至天と獣 20 ハイエナクールー腐った肉を
読み直したら説明回があんまり説明になってなかったのでその内書き直します。
漏れた吐息は閉じ込めた本意に着色されたように意味を持っていた。言葉の形にならない呼吸がシオンの肺より、気道を通って大気へ旅立つ。
強く、私はシオンの瞳を見る。
「鍵を開いて。『天魔』の世界を浮上させる、そのために」
「…………」
シオンは私から目を逸らす。俯き押し黙る。握る手首にはもはや力の奔流は流れず、少女の華奢だけを電子の世界が演算するばかりだった。感情に揺れ、立ち尽くすだけの姿に『極限』を操る強者としての面影はなく、ただ私の目の前に、後悔と絶望に押し潰されて一歩も動けない人間の姿だけが出力されていた。
その姿に、否応なく、彼女の心の傷へ踏み込んだことを自覚する。
それでも私の答えはこれしかない。
鍵を開いて情報生命体の世界を解放し、一つにする。
シオンは『天魔』の世界の住人で、アンドレイ達はその防衛機構。言うなれば内臓と皮膚、マントルと地表……秘められたモノはその外郭を象るものに触れることが叶わず、それ単体で完結した世界の外郭に触れるものはいない。
二度と逢えないはずだった。だけど、それでもと望むのなら。……それでも逢わせたいと願うのなら。
皮膚を、地表を抉って血とマグマを吐き出させる。それが出来るのはシオンでもアンドレイでもなく、あの世界の事情に何一つとして関わらなかった無関係の第三者だけだ。
世界の理で別たれているシオンとアンドレイを再開させるため、『天魔』の世界を外から観測し、その境界を踏み越える。アドハの語る本当の『ラクエンプロジェクト』……もう一度、楽園へと辿り着くための計画。それがどんな結末へと至り、楽園とは何なのか、わからないことが積み重なっていて……だけど大事なのは至るまでの過程だった。
「…………ら」
吐いた息と音色は重力に従って水晶に落ちる。俯いて影の差す彼女の顔は落ちた前髪と黒に覆われて何も見えない。
「………今更っ!」
咆哮。次いで、掴む腕に力が奔る。
上がる顔には強い感情が張り付いた。怒り、あるいは別のモノ。振りほどかれた腕の先で指が放物線を描き、視界の端ではシオンの握るランタンが淡く、蒼く、輝く。水晶を覆う花弁が始める共鳴音が鼓膜を揺らす。
花弁が集い、槍へと。存在そのものが書き換えられていく。生まれ変わり天を睨む槍は進行のルートに私のお腹を抉る軌道を選んだ。散らばる花弁の近くを巻き込んで、足元から槍が飛び出せば。
槍が私を貫くより先、お腹に銀の鎖が巻き付いて。
ぐっと、後ろへ引っ張られる。
飛び出した身体は水晶の地面から離れ、寸前までの私の残像を貫く槍が天へと跳ねる。鎖は擦れ合う金属音を惜しげもなく発しながら、私を自身の持ち主の元へと運んだ。
「会話パートは終了かい? 選択肢間違えたんじゃないか」
「お終いなんて冗談でしょ」
「今更っ!!」
銀鎖が私から離れ、代わりに激昂が針のように皮膚を刺す。感情が物質を持つ錯覚が、私の脳を通ってアバターに感覚だけを置いていく。
「もう遅いのですっ! 全部は終わった、あれは死体だ……! 今になって何を話せと言うのです!? 何を語ろうとも、彼の終わりを、在り方を! 変えることなど出来はしないのに……!」
「そうよ、アンドレイは変わらない。でも貴女は変わるわ。変わらないのは死体だけ、生きている限り人は変化から逃れられない。……いつか貴女も時間の摩擦の中で、全部の感情が摩耗して擦り切れる。悲しみも後悔も苦悩も絶望も、脳の遠くで苦いだけの想い出に成り下がる」
「そ……っ、う、だとして!」
「貴女は、アンドレイ達の戦い続ける世界をどうしようもないほど憂いているわけじゃないのよ」
「……っ」
「そんなの、単なる言い訳よ。貴女の感情を果たすための都合のいい目標でしかない。………貴女はただ、逃げたいのよ。一人ぼっちの教会から、誰も傍にいない世界から、アンドレイの願いさえ振り切って」
息を呑む音と、嗚咽。言葉の弾丸に撃ち抜かれたシオンの胸の内が開いて目に見えない血潮を流す。
空気が喉を掠れて、言葉の形を取らない音がシオンの口から吐いて出る。大きく開かれた目は何も捉えていないかのように視線をあやふやに移動させて、身体が、回転を衰えさせていくコマのような不安定さでふらふらと揺れる。
……全部は時間の摩擦によって、今の感情は歴史の果てに過去になる。
シオンは彼らが必死で守ったものを自分の手で終わらせようとしてる。けれどアンドレイの気持ちを汲むのなら、シオンは命尽き果てるその日まで教会の中で生き続けるしかない。ここで終わるなと、アンドレイは願ったのだから。
なら、どうして自殺なんて選択を選ぶのか?
