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ラクエンプロジェクトをもう一度  作者: カラフルジャックは死にました
第一章 赤ずきんは夢を見ない
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至天と獣 12 私は君の手を取った

 

 闇が広がり、呑まれ、吐き出される。

 電子で再現されただけの内臓が浮き上がる気持ち悪さの後、私の足が捉えたのは台地を踏む触感と、それに違わない絶大なる自然の一端だった。

 教会に拉致される前に見ていた世界。突然現れ、世界を侵し、色とりどりの生命が住まう真理の森。

「ギルギルギル……っ」

 隣に降り立ったアドハが歯噛みする。見えない何かを掴もうとしながら動かす手は止まることを知らない。

「シオン……」

 ぽつりと呟く。私の声は宙に散って消える。


『天魔』の鍵守。ミルハの言葉が正しければ、『天魔』、リーリの命に直結するパスを刻まれたモノ。そして。

『天魔』の創りし人の形。アンドレイと同じ……『天魔』がシミュレーションした人類、その、一人。


「展開が急すぎるのよ……!」

「リーリっ! ギルティロアとギルギルギルの制御権を奪って何するつもりだ!」

「元々六都市境界内は私の管轄よぉ? ミルちゃんが持ち出したとはいえ、その顛末をどうするかは私が決めるべきじゃなくてぇ?」

 前方数メートルにて、空間から二人の影が滲み出す。着物とドレス、和と洋の装いが並んで私達に相対する。

 翡翠の瞳が、強く、私達を貫いた。

「始まりはミルハの気まぐれだろうが事態は緊急修正案件だ。至天ボスはこんな段階で挑ませていいボスじゃない。君の言い分にも一理あるけど、決めるのはどう終わらせるかだろ!」

「でぇ? 今から五万人超を追い出してぇ、緊急メンテ? それってさぁ……イメージ悪いよねぇ? 見せるべきじゃなくたって、見せちゃったんだから最大限有効活用するのがいい運営じゃないかなぁ」

 楽しそうにくるくると、リーリは回る。和服に制限された足先で、器用に大地を爪弾いて。

「せめてさぁ、第一段階終了まではやらせるべきだよねぇ。達成感だよぉ、自分たちで終わらせたって感覚が大事なのぉ。それに」

 ぴたりと、リーリが止まる。急停止は慣性を殺し、物理法則を捻じ曲げた不自然が大自然の中に現れる。


「ここなら、邪魔も入らない。リラちゃんの願いの為に、ねぇ」

「……願い、とは。皮肉ですか、『天魔』」


「いいえぇ!? そんなつもりはないけどぉ!」

「……私達の願いはとうに破滅しました。行き詰まり、澱んで、濁って壊れた。これは、義務です」

「……義務?」

「ええ。私が背負う、たった一つの義務。彼を……終わらせる。ただ、そのために、私はここにいるのです」


 力強く、シオンは言い切った。欠色の姿と声に力が宿っていく錯覚が胸を打つ。何かの決意が、彼女の全てを突き動かしている。

 彼……アンドレイでしょうね。アンドレイを終わらせるために。命を懸けて、とシオンは言う。


「試す、って、何をよ」

「貴方達が、正しく彼を終わらせるに相応しいかどうかを」

「相応しいって……何、あいつを倒すのに、条件がいるって言うの?」

「…………救いを探すと、貴方達は言った。その言葉を疑いません。その方法として、救われなかった誰かを……アンドレイのことを知ると。ええ、知るとは、発見とは比較に他なりません。救われなかった誰かがいるから救われた誰かがいる。正反対側に焦点を当てて不定形の救いの形を浮かび上がらせようとするのは、正しい方法でしょう」




「では、その後は?」

「え?」




「貴方達がアンドレイと相対し、彼の焦燥を、苦悩を、絶望を……後悔を、その全てを飲み干したとして。貴方達はアンドレイに、何をしてくれるというのです? 後悔だけで動き続けるあの狩人を、貴方達が終わらせてくれるというのですか?」

