至天と獣 7 火が燻る
一匹倒せば三匹、三匹倒せば三十匹。狩れども狩れども尽きないスライムの群れ。
「クソッ! ちょっとは落ち着きなさいよ!」
「MOBにんなこと言ってもしゃーないでしょ!」
「……あ、ごめーん。リキャスト入っちゃった」
星纏いの効果によりリーチと威力を『増殖』させていた光が茉莉花の元から消えていく。
ちっ、まずいわね。
私と茉莉花はクラスⅡでレベルも30に上がったばかり(というか初日に初めて三十まで上げたのね茉莉花)。星のスキルを使わなければ一撃でスライムを葬り去ることができない。だからっていちいち一体のスライムに何度も攻撃を加えていれば、いつの間にか他のスライムに囲まれてタコ殴り……ってところかしら。
「逃げるわよ!」
「どっちに!?」
「敵のいないところ!」
「えーもったいない! 戦おうぜ!」
「やですよこんなところで物量で負けるなんて! ダッサいでしょ!」
「お前ほんとにロアの従妹なのね……」
ふるふると震えながら飛び跳ねるスライムの速度は決して早くはない。が、崖の上でスライムの波を引き離せはしなかったように、単純な速度だけではこちらからもこの群れを置いてけぼりにすることはできない。
「幽花、なんかない!?」
「……ありますけどぉ、ちょっと、その、主義に反するっていうかぁ」
「なにボケみたいなこと言ってんのよ」
「使いたくねーんですよ!」
「死んでも?」
「死にたくはないですけど!」
「しゃーないなぁ。どうしても逃げるって言うならここは私が『韋駄天真回』の試運転でも……」
「……試運転?」
「これ、クラスⅡからしかアクティブのスキルが使えなかったんだよね」
言葉を交わしながらバックステップで下がっていく私達はいつの間にか一つに集まっり、逆にスライム達はじわじわと勢力を横にも広げ取り囲まんとする。もはやどこに逃げるとかそういう段階はとっくに通り過ぎて、私達の退路は背中が前向く真後ろだけだ。
攻撃を放ち多少のスライムを払った私と幽花の腰を、茉莉花ががっと掴む。
「ぶつかったらごめんね? ……『韋駄天真回・一回し』
「え、ちょっと」
「あ、安全運て」
「『空行風如』ッ!」
そして、世界が遠ざかる。
「ぎゃああああああああああああッ!」
「うえ、後ろ向いて加速してるの、気持ち悪いわね……」
茉莉花に抱えられすさまじい速度で後退している。
全てが遠ざかっていく。スライムも後ろから現れては地平の彼方に消えていく自然も。
瞬きの間に世界の様相が変わっていくのを実感した。身体が空に浮き内臓さえも浮いてしまう感覚は、スキルに魔法、原理さえ違うと言うのに圧倒的な速度という共通点で否応なく『雷音轟叫』の速度を思い出させる。
「……あ、無理だこれ。速すぎてあんまり曲がれない」
「はぁ!?」
「快速直通だぁー! 道を開けろー!」
「直通ってそういう意味じゃねーでしょぉおおおおっ!!」
* * *
「ふむ、応答なしと」
「なんの反応もないのは、ちょっと気になるの」
煌々と大樹が燃えている。
ぱち、ぱちと樹皮を燃やす音が断続的に響いた。熱気がアレェリスタの頬を撫でる。樹齢何千年だと問いたくなる大樹を燃やす炎はそれに見合った大きさで、だから一帯は太陽の光に負けない程に火の光が照らしあげていた。
現実ではあまりに大惨事、すぐさま消防に連絡して避難しなければならないような状況でも、仮想では関係がない。無駄と思えるほどに精巧な世界を構築するアルプロにおいては延焼と酸欠と急激な気温上昇を気にしなければならないが、逆に言えばそれさえクリアしてしまえるのなら、どれだけ大きな炎を眺めていても死には至らない。
辺りに燃え移らないようにと突貫で掘られた溝には液体が満たされている。即席の堀に囲まれた燃える大樹、それを遠巻きに眺めるのは六つの人影だ。
「煙も十分、火が見えなくとも見上げれば目につくはずなんですけどね」
「キャンプファイヤーには十分な量だと思ったけど、まだ足りないの?」
「これ以上は森全焼コースだろ。それ試すよりは誰も見てないって割り切ったほうが楽だね」
「そんなことあり得るか? この……フィールドかエリアかは知らないが、ここには五万人がいるんだぞ」
「ってったって燃やし始めて二十分くらい経つけどな。それで誰も来ないどころかチャット欄に反応さえないってのはおかしいだろ」
「モンスターもめっきり見えなくなりましたし」
六人がそれぞれ口々に言葉を発する。色は、疑問や憶測で塗られていた。
「襲ってきませんね。スライムも打ち止めでしょうか」
