至天と獣 18 告ぐ
水晶の大地に亀裂が走り、鳴動は止まない。崩壊の兆しを惜しげもなく晒す世界の中で、私達は睨み合って対峙する。
「……『無形』は、どこへ?」
「ちょっと、大事なお話をしに、ね」
「…………っ、ちょうどいい、最後に貴女の答えを聞きましょう……答えは出ましたか」
「ええ」
「ならば」
シャオレン、と呟く声が水晶の大地と人間二人に反射する。私は小さく息を吸った。僅かの間に緊張の糸が張る沈黙の帳が降り、それを、荒い息遣いのシオンの切実が破る。
「貴女はアンドレイに、何をしてくれますかっ? 彼らを……救って、くれますか……っ!?」
「いいえ。私にアンドレイは救えない」
私の声に、シオンが強く顔を歪めた。彼女がそれでもと縋った希望が崩れ去り、絶望だけが皮膚を通って彼女を支配する。
「……っ、ぁ……ッ!」
言葉にならない呻きが漏れる。身体が微かに震えるのはどうにもならない感情の発露だ。シオンが縋った最後の希望が、私の声で砕かれる。
「……嘘も、取り繕いも意味がない。私はお前の希望を紡げなくて……お前にだって、アンドレイは救えない」
「…………ならっ、ならッ、ならッッ!! もはや、今、このっ、全てに! 意味などないッ!!」
皮膚に小さな刺激が走る。錯覚だ。激昂が言葉の形で迸り、感情が空間を埋める。
シオンの意思に呼応するように、彼女の右手の甲は強く光れば。
同時に、ひと際強い振動が世界を揺さぶった。世界の崩壊の速度がアクセルを踏み、自死するために身を震わせる。
「もう、いらない! この世界の全てはただ、私達を苦しめるだけなのだとしたら! いらない、いらない……っ!」」
「そうして、消すの、『天魔』の世界を。お前と、アンドレイ達が守り抜いた世界を」
「……っ、ええ! もはや空の箱だけを、いつまでも守り続けるわけにはいかない!」
「……だから、間違えてるのよ、お前」
「何がッ!!」
吠え、光る。光源はランタン、蒼く光って花弁を散らす。
宙に舞う花弁はすぐさま幾つかの槍を形作る。鋭利な切っ先の視線は私に向けられ、空気を滑るように飛ぶ。
私に向かう槍の牙、それを、後方から私を追い越した一筋の矢が迎え撃った。矢の先端は丸く、槍とぶつかると同時に爆発する。爆風が槍を巻き込み、遠く弾き飛ばした。
「……おい、急に現れて勝手に話を進められても困るんだが?」
「悪いわね、でも、最初に相手をしたのは私よ」
「追い詰めたのは俺だけどね。……色々聞きたいことがあるんだが……どうやって蹴ったんだ?」
「それも含めて。ちょっと、話したいことがあるのよ」
弓を携え、隣にアレェリスタが並ぶ。身長差で見上げざるを得ない彼の目を見る。
「でも、一番に伝えなきゃいけないことだけ言っておくわ」
「何だ、あいつのギミックの目途か?」
「多分、このままアンドレイと『極限』戦をするわ。そしてその時、私はいない」
「……はぁ?」
「ヘレン達を連れてくるのも時間かかりそう。だから……死ぬ気で、アンドレイ達相手に時間稼ぎして、ねっ!」
言い終える同時にステップ、後退する。アレェリスタも同様に、直前まで私達がいた空間を槍の牙が通過する。
「『花サク歪ビツ』ッ!」
花弁が集い、シオンが手繰る剣に纏う。瞬く間に花の色に染まる刀身が、夕焼けの赤い世界を蒼く傷つける。
「……っ!」
そしてシオンは踏み込んだ。蒼い剣を握りしめ、力強く前へ……私の方へ駆けだす。
「アレェリスタ、サポートっ!」
「俺の攻撃は!?」
「通らないっ、私は通る! OK!?」
「仕方ないな!」
番え放つのは同じ爆弾矢。的確に走るシオンの足元を穿つべく水晶に射貫き、
「っ!」
小さく息を吐いたシオンが矢を撫で斬った。爆薬が詰まる矢じり、それを素早く、かつ正確に斬り伏せる。蒼い軌跡が矢を両断し、そして花が咲く。
「爆発もなし……ついに攻撃か」
「何がッ!」
悲痛が耳を打つ。あらゆる万物を花に書き換える絶対防御を剣に纏わせ、防ぐ術のない最強の武器を握るシオンが叫ぶ。
「間違っていると、言うのです!」
「……認識よ」