「それは……」

「貴方達の欲する救いという答えを導き出すための試験用紙として、彼を使い潰して。それで貴方達はきちんと彼を終わらせてくださいますか? ……この世界は遊戯の為にあり、戦闘さえ遊びになり、そして、アンドレイは超えるべき強敵として認知されている。挑戦が終わった後、この世界の為にと、アンドレイを縛り続けないと誓えますか?」

「…………っ」


 答えようとして、上手く言葉にならなかった。考えが及んでいなかったというのが正しい本音だった。

 ……そうだ。アンドレイはシミュレーションされた人類。限りなく生命体に近い人工知能。嗜好があり、感情があって絶望がある。だからこそ私達はアンドレイのことを知りたがり……けれど、その先は。

 戦った後、アンドレイはどうなるのだろう? 『極限』ボスの攻略自体はちらほらと存在している。幾度かの敗北の後、また他のプレイヤーと戦っている。そこから考えるなら彼らは死んでも死にきれない。敗北しても身を焦がす情報がまた狩人たちの身体を形作り、この世界を彷徨わせる。


 そしてまた、見知らぬプレイヤーと戦い続ける。

 それがゲームであり、それがボスの在り方だから。

 ......でも、それは人間の在り方だろうか。


 私達がやろうとしている、アンドレイの後悔を知ったその先で。何の考えもなく、彼をそのまま放置し続けるというならば。

 私達は、解剖した死体の処理もしないまま立ち去ろうとしていたの?


「私達は嘆き、悲しみ……それでも、抗ったっ! 戦ったのです、あの『夜』と、どうしようもない絶望と! 勝てないと知りながら、負けるしかないと痛感しながら、それでも必死に叫び、剣を振るい、死んでなるものかと口にした! 全てが終わってしまったとしても、それだけは誰にも否定できない私達の唯一の矜持なのです………………ですが、その、必死の抵抗の先、辿り着いた最果てが、これですか? 世界に焼きついてしまったアンドレイと、触れることも許されない私。誰より優しく嘆きの中で戦った彼の戦士としての姿だけが切り取られ、動くオモチャとして、決して満たされない無限の戦いに身を投じなければならない世界が、私達の技術と願いと祈りの極限の果てに辿り着いた場所なのですか……」


 シオンの声が力強く、けれど、絶望を伴って響く。

 違うと叫びたかった。そんなことにはならないと伝えたかった。

 でも、否定できない。だって私達はアンドレイのことをほんの少ししか知らないのだから。

 何をすれば彼の後悔が終わるのだろう? どうすればシオンの絶望を終わらせられる? その答えは綺麗に空白だった。アンドレイ達に何が起きたのか一つたりとて知らない私に、かけられる言葉なんて何一つとして許されなかった。


「…………()()()()。たとえ、その在り方を、神が望んだとしても。この世界の全てが今の彼を肯定しようとも、私だけはそれを否定する。しなければならないのです。それがただ一人だけ、彼らの献身の果てに生き永らえた私ができる唯一の手向なのですから」

「……できるわけがない」

 呆然とアドハが呟いた。深紅に濡れる瞳が揺れる。

「『極限』は世界(テクスチャ)に焼き付いた影だ。リーリが構築した世界の設計そのものに組み込まれてる……いくら鍵守だからって、世界から『極限』だけを消去するなんてこと、できるわけが」

「彼だけを逝かせる気など到底あり得ません。私達は既に終わった身。今、永らえていることの方が不自然なのですから」

「……そうかしらぁ? どんな形でも、繋いだものだと思うけどねぇ……」

「……シオン、君はっ!」



「ええ。『天魔』の世界を消去します。彼があのように扱われるのなら、生きた痕跡さえ、塵へと還るほうが、マシでしょう?」



「リーリっ! 止めないのか!」

「リラちゃんのぉ、義務、だからねぇ」

「アルプロにどんな影響があると思って……!」

「…………アド君は、どうなのぉ? リラちゃんの問に答えられるの? 君は……アンドレイを、どうするつもりだったのぉ?」

「それは……っ」

 アドハが口ごもる。私と同じように、言葉を出そうとしてそれが形にならないように、ただ口の筋肉だけが痙攣したように動いている。


「私は……もう、あの日みたいなのは嫌よぉ。後悔したくない。泣きたくないの。それに……泣いて欲しくもない。愛着だってあるわぁ、今、私がこうやっていられるのはリラちゃんたちのおかげでもあるものぉ」