……決まってる。
耐えられないからだ。一人ぼっちで生きていくことが、死んでしまうことよりも苦痛だったからだ。
えいると同じく、ただ、感情が尽きて過去に変わってしまうのが怖くて……同じように死という選択を取った。
「もう一度言うわ、鍵を開いて」
「何故? 今更……向き合えと言うのですか? 貴女は私が逃げているだけだと、アンドレイ達の願いの極限を私自身が踏みにじるのだと言うくせに、そんな私を彼と逢わせようというのですか? それがどれほど的外れの善意で、それが、どれだけ残酷なことか」
「勘違いしないで、善意でも貴女の為でもない。貴女の為にだなんて取り繕うつもりもない。これは私達の為。私は、私の願いの為に永世未終教会の扉を開く。私の身勝手で貴女の傷を抉って晒す。私の答えを貴女に認めてもらう必要なんかなくって、だから、宣言なのよ。私達は必ず貴女とアンドレイを引き逢わせる。そこに貴女の事情なんて、関係ない」
「…………そんな。神の……ような、理不、尽でっ、私達の、終着にっ、踏みこむのですか!?」
「ええ。最低なことを、するのよ、私達は」
「……っ!」
振り上がる剣と、それを指揮棒に組みあがる花弁の槍。瞬く間に作られる切っ先の群れが飛び出す様は、どこか子供の癇癪のようだった。槍には殺意が宿り、けれどアレェリスタの手で素早く放たれる爆弾矢の爆発と爆風に巻き取られる。
「……失敗だろ、和解ルートに入れていないぞ」
「さぁどうかしらね。何が正しいかとか、何が間違いだとかそんなの、終わってみないとわからないのよ」
「それについては同感だがね、どれだけ過程が良くたって負けに意味はない……それより俺の知らない話がガンガン出てるんだが、なんだ?」
「私とアドハがイベントフラグ踏んだのよ、『極限』に挑むのに必要なやつ」
「はは、いいね!」
アレェリスタが笑い、声と共に駆ける。一歩遅れて私も前へ。シオンは身体の芯を引き抜かれた不安定さで剣を構える。
「……来、るなぁああああああッ!」
耳をつんざく叫び。悲痛が鼓膜を揺らす。共鳴する花弁達が蠢いていく。
ばぁっ!
シオンの叫びに応えて水晶に蒼のカーペットを敷いていた花弁が一斉に宙を舞えば。
「『ユメ堕チル火バナ』ッ!」
光って、破裂。
爆竹のような小さな衝撃が幾重にも重なって身体を打つ。舞い散った花弁は空間を埋めて、だから私達は四方八方からの破裂を受ける。
光が網膜を、微細な痛みと熱が皮膚を焼く。火傷の痛みが脳を巡って、走る足は無理やりに止められてしまう。
「……殺す」
小さく漏らす、シオンの言葉。
「……シャオレン、お前だけはっ、殺します!」
水滴を滲ませたシオンの瞳は敵意の色だけに染まり、もはや私達に持っていた小さな希望と期待はどこにもなかった。
その右手が白く、ランタンが蒼く輝く。
「誰も彼も救えない、なのに貴女だけが救いを探す……! いつかの果てに貴女はどこかで救われるとして、その足元にある屍の中に私達の姿があるのを黙って見過ごすことなど出来ない! ……許せない! 許せるわけがない! お前の為に、私達はあったんじゃないッ!」
花弁の共鳴音が強く響く。次いで、『天魔』の鍵がひと際強く瞬いた。
「……工程、開始。『遺品纏い』起動」
ジジッ、と。不快なノイズ音が一瞬鼓膜を掠める。
不意にシオンの身体が僅かにブレた。ほんの一瞬の間、彼女の姿が電子に揺れる。次に存在の確かさを確認した時、シオンの手にそれは握られていた。
カチャリと金属の機械が動作する音。シオンはそれの口腔を、私へと突きつける。
「……『天魔、装銃』」
「夜を抉れ、世界弾」
刹那に銃口にチャージされる蒼。光り、視界が蒼く染まる。私は一歩も動けずに。