爆発、煙幕、毒……多種多様な追加効果を見せる矢の嵐。それを物ともせずにシオンは駆ける。彼女の身体を穿つ矢は花と化し、彼女を揺らがせる可能性がある爆弾は的確に斬り落とされて蒼に散る。
「ちっ、足止めにもっ!」
彼女はついに私の前へ。右手に握る剣を振るう。方向は切り上げ、私の左わき腹から右肩への斬撃。
避ける。小さなステップで飛ぶように後退すれば、目の前で蒼い線が跳ね上がる。シオンも追随して一歩、跳ねた。再び私を剣の射程圏内へ、勢いよく頂点まで跳ねた切っ先は宙を揺蕩うまま、今度は重力に従うように振り下ろされて。
そして、掴む。
「……シャオ、レンっ!」
「……シオン、言ったでしょう。未来の話を、するのよ」
シオンの右手首を捕まえれば、手の内に華奢な少女の細さがあった。悪魔の加護のない……システムによってステータスが与えられていないシオンの身体はまさしく少女のそれで、だから、力だけでは私の腕を振りほどけない。
近い距離はシオンの表情をありありと私の瞳に浮かばせた。絶望、怒り……彼女を取り巻く負の衝動が表情金を動かして私を睨みつける。
「何が、何がッ、未来ですか、この虚無の世界に! 生者だけが未来に焦がれる……! 全てを失った私達に、未来に描く図など!」
「……私にアンドレイは救えない。だってアンドレイは、もう……死んでいる。誰だって死者を救うことは出来ないのよ。死後の世界に生きている人間は触れられない…………でも、ね、シオン」
死者には触れず、未来はない。それは真理だ。
「貴方は、生きているでしょう」
でも、生者には。
生者だけが、未来に焦がれる。
「それが貴女の認識の間違い。世界の全てに意味がないと言うけれど、アンドレイは違うわ。負けて世界の全てを失ったんじゃない。世界を犠牲にしてでも貴女を生かしたの。……ねぇ、考えたわ。私の言葉はきっと貴女にもアンドレイにも届かなくて、なら何が出来るのか。どうして泣くのかとアンドレイは言った、アンドレイの後悔はただ、それだけ……それだけが彼の中で一番大事なことだった。私は彼の後悔の先を知りたい。彼の救いがその問の先にあるっていうなら、私に出来ることはたった一つ」
強く握った手首に血液の鼓動がある。電子で構成された人間と遜色のないAIには、だからこその感情があり、内臓まで再現された高度な計算は仮想の世界なら必要もなかった生理現象さえ演算してみせる。
力を入れて引き寄せればただでさえ近い距離が埋まって、間一髪、紙一重、そんな言葉が似合うほどになる。
殆ど私の腕の中で、シオンの瞳が動揺し、私は必死で考えた答えを噛みしめる。
そう、私にできるたった一つ。
「シオン、貴女をアンドレイに逢わせるわ。私が貴女を、彼の前に連れていく」
「………………え?」
私の言葉はシオンにもアンドレイにも届かなくても、お互いの言葉なら。アンドレイの問に答えられるのはシオンだけだ。そして、シオンの絶望も。
「世界を消すしかない? 違うわ、それは貴女の、そうするしかないって思いこみ。貴女よ。貴女だけがアンドレイに応える声を持ってる。貴女しかいないのよ……アドハに聞いたわ、貴女の状況。貴女がどうしてアンドレイに触れられないのか。それでも、私が……ううん、私達が、永世未終教会の扉を開いて、貴女を彼の所に連れていく」
「そ……れ、は……でき、るわけが!」
「どうして?」
「永世未終教会の扉を守るために、アンドレイ達は戦っている! それを開くというのなら、全力の彼を超えるということですっ! 『技術』を振るうだけの私に苦戦している貴女達が、どうやって彼を……!」
「ええ、だから、貴女の助けも必要なのよ」
「……え?」
「私だけじゃ超えられない。アドハが隣にいても無理……だから、色んな人の手を借りるの。今、アドハがリーリとその話をしてる。シオン、貴女も手伝って。アンドレイを超えるために、『天魔』の世界を表層と融合させる。それには、鍵を持つ貴女の許可が必要なの……そして、私達はアンドレイ達の前に立つ。あの蒼い花を貫いて、教会のドアをノックするの」




