「でも、結果については俺、責任持たないっすからね。あくまで自己責任ということで……」
そう浅見は言ったが、もはや相原は浅見の言うことを聞いていない。
(これで上手くいかなかったら、俺、次のバイトのシフト外されるな……)
浅見は嫌な予感がした。