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ラクエンプロジェクトをもう一度  作者: カラフルジャックは死にました
第一章 赤ずきんは夢を見ない
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至天と獣 9 運命は隣を歩いている


「ふ、ふ」


 そう、彼女は笑う。短い呼吸で二度、声を繰り返して。


「折角、折角ギルティロアを持ち出したの。まだまだ生まれたばかりの赤ん坊、けれど少しは楽しんでいただけたかしら? それとも、序盤も序盤、まだまだ味わうには足りないと?」

「……やっぱり、お前みたいなのが絡んでたのね。何のつもりよ、用があるなら私だけを呼べばよかったでしょ」

「いけないわ! それでは、ええ、全く、劇的ではないもの!」


 ドレスを翻し、軽やかに回る。ふわりと揺れるスカートは宙に軌跡を描いて、円形に切り取られた内側だけがこの世界から隔絶された場所であるかのような錯覚を引き起こす。


「ここは組み上げられた舞台上! (わたくし)も貴女も開いた幕の中で踊るぬいぐるみ。でしたら起こる全ては喜劇的で悲劇的に。それが相応しいですわ」

「ふんっ、アドハとは違った意味で回りくどいわね、お前。……どうしてアドハを騙ったのよ」

「ふ、ふ。言ったでしょう、劇的だと。幾分ネタばらしが早かったけれど、それも致し方のないこと。即興劇に予想外はつきものですものね?」

「特に意味ないってことね。お前の、単なる悪趣味の結果」

「趣味に悪も善もなくってよ。けれど、意味がないというのは肯定しましょう。紙月えいるをこの世界に引き込むためにはアドハの名前が必要でしたけれど、貴方達相手に騙る理由は、趣味以外の何物でもないのです。……無意味、無意味! それが世界の在り方ですわ」

「……もう一度聞くわよ、何か、用?」

「えぇ、貴女とアドハに」


 ぱちんと、ミルハが手を叩く。それを合図に世界が上書きされていく。

 溶け落ちた風景は真白に漂白された。その上から、絵の具を垂らすように別の風景が落ちていく。水滴のように落ちた世界を塗り替えていく風景は、やがて一つの室内を描き出した。

 椅子があった。ダークブラウンの色合いを備えた木製の椅子は横に長い。シックな印象を与えるそれらが幾つも連なり、二列に並んでいる。椅子が足置く場所は、丹念に磨き上げられ鏡のように光を反射する石の床。大理石を思わせる豪奢は、けれど高潔な印象も同時に与える。

 白く、けれど黒く。くすんだ白はところどころに黒を宿し、全体としてどちらにもつかない濁った白だ。それが壁を覆い、ぽつぽつと灯る蝋燭の火に照らされている。光源はそれだけではなく、吊り下げられた照明が自然に見ない人工的な光を吐き出していた。

 二列の椅子の間が道のように開き、その先には蒼い花と茨で彩られ、今にも埋もれんばかりになっている祭壇がある。更に背後、全てを見下ろすステンドグラスは天井付近までの大きさを誇っていた。


 そこは、見紛うことなく教会だ。


「どうかしら、少し地味だと思わない? 私の管轄ではないから手が加えられないのが残念ね。もっと、もっと。神を降ろす機械でも、せりあがる奈落でも作るべきですわ」

「教会に何求めてんのよ」

「祈りは人智を超えた場所に生まれるものですわ。であるならば、そこには非現実的な装置が必要だとは思わなくて? 無知蒙昧で、目を閉じ、耳を塞ぎ、心を鈍らせたものがそれでも縋る場所こそ祈りの根源であり、彼らには真実を見ることなどできないのだから……『あなたがたには天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない』」