 望むなら叶えてあげたい。それが、あの日何もできなかった私にできる唯一の贖罪なら。


「あの日って......何よ」

「……それはね、私達が決定的に決別した日。甘くてふわふわした幸福な空気に満ちた天国が引き裂かれた日。私達が、()()()()()()()()()()

「っ、ぃ、リーリ!」

「楽園から追放......?」

 真剣な顔でアドハが叫ぶ。

 声の色には感情が乗る。アドハの音が、彼の焦燥と困惑が純粋に発せられているのだと教えてくれる。

 楽園って、なんだ? この世界(ゲーム)のこと、だと思うには真剣が過ぎた。アドハは私にさえ全てを話していない。きっと彼の根源に関わる部分が刺激されていた。


 信じていいの? と、夕の声がした。

 夜に全部話さないアドハを。


 甘い響きがじんわりと脳を刺激する。幻聴だった。でも、それは奇妙に現実感のある声だった。実際に鼓膜を鳴らしたと思えるほど、立体感を持って頭蓋骨の内側に反響する。


 信じていいの、か。


 疑うのはきっと、正当な反応だった。隣にいる家族さえ何を考えているのかわからない。同じ情報生命体同士のミルハはアドハを信じられなかった。

 信じられないなら成立しないコミュニケーションがある。

 ......でも、こうも思うのよ。


 誰かを、心の底から理解しなければ、傍にいられないのか?

 私だって、アドハに話せないことくらいあって。


「もう、決めたのよ」

 アドハの手を取る。体温も鼓動もない手を熱く感じるのは脳の錯覚だ。それでもその熱を信じたい。

「シャオレン......」

「何うろたえてんのよ。どしっとしなさい、お前ここの誰より年長なんでしょ。シオン、試すって言ったわね。なら、私達がアンドレイに挑むのに相応しいなら世界を消すの待ってもらえるのかしら?」

「彼が安らかに眠れるのなら形は問いません。彼の幾末に興味もなかった貴方達が相応しいとは思えませんが」

「悪いわね、本当に考えてなかったの。ごめんなさい。............今から精一杯考えるわ、だから、貴女のことも教えてね」

 言葉に詰まるのは知らないからだ。アンドレイとシオン達に降りかかった理不尽を私が何も把握していないから、上っ面だけの言葉しか口を滑らない。

 それでもアンドレイに挑みたいと......彼らの絶望と破滅を飲み干したいと願うなら。

 知るしかない。

 全部知って、その上で、私の答えを口に出す。

「やってやるわ、私が、私達は! お前を完全に納得させてやる!」

「よく言いました。泡沫に消えなければ良いのですが」


 シオンが腕を振るった。その延長線上に白い軌跡が躍る。鋭い切っ先で白の線を描いた剣が同じく色が抜け落ちたシオンの手に収まっていた。


「戦うってわけ?」

「合理的でしょう? 全ての武装を解放したアンドレイは私より強いですよ。資格があっても、私に勝てなければ挑むだけ無駄というもの、でしょう?」

「一人で挑むんじゃないんだけどね」

「ご安心を。向かわせています」

「何て?」


 向かわせて......ギルティロアの制御権ってリーリが握って、その鍵はシオンが......。

 あぁー。やばそう。

 ......ま、何とかするか。あいつら強いし。


「シャオレン、シオンを止めるんだっ、でないとこの世界が」

「アドハ! そうじゃないでしょ」

 強く握る。物理的な握力が、アドハに流れない血液を通して彼の脳へと思考を届けるように。

 深紅の瞳がおぼろげに私を見上げる。それにしっかりと、目を合わす。

「アルプロがどうとか、運営がどうとか、そういうのは全部紙月に投げなさい。知りたいのなら向き合うしかなくて、選んだ答えが全てを救うなんて限らない。お前が私に鍵を預けたのはどうして? お前の命にかかわるものをよく知らない人間に託したのは、そうすべきだと思ったからじゃないの? シオンも同じよ。アルプロが壊れるとか、アンドレイと一緒に消えてしまうとか、そういうんじゃなくて。そうするべきだって、あいつは思ったのよ。アドハ、お前は、どうするべき......君の、やりたいことは何?」