「武器振っただけで死ぬようなMOBが何匹来たって一緒なの」
「大体40くらいか? 至天にしては随分と温いな」
「全くです。同じ至天としてはもっと粘ってほしいですね……?」
「まだボスのHPもここの攻略法も何も見えてないけどな。俺あんまり経験ないんだけど、こういうのってよくあんの?」
「こういうのが何指すのかわからないが……大量の雑魚と専用ステージは、まあ、よくあるギミックだろ」
「大抵はそのステージでの謎解きですよねぇ」
「あるいは大本のボスを倒さなければ、というパターンもある」
「他のプレイヤーと合流できないのは?」
「さあ? そもそも五万人レイドなんてあり得ないの。フルレイドでさえ連携できなくてギスギスの温床なのに。お前らだって失敗してたのに学ばないの?」
「あ、あれは貴方達が悪いでしょうに!?」
「火力が欲しいって言うから手伝ってやっただけなのにひっどい言われようなの。こっちは乞われていったのに」
「どこの誰がHP減少ギミック三つ同時に踏むくらいの火力を一回で出せって言いましたか!?」
「あれは楽しかったですねぇ。もう地獄絵図。自バフとデバフでわたわたしてたとこに範囲攻撃! ボスのギミックコンセプトがあんなにはっきりと見れたのは初めてでしたね」
「そういやあの時のあれ持ってきてるの。群体系のボスなら『緑夢暴喰』と合わせて地形変わるくらい火力出せちゃいそうなの」
「君たちはいつも物騒だな。そんなんだからスレに書かれるんだぞ」
「え、何それ俺知らないんだけど」
雑談を交わしながらもアレェリスタの目はシステム画面、そこに表示されるチャット欄から外れない。
時間が経つにつれ言葉が流れる川は徐々に勢いを落とし、ずっと張り付いて書きこんでいるのかよく見る名前も現れ始めてきた。チャットというよりは掲示板に近いそれにはやはり、この状況への疑問や攻略方法の模索がちらほらと書かれている。
ただどれだけ待てども大量の煙が上がっているだの森が燃えているだのといった情報は上がらない。
「……はぁ。待つだけ無駄だな」
「じゃ、進むとしますか。どっち行く?」
「どっちというか、虱潰しに動いたほうがいい気はしますね」
「時間かかりすぎなの」
「現状やれることはスライム狩りくらいだ。モンスターがいそうな場所を探す、でいいんじゃないか?」
「自爆マン、まだドレアム出せないんですか?」
「誰が自爆マンだ誰が……まだ無理だな、酷使しすぎた。言っておくが今日だけで三回は壊れてるんだ。少しは労わってくれ」
「今までずっと仕舞ってたくせによくいうの」
「要するに見つけ次第戦闘に入ればいいんだろ? そーいうのは大得意だぜ!」
「……ま、それしかないか」
億劫に立ち上がる。
少しだけ身体が重くて、はぁ、と内心溜息を吐いた。
どうしてだろうか。至天ボス、アルプロにおいてまず間違いなく最難関のボスだと言うのに、アレェリスタは自分の心が躍らないことを知った。あの、胸の内を焦がしてしまいそうな熱を持ったままちりちりと燻る火種が、今は燃えていない。
……『極限』じゃないからか?
『極限』だって、その強さと誰も手にしていない装備に固執していただけだろうに。
アバターが現実に存在しないなら、この身を動かすのは全て脳の火だ。筋肉も骨格も血液も必要なく、夢見る脳が糖分を燃やしてシナプスを働かせ続けることによってのみ身体を動かせる。
そして燃料となるのは意思。
『天魔大剣』の装備、あるいは、『極限』ボスの完全攻略という前人未到の栄誉。それさえ自分の『特別』の座から滑り落ちていくのを今更ながらに自覚する。
なら、何の為に戦うのか? 『特別』とは何だ?
そんなもの決まっている。
……もう一度戦って、勝つ。
完全に圧倒してやる。臆病だのと二度と言わせるものか。
『特別』は、きっと、この身体を燃やし尽くすほどの火だ。
「……さっさと抜け出したい」
アンドレイと戦うためにいるのだから。
【ならば武器を握りなさい。貴方も、試される権利がある】
「ッ!?」
聞いたことのない声に振り返るが、そこにはきょとんとした顔をした狂いが立っているだけだ。
「なん、だ……?」
聞こえてない?
疑念を進めようとした刹那、間髪入れずにシステムがポップで軽快な音を吐き出した。
【既定討伐数を確認。次ステージへ進みます】
「はぁ?」
「次のステージ?」
今度は全員に聞こえたようだ。静謐に似合わない音を吐き出し続けるシステムは今までのスライム討伐数がどうのだとかエリア踏破率がどうのとか細かい数字を表示させ。
やがて、世界の端が歪んでいく。