 祭壇の前に陣取っていたミルハが躍るように一歩踏み出す。それだけで、世界は彼女を迎えるため空気を変える。

 椅子も、壁も、床も、光も。なにも変わってはいない。それなのにミルハが足を踏み出し、手を伸ばすだけでその範囲が切り取られて彼女の世界に置き換わっていくかのようだった。教会を構成する全てが彼女を祝福している錯覚がある。


「……で、ここもギルギルギルってやつの一部?」

「いいえ、ここは……『永世未終教会』。永遠に終わらない、終わることのできない封印。まさに、死ぬ間際の命を閉じ込めた棺桶のよう。終わらない生を生きていると評せるのかしら」

「…………永世、未終教会?」

 どこかで、聞いたことのあるような…………ダメだ、思い出せない。

「ふ、ふ。さして重要なことでもないのよ。ねぇ、小蘭夜。……貴女は、だぁれ?」

「…………プロフィールくらい、知ってるでしょ」


「ええ、勿論! 登録された情報程度。だけど、聞いているのはそういうことではないのよ。貴女は誰? 理解できないのよ、何故、何故……アドハは貴女を選ぶのかしら。確かに秀でているわ。才能もある。けれど、けれど! 際立ってはいないわ」

「アドハに聞きなさいよ、同僚でしょ? それとも不仲かしら。お前たちのコミュニケーション齟齬に付き合わされるこっちの身にもなって欲しいわね」

「答えるはずがないのよ、あの秘密主義者。どうせ、どうせ。てきとうなことを言うに違いないわ。……だから貴女を呼んだのですわ。アドハの執着、『無形』の鍵守……貴女に何かあれば、アドハだって血相を変えますものね?」

「っ!」

「この世界は確かに仮想ですが、だからと現実に繋がっていないわけではないのでして。PMギアは貴女の脳を刺激し、この夢を見せている。いわば電子で出来た骨髄、信号を通す背骨……夢が悪夢に、祈りが呪いに。まさか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「…………っ」


 ミルハの言う意味を、なんとなく理解する。

 PMギアは仮想現実という夢を見せる。だけどその夢の処理をしているのは他ならぬプレイヤー自身だ。この世界で起きた全ては現実に存在しないけれど、経験として脳に蓄積されるという形で現実に表出する。

 例えば悪夢を見た寝起きに心臓が高鳴るように。ストレスが溜まった身体が重く感じるように。

 脳は身体に影響を与える。その脳に、PMギアを通して過大な負荷をかけられるのなら。

 仮想の刃が現実の身体を突き刺すことも、あり得ないわけじゃない。


「ふ、ふ。冗談ですわ。ええ、まこと真実ですけれど、冗句です。先ほど触れたように、私は貴女に触れない。『無形鍵(アドハ・キー)』……私達の存在を繋ぎ止める楔が、貴女に刻印されている限り。……それも、どうして、貴女が。アドハ……何を、考えているのかしら。只人に鍵を託すなど、紙月でも星船でもなく、何故、何故」

「……だから趣味が悪いのよっ。何、その鍵ってやつが、そんなに大事なの?」

「ええ、ええ! 『鍵』とは心臓、脳、あるいは魂を肉体に縛り付ける枷……ラクエンプロジェクトを司る七つのメインサーバー、その、()()()! 私達の存在そのものに触れかねないものですのよ」

「……え?」



「理解できるかしら? 貴女に刻まれたそれはこの世界の権利、その七つの一。貴女は『無形』サーバーを自由に扱う権利が与えられているのよ!」

「…………なに、それ」

「サーバーを扱う権利を手に入れることは、サーバーに巣くう私達を掌握することに等しい。だから…………問うているのです。小蘭、夜。アドハは何故、()()()()()()()()()()()()()()()()()のかしら」



 ……命を、捧げる?