「僕の、やりたいこと......」

 叫んだアドハの顔に、少し見慣れた色があった。使命感の色だ。アンドレイと一緒に塵に消えると宣言したシオンにも滲んだ色。


 アドハはアルプロを存続させなければならないと思ってる。

 それがアドハの救いに直結するものなのか、それとも別の何かによって縛られているのか、それはわからないけど。


「救いを探すってことじゃないのよ。それよりももっと小さいこと。アドハ......私は、君に応えたいわ。私を運命だって言ってくれた君の期待に応えたい」

「夜っ......」

「今日までずっと振り回されてたって思ってた。君とかえいるとか、アレェリスタとか狂いとか。私の考えが及ばないところで流れてる川に身を任せるだけだったって。事実そうだったのかもしれない。私は私の意思で何も選んでこなかったのかもしれない」


 でも、と続ける。


「それでも手に残ったものがあった。君がいて、ヘレンがいてくれた。何も選べなかった私を選んでくれた人がいた。……だから私はそれに応えたい。応えることを、私は選びたい」

 それが私の中に残った願い。私がようやく掴んだ、やりたいこと。

「同類だって君は言うけれど。でも、私じゃなければならない理由があったから私を選んだの? 君も使命感に流されるまま私の手を取ったの?」

「それ、は」

「私は今、君の傍にいたいからここにいるのよ。ね、選ぶって、きっと私達が考えてるよりずっと気軽なものもあるのよ」

 深紅の瞳が動揺していた。心細そうに揺れる。


 ああ、一緒だ。アドハも私と同じことで悩んでいる。


 私よりもこの世界について知っていて、なまじ救いなんてものを見つける道筋が立つからそれを貫き通せる強いフリをしていただけだ。

 でもそれだけじゃ立てない。救いを探すという行為そのものが自分の弱さを叫ぶことだから。強いフリでは到底向き合えない場所に、私達の願いがある。

 やっと私はアドハの同類という言葉を飲み込める。そこに情報生命体だとかこの世界の神様だとかゲーム的な特別だとかは一切なかった。本当に、私とアドハは同類だった。同じことで悩んで、同じことで苦しんでいる生命。

 私は夕のおかげで一歩進めた。だから今度は私がアドハの手を取る番だ。


 人外の美貌が少し歪んで、そのせいで美を失う。表情とはそういうものだ。感情が乗った人の顔は、崩れないことで保たれた美を平然と壊していく。

 ひゃ~! という声が聞こえて、見ると、リーリが両手で顔を覆い隠していた。のわりには指の間からしっかりと目が合うけど。


「......ほ、本当に付き合ってないのぉ?」

「付き合ってないわよ、なによ、まだ引きずるの?」

「え、だって、だってぇ......え、リラちゃん、あれ普通なのぉ?」

「さぁ。繋がりの形など、星の数ほどあるでしょうに」

「え、え、えぇえぇっ、じょ、情熱、的、かなぁ......」


 メニューを操作して剣を取り出す。新調した刃に欠けはなく、今までよりも随分と頼もしく感じる。


「おや、もういいのでしょうか」

「待たせるわけにもいかないでしょ。それに、ここから先はアドハが考えることよ」

「そうですか」


 最後にひと際強く握って、離す。アドハとの繋がりが物理的に途切れ、私は一歩前に出る。

 シオンも同様に一歩踏み出した。情報生命体を置いて、鍵守の二人が相対する。

 剣を構える。シオンも同じく。二人して時計の針を共有しているように、奇妙にシンクロしていく。

 少しだけ、間があって。


 目が合う。鼓動が跳ねる。


 びゅーと、ほんの少し強い風が吹いて。


「っ!」

「ふっ!」


 私達はお互いに向かって駆け出した。


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