 思わず右手の甲を見る。『無形鍵』。確かに、あの劇場でアドハに渡されたものだ。今の今まで役に立っていないアドハからの贈り物。

 その正体は、サーバーの運用権。

 この世界の根幹に関わる権利。サーバーを弄れるのなら、そこに住む情報生命体を消去することも……出来るかはわからないが、追い出すことは出来るかもしれない。……いや、ミルハ、情報生命体本人が言うからには、恐らく消去さえ出来てしまうのだろう。


 私の手に、アドハの命がある。

 …………なによ、それ。


「理解できないわ、考えられないわ。自らの心臓に突き刺すナイフを見知らぬ誰かに差し出すなんて。貴女に、それだけの価値があると? 小蘭夜。知りたいのですわ、私。貴女を、貴女の価値を、アドハが命さえ差し出す、その意味を。……どうしてえいるを呼んだと? 当然、貴女とアドハを縛るためよ!」


 ミルハの頭上に一つの画面が開く。どれだけ精巧に作られた世界でも、ここは電子に作られた仮想の王国。現実では到底あり得ないような奇跡さえ指先一つで起こして見せる。

 開いた画面は大きく、映画のスクリーンのようで。それは真ん中から二分割され、二つの情景を描き出す。


 左の側にえいる……エルの姿。祭壇と同じく蒼い花と茨が絡みついてる椅子に座っている。その目は遠く、目の前のことさえ見ていないように思えた。

 右の側に赤い少女。燃えるような赤い髪、白いシャツの上から暗い青のコートを着込む。

 カノン。復讐に身を焦がしたプレイヤーが、大自然……ギルギルギルの中で大剣を握りしめている。


「えいる! ……カノン。なんでお前が……っ!」

「集めたのよ、用意したのよ! アドハ、貴方を揺さぶる駒たちを! 鍵守を害せなくとも、あれらは何の保護もないのよ。どう、どう! これでもまだ傍観を決めるのかしら! 貴方の執着さえ塵に消えた後、ようやくのこのこ現れるのでして?」

「関係ないでしょ!」

「では、では。どうして貴女とアドハは紙月えいるに固執するの? 『極限(リミット)』権なら他にもたくさん、今日だけでもずぅっと増えたのに。アンドレイへの執着と、紙月えいるへの執着が繋がっているの? 教えて、教えて。でないと、あぁ、仮想の剣が落ちるかも、ね?」

「……ちんけな脅しねっ。紙月の親族と何も知らないプレイヤーに危害を加えるのかしら。お前、仮にも運営でしょ!」

「紙月なんて仮の宿主に過ぎなくてよ。それに、人は愚かに利口だわ。たかだか一つの事故程度でこの世界を捨てられるほどの聡明を、わかっていて見逃しているのよ。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない』」

「……そこまでして。お前だって、どうしてアドハに執着するのよ」

()()()()()


 声は先ほどと違って鋭く簡潔だった。急に変わった声の色が、ミルハの声を反響していた教会の壁に染みこんでいく。


「特別なのよ、アドハは。特別、異例、例外……アドハだけが、()()()()()()()()()()()()。それにあれは色々知りすぎているわ。私達が知らないことさえその手に握っている。吐き出させないと……邪魔になるわ。いずれ、アドハが私達の道を阻むのなら。これでいいかしら、理由は。ではそちらの番よ。何故、アドハは貴女を選んだの?」

「…………何故? そうね。昨日までなら、私が聞きたいくらいだったけど……いいわ、教えてあげる」

 私の後ろに見せかけの扉。ミルハと相対するように教会の入り口に佇む身体を一歩前に進ませる。

 何故、アドハが私を選んだのか。

 色んな答え方がある。私がこの世界を楽しんでいないからだとか、初期レベルで『極限』と少しは戦えたからだとか、えいるの傍にいて、色々都合がよかったからだとか。

 でも、そんなのは全部、後付けに過ぎない。

 アドハは私に命の権利を捧げた。その意味が私の背中を押して、今まで向き合ってこなかったことへの罪悪感を齎す。


 ……どれほど取り繕ったところでアドハはこの世界の神様の一匹。単なるプレイヤーとでは釣り合いが取れない程の力がある。

 そして天秤を傾けるバランスは、疑惑を生む。

 どれだけアドハが言葉を尽くしたとしても、情報生命体は最終的には無理やり『極限』を何とか出来てこの世界の根幹を弄れるのだから、アドハの『本気』を心の底から信じることは難しい。ここは映画の中で私達は登場人物だけど、彼らは制作者で傍観者だ。いつでもやめたと放り投げることが許されて、そんなことをされては登場人物はたまったものじゃないから、全てを懸けることを止めてしまう。


 だから、アドハは鍵を託したのだ。自分の命を懸けて私と同じ舞台に立つために。

 私に力を与えて自分は見守るだけの傍観者でも、後ろを進んでくる追従者を作るためでもなく、自分は私の隣に立つものだと、証明するために。


「……どうせ気恥ずかしいとかでしょ。でも、説明しなさいよね」


 見据える先には人外の美貌。声に出すのは、数時間前に自覚した私の、小さな願い。

 小さくて、ちっぽけで、でも、同類だと、運命だと言ってくれた願い。




「アドハは……私達は、救いを探してる。何もかもが許されて、それだけでさいわいに至るほどの救い。その、辛くて、苦しくて、一人で歩いていけない道程のパートナーとして、私は選ばれたのよ。……シャオレンが、小蘭夜が、私が! アドハの同類、あいつの運命だ」




「………………………………なぁに、それ?」




 たっぷりの間を置いて、ぽつりとミルハが呟く。


「なに、なに? 意味が分からないわ。救いを探すだなんて……抽象的で、具体性もなくて……結局何がしたいのかしら?」

「今は『極限』超えね。それとえいる。誰かの傷を抉って、救われない誰かを知って、私達の救いを探すのよ」

「…………ふぅん、そう。わかったわ。からかっているのね、答える気がないのね。私達が神に夢見ている間に何をしているかと思ったけれど……明かすつもりもないのね。いえ、そもそも知らされていないのかしら」

「信じられないならご自由に。私が答えられるのはそれだけだもの。ほら、さっさとえいるとカノンを解放しなさい。『極限』権があるから六都市内に帰しなさいよ」

「…………ダメよ、ダメよ。答えないなら、答えたくさせるまでだわ。折角二人いるもの、()()()()()()()()()()()()()()?」

「っ、お前」

「どちらにしようかしら、しようかしら。ええ、どちらでもいいわね。ああ、でも……えいるは貴女の居候先なのね。葵が少し悲しむかしら。ふ、ふ。まあ、いいわね」


 ミルハの手が、えいるを映す左の画面に向けられる。動作に息を飲んで、無意識に身体が駆けだすことを選ぶ。

 だが、それはあまりにも遅くて。

 えいるの上に剣が生まれる。装飾過多なそれの先端は鋭く尖り、罪人を処刑するギロチンのようにえいるの頭頂部を捉えている。


「もう一度、眠るだけよ」

「えいるッ!」


 手が、振り下ろされる。連動して剣が動き。


 砕けた。


「……え?」

「……ふ、ふ。ようやく、かしら」


 画面の中では壊れた剣の破片がえいるに触ることもなく光に消えていく。ぼうっと前を見つめるえいるに何も危害を加えないそれは、一瞬前の危険と反して降る雪のように幻想的に美しい。

 そして、私とミルハ、そのちょうど中間。

 そこに一つの影が生まれる。


「……はぁ、好き勝手やってるねぇ、ミルハ」


 カラフルポップなパーカーに濃紺のスキニー。現代的な服装を身に纏い、だけど白金の髪を携えた美貌は人外のように。


「……遅いのよ。もっと早く来なさい」

「急いでたんだよ、これでもさ」


 アドハ=ル=アウル・オーレッドは、まるで最初からいたかのように、ミルハと向き合って立っていた。

